いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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被災地の現状と立て直しの課題 生産者主人公の国作りに活路

 東日本大震災から1カ月以上が経過したが、福島原発の収束のメドもなく、被災地ではいまだに放置状態の町も多く、復興をめぐる矛盾が激化している。マスコミの報道では、現地住民の生の声が伝えられず、政府は被災地への同情を利用してさらなる国民収奪の方向を強めている。そのなかで本紙は、東北地方に記者を派遣し、被災地の状況を取材してきた。現地の実情とともに、このなかにある問題点、これを教訓にしてどのように日本社会を立て直すかについて記者座談会をもって論議した。
 
 水産県の茨城 復旧阻む原発災害 浜の怒り爆発寸前

 司会 まず被災地の様子から報告してほしい。
  茨城県から入っていったが、地震、津波のうえに福島原発から海に放出された放射能による漁業被害が重大な問題になっていた。東京電力は、漁業関係者にファックス1枚送るだけでまともな説明もせず、了承も得ずに1万1500㌧もの放射能汚染水を海に垂れ流した。
 太平洋沿岸の漁港では、北部ほど津波の被害もひどく、護岸が崩れたり、船も転覆したり、港に打ち上げられたりして、その復旧のために1カ月も休漁状態だった。
 漁業規模の大きい北茨城市の大津漁港では、津波で漁協も市場施設も壊滅し、接岸されていた小型船が沈んだりしたが、「国や県の支援を待っていたのでは、みんなが死んでしまう」「自分たちが漁をやらなければ、町は動かない」と80㌧級の大型まき網船団が一斉にイワシ網漁に出たところだった。
 だが、沿岸部で獲れたコウナゴ(イカナゴの稚魚)から、基準値を超えるヨウ素やセシウムが検出され、ただちに出荷停止。放出された汚染水は温水で海面を浮流するため、海面を泳ぐ魚にまっ先に影響した。築地市場では「茨城県産」のすべての魚には値が付かなくなり、お得意先だった銚子港も水揚げを拒否。つい先日まで1㌔㌘当り50円だったイワシが20円を切り、場所によっては10円以下だった。「千葉県沖で獲れたものだ」といっても、「安全性が確認されない」といって受け付けない。
 まき網船団の漁労長は、「流された網をみんなで集めて修理し、“このまま座って死を待つわけにはかない。これから頑張ろう!”と一念発起して漁を始めた矢先、逆に赤字が膨らむ結果になった。原発で腰を折られたようなものだ」と怒りは尋常ではない。沿岸の町は漁業が地域経済の根幹になっているので自治体崩壊につながる問題だ。
 B ひたちなか市の那珂湊でも、残っている船も多かったのだが原発の影響で沖に出られない。まき網船に青森や秋田から出稼ぎに来ている船員たちも船で泊まりながら、網の修理などをしていた。みんな家が被災しているが、漁をやらなければ家族も乗組員も飢え死にだし、借金だけが膨らむ。大津では、岸壁も漁協の共同利用施設が壊滅し、1網当り1億数千万円もするまき網が津波で4、5網流された。サルベージで釣り上げても使い物にならない。これは保険適応外だ。新たな借り入れはできても、漁に出れなければ返すメドがないといわれていた。
 茨城は漁獲高が全国5位という水産県で、魚種としても、主力のまき網、底曳き、コウナゴ(2~5月が最盛期)などの海面の船ひき網があり、4月からは流し網(マダイ、スズキ)が解禁、8月からはサンマ棒受網が最盛期に入るところだった。これが全面休漁という深刻な事態だ。立て直さなければ、日本の漁業そのものに甚大な打撃になる。
  漁業者は、「謝罪だけならだれでもできる。実際には、現状を放置して国は生殺しの政策で、浜は暴動直前だ。水産庁は、もともと近海漁業の個人船主をつぶし、大手の商社などに売り飛ばす方向できたが、沿岸漁業者がのたれ死にすれば東京でネクタイを締めて酒を飲んでいる連中が漁業を仕切る時代になる」と怒っていた。
 C 東北の沿岸部は北からの親潮が南に流れている。垂れ流された放射能は、親潮にのって犬吠岬沖あたりで黒潮とぶつかるが、鹿島灘周辺でぐるぐる回って滞留するし、三重から四国沖まで流れていく。さらに黒潮に乗って太平洋を一周する。水産大学の話ではイワシ、アジ、サンマなどは四国、九州沖で産卵する。そして三陸沖など日本中に回る。だから被害は全国的だし、太平洋全体の問題だといっていた。この漁業に対する甚大な被害に対して警鐘も鳴らされていない。補償もだ。
 
 原発のある福島県 住民追い出す「避難」 再建始めた矢先 

 A 福島県では、原発から20㌔圏内の住民が土地を追い出された。郡山市のビッグパレット(多目的施設)に避難している双葉郡の住民からは、「最初から必要な情報が入らない」と口口に語られていた。地震当日、避難指示が出されたときも、原発の状態についての説明はなく、避難する期間についての予測も出されないまま、着の身着のままで郡山まで連れてこられた。1カ月も避難して、いつ帰られるのかわからない流民状態だ。ここに富岡町や川内村の臨時役場がつくられ、1800人がすし詰め状態で暮らしていた。
  富岡町や大熊町など原発立地町の住民は、一度川内村に避難し、3号機の爆発で郡山まで避難となった。すべて情報が切れて、なにが起きたのかわからない。3号機が爆発したことなども1週間後にテレビを見て初めて知ったという人が多い。しかも、20㌔圏内の放射線量の数値を発表しない。遺体捜索などもやられていなかったので、いまだに家族が見つからない人たちはいらだちをあらわにしていた。
  すべての生活基盤を奪われているので生活ができない。避難所では、おにぎりや毛布などは支給されるが、その他の生活用品は自費で買わなければいけないので金はかかる。なかには避難所から働きに行く人もいるが、会社がまるごと避難区域にある人、会社が廃業した人たちなどは再就職をしなければ生活の見通しが立たない。ハローワークは長蛇の列になっているが、「住所不定」の避難住民は雇用先がないといっていた。
 一時的に県外の親戚のところに身を寄せていた人たちも「親戚とはいえ1カ月もタダ飯を食べるわけにはいかない」といって帰ってくるし、他地域にアパートを借りた人たちも「なんの情報も入らないし、生活費もない」といって再び避難所に帰っていた。当局としては、関東地方の避難民受け入れ先や旅館やホテルなどへの入居をあっせんしていたが、住民としては同じ町民との集団生活の方が相談もできるし、安心感がある。だが、国や東電からすれば、集団で文句をいわれるよりも、帰宅を諦めて各地に分散してくれた方が都合がいい。過酷な避難所暮らしはお年寄りには身が持たず亡くなる人もいた。
 B ちょうど蓮舫・行政刷新相が襟を立てて視察に訪れたが、「パフォーマンスならくるな」と総ひんしゅくだった。
 A 市の半分以上が30㌔圏内に入る南相馬市に向かったが、近づくにつれて交通量が減っていき、市内に入ると人通りもなく閑散としていた。「屋内退避」指示によって流通が途絶えたことで、コンビニも「品物が入らないので休業」と張り紙がされ、ベニマルやイオンなどの大型スーパーも閉店。自販機すら停止。銀行や保険会社など大手企業ほど「地元切り捨てが露骨だ」といわれる。新聞も郵便配達もいまだにされていない。
 だが、住民はだんだん地元に帰っている。市民の「地元を立て直そう」という熱意は強く、商店街も数件ずつ店を再開していた。みんな避難生活には疲労困憊しているし、自分たちの生活基盤を「復興」する以外にない。だが国は「計画避難地域だ」「緊急避難準備区域」といって、ふたたび住民を追い散らそうとしている。

 「元に戻せ」が基本要求 農家は特に大矛盾

  とくに矛盾が大きかったのは農家だ。避難することは生活の糧を捨てることになる。「自主避難」という自己責任の野放し状態におかれ、一歩も動けない。コメ農家や野菜、畜産農家など、ただでさえ値段が落ちて苦しい中でふんばってきたのに、今回の原発災害で大打撃だ。政府から出されるのは「屋内退避」とか出荷停止などの規制ばかりで、生きるために残された道は狭くなるばかりだといわれていた。コメ農家はJAが稲の種も配らないし、「土をいじるな」といわれて作付けもできない。ハウス栽培のインゲンやホウレンソウも作れない。
 とくに畜産業は、牛を放置すればみんな死んでしまう。乳牛は体調管理が難しく、配合飼料のバランスや量が変わればすぐに弱る。津波で石巻市の飼料工場がやられ、放射能汚染を恐れて運送業務も途絶えたからエサが足りず、牛がバタバタと死んでいく。牛乳も出荷規制されているが、搾乳をしなければ牛が弱るので、一日に何百㍑もの乳を搾っては捨てている。農家は、やりきれない思いで世話をしていた。
 ある酪農家は、「生かす牛を限定して残りの牛は見殺しにするしかない。政府は“ただちに影響はない”といってきたが、こうなることがわかっていれば、牛を安全な場所に退避させるなどの対策はできたはず。本来なら放射線量を測定して、防災無線や広報車を使ってでも住民に知らせるべきだが、必要な情報が入らない」と怒りをこめて語っていた。
  繁殖牛を育てる農家では、10カ月育てた子牛を競りに出して50万円くらいで売り、それまでの必要経費を支払う。だが、牛は売れず、労働力と経費だけはかかる。おまけに、死んだ牛の始末まで県は「原発の影響だから」といって面倒を見ずに「自己負担」という。牛が死ぬのは時間の問題で、「“避難しろ”というなら、生きているうちに買いとるなどの補償をしてほしい。でなければ、農家も自殺に追い込まれる」と訴えていた。戦後の苦しいなかから荒れ地を開墾し、営々と農業を続けてきた人人にとっては、土地を手放すわけにはいかない。地域を守るためこの場所を動かないという人が多い。
  放射能でじわじわ殺されるか、避難して首をつって死ぬかの選択だ。政府には生活実感がなく、「放射能が出ているのだから避難させるのは親切」くらいの調子だ。浮遊都市東京の感覚だ。だが、地元住民からすれば土地を離れて生活はないし、「元通りに戻せ」というのが基本要求だ。
 A 地域を元に戻すつもりが国や東電にあるのかどうかだ。放射能による恐ろしい影響もあるが、地元にはそれに負けずに復興していく意志がある。それをやれるように国は補償するべきだ。原爆を落とされた広島、長崎でも「70年草木も生えない」といわれたが、その地で人人は復興させてきた。元に戻らないわけではない。国が本気になればよいだけだし、土壌でも5㌢ほど上層をとるとか、食用でないバイオ燃料などの作物をつくって放射能を除去し、元の作物に戻すなど研究者の意見も出ている。あらゆる方法を使って元に戻す気があるかどうかだ。その間の生活の補償はこの事態を作った東電と国の責任であることははっきりしている。
 C 「避難せよ」といって土地から切り離して分散させ、東電や国に対する抵抗力をなくしてしまおうという意図が作用している。「もう戻れない」といって、戻らせない方が都合がいいという思惑がある。なにがしかの補償金で土地を手放させ、国が没収し、放射能廃棄物の処分場にしてしまおうというのもあるのではないか。
  はじめから住民自身がみずから判断できる情報を流していない。放射能は危険だが、どこまでくれば危険で、どこまでなら安全なのか判断基準がさっぱりわからない。飯舘村では、長崎大学教授を呼んでわざわざ「安全だ」という講演会までして安心させておいて、いきなり「計画避難」だ。「やっぱり累積線量が高いから」といって。「正確な情報に基づいて」といいながら、流言飛語を国が流している。
  計画避難といっても、農家からすれば生活基盤をどうするのかが大前提になる。南相馬市なども緊急避難準備区域となっているが、要するに逃げるも残るも「自己責任」だ。逃げたら命が助かるとは限らず、避難所でも年配者はバタバタと亡くなっている。生活できなければ首をくくらなければいけない。
  放射能の放出量なども、後から発表しているのはものすごい量だ。すでにチェルノブイリの10分の1という。これには海に放出した量は計算に入っていない。
 
 買収で町潰す東電 5年で藏建つ国の役人 住民は被曝労働

  住民のなかでは、東電とそれに癒着した国が町の上層部だけ買収していた実態も語られていた。原発近辺の議員、農協、漁協、県知事も含めてきれいに買収されている。現在の佐藤知事も東電バックアップの人物で、「東電と一緒に県民に謝罪すべき」といわれていた。民主党きっての原発推進派である渡部恒三代議士(福島4区)の甥で、東電がつくったJビレッジホテルの社長にも就任している。佐藤栄佐久前知事がプルサーマル導入に反対したことで、警察・検察が動き、追い落とされた経緯も県民はみんな語っていた。
  保安院の役人などは現地で五年も過ごせば「蔵が建つ」ほどもうけて東京に帰るという。接待、住居の世話、旅行や遊びまでみんな東電が世話をする。その癒着ぶりは住民の語りぐさになっていた。「東電からすれば“国も県も仲間だろうが”という開き直りがあるから、ふてぶてしい記者会見をしている」と語られていた。
  福島県は地形上、山地に隔てられて浜通り、中通り、会津の3地方に分かれている。いわき市の常磐炭鉱や小名浜港や新地町などの漁業が盛んな時期は浜通りが繁栄したが、それが廃れるにしたがって原発が持ち込まれた。一方で、福島市や郡山市を含む中通りには、新幹線も東北道も通り、仙台とつながって東北経済圏の一角をなすようになっている。浜通りは常磐自動車道も相馬市止まりで、原発から東京とを結ぶ「原発道路」といわれ、東北経済圏から切り離されて東京直結の構造がつくられた。
  原発立地町周辺は、「福島のチベット」と呼ばれ、農漁業の規模もさほど大きくなく、「農業だけではやっていけないために東京に出稼ぎに行く人が多く、原発による雇用創出がうたい文句だった」といわれている。だが、電源交付金で立派なハコモノや東電による運動施設のJビレッジなどがつくられたが、維持費で首が回らなくなり、あらたな交付金を求めて泥縄式に原発が増設されていったという。今回の事故では、阿武隈山地を隔てて福島市や郡山市でもわりと放射線量が高い。電源交付金など関係のなかった地域が被害を被っている。
 B 住民の「生殺し」状態を続けるのは、あえて地域の自活力を奪うことで、これから大量に必要になる被曝労働者を確保するという狙いもあると思う。食べていけないようにすれば被曝労働にも手を出す。下手に補助金をたくさん出して農業が繁栄すれば原発に寄りつかなくなる。25年前のチェルノブイリでさえ今でも閉じ込め作業をやっているが、4つの原子炉を廃炉にするためには、これから何十年もかかるし、そのための被曝労働者がいる。この労働者をどこから連れてくるかとなれば、やはりあの地域が中心だ。
 A 南相馬市のビジネスホテルには、青森や秋田、遠くは島根からきた作業員が泊まっていた。すでに全国動員しなければ足りない状態だ。原子炉や配管を補修したりする技術者がいるが、被曝線量が高いので労働時間はあまり長くできない。
  避難住民のなかにも原発作業員がたくさんいたが、「今回の事故は起こるべくして起こっている」という評価だった。摩耗による配管の破裂などは日常茶飯事だったし、1号機などは稼働30年をこえて使い物になるものではなかったという。「廃炉にする方が金がかかるので、周辺自治体に金をバラまいて稼働延長を了承させた。古いのに定期点検の期間も延ばした」といわれ、「東電は昔からの隠蔽体質で、異議を唱えるものは抹殺される」「現場の実情を見れば恐ろしくなって、原発の仕事から手を引いた」という人が多い。
 「格納容器の交換作業をやった」という元作業員は、「炉内はロボットによる遠隔操作で作業をするが、炉内の構造が複雑な上にロボットにつながる配線コードを整理しなければもつれて動けなくなる。コード処理をしながらロボットが自由に動けるようにするのは人間の役割だった」といっていた。だが、機密の多い炉心部分には日本人作業員は入り込めず、必ずGEなどの海外メーカーに雇われた作業員が来て修理していたという。
 別の作業員は、「被曝線量が高いので、1日1、2時間だけだった。“最先端技術”というが原発の内実はものすごく原始的できつい。重労働で体を痛めたり、後にガンになる人が多い。日当は最高で1万3000円。東電からは5万円支払われているというが、親会社がみんなピンハネしている」と話していた。周辺町村には、ヤクザがらみの人材派遣業がはびこって、「金で人の命を買っている」といわれていた。
 
 津波被害深刻な宮城県 沿岸漁村手つかず 復興も都市優先

 A
 宮城県に向かって北上すると、津波の被害はより深刻だった。海岸線がリアス式になっているため、狭い入江ほど津波の勢いが増し、石巻市や女川町、牡鹿半島の各湾内の集落はまるごと消えていた。仙台空港周辺や名取市などでは、自衛隊などの作業員が総動員され、かなりガレキの整理が進んでいるのとは対照的に、沿岸の小さな漁村部落などは手付かず状態だった。道路も流され、集落は泥に埋まっていて、行方不明者もたくさんいるのに、自衛隊の数も少ない。「大都市優先」「生きている人が優先」といって後回しにされている。マスコミなどが大都市の状況だけ報道して「復興が進んでいる」と一段落ムードでいっているのに怒っていた。
 東北最大級の水産都市・石巻市では、漁港に隣接する市場、水産加工団地、冷蔵施設などがほぼ全滅だった。漁港市場などは根本から引き抜かれて、まるで雑巾のようにグニャグニャに押しつぶされていた。軒を連ねていた水産会社の建物も骨組みだけ残してガレキの山。巨大冷蔵庫では、備蓄されていた魚介製品が泥に混じって散乱していた。
  港では100人くらいの市民が集まって、冷凍製品のゴミの仕分け作業をやっていたが、ほとんどが会社を解雇された漁業関係者だった。若い人も多く、無収入で生活は厳しいが、漁業を立て直さなければ石巻の復興はない。魚の選別業を解雇された婦人は、「逃げ遅れて丸ごと飲まれた会社もあり、生きているだけでもありがたいと思って清掃作業に加わっている。生活は厳しいが、ここを立て直すまで会社の枠を越えてがんばりたい」と話していた。
 また、原発の影響もあって漁業者は漁に出られない。「出ても放射能が検出されれば、茨城や福島のように魚が買いたたかれる。四月いっぱいは待機で、その後もメドは立っていない」と語られていた。これも国は無視する可能性がある。最低でも冷凍施設や水道が復旧しなければ、市民は働こうにも働けない。この状態が続けば食べていけないので労働人口は流出し、立て直すことはできなくなる。大量の失業問題の解決が待ったなしの課題になっている。女川や気仙沼などでも同じだ。
 
 復興の主体は住民 同情煽るメディアに違和感 特需狙う財界

  国は、「がんばろう東北!」を合い言葉にして、義援金集めやボランティア派遣の方向を強めているが現地との波長の違いも浮き彫りになっている。復興は基本的に現地がやるものだ。頭越しに勝手な青写真をつくって「復興」といって押しつける。地元無視の空中論議だ。
 菅首相は、「高台の新都市構想だ」とか「エコタウンをつくる」とかいうが、現地はそれどころの話ではない。復興というなら地元民が主人公であり、衣食住の条件をつくり、産業を興すのでなければいけないが、この際、中央に都合のいい都市づくりをしようとしており、これにゼネコンがまぶりついている。
  被災した漁協や役所には、東京あたりからきた黒スーツのゼネコン営業マンが挨拶の列をつくっていた。みんな被災地で泥をかぶっている状況のなかで、それは異様な光景だった。復興需要で色めき立っている。
  復興は政府がやることで地元民は被災者でジッと助けられる人、という雰囲気があるが大間違いだ。被災者が復興の主人公だ。とりあえず住居がいるが、長期的なまちづくりは先に延ばして、プレハブ住宅の材料を国が提供するから自分たちでつくれとなれば、いくらでも働き手はいる。生活維持のためにも、瓦礫の片づけや、公共施設の建設、整地や堤防、護岸工事など、自治体が公社をつくったり、失業対策事務所などつくって地元民を雇い、日当を払って、当面の生活ができるようにして、次第に産業を復興するとかやることはある。「外から世話をする」というなかには、現地を主人公と認めて支援するというのではなく、ゼネコンなどが地元排除で復興需要を狙うというのがある。
  現地では、「何十年ものローンを組んで建てた家が全部流された。二度と高価な家は建てるものか。流されてもいい家を建てる」といっていた。当面は、プレハブでもいいから簡素な住宅をつくり、共同のトイレや風呂、炊事場をつくって、みんなで協力してやるという方が現実味がある。津波があるにしても、すぐ逃げ込める場所に高い位置の公共施設をつくったらよい。産業の復興や生活のめどが出てきたら、本格的な町づくりをしたらよい。
  日本の漁村はそもそも地震、津波を想定して、仕事に便利な浜辺に流されてもよい粗末な家を建てていたというのがある。
  国は、津波で被災した地域への建物制限をしたり、私権の制限などといっている。だから仮設住宅を建てるにも土地がなく、いつまでも避難所に縛り付ける結果になっている。自分の流された土地にプレハブをつくった大工さんがとり壊せといわれたらしい。私有地なのに勝手な話だ。高台といっても、造成地が地滑りしているのも特徴だ。自然に沿った地面の上に建てなければひどいことになる。これも地元感覚のない空中遊泳的な発想だ。
  避難所の支援も、身内を亡くしたり、家が流された被災民が中心になっている。自分たちで世話をしあっている。地域共同体の力だ。それぞれ身内が亡くなっているが、しかし負けるわけにはいかない。生きているものも食っていけない。みんながみんなのことを考えて協力する力が強まっている。そこに「かわいそうな人たちに愛の手を」という調子で都会からボランティアに行った部分はまったく肌が合わない。生き残った人人は生きるためのたたかいだし、極限の中での楽天性だ。現地が自立してやれるように援助するのが国の役割だ。
 B マスコミのお涙ちょうだいの「助けてくれ」キャンペーンも現地では違和感がかなりある。福島では、「生き残ったものが働くことでしか復興はない。それが、働き手が体育館で寝ていることしかできずに復興ができるわけがない。身のまわりの世話をするボランティアよりも現地の人間が働ける条件をつくってほしい」とか、「最近になって原発を襲った津波の映像が出たが、早くから知らせていれば原発がどの程度か予測し、先先のことについて対応できた。孤児の数がわからないといっているが、市町ができないのなら、県民税を払っているわけで県でも国でもすぐに調べられるはずだ。“大変だ”とか“かわいそう”というばかりで、国がどう動いているのかがさっぱりわからない」と話されていた。
  災害復旧や人命救助にしても、「危ないから自衛隊が来るまで避難して待て」となっていた。物資が必要なのに、東北道も緊急車両以外は通行止めだ。あれだけの広範囲を自衛隊や消防だけでできるものではないことはわかりきっている。瓦礫撤去なども地元も消防団とか地元民自身がやっている。石巻市河北町の大川小学校では、子どもが行方不明になった母親が、「泥に埋まった学校も一度掘り返して見つからなければ、あとは人の手による捜索を打ち切って重機でかき回すことになる」とスコップをもって我が子を捜しにきていた。政府対応の遅さもあるが、全国から民間も動員し、地元住民の力を結集したら数倍もの力を発揮できたはずだ。
 
 自治体も崩壊の危機 市町村合併の犯罪性 人口減に拍車

 C 自治体も崩壊の危機だ。直接に災害に遭い職員も犠牲になった。そして人口が減り、税金が入らない。菅政府は市町村合併といっている。ところがこの間の市町村合併で、災害対応能力がマヒしてきた。第一人手が足りなくなった。効率優先、費用対効果などといわれて、「この町のために」とか社会的な責任というものが切り捨てられてきた。
  南相馬市では、「このままでは人口が半減する」という危機感があった。津波による被害もあるが、住民も避難し、企業もなくなったから収支バランスが大きく崩れている。平成18年に1市2町が合併し、10年間で職員を10%減らす計画だったが、実際はそれ以上に削減してきたという。職員数は850人で、臨時や嘱託などの非正規職員を400人以上雇っていた(災害により休職状態)。
 今回の災害で、250人の職員の自宅が被災し、4人が死亡。そのうち3人は、地震直後、沿岸部の被害を調査中に津波に飲まれたという。30人の家が津波で流出し、30人の家族が行方不明。だが、家族の捜索や家の片付けなどは後回しで、市業務に従事している。「災害対策業務で手一杯で、通常業務に手が付けられない」「これまで行政のスリム化といっていたが、この状態ではとてもやっていけない」と語っていた。
 避難所の世話をしている市職員は、「母と祖母、姉とその子どもが流されて行方不明だ。でもみんなが同じ境遇だし、自分たちが働かなければ町が成り立たない。家のことも心配だが、今は目の前の仕事をするので精一杯だ」と話していた。合併路線で効率化、効率化で企業のようにして社会的な機能を切り捨ててきた。だから大災害になると手も足も出ない。マヒするようにしておいて、政府は「自治体から報告がない」といって自己責任という対応をする。地震が起こる前から自治体をつぶしてしまっていることが問題だ。政府は、さらなる広域合併をしようとしているが、そうなればいよいよ地域を世話する人はいなくなる。
  女川町では、原発利権もかかわって行政への信頼は崩壊していた。「津波用心」の石碑も撤去させたり、人の行かない高台に移転させ、埋め立て造成をやりまくってきたが、役場も含めて公共機関がすべて流された。消防署なども港の中心につくっていたので津波の一撃を食らって壊滅していた。玄関口には、亡くなった消防署員のヘルメットや花束やお酒が置かれていた。救援体制も乏しかったので、漁師が舟を出して流された人を救出したり、消防団が役割を発揮したという。その後も、住民がガレキの片付けをしたり、食料も水産会社から冷凍のサケやサンマをもらってきて焚き火で焼いて食べたり、水も自分たちでトラックをしたてて運んだといっていた。田舎に行くほど住民の自活力は高いし、へこたれていないと感じた。

 生産者の主導で再建へ 民族の底力示す時

  宮城県の中心は漁業だ。この漁業を復興させなければ、大方の地域は壊滅する。そのためには共同事業の方向に進まざるを得ない。地元では船や網なども共同で購入し、共同事業として復興をはかるという方向が志向されている。数年前に津波を受けた北海道の奥尻島では、国、県が3分の1ずつ負担して漁船を造ったというが、国が援助するのは当たり前のことだ。個人の生活だけではなく、国の食料生産の問題だ。
 三陸漁場は日本有数の好漁場だから、商社などや金融資本がチャンスと見て乗り込み、大型化をやるという方向が出てくるだろう。まき網や底曳き網も100㌧未満が多いが、本船が200㌧、300㌧クラスの大型化を水産庁は推進している。「補助金もそういうところだけに偏って出してきた」と漁業者たちは語っていた。漁業の規制緩和に拍車をかける方向との大衝突になる。
  座礁した船には保険が下りるが、陸に上がってしまった船は保険がきかないという。莫大な費用がかかるため気仙沼などでも手付かずの状態で放置されている。個人ではとても動かせる代物ではない。放置状況が続けば続くほど、立て直す力が流出していくし、若い人は子どもを育てられない。緊急を要する事態だ。
 中央の災害復興構想会議も、現場と合致していない。国も東電も30㌔圏内の世帯に義援金を出すといっているが、現場からすれば「暫定ライン」しかなく、線引き一つで大揉めする話だといわれていた。中央発の政策で、現場に合致したものがなに一つないのが特徴だ。復興計画が金融資本やゼネコンの好きなようにしたいという意図があり、地元の力が弱まるのを待っている。被災地を財界なり、金融資本の餌食にする方向で国が動いている。
  ここで復興財源のための増税路線で動いている。だが、日本は世界一の債権国・金貸し国であり、米国債など外国債券を売り払えば何百兆円も用意できる。また、税金を払っていない大銀行をはじめ、二百数十兆円も内部留保をもっている大企業から税金で取ればよい。「みんな一つになろう」がコマーシャルだし、大企業は一つにならないではすまない。アメリカも「トモダチ作戦」というのだから借金を返してくれたらよい。アメリカや大企業ばかりがもうかって、農漁業や製造業従事者が貧乏になっているから大災害からの立ち上がりが困難になっているのだ。それに増税などというのは許せないことだ。
 そもそも地方がなければ都市は成り立たないことが暴露された。大東京は、電気も水も野菜も魚も地方がつぶれたら成り立たない。この都会の脆弱さが暴露され、農漁業をやらなければという機運は強くなっている。本当の地方復権だ。
 B 東京そのものがマンハッタンをまねて高層ビルを建てているが、アメリカ東部は地震が少ない。東京はもともと軟弱地盤だ。縄文時代は半分ほどが海だったそうで、武蔵野平野の湿地みたいなところと、あとは埋め立て地だ。今度も液状化とか相当の被害だ。地方を大事にしていないと疎開先もない。
 全国的には、原発事故も含めた地震、津波、火山が全国を襲っていく趨勢にある。日本周辺の地震は活動期に入っており、東海、東南海、南海も30年の間にはほぼ確実に起こる。根本的なありようとして、戦後の原発推進に象徴される工業優先の農漁業破壊、都市優先の農漁村破壊で、アメリカのいいなりになり一部の財界が目先の損得で走ってきた国づくりを見直さなければ、国は足下から吹き飛んでしまう。
 C 今回の災害の原因なり対応に貫く問題は、国民主体ではなく、雲の上のアメリカや財界の利益優先の体質だ。働く者無視の、頭の上からの空中遊泳政治だ。国の主体は誰なのか、復興するにしても誰が主人公かという価値観の転倒がある。菅が避難所で「頑張ります」といって帰ったら「お前がなにをしてくれるのか」といわれていた。自分が主人公くらいに思っている。いまだに「東京の世話になって田舎が成り立っている」という感覚だ。東北の農漁業を犠牲にして、工業を優先し、東京のための原発をつくったことで破局的な事態をつくり出したのだ。
 働く人人が国の主人公であり、農漁業、製造業による生産振興でしか国は成り立たない。アメリカ崇拝の「金融立国」などといった根無し草政治に対して、生産を担う日本民族の底力を示すときにきている。

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