いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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対米隷属の下で主権を放棄する日本社会 沖縄国際大学教授・前泊博盛

 東京都千代田区の専修大学神田キャンパスで5月26日、沖縄国際大学の前泊博盛教授による講演「沖縄と憲法―日米地位協定と安保、憲法の現実」(主催/自由人権協会)がおこなわれた。安倍政府が進める憲法改定論議の根底にある問題として、第二次大戦後の占領期からなにも変わっていない日本の主権放棄の実態を明らかにするとともに、それを規定している「日米安保」体制にその根源があることを指摘した。講演内容を要約して紹介する。

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前泊博盛氏

 「沖縄問題」といわれるものは、本当に沖縄問題なのだろうか。日本全体の問題をなぜか沖縄だけに矮小化することによって、問題がなかったことにされてしまっている現状がある。


 日本の主権が行使されたことを見たことがある人がどれだけいるだろうか? 沖縄では米軍ヘリの事故が続発し、日常的に子どもたちの命すら脅かされている。これまで「米軍への飛行停止の申し入れ」を要請しても応じてこなかった防衛大臣や外務大臣がようやく「飛行中止」を米軍に伝えたが、その翌日から飛行が再開されるという屈辱的な対応がされている。この度重なる対応に、翁長知事は「もう日本政府には当事者能力がないことがわかった」とのべている。


 また辺野古では、南北、米朝の和解に向けて進展する朝鮮情勢とも関係なく、新基地建設が進められている。国政選挙、県知事選、首長選において、どれだけ県民が「反対」の民意を示しても無視をする。普天間基地の撤去問題だったものが、いつのまにか返還問題、移設問題へと印象操作され、「辺野古移設が唯一の方法」とさえいわれる。まさに森友、加計、原発、基地問題など、政府にとって都合が悪く解決できない問題が起きると、この国では「先送り」か、「なかったこと」にするという掟があるかのように問題を放置する悪弊が続いている。

 

検証必要な敗戦の経緯

 

戦艦ミズーリ甲板上でおこなわれた降伏文書の署名式(1945年9月2日)

 沖縄では6月23日、73年目の「慰霊の日」を迎える。この日は、一般に「沖縄戦が終わった日」といわれ、教科書では「牛島満司令官と長勇参謀長が自決し、沖縄戦における日本軍の組織的戦闘が終わった日」とされている。だが体験者の話や記録資料で確認すると、牛島司令官は自決するさい「最後まで戦え」という趣旨の軍令を出しており、その後も組織的戦闘は続いている。そもそも日本の戦争が終わらないのに沖縄だけ終わることができるのか? という疑問がある。


 そして、日本の終戦記念日は8月15日だ。正しくは敗戦記念日だ。その根拠として「ポツダム宣言を受諾した日」といわれるが、受諾日は宣言が国会で承認され、天皇が印を押した14日だ。15日は天皇が玉音放送で国民に伝えた日だ。その日をもって終戦記念日としている。


 だが、戦後60年、70年の節目には、対戦国である中国、米国では、日本が降伏文書に調印した9月2日を「対日戦争勝利の日」として式典をしている。ワシントンにいくと、海軍の兵学校に戦艦ミズーリの模型があり、甲板で降伏文書に署名する様子をそのまま再現している。艦上で降伏文書の署名式を開いたことが海軍の誇りだという。それが9月2日だ。

 

 私が大学で教える経済に例えるなら、店で「テレビ100台の注文があった」ということで契約書も結ばずに、急いで100台準備しておいたとする。だが、客に「別のに変えました」といわれ、「この100台どうしてくれる?」といっても、「まだ契約を結んでないでしょ」という話になる。契約書を交わして、はじめて物事がはじまる節目になる。ところが終戦協定に調印する前に、日本側だけがすでに終わったつもりになっているという不思議な現象だ。実際に8月15日まで特攻隊は飛んでいたし、沖縄戦では司令官が自決しても、まだ住民はみんな逃げ回っており、米軍は7月2日まで掃討作戦が続いたと記録している。司令官自決をもって「終戦」とするのは、果たして正しい歴史認識といえるのか検証が必要だ。


 なぜこのようなことをいうのか。1952年4月28日は、サンフランシスコ講和条約発効の日だ。この日をもって戦争で失われた日本の主権が完全に回復した日として「主権回復の日式典」(2013年4月28日)なるものを開いたのが安倍政権だった。それも、講和締結から「61年の節目」という不可解なタイミングだった。


 これに激怒したのが沖縄で、県民大会まで開いて抗議した。この日は講和発効によって、沖縄だけでなく奄美、小笠原までが米軍統治下に切り捨てられた日でもある。これをもって完全な主権回復とするのは、沖縄は日本ではないと認めたようなもので、沖縄では「屈辱の日」といわれる。

 

「回復」という名の放棄

 

安倍政府が開いた「主権回復を記念する式典」(2013年4月28日)

 では講和発効によって、敗戦で失った日本の主権が本当に回復したのか? 締結当時、講和は日米安保条約とセットであり、連合国側が「日米安保」を認めなければ講和は先送りにすると主張したので、首席全権の吉田茂首相が安保条約にも署名せざるを得なかったという話になっている。当時、後に首相となる宮沢喜一氏が「講和と一緒に安保を結ばされるのであれば、独立する意味はないに等しい」とコメントしている。保守本流の人たちですら講和と「安保」の一体的な締結に矛盾を指摘している。


 講和条約の第6条には「連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、かつ、いかなる場合にもその後90日以内に、日本国から撤退しなければならない」とある。1952年の講和発効後、90日から今日までいったい何日過ぎたのか。66年も過ぎているのになぜ占領軍はいなくならないのだろうか。


 この6条の後半には、その後「締結される二国間もしくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐屯又は駐留を妨げるものではない」とある。つまり、占領軍ではなく、駐留軍ならよいというのだ。両者の違いはなにかということは、なんら検証されていない。講和条約は十数名の日本の代表者が署名しているが、安保条約だけは吉田茂が一人で署名する形をとっており、吉田は「政治家でこれに署名するのはためにならん。私一人で署名する」といったという話だ。


 この講和発効により、日本と連合国の戦争状態は終結し、「連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」とした。ただし、その「完全な主権」は、領有権を放棄させられた千島や樺太の一部、米国の統治にゆだねられた沖縄、奄美、小笠原を除いて承認するとなっている。

 

 そういう条約でありながら安倍政権は主権回復の式典を開いた。テレビの評論家からは「安倍総理は、この日に沖縄が切り捨てられたことを知らないのでは?」という意見すらあった。


 「主権回復の日」とした4月28日をもって日本の主権が完全に回復したとするならば、このまえは主権がなかった空白の時期となる。この「主権がなかった時期」にできたのが日本国憲法であり、「現憲法は無効であり、改正すべき」といったのが安倍政権だ。それがいいたかったがために、わざわざあえて61年の「節目」に式典を開いたのではないかという疑念がある。


 当時、沖縄が大騒ぎになったので、菅義偉官房長官は沖縄の各メディアを回り、「苦難の歴史をたどった沖縄に寄り添いながら式典を開きたい」と釈明して回った。琉球新報への訪問時には「式典には天皇皇后両陛下をお招きし、お言葉もいただきます」ともいった。


 しかし、その「お言葉」が物議を醸した。当時、沖縄を「米軍統治下に置いた方がいい」と進言したのは天皇自身だった。1947年、新憲法が公布・施行された後の9月、昭和天皇は「天皇メッセージ」を連合軍に送り、「沖縄の米軍統治の継続を望む。その方がソ連や中国の影響を妨げ、国内の右翼や左翼の運動を抑えることもできる」とのべていたことが、米国国立公文書館の資料によって明らかになった。それは天皇制の維持と自己保身のためであり、沖縄はそのための「人身御供」にされたのではないかという疑念だ。


 「それを検証もすることなく、現天皇に発言を求めることは、別の物議を醸すことにならないか?」と問うと、菅官房長官は後ろを振り返ってお付きの職員とゴソゴソと話し合った後、「お言葉はありません」とその場で撤回した。このように歴史的認識もないままに発言していないかという疑問だ。翌年からは、この式典も開かれなくなった。


 講話条約により、「非核3原則」も含め日本から切り捨てられた沖縄は、奄美、小笠原を含め、日本国憲法の庇護下から外された。


 その後から米軍の銃剣とブルドーザーによる土地強制収容が一気に進み、沖縄の主権、人権、財産権は否定され、基地はどんどん拡大されていく。


 一方、日本国憲法の庇護の下にあった山梨、静岡、岐阜の海兵隊は、住民の反対運動で追い出される。憲法の力は国民にその権利を行使することを求め、「海兵隊は出て行け!」という運動が巻き起こった。行き場を失った海兵隊は、憲法に保護されていない沖縄に移ってくる。1950年代の話で、これが海兵隊問題の発端だ。本土で追い出されて沖縄にきただけなのに、後付けで「沖縄は太平洋の要石」「地理的優位性」などという論理がまかり通り、沖縄の基地問題がはじまっていく。

 

沖縄の日本復帰の意味とは

 

基地労働者2万人のストライキに銃剣を突きつける米兵(1969年6月、沖縄)

 憲法の庇護下になかった復帰前の沖縄では、米兵犯罪が1年間に2000件も起こっている。県民は、通勤、通学時に婦女子が襲われないように自警団まで組織して、妻や娘、姉、妹たちを米兵から守ったという記録すらある(読谷村)。沖縄の警察権力では守り切れなかった27年間の占領統治において、「世界の警察」といわれた米国が何をしてきたのか問われなければならない。米軍は、日本帝国主義から沖縄を解放する「解放軍」といわれていたが、そうではなかった。だからこそ27年間の米軍統治にNOを突きつけ、「まだ日本がまし」として日本に帰ってきたのが日本復帰運動ではなかったかと思っている。


 日本復帰20年のさい、1970年前後に駐日大使だったジョンソン氏とスナイダー民生官の2人に、「なぜ血を流して奪った沖縄を、無血のまま日本に返すことになったのか?」と問うた。


 そのとき2人は「米軍基地を守るためになにをしなければならないか。基地反対運動、反米、反軍運動が高まり、基地を包囲する人が増え続け、10万人をこえるデモ隊に囲まれたときに、われわれは命の危険を感じた。基地の警護のため10㍍おきに銃剣をもった兵士を並べるが、彼らが本気になって押し寄せたときは防ぎようがない。基地を守るためにベトナムに派遣している兵士を呼び戻さなければならなかった。これではなんのために基地があるのかわからない。琉球警察は1500人しかおらず、彼らでは守り切れない。基地を守るためには沖縄を日本に返し、日本の警察権力によって基地を守らせた方がいい。そうすればベトナムに兵士を送ることができる、という選択をしたのだ」と答えた。


 当時、軍からは「われわれが血を流して奪った基地をただで返還するとはなにごとか」と批判があがったが、スナイダー民生官は「ミルクを欲しいからといって牛を飼うバカはいない。牛のエサ代だってバカにならない。お前たちが欲しいミルクは、われわれが取ってやるから、牛は持ち主に返してやれ」と応えたという。牛とは沖縄のことであり、エサ代とは、沖縄に対する補助金や基地建設費だ。それを日本に肩代わりさせるために沖縄を返還し、ミルクである基地は維持してやる、という話だ。


 決して沖縄の主権や人権、地方自治権を回復させるために、米国が正義の味方になったわけではなかった。この主権をとり戻すために、憲法の庇護を受ける日本に戻るというのが、島ぐるみでたたかった復帰運動だった。

 

首都圏上空も米軍が占有

 

 この主権とは、広辞苑によると「他の意志に支配されない国家統治の権力。最高・独立・絶対の権力」とあり、「国家の政治のあり方を最終的に決める権利」と書かれてある。ところが沖縄にいると憲法が定めている主権が行使されない。


 墜落をくり返す危険なオスプレイを、市街地のど真ん中の普天間基地に配備することに関して、沖縄の全市町村議会、県議会が反対をしたが、当時の民主党政権は配備を決めた。それはなぜか。当時の野田首相は「米軍が決めたことをどうこういえる立場にない」と発言している。総理大臣がこういうということは、この国はもう米国にはものはいえないということだ。主権がないことを暴露してしまった。オーストラリアのガヴァン・マコーマック教授が『属国日本』という本を出した。米軍統治から主権国たる日本に戻ったはずなのに、米国の属国に移っただけなのか。それなら直接支配の方がまだマシだったのか、という話になりかねない。


 沖縄だけなく日本国内には、主権国家内でありながら、いまだに主権の及ばない国土が存在する。


 この首都圏でも、横田基地の上空域、新潟から静岡に及ぶ何千㍍ものエリアをすっぽりと米軍に占領されている。この「横田ラプコン」とよばれる米軍管制空域は、日本の民間機が飛ぶことは許されていない。先日、富山に行ったが、沖縄からは羽田乗り継ぎで六時間かかる。羽田から富山までは、行きは30分でいける。ところが、帰りは目に見えない米軍管制空域を避けるため、新潟経由の大回りをさせられ1時間もかかる。


 このラプコンについて、パイロットたちは「エベレストを超える巨大な山脈がそびえ立ち、航空機の航行を妨げている」という。羽田を飛び立つと急上昇をしてこの「山脈」を乗り越えていくか、伊豆半島か新潟を迂回して空域をはずさなければならない。これが解除されるだけで、航空機の燃料は一回当たり60万円くらい安くなるといわれている。年間何十億円もの無駄な燃料費と時間をここで失う。北陸新幹線ができた途端、全日空は富山便の客を4分の1に減らした。影響を受けない新幹線の方が早いからで、この問題を解決できない限り、全日空は新幹線に勝つことはできない。


 このラプコン以外にも、米軍の低空飛行訓練ルートが、北方ルート、グリーンルート、ピンクルートなど日本国土全体に及んでつくられている。日米地位協定によって設定された訓練エリアだ。米国本土では低空飛行訓練は国内法で禁止されている。日本は属国といわれながら米国の国内法は適用されない。日本の国内法があるのだが、日米地位協定には「免法特権」があるため、国内法は適用されず、低空飛行訓練ができる。そして戦闘機が基地間を移動するときも低空飛行してよいことになっているため、実質、日本のすべての国土で低空飛行がまかり通る。


 沖縄もすっぽりと島が覆われる形で、嘉手納基地の管制権(嘉手納ラプコン)が行使されていた。嘉手納基地のすぐ隣には那覇空港があるため、離着陸時に双方が交差する区域では、ぶつからないように米軍が上空を使い、民間の旅客機はその下をくぐるルートが設定されている。米軍機には、万が一のときは脱出装置がある。1959年6月30日に起きた宮森小学校墜落事故のときも、米軍パイロットは脱出装置で機体から脱出し、無人となった米軍機が大量の燃料を詰んだまま小学校に墜落し、学校は火の海になって児童11人を含む17人が亡くなり、120人を超す負傷者を出している。


 だが、今でも当時と変わらず脱出装置を備えた米軍機が安全な上空を飛び、脱出装置をもたず、たくさんの民間人を乗せた旅客機が危険な下のルートを飛ぶというルールが続いている。


 この危険な米軍管制空域「嘉手納ラプコン」を返還させ、「航空機が安全に飛べる空を取り戻せ」とお願いをし続け、ようやく五年前に嘉手納ラプコンは返還された。一見、外務省が頑張ったように見える。だが最近も沖縄に行った人はわかるだろう。沖縄本島が近づくと飛行機は、海面に向けてグーッと高度を下げる。あれは青い海、白い砂浜を見せるための観光サービスではない。ラプコンは返還されたのに飛行ルートは危険なままで、安全な空を取り戻せていないのだ。


 外務省は米国と交渉して確かにラプコンを返還させたが、そのときたった一つの条件を呑んだ。「運用はこれまでどおり」だ。したがって日本は返還と同時に、空を取り戻すチャンスを永久に失い、いまだに低空飛行を余儀なくされるような運用が続き、交通整理の面倒な汗だけは日本がかくことになった。現実に那覇空港の管制塔では、日本の管制官の隣には常に米国人の管制官が座って監視している。米国に管理されて日本人が動かされている。それが首都圏のど真ん中でさえまかり通っているようなこの国が、本当に主権国家なのか? と問われている事態だ。

 

地位協定が憲法の上に

 

 この国に主権を行使させない「地位協定問題」のポイントは多岐にわたる。米軍が使用する汚染物質の規制がないなどの法の空白・協定の不備。そして事件事故の共同捜査は米軍優先であり、犯罪米兵の起訴前引き渡しも「好意的考慮」という米側の胸先三寸にゆだねられる恣意的な運用がされている。基地の維持管理の運用費用については、協定上負担義務はないのに超法規的な予算措置として「思いやり予算」が誕生し、はじめから国会の議論もないまま、当時の金丸信防衛局長官が60億円くらい思いやったばかりに、年年増えて2400億円にまで達した。「さすがに出し過ぎ」となって1800億円まで下げられたが、いまも実質は2000億円をこえている。

 

 そして「所在の如何を問わず米軍の財産について捜査、差し押さえをおこなう権利を有しない」ということで、民有地に米軍機が墜落しても現場に立ち入ることもできない。墜落機の残骸について米軍は財産権を主張し、事故現場を制圧する(沖国大ヘリ墜落事故)。もし官邸を制圧しようと思えば、官邸に米軍がドローンでも一つ落とせば制圧されるということだ。一昨年のオスプレイ墜落時も、日本側の捜査申し入れは無視された。

 

 さらに「免法特権」がある。米兵たちが嘉手納基地に入ってくるが、彼らは入国管理も受けないままフェンスの外に出てしまう。彼らにすれば日本は審査もなく自由に出入りできる国ということになる。5年前、嘉手納基地から入国した米兵2人がコンビニで目を付けた女性を追いかけ、マンションの1階でレイプして逃走した。女性は着ていた衣類も持ち去られてしまい、知人が通報し、「似ている人物がいる」ということで近くのホテルに泊まっていた2人に容疑がかかった。捜査の結果、ホテルの天井裏から女性の衣類が出てきて、2人は現行犯逮捕された。この2人は数時間後には基地からグアムに移動する予定だった。どこから入ってきたかもわからず、そのまま国外に出て行けば、入国記録もないまま犯罪を起こしたことは迷宮入りしてしまう。危うく逃げられるところを間一髪で抑えることができた事例だ。

 

 また国内法の航空法では、すべての空港に安全対策として滑走路の延長上には建物などのないクリアゾーン(空白地)をもうける規定があるが、普天間基地の近隣には公共施設や保育所、病院、住宅地がひしめき合い、クリアゾーンが存在しない。こんな違法な空港が存在するのは、地位協定によって国内の航空法が免除されているからだ。だから、オスプレイを配備するときに、わが大学のあるグループが風船や凧揚げをして抗議した。航空法が適用されていれば違法行為で逮捕されるが、航空法の適用外であるため、防衛施設庁がきて「やめてください」とお願いにきた。法的根拠がないからで、それほどまでに沖縄上空は超法規であるということだ。

 

 さらには「治外法権」。領海内には毎年たくさんの原子力潜水艦が入ってくる。通常、領海に入るさいは海面に浮上し、国旗をあげて国籍を明かして、無害通航を通報する義務があるが、米国の潜水艦だけは潜水したまま入ってきていきなり浮上する。これは地位協定上も許していないが、日本側は「何度も抗議しているが米側が聞いてくれない」で終わりだ。NHKの受信料も基地内の免除規定はないが、米軍は払わない。

 

 爆音被害に対する訴訟では、いつも原告が勝訴する。だが、裁判官の判決は「受忍限度を超える爆音だ」と認めたうえで、賠償金の75%は米軍、25%は日本政府に支払いを求める。米軍によって生じた国民の被害を国民の税金で払うという矛盾もあるが、原告が求める飛行中止については「第三者行為」(憲法の適用外)だから規制できないという。「飛行は止められないが、また被害が出れば賠償金をとってあげるからおいで」という調子だ。法廷で「こういう判決しか出せない国は法治国家ではなく、問題を放置する国家だ。もう一度法の原則に立ち戻るべき」といったが、その裁判官は判決が出る前に異動してしまった。

 

 新しい裁判官が来て、同じように過去の判例を踏襲して判決を下す。それを逸脱した判決を出すのは「無理だ」と退職した裁判官がいう。「この国の司法は最高裁に人事を握られているので、上に上がろうと思えばその意向を忖度した判決しか書けない。最高裁は内閣に任命権を握られているので、内閣の意向を忖度する」と。法治国家ではなく、人治国家であることがわかる。小学校で教えている司法、立法、行政の「三権分立」は嘘であり、すべて内閣によって管理されている状態であることを問わざるを得ない。

 

 記者時代に調べると、米国が払うべき爆音訴訟の賠償金の75%は、日本側に立て替えさせたまま踏み倒していたことがわかった。踏み倒されているのに請求もしない。まさにジャイアンに支配されているスネ夫君ではないかと。

 

密約製造装置といわれる日米合同委員会(1968年7月)

 そして条文のない「密約」だ。密約の量産マシーンといわれている日米合同委員会は、2週間に1回開かれているが、そのたびに何を決めたかは請求しても開示されない。密室のブラックボックスで日本の権利が売り飛ばされる。それを検証することができない。

 

外務省機密文書の衝撃

 

「外務省機密文書 日米地位協定の考え方・増補版」(琉球新報社)

 それを検証するため、外務省の機密文書を調べるといくつかの事例が判明した。これらの事例をまとめて、外務省は「地位協定の考え方」という運用手引き書を作っていた。「秘 無期限」の扱いを受ける門外不出の裏マニュアルともいえる文書だ。

 

 例えば、米軍基地で雇用された日本の民間人が銃を携行している。これは銃刀法違反ではないかと国会で議論されたが、「フェンスの内側だからいい」という。とはいえ日本で銃の所持を許されるのは、警察や自衛隊など限られた資格者だけだ。そうではない無資格者がカービン銃をもって守衛にあたっている。法的には問題があるが、それをどのように誤魔化すかが外務省の手引きに書かれてある。

 

 また、自国民が勝手に米軍に徴兵されることを許した事例として、二見寛事件がある。1966年、山口県出身の二見寛さんという青年が米国に出稼ぎに行っていたが、半年後には徴兵されてベトナム行きが決まる。これに驚いて反発した二見青年は、逃亡してカナダから日本に逃げ帰った。そこで外務省の職員が、帰国先の千葉県にいって「地位協定上、日本には脱走米兵の引き渡し義務がある。君は米国に帰りなさい」とやった。実際は、地位協定にある脱走兵の引き渡し義務は、在日米軍に限られる。100歩譲っても本国で採用された米兵で適用外であるにもかかわらず、適用して米国に引き渡した。

 

 そもそもなぜ日本人である彼が徴兵されたのか。日本は日本国憲法のもとで参戦はせず、戦力も保持せず、国際紛争の解決手段としても軍事に依存しないと決めているはずだ。ところが、日本政府はインドネシアなど他国と結んでいる「徴兵免除協定」を米国と結んでいなかった。外務省の失態か、意図的なのかは不明だが、たくさんの日本人が徴兵されてベトナムに送り込まれた。国会でその数を確認しても「詳細は把握していない」で終わりだ。

 

 国際法上では自国民保護は優先される。逃げて帰ってきたら守ってあげるのが通常の国の対応だ。この国の政府は、米国のためなら国民すら差し出すという事例だ。こうしたことが機密文書のなかではじめて表に出てくる。これらを秘匿する特定秘密保護法は、官僚や政治家の失政や失敗がばれないようにするために作った法律なのではないかという気さえする。

 

封じられた協定改定案

 

 ほかにも1972年、横浜の相模原補給廠ではベトナムで壊れた戦車を修理していたが、当時の飛鳥田市長が、重量物を乗せて走ると市道が痛むため「車両制限令」に基づいて米軍トレーラーを止めた。戦車が戦地に送れなくなったため、日本政府は半年で国会において車両制限令を改正した。「緊急車両が通れないと困るから」という理由だが、その車両に救急車、消防車に加えて米軍車両を追加した。本則ではなく、細則や省令に入れて法令を骨抜きにして米軍に便宜供与していたことが明らかになっている。

 

 伊江島で1974年、土地を奪われた住民たちは、米軍の演習が終わって旗があがると、演習場内で薬きょうを拾ったり、牧草を刈って生計の糧にしていた。ある日、山城君という青年が牧草を刈りに行くと、ジープに乗った米兵が追い回し、キツネ狩りを楽しむ感覚で信号弾を狙い撃ちし、追い詰めたところで発砲した。山城君は庇い手で受け止めて骨折で済んだが、外れたら死んでいた。演習後なので「公務外」であり、第1次裁判権は日本側にある。ところが日本側がその裁判権を外務省が黙って米国側に譲り、罰金刑で終わらせた。このように国民の権利を売り渡した実例が機密文書の中に出てくる。

 

 この「処方箋」として沖縄県も地位協定の改定案を出している。かつて旧民主党が作った改定案を逆読みすると現在の地位協定の現状がわかる。「米軍は8年ごとをめどに使用計画書を提出すべき」と書いているが、米軍は使用計画書など出したことはない。「施設・区域の使用には、原則として日本の法令が適用される」とあるが、これが適用される段階で地位協定はいらなくなる。日本の法令つまり日本の主権は行使できないのが現状だ。

 

 「基地外に居住する米軍関係者に、外国人登録に関する日本の法令を適用する」「犯罪は、公務中のものであっても日本が第1次裁判権を持つ」「身柄引き渡しには米側は同意する」「事故発生時の現場統制は、日本がおこなう」「被害者への見舞金は米側に求償できる」「米軍関係者の事故による被害は、米側が100%負担する」等々、せめてこれくらい実現すれば主権国家としての多少の面目が立つというところだが、民主党は政権をとったとたん、この改定案をパンドラの箱に封じ込めてしまった。「低空飛行の禁止」とまで書いたにもかかわらずオスプレイの配備を認めた。いい計画を作っても実行力がなく、結局、自民党路線に回帰したため政権を失った。以来、沖縄では「民主」のつく政党に根強い不信感がある。

 

辺野古新基地の超法規

 

 日米政府は、辺野古への新米軍基地の建設計画を進めている。日本政府は「普天間基地の代替施設」といっているが、この場所はもともと1960年代に米軍が新飛行場を作る計画を持っていた。だが、ベトナム戦争のさなかであるため財源がなく、会計検査院にダメ出しをされた。そのため棚上げ、お蔵入りしていた計画だったが、普天間問題が起きたときに、その移設先として辺野古が最終的に決まったために計画が蘇った。60年代の計画と違うのは、「普天間の代替施設なのだから建設費は日本政府が負担する」ということで米側の負担がタダになったことだ。

 

 4月に浮上した問題だが、辺野古に滑走路を作れば、その周辺は建築物の高さ制限を受ける。45・7㍍をこえた場合、米軍の安全基準から外れるということで高い建物の撤去を求めている。だが、辺野古に隣接する高台には国立高等専門学校があり、講義棟も学生寮も高さ制限をこえている。日本政府は自分たちで辺野古移設を決めておきながら、なぜ高専を作ったのか。この高専を市街地ではなく、わざわざ辺野古に作ったのは基地建設のための振興策だったからだ。辺野古弾薬庫も高さ制限をこえている。新基地を作るのであれば撤去しなければならない。

 

 この問題が表面化すると、小野寺防衛大臣は「この安全基準はこの地域には適用しない」と免法した。米軍ですら「危険だ」といって基準を作るのに、それを「なかったこと」にして作るこの基地は安全が担保されるのかという問題だ。希少サンゴの移植についても、難しいから保全はしないとなった。環境基準アセスで決めたことも「なかったこと」にした。

 

 そして基地の建設現場には、東京都も機動隊員を送っている。これは不正支出ではないかと都議会で問題になったが、東京都は辺野古反対運動を「反社会的集団による運動」といい、「それを抑えるために派遣するのは合法である」といっている。防衛省は、洋上警備を東京の民間警備会社に委託していたが、7億4000万円の水増し請求が発覚した。前年にも2億円余りの水増しをして訴えられた企業だ。今回も内部告発によって発覚したが、防衛省はこの業者を入札から外すのではなく、逆に内部告発者の調査をやっている。やっていることがすべて逆だ。

 

占領政策としての駐留

 

 米国で調査すると、米国内ではBRAC委員会によってブッシュ政権時代から毎年50の基地を閉鎖しているという。それでも米国内に基地は4855カ所ある。国外では、日本、ドイツ、イタリア、韓国の4カ国で427カ所に米軍基地の73%が集中している。韓国を除く日独伊は「悪の枢軸」といわれた敗戦国だ。つまり、米国に楯突いた敵国を武力で抑えるために占領政策を延長させている。沖縄を含む日本の米軍基地は、「米国を日本から守っている」という側面をもっている。

 

 かつて海兵隊のスタック・ポール司令官が、日本に基地を置く理由について「日本が暴走しないようにボトルキャップ(瓶のふた)としてあるんだ」といった。9・11同時多発テロの前に、米国土を攻撃した国は日本だけであり、その日本を統制する政策が戦後も続いている。

 

 在沖縄米総領事の話によれば、米国は毎年、日本について核査察を実施している。たくさんの原発を抱えているため、ウランやプルトニウム、核廃棄物の量を調べ、核兵器を作らないように監視しているという。「では米国の核査察は誰がやっているのか?」と問うと、「そんなことはさせるわけがない」といっていた。

 

 いま進行中の米朝対話でも、非核化を実現したあかつきにはトランプ大統領はノーベル賞をもらえるといわれ、そのためにも米朝会談は必ず実現するとさえいわれる。だが、米国の非核化ならともかく、北朝鮮の非核化でなぜトランプがノーベル賞なのか。かつては「核をなくす」と宣言しただけでノーベル平和賞をもらった大統領もいたが、口先だけでもらえるノーベル平和賞にどれだけ実効性があるのかが問われる。

 

基地経済で潤ったのか

 

 「沖縄は基地収入で自治体財政が潤っている」という論調が覆っているが、翁長知事が「それでは全国のみなさん、差し上げますがいかがですか?」と問うても全国どこも断る。それは軍用地の返還後に民間利用したときの経済効果の方がはるかに大きく、基地として使うことがいかに不経済であるかが明らかになっているからだ。

 

 普天間基地は従業員280人、軍用地料74億円(年間)や従業員収入などトータルで120億円の基地内収入がある。1㌶あたり2100万円だ。だが基地の外側(宜野湾市)の純生産額は1㌶あたり8000万円だ。基地があるための逸失利益であり、「損をしている。とっとと出て行ってくれ」という話だ。まるでテレビ通販の売り出しのように「普天間基地を引き取れば、いまなら軍用地料120億円がついてきます」といっても引きとるところはない。イデオロギーだけでなく、経済的議論からも「基地はいらない」という結論になる。

 

 菅官房長官は「普天間は世界一危険な基地」といい、「辺野古移設が唯一の解決策」という。沖縄での米軍機事故は、復帰から昨年までに738件起きている。基地別でみると、「日本一危険」な普天間基地内では17件だ。しかし嘉手納基地では、その30倍の508件起きている。嘉手納は「宇宙一危険」とでもいうのだろうか。ここでも辺野古移設を進めるための根拠のない発言がされている。

 

 そして事故は基地の外で起きている(189件)。普天間を飛び立った米軍機は、基地の外で事故を起こしている。海上、民間空港、住宅地などで犠牲者は81人。戦闘機よりも回転翼(ヘリ)の事故で犠牲者が多い。普天間基地を辺野古へ移すことで安全になるという合理的な説明はどこにもない。2003年11月、沖縄に来たラムズフェルド国防長官が上空から住宅地の中にある普天間基地を見て、「米国では考えられない。世界一危険な基地だ」といったのが政府の共通見解になっている。だが数字で検証すれば、普天間の数十倍危険なのが嘉手納であるが、嘉手納には移設先はない。ここでも「先送り」と「なかったことにする」という掟が動く。

 

世界で強まる主権回復

 

 米朝首脳会議に向けた論議が進み、周辺が平和になれば沖縄の基地はいらなくなる。ブルースカイ政策だ。昨年3月の北朝鮮のミサイル発射実験は、在日米軍基地を攻撃する任務を負った軍部隊によるものであることがわかった。つまり「日米安保」があるから日本が守られているのではなく、「日米安保」があるから日本が狙われる時代になっていることがわかる。

 

 そのミサイルは、米国の目つぶしをくらわせるためにXバンドレーダーを標的としている。Xバンドレーダーは、新たに配備した京都を含む30都道府県に配備された。わざわざ攻撃対象になるものを日本全国に配置した。核の問題だけが騒がれているが、日本を攻撃するなら誰が考えても、まず全国54カ所ある原発を狙うだろう。通常兵器でも核攻撃と同じ効果を発揮できるし、同時に日本の電力を失わせることができるからだ。「戦争になれば被害を受けるのは日本だ」と北朝鮮の高官はいっているにもかかわらず、なぜか日本ではそんなことは議論されない。

 

 昨年10月の富士山会合で、小野寺防衛大臣は「残された時間はそう長くない。今年の暮れから来年にかけて北朝鮮の方針が変わらなければ、緊張をもって対応しなければならない」と危機を煽りまくった。米国のいう通りに危機を煽って軍備強化をした。このとき米ジョンズホプキンス大学は、北朝鮮との戦争では最初の攻撃でソウルは87万人、東京は69万7000人が死ぬという試算を出した。危機を煽るのなら、リアリティのある最悪の事態を想定し、それを回避するように動かなければならないが、国内大学も政府もそんな試算はやっていない。

 

 他国の米軍基地と比較すると、米空軍の基地があるドイツでは、近年は国内法を適用して低空飛行訓練を止めている。横暴な米軍機の飛行に対し、国民と一緒に政府も抗議して認めさせた。イタリアでも98年、米軍の低空飛行でロープウェィのケーブルを切られて20人が死んでいる。これに怒ったイタリア人たちは、今後は、イタリア政府の許可をとり、イタリア軍の管理下で訓練をしろと決めた。このドイツ、イタリアの対応を受け、米国は「そんなことまでして訓練できるか」ということで訓練をやらなくなった。それでも時期が過ぎると訓練を復活させることもあるが、国民の権利意識を強く持ち、怒って抗議すると米国は譲歩する。同じ敗戦国を見ても、自分たちの保身と出世のために米国に忖度する日本政府との違いがわかる。

 

 沖縄はみずからの手で憲法を奪いとった歴史を持っている。米軍統治下からの復帰運動でそれを勝ちとった。「権利は与えられるものではなく、奪いとるもの」だという意識がなければ地位協定の問題も解決できない。

 

米軍の土地強制接収と基地拡張に15万人が抗議した地区住民大会(1956年6月、沖縄)

 戦後73年の間に、周辺では中国、インドネシアなど東アジア各地にあった米軍基地はどんどんなくなっていき、いまあるのは韓国、日本、フィリピンくらいだ。その理由は、他国軍隊に依存しない主権国家が誕生したからであり、いまも基地があるこの国は主権を放棄したままだからというほかない。しかも、それがいつまで続くのかわからない状況だ。

 

 ワシントンで取材をすると「米国が占領統治に成功したのは日本だけだ」「この国だけは洗脳することができた」とよくいわれる。「天皇の赤子として戦争をし、特攻隊まで送り出したこの国を占領するために、兵士100万人の犠牲を覚悟して侵攻したが、天皇を残したおかげで、玉音放送で国家催眠を解いても今度は米国を主人として従うよう洗脳することができた」という。彼らが書いた『敵国日本』という本には「国家催眠」という言葉が出てくる。

 

 また「一度前例を作れば、それに従うのがこの国だ」と『菊と刀』の著者である文化人類学者ルース・ベネディクトは日本の前例踏襲主義を指摘している。彼女は一度も日本に来たことはないのに日本でベストセラーになるほどの日本人分析をやっている。そして、「日本は米国に掌握され、いまも掌握されたままであることが、不平等な地位協定すら改定できない国にしてしまっているのではないか」と、米国リベラル派からいわれた。

 

 そろそろわれわれもこの実態に気づき、主権国家として歩みはじめる時期ではないかと思う。よく質問で「こんな日本にいるくらいなら、沖縄は独立した方がいいのではないか?」と聞かれるが、私は必ずこう答える。「まずは日本が独立した後にその話をしましょう」と。

 

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 まえどまり・ひろもり 沖縄国際大学大学院教授。元琉球新報論説委員長。沖縄県「県史(現代史)」編集委員。1960年、沖縄県宮古島生まれ。著書に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』(創元社)、『もっと知りたい!本当の沖縄』(岩波ブックレット)、『沖縄と米軍基地』(角川書店)。共著『検証「沖縄問題」―復帰後30年経済の現状と展望』(東洋経済新報社)など多数。 

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