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共働き家庭にのしかかる介護  老老・認認介護拡大で悲劇 社会的な体制保障を

 高齢化が進むなかで妻や夫、親の介護の問題は、多くの家庭が直面する問題となっている。老老介護を通り越して認知症同士が介護する認認介護、また未婚の子どもが一人で介護にあたる家庭の割合も増しており、そのなかで介護疲れを理由にした自殺や心中、虐待などの悲劇も後を絶たない。最近では認知症を原因とする行方不明者が各地で発見されるケースもあいついだ。育ててくれた親を介護したいという思いはだれしも同じだが、親の介護が必要になる40~50代の現役世代もほとんどが共働きで、個別家庭での解決は困難になっている。安倍政府は「女性の労働力の活用」を掲げる一方で、女性が働くうえで直面する介護政策では「施設から在宅へ」と個別家庭の負担へと逆戻りさせようとしている。要支援を介護保険から切り離し、市町村に丸投げする方向も具体的に進み始めて介護現場で大きな問題になっており、社会的に体制を保障することが切実な問題として語られている。
 
 介護のために職失う現役世代

 94歳の義父を亡くなるまで介護したという60代の婦人は、「老老介護で心中したり、親を殺したりする人の気持ちが本当によくわかる」と話す。義父は元気なときは、これほどいい義父はいないというくらいの人だったが、寝たきりになってからは怒鳴り回すし、最後の方は怖いくらいだったという。ご飯を食べるのには手が動かないのに、おむつに手を突っ込んだり、はずしたりするため、家を空けることができない毎日。3世代で同居はしているが、昼間は子どもたちは仕事、孫たちは学校とそれぞれの生活があり、どうしても仕事をやめた婦人にすべてがかぶさってくる。
 途中で精神的におかしくなりそうになって病院に行ったが、「出す薬はない。あなたが仮病を使うなどして、その場を離れるしかない」といわれたという。「義父を怒鳴ってその場から逃げられるならいいが、嫁の私は逃げることはできないし、一日中一緒にいるから本当に苦しかった」という。
 訪問で来た介護関係者が見かねて手を打ってくれ、小規模のグループホームに入所することができたが、「そこもそんなに人手がある施設ではないから、手のかかる義父は大変だった。しょっちゅう呼び出しがかかり、施設から電話がかかるたびに“もう世話できないといわれるのではないか”と心配で心臓がどきどきしていた」とふり返り、「今から私たちも介護される方になってくるし、団塊の世代が高齢者になってくる時代。少ない年金から介護保険料や健康保険料を引かれて残りのお金で生活するのもやっとなのに、介護施設に入ることができるのかも不安。自分の経験からも介護制度を本当につくりあげることがすごく必要だと思う」と思いを語った。
 市内に住む70代の婦人は、夫の母を2年間介護して看取ったあと、今は80代の夫を一人で介護している。義母は脳梗塞で倒れて飲み込むことができなくなり、胃に穴を開け管で食事を流し込んでいたが、管を抜いてしまうため、毎日朝、昼、晩2時間ほど腕を押さえておかないといけない。週に2回は兄弟などに交代してもらったが、あとは婦人が毎日病院に通ったという。夫の母の介護が終わったかと思うと今度は夫が2回脳梗塞で倒れ、左腕が麻痺して動かなくなった。週に2回のデイサービスを使いながら自宅で生活。婦人もC型肝炎で体はきついが、夫が車に乗れなくなったため、毎朝歩いて買い物に行き、その日の食材を買って帰ってくる。「夫が中小企業の経営者で、私は専業主婦だったので年金もそんなにたくさんない。お金がないのが一番厳しいが、私が暗くなったら主人も暗くなるから、あえて笑い飛ばしている。本当は食事療法もしないといけないが、長生きしても…と思い、食べたい物を食べている。だけど、この前もつい“あんたのお母さんを看取ったかと思えば次はあんたの面倒を見て、私の人生はなんだ!”と怒鳴ってしまった。最近認知症も入って大変になってきたので、どうしてもイライラしてしまう」と語っていた。
 多くの家庭では婦人たちの肩にかかってくるが、最近は未婚の男性と親の2人暮らしという世帯も増えており、「同居人がいるとヘルパーが入れないが、実際は男性が仕事をしながら家事をするのは難しく、生活が成り立っていない世帯も多い」と関係者のなかで語られている。心中や介護殺人が起きているのも、多くがこうした世帯だ。
 市内で新聞配達の仕事をしている50代の男性は、40代のときに同居していた母親が介護が必要になり、それまで勤めていた職場をやめた。当時はまだリーマンショック前で「すぐに再就職先が見つかる」と思っていたが、08年に母親が亡くなって、いざ働こうと思ったときには、リーマンショック後でまったく職がなくなっていた。必死で探したあげく、ようやく新聞配達の仕事が見つかって、現在もそれで生計を立てているという。「おばあちゃんが倒れて、お母さんがパートをやめなければならなくなり、孫が大学進学を断念せざるを得なかった」という家庭もある。介護をきっかけにして、家族の生活が大きく変化してしまう。

 受入れ先少ない認知症 行方不明者は年1万人 

 先月中旬に、長い間行方不明になっていた東京都内の67歳の女性が、夫と7年ぶりに再会を果たしたことをきっかけに、同じように認知症による徘徊で行方不明になっている高齢者の存在が明らかになってきたことは、家族で介護を続けていくことの困難さと、受け入れ体制の乏しさを浮き彫りにしている。
 女性が見つかったのは群馬県館林市。7年前、午後7時頃に夫が帰宅すると、デイサービスから戻っているはずの妻がおらず、警察に届け出たが見つからないままだった。妻は数時間後に60㌔あまり離れた館林市の東部鉄道館林駅前の交番で保護されたが別名を名乗り、さらに他の警察に照会するさいに下着に記された名前を誤って書くというミスが重なって、身元不明のまま市が介護施設に入所させていたという。
 埼玉県狭山市でも保護されて18年生活していた男性の身元が、今月に入って親族からの連絡で判明。愛媛県松山市内では昨年6月に保護された78歳の男性の身元が、今年5月の再調査で判明した。発見場所から約70㌔離れた場所の住民だった。
 昨年1年間で、こうした認知症の行方不明者は1万322人に上り、そのうち1万88人は昨年中に警察の捜索などで見つかったが今年4月30日時点で151人の所在がわからないままだ。行方不明になってから1年以上になる人は43人にも上っている。
 関係者のなかでは、家族が働いているあいだ安心して預けることのできる施設が圧倒的に少なく、施設に申請しても何百人の順番待ちだったり、精神病院への入院を勧められたりというケースもあり、行き場がない実情が語られている。
 認知症対応のデイサービスにつとめる関係者は、「認知症は家族も“しっかりしていたお母さんが”という思いがあるので、なかなか受け入れがたい。とくに体が元気で徘徊がある高齢者になると、専門家の介護士でさえ大変なのに、とても個別の家庭で介護できるものではない。家族も含めて支える体制が必要だが、今は圧倒的に受け入れるところが少ない。働く人が増えているのにグループホームも足りないし、デイサービスも介護士が不足して、体の元気な認知症の人を受け入れることができない。国がきちんと力を入れる体制がないのが一番の問題だ」と話す。
 せっかく志を持って介護職についても、生活ができずにやめていく人が多いため、現場は常に人手不足。「認知症は集団でなにかするのができなかったり、自分が人と同じようにできないと不安になったりするので、できるだけ少人数か個別対応しないといけない。体が元気で徘徊のあるような人を受け入れると、あっという間に人が回らなくなってしまうから、施設やデイサービスも上手に断ってしまうのが実際だ。また認知症対応は金額が高くなるので、年金の少ない人は利用できない」と話していた。
 今年4月には、愛知県で91歳の男性が徘徊して電車にはねられ死亡した事故をめぐって名古屋地裁が、「監督が十分でなかった」として91歳の妻に約360万円をJR東海に支払うよう命じた判決は、同じく認知症の高齢者を抱える家族や介護関係者のなかで、「家族だけに責任を負わせて解決する問題ではない」と語られたが、こうして個別家庭の責任にすり替えて、介護を切り捨てていくことへの怒りは強く語られている。
 現在、要介護高齢者の約3割を占める要支援1、2を介護保険から切り離し、中心となる訪問介護と通所介護を市町村に丸投げして、介護施設に入れるのは要介護3以上に限定する改悪が全国的に動き始めている。ヘルパー派遣などが、市町村の財源によってどこまで実施されるのか先行きは不透明だ。介護の問題は高齢者だけでなく働く現役世代に直結する問題であり社会的に責任を持つ体制をつくるよう要求していくことが待ったなしの課題になっている。

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