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上関を核のゴミ捨て場にするな 関電からゴミもらう中電の卑屈 降って湧いた中間貯蔵施設建設計画 県民の総力でたたかおう!

原発建設に反対し中電のボーリング調査を阻止する漁業者たち(2005年6月、上関町)

 中国電力が山口県上関町に対して使用済み核燃料の中間貯蔵施設の建設を提案したことが、上関町内のみならず山口県内で物議を醸している。1982年の原発建設計画の浮上から41年を経て、原発については町内外の根強い反対世論に包囲されて建設には至っていないものの、さんざん町民を分断してきた挙げ句に郷土を核のゴミ捨て場にする、正真正銘の原発の墓場にするという動きに反発が高まっている。この間、上関町内に乗り込んで取材にあたってきた記者たちで、状況について分析、論議してみた。

 

心してかかってこいよ!関電

 

  降って湧いたような中間貯蔵施設の誘致話で、「どうして上関なのか」「なぜ山口県が関電の原発のゴミ捨て場にされないといけないのか」と山口県中で驚きを持って話題にされている。中電の必要性というより、客観的に見ると関電の必要性のために上関を差し出すような格好だ。中電の必要性からすると、島根原発の施設内に建設するのが妥当で、わざわざ上関まで使用済み核燃料を運んでくるというのは非効率でしかない。費用からしても非効率なのだ。中間貯蔵施設の必要性に迫られているのは誰がどう見ても関電で、原発銀座でもある福井県内の美浜、高浜、大飯の7基の原発施設内の核燃料プールにため込んだ使用済み核燃料が容量上限に近づいており、これを福井県外に持って行けということで、福井県ともめていた。

 

  核燃料プールの貯蔵容量の上限に対して関電は8割に上り、島根原発のみの中電は68%(約7割)で比較的余裕があるというが、実際のトン数を見たらわかるように、関電の美浜原発が抱えている使用済み核燃料の貯蔵量が480㌧(容量上限620㌧)、高浜原発が1380㌧(同1730㌧)、大飯原発が1820㌧(同2100㌧)で、あわせて3680㌧にものぼる。島根原発で中電が抱えているのは460㌧(同680㌧)とその差は歴然としている。上関に建設しようとしている中間貯蔵施設がどれだけの規模なのかははっきりしていないが、要するに関電の使用済み核燃料のゴミ捨て場にされるということだ。3000㌧クラスの規模になってもおかしくない。

 

 美浜原発は1、2号機が廃炉作業中で、3号機は40年以上稼働した老朽原発でありながら、これが再稼働している。高浜原発も1号機、2号機はもうじき50年になろうかという老朽原発で、3号機、4号機とて40年近く稼働している老朽原発だ。大飯原発も1号機、2号機は40年ごえ、3号機、4号機は40年ごえしているような原発だ。そこに溜め込んできた使用済み核燃料を福井県外に持ち出さないといけないため、関電が場所を求めている関係だ。なぜに山口県が関電のゴミ捨て場にされないといけないのかだ。

 

 C 福井県が「県外に持ち出せ」といっているものを喜んで受け入れるのが山口県・村岡知事なのだろうか。バカではあるまいか? と思うが、日本中どこを探しても「中間貯蔵施設をうちに建設して下さい」というような自治体は珍しい。地獄の沙汰もカネ次第で長年にわたって原発や米軍基地に郷土を売り飛ばす政治をやってきたとはいえ、山口県政界の態度も問われている。県民としては見過ごせない重大な問題で、「上関町の政策選択なのでコメントする立場にはない」では済まされない。当事者は立地自治体の上関町民のみとはならない。山口県東部の住民のみならず、山口県民全体が当事者として考えなければならない重大な問題なのだ。何か事が起これば無関係では済まないのだから。

 

 A 中間貯蔵施設などといっているが、核燃料サイクルそのものは破綻しており、実質的には最終処分場にされかねない。原発は建っていないのに、まさに「原発の墓場」にしようというのだ。核燃料サイクルでいうと、青森県六ヶ所村に30年前から建設している再処理工場がトラブル続きでメドがたたず、完成時期をずらしにずらして今日に至っている。総事業費として14兆7000億円を注ぎ込んで行き詰まっている。そのために全国の原発で敷地内なり貯蔵プールに使用済み核燃料を抱え続け、福島原発事故でもまさかあれほど大量の使用済み核燃料を原発内に抱えていたとは誰も思っていなかった。あの事故によって、使用済み核燃料をとり出すだけでも少々でない労力だったことはニュースでも報じられてきた。厳重に冷やし続けないといけないのだ。

 

 斯くして行き場のない使用済み核燃料が増え続けているのに原発は再稼働してさらに使用済み核燃料を増やし、かといって再処理工場がないために、急場凌ぎで中間貯蔵施設をつくろうといっている。原発を止めてしまえば使用済み核燃料は増えないのだから止めればよいのに、それはやらずに「たいへんだー!」「満杯になったら原発が止まるー!」と騒いでいる。本末転倒も甚だしい。

 

 使用済み核燃料は仮に再処理されても高レベルの放射性廃棄物となり、地下深くに埋めて数万年から10万年かけて安全に管理して、ようやく天然ウラン並みの放射能になるという。この建設場所も決まっていないのが現状だ。原発はよく「トイレなきマンション」とも揶揄されるが、そのように後先のことを何も考えていない政策なのだ。

 

 核燃料サイクルという実現できもしない建前を掲げることで原発政策を正当化し、無責任に使用済み核燃料だけが増え続けている。

 

 これらを推進しているのは経済産業省であり、上関に中間貯蔵施設を作れと背後で糸を引いているのも国にほかならない。福井に断られたからといって山口県をゴミ捨て場にしようとする関電も厚かましいが、国の存在抜きに動くような話ではない。

 

原発推進40年の挙げ句 町民の反発は必至

 

  上関町内で住民に意見を聞いて回ったが、誰もが一様に驚いている。寝耳に水で、テレビのニュースで初めて聞かされて仰天した人がほとんどだ。事前に何らの話もなく、全国版ニュースでいきなり「上関町に中間貯蔵施設」が報じられた。これには推進派の住民も「えっ?」と戸惑っていたし、「なぜ関電の原発のゴミをわたしたち上関が引き受けなければいけないのか」と疑問を口にしていた。40年以上も原発騒動でもめてきて、上関原発建設計画については実質的に破綻して建設のメドもないなかで、今度は中間貯蔵施設というわけで、要するに上関をゴミ捨て場にするのだから「ふざけるな!」という感情になるのは当然だ。

 

 候補地として中電が示しているのは、90年代に入ってもともと原発用地として買い占めてきた土地で、より四代地区(予定地に最も近い集落)に近い。この土地を別目的である「中間貯蔵施設としてどうぞ」といって利用しようとしている。地権者からすると「話が違うではないか」という思いもあって、「こんなことが許されるのだろうか」「いまになって詐欺みたいな話だ」と話す住民もいた。いくら中電の所有地になっているからといって、こんな勝手な真似が許されるのか? と――。

 

 A 上関については長年取材にもあたってきて、推進派住民ともよく話はするのだが、さすがに今回のやり方については憤っている人が少なくない。頭越しですべてが勝手に動いており、住民そっちのけなのだ。一言の説明もなくいきなり報道で知らされ、住民感情としては穏やかでないものがある。中電の驕りというか、上関を好きなようにできるという思い上がりを感じとっている。

 

 それで町長と議会が飼い慣らされた賛成マシンとして同意したとしても、ちょっと単純にはいかないだろうな…という感触だ。住民同意がまるでない。現状では中電が町の上層部を例の如く丸め込んで、好き勝手に計画を持ち込んでいるだけなのだ。40年かかって原発1基建てられずにきた中電が、何をいい出すのかと思ったら「中間貯蔵施設をつくります」などといい始め、しかも上関に持ち込まれるのはその原発でできた行き場のない核のゴミ。傍から見ると、上関を公衆便所か何かのように扱っているし、「中電いい加減にしろよ!」という感情になるのも当たり前だ。

 

 ただこれは、中電の都合で動いているというよりも、関電と国の意向で動いている要素の方が強い。中電としてはカルテル問題でやり玉に挙がって社長の首が吹っ飛んでおり、監督官庁の経産省や電力業界のなかで首根っこを抑えられている。上関については原発計画もお手上げ状態なのは一番わかっているはずだ。近年は上関へのかかわりもどこか引き気味できていたが、そんな矢先に「中間貯蔵施設をつくります」などといい出しており、推進派住民からしても「なにをいまさら」という思いを口にする人は少なくない。長年にわたって踊らされてきたが、興ざめしている人々が大半だ。もう40年かけて今度は中間貯蔵施設を巡って大騒ぎが続くのかと思うとうんざりするのも当然で、「あいだ(飽きた)」という。

 

次期衆院選の重要争点 計画背後に自民岸派

 

漁業権を守るため中国電力の上陸を阻止する上関町祝島の島民や漁民たち(2010年)

 A 2011年以後は工事もストップして、上関原発建設計画については建設のメドがまるでない。これは福島事故を受けて国の原子力政策が揺らいだことも関係しているが、上関については福島事故以前からメドなどない。原発用地も虫食いで売却に応じていない地権者も複数いるし、極めつけは祝島が受けとりを拒否しているために漁業補償が成立していない。だから「着工」パフォーマンスはできても、実際に埋め立て工事などやれば漁業権侵害で訴えられるのは中電であり、手を付けられない関係だ。漁業補償が成立していない海域の公有水面埋立免許を出したのが村岡知事であり、これまた全国でも例がないことをやっている。

 

 漁業補償については2000年代に126億円が関係8漁協にばらまかれたが、すでに20年以上が経過しており、その間に漁業者もずいぶんと入れ替わった。民法上も債権は10年といわれるが、20年も前の契約と補償金をもって「漁業補償は成立している」といって現在の海に手を付けるというのも無理がある。漁業補償交渉は一からやり直さなければ、現在の漁業者の権利を侵害することになる。一銭も補償金をもらっていない現在の若手漁師にとっては容認し難いものだ。つまり、振り出しに戻っているということだ。ただ、振り出しに戻っているとはいえ、買い占めた広大な土地だけは擁している。そこに、ならば「中間貯蔵施設を作ります」というのだ。

 

 C 山口県では、1979年の豊北原発建設計画の断念から上関町に舞台を移して原発計画とのたたかいがくり広げられてきた。この間、山口県では1基も原発を建てさせていない。この最大の原動力は県民の反対世論の強さにある。自民党が牛耳る県政は中国電力の最大株主でもあり、中電とタッグを組んで推進してきたが、町内外の反対世論が圧倒している状況は変わらない。

 

 JCO東海村臨界事故が起きた後、佐藤栄作の息子である信二が「わたししか上関原発を建設できない」と原発建設の巻き返しを叫んで衆院山口2区で落選したこともあった。佐藤信二としては新規立地の突破口である上関を前に動かすことで中央政界において得点稼ぎをしようとしたのだろうが、逆に2区の有権者から総スカンを食らって、以後は国政に返り咲くことなどできなかった。それほど反対世論は根強いものがあるし、2区は米軍岩国基地と上関は重要な争点になる。

 

 A この時期に中間貯蔵施設が降って湧いて思うのは、次の衆院山口2区が大注目されるということだ。補欠選では岸信千世がかつがつ当選したものの、無所属で挑んだ平岡との差は僅かだった。中間貯蔵施設への態度如何によっては「岸家の命脈」は絶たれることになるに違いない。西村経産大臣は岸信介の後継者として地元岸派を引き継いだ吹田の娘婿で、これが上関をゴミ捨て場にしようと画策しているというのなら信千世も無関係では済まない。平岡が再度2区で挑もうとしているが、「上関への中間貯蔵施設建設は認めない」とはっきり態度を打ち出せば、残り数千票の差など恐らくひっくり返る。保守層も含めてこの地域では国策に対してギリギリとした思いが鬱積しているのだから。逆に立憲民主党が日和った場合は自爆だろう。

 

 C 上関への原発建設なり中間貯蔵施設の建設というのは、前段でも論議になったように上関町内、2300人の町民だけの問題ではない。仮に上関町長と議会が「作っていいですよ」といったからといって、「はい、そうですか。仕方ないですね」では済まない。広く山口県民全体の問題として考えなければならない性質のものだ。住民同意は上関だけで良いとはならない。周辺自治体の首長たちも態度が迫られることになる。

 

 中央構造線断層帯が走っている目と鼻の先に中間貯蔵施設を建設して、仮に巨大地震に見舞われたらどうなるのか、あるいは台湾有事などを叫んでいる折に、ミサイル攻撃の格好の標的になることも歴然としている。何千㌧という使用済み核燃料を抱えた施設にもしかの事態が起こった時にどうなってしまうのか、何が起こりうるのか現実的に想定しなければ話にならない。上関以外の人には無関係という性質の話ではないのだ。いずれは県知事の同意も必要になるだろうし、そのときは村岡も態度が迫られることになる。山口県民としては選挙において厳正に審判を下さなければならない時がくる。

 

地域振興どころか衰退 中電による飼い殺し

 

  中電としては40年かけて狭い上関町は買収し尽くした。町長や町議は頭が上がるヤツなど一人もいないし、おかげで好き放題ができる関係だ。町は計画が浮上した頃には7000人以上いた人口が、いまや2300人と激減している。高齢者が多く、現役世代は都会に出て帰ってこない。それもこれも、40年間も原発騒動に時間を費やし、「原発ができれば町が発展する」とバカの一つ覚えの如く旗を振ってきたことと無関係ではない。

 

 「原発ができれば町財政が豊かになる」「原発ができればそこで働けて人口が増える」「原発ができれば…原発ができれば…」の夢追いをしてきて、産業振興に無関心なものだからますます人口が減少して人が住めない町になってきた。

 

 この間、町内に取材に行ってみても、ずいぶんとこれまでに知り合ってきた町民の皆さんが亡くなられていて、空き屋の多さも尋常ではなかった。40年も経てば無理もない話ではあるが、「原発ができれば…」の罪深さを感じさせる。

 

 産業としては漁業が主力なのだが、その振興には不真面目で、投機的に電源交付金に飛びついて箱物をこしらえたりするのだけは大好きなのが特徴だ。2000年代にかけて巨額の原発関連の交付金も下りたが、温泉を掘ったり、学校を新しくしたり、道の駅を作っても、身にならないから人口はますます減少する。町財政が厳しいというが、カネがいくらあってもこれではどうにもならない。

 

 北海道の小さな町がふるさと納税で年間100億円をこえる金額を集めたとかが話題になっているが、地方の魅力を発信して農産物を返礼品として掲げるだけでも、ずいぶんなことができるものだと感心する一方で、そんな努力もせずに口を開けて餌を与えられるまで待っているようなのが上関町政だ。「原発ができれば…」の投機的な姿勢が転換されないまま、ずるずると40年も経過してしまった。

 

 C もっとも罪作りなのは中電で、買収し尽くして町全体をコントロール下に置いてしまった。7000人を買収するより2300人を買収するほうが楽で済むし、人口など減れば減るほど楽に町全体をコントロールできる関係にほかならない。選挙をコントロールするのも、少なければ少ないほど対象が小さくて済む。買収選挙など当たり前で、町民の就職先や縁故関係から切り込んだり、住民間の矛盾であったりを調べ尽くして、それらすべてを原発推進に利用してきた。弱みを突いて反対派だった住民を転向させたり、反対派に手先を潜り込ませたり、実は裏でつながって飼い慣らしていたり、何でもありだ。

 

 上関の反対派といったとき、一般の住民たちは一生懸命に反対を貫いてきた一方で、インチキな輩、実は中電とつながっている鵺(ぬえ)みたいな輩とかさまざまいるわけで、決して単純ではない。長周新聞としてはインチキな反対派幹部が運動を敗北に誘っていくことについては公然と批判を加えてきたし、裏切りについては記事にもしてきた。そういった連中は結局のところ住民のなかで正体が暴露されて力を失ってきた。そのことも上関原発が建設できなかった大きな要素になっている。

 

 今回の中間貯蔵施設についても柏原前町政の時期から町議会の全員協議会には話が振られていたというのに、いわゆる反対派といわれる町議たちはなぜダンマリをしていたのか? という疑問がある。盆明けには町議会で判断するといっており、8月中に全議員の態度が迫られる。郷土上関を核のゴミ捨て場にするのかどうかが問われている。

 

 関電から核のゴミ捨て場扱いをされているのに、「やったー! カネが入ってくる」「これで人口が増えます」みたいなことをいっているならどうかしている。福井県すら「県外に持ち出せ!」と激怒している代物を大喜びで「上関に持ってきて!」といっているに等しいからだ。

 

  いずれにしても上関だけの問題ではないし、広く山口県民の世論を結集して対峙しないことにはどうにもならない。原発にせよ、米軍基地にせよ、郷土を売り飛ばして中央政界で大きい顔をしているのが山口県の政治家たちで、これらも一緒になって中間貯蔵施設を山口県に持ち込むというのなら、上関原発闘争40年ではないが、本腰入れてやり合わないといけないということだ。最も手っ取り早い初めの一手としては、岸信千世を大差で落選させることになる。2区の有権者が激怒した選挙がどうなるのか、計画を持ち込んだ自民党岸派は補欠選挙以上に痺れたら良い。

 

  佐藤信二が落選した選挙では長周新聞も選挙区に乗り込んで号外を何万枚と戸別配布したが、大いにやりあったら良いのではないか。県民世論に火を付けていくほかない。現状では「中間貯蔵施設を作ります」と勝手にいっているだけで、作らせるも作らせないもすべて世論との力関係で決まる。原発を一基も建てさせていない山口県民相手に関電が豪腕を振るうというなら、なおさら県民感情としては燃えるものがある。

 

 普通に考えて、関西の電力供給のために溜め込んだ核のゴミを持ってこられて喜ぶ県民などいないし、「どうして山口県が受け入れないといけないのか?」と思うのが一般的だ。山口県は核の肥だめではないし、ふざけるな! と思っている人が大半だ。それらの世論をつなげて全県と現地がつながっていくことが大切だ。上関現地の問題に切り縮めたがっているのに対して、上関だけの問題では済まないことをはっきりさせて、運動を作っていくことが重要だ。この40年もそうやって対抗してきたのだ。

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この記事へのコメント

  1. 匿名希望者 says:

    2011年のあの事故以来、小出裕章氏がテレビを通じても原子力発電とはどいうものか、訴え続けてきた。左派/左翼の学者と呼ばれようと、人間としての良心から今でも各地からの要請により講演活動を続けているには頭がさがる。一方、保守派言論人の西尾幹二先生は”平和主義ではない脱原発”という題名で一冊の本にまとめられている。このなかに、”原子力安全委員会委員長に班目と言う人間がいる。” ~中略~ ”彼は廃棄物の最後の捨て場を引き受けてくれる自治体はあるかのという質問に答えて、「お金ですよ。最後はお金ですよ。ダメと言われたといわれたら二倍にすればよい。それもダメなら、結局はお金ですから、五倍にして、否といういう人はひとりもいません。」”という返答に腰を抜かさんばかりに驚き、にわかに信じられなかったと、書いている。※YouTubeで閲覧が可能。
    上関町民の反対する人達にもと思うと辛い。それにしても、上関町は地域振興策について、これまでどのような取り組みをなされてきたのだろう。長州新聞の過去の記事には、上関町は漁業利権に翻弄され、海洋資源を観光資源として活用を怠ったと鋭い指摘がある。失われた20年がこの町にもあるようだ。村岡知事は上関原子力発電所の計画は、地元である上関町の意向や国の政策を尊重しつつ「国に対し言うべきことは言う」と言及しているそうだが、上関町の経済振興にどれだけ手助けしたのか。” 総務省から来た男”には山口県民(一人ひとり)の声を聴く気はないのだろうか、この問題についても。

  2. 原田信幸 says:

    中電の核のゴミは、自分の会社の敷地で処理してください。

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