沖縄県名護市の辺野古新基地建設の埋め立て用土砂を県南部地域から採取する問題について、沖縄県内では「戦没者の遺骨が眠る土地を基地のために使うな」の県民世論が高まり、県内の地方議会では南部地域からの土砂採取の中止を求める意見書があいついで決議されている。土砂採取現場である糸満市、八重瀬町周辺は沖縄戦最後の激戦地といわれ、米軍に追い詰められた十数万人もの県民や兵士たちが砲弾の雨に撃たれて命を落とし、一帯には未収集の遺骨が多く眠っている。土砂採取計画は、遺族や県民から「墓を掘り返すのと同じ」「死者を二度殺す行為」といわれ、政治的立場をこえた人道上の問題として怒りを集めている。
豊見城市議会(外間剛議長)は20日、臨時会最終本会議で「沖縄戦の戦没者の遺骨等を含む土砂を埋め立てに使わないことを求める意見書」を全会一致で可決した。3月定例会では同様の意見書が自民党系市議4人の反対・退席によって否決され、県内初の否決として物議を醸した。
3月定例会での意見書否決に対して市内外から抗議があいつぎ、市内在住でトマト農家の金城博俊氏(43歳)が4月上旬、意見書の採択を求めて市役所前で座り込みを開始。「本島南部の土砂にはいまだ供養されていない遺骨が埋まっており、激戦地で亡くなった戦没者の遺骨が残る可能性のある土砂を埋め立てに使用することは声なき死者への冒涜」とし、トマトの収穫期が重なる条件のなか、人工透析を週3回受ける病身をおして1週間にわたって抗議の座り込みをおこなった。
金城氏の曽祖母も遺骨が見つかっていない沖縄戦戦没者の一人であり、「身内の骨を含む可能性があるなら、なおさら許すことはできない」「地元の代表が間違った判断をしているのなら、地元の市民が声を上げなければいけない」という訴えが全市的な共感を集め、日増しに若者を中心にした市民たちが座り込みに合流した。
また、豊見城市議会に意見書の採択を求める署名は10日間で4540筆、県外を含めると6000筆以上が集まり、その盛り上がる市民世論に押される形で市議会で全会一致の可決となった。
意見書では、「戦没者の遺骨等を含む土砂を埋め立てに使うことは人道的にあってはならない」と指摘し、①遺骨等を含む土砂を埋め立てに使わないこと、②政府が主体となった遺骨収集を実施すること、を求めている。首相や沖縄防衛局ら九者に送付される。
また20日までに、那覇、南城、西原、北中城、中城、宜野座、恩納、名護、八重瀬、南風原、与那原、読谷、石垣、北谷、渡嘉敷、座間味の16議会と県議会が同様の意見書を可決している。糸満は採掘に対する県民の懸念解消を求める意見書を可決した。
さらに市民団体の公開質問状では、県選出国会議員のうち、無回答だった西銘恒三郎(自民党・沖縄4区)、下地幹郎(比例九州)を除き、党派をこえた残りの7議員が南部地区の土砂採取計画に「反対」と回答。辺野古新基地を容認する立場にある自民県連と公明県本部も県民世論に押され、「先の大戦の激戦地であった本島南部地区の遺骨混入の土砂を辺野古新基地建設の埋め立て土砂として使用することは県民として耐え難い。その県民感情に深く配慮すること」とする申し入れ書を沖縄防衛局に提出した。
議会の意見書採択を受けて玉城県政は14日、自然公園法に基づき、鉱山の採掘業者に対して遺骨の有無について関係機関と連携して確認することなどを求める措置命令を出した。内容は、①遺骨の有無を関係機関と連携して確認し、遺骨収集に支障が生じない措置をとる、②掘採区域の敷地境界に接している慰霊碑の区域の風景に影響を与えない措置を講じる、③周辺植生と同様の植物群落に原状回復をする、④各措置について掘採開始前に県に報告し協議する――というもの。業者側は、命令撤回を求めて反発している。
開発に反対する多くの県民が求めてきた中止命令や制限命令は「法制度上限界がある」として発出を見送ったが、史上初となる措置命令の実効性に注目が集まっている。
南部の戦死者の遺骨 本土から来た日本兵も
採取計画の撤回を求めて県庁前でハンガーストライキをおこなってきた遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松氏は、本紙の取材に以下のように語った。
「沖縄県が出した措置命令は、私たちが求めた中止命令や制限命令よりも弱いものだが、第一項の“遺骨収集に支障を生じさせない”ためには、土砂採掘地での遺骨収集が終わることが前提となる。だが、沖縄戦戦没者の遺骨は、砲撃で細かく粉砕された破砕遺骨が多いという特徴があり、さらに76年の歳月をへて多くが土と化している。人骨に対する知識や技術を持った遺骨収集作業者でも、遺骨と土砂を分離することは困難であり、遺骨のすべてを収集することはできない。遺骨の混じらない土砂だけを搬出することは、技術的にも物理的にも不可能だ。だが、文化財保護法では茶碗のかけら一つが出ても工事は止まるのに、戦没者の遺骨が出ても工事が止まらない。戦没者の遺骨が茶碗のかけら以下に扱われているのが沖縄の実情だ。国による戦没者の遺骨収集が長年放置されてきたことによって生じた問題であり、このようなことが人道上許されていいはずがない」
「この問題は、開発業者と遺骨収集ボランティア団体との対立ではない。今回の業者は新規参入したばかりで、新しい土地で遺骨収集ボランティアを立ち入り禁止にして土砂採掘を始めたことで問題になったが、すでに既存の大手業者は南部から多くの土砂を搬出しており、その実績をもとに国は“辺野古の埋め立てに使う県内土砂調達可能量の7割を南部から調達する”と設計変更書に記した。根本的な問題は、辺野古新基地計画にあり、それを主導してきた日本政府にある。厚労省は、戦没者の遺骨をDNA鑑定して遺族のもとに返すとりくみを南方戦域にまで広げるという方針を示したばかりだが、沖縄では同じ国(防衛省)が戦没者を冒涜し、遺族に対して精神的な被害を与えている。辺野古沿岸部の軟弱地盤の存在が明らかになったことから政府は辺野古新基地の設計変更が必要になり、南部からの土砂採取計画が浮上した。県は技術的観点からだけでなく、人道的な観点からも国の設計変更を承認すべきではない。業者にしても、沖縄県民として戦没者の遺骨を含む土砂を国に売ることは、沖縄の良心を売ることであることを理解してもらいたい」
また具志堅氏は、「沖縄戦の犠牲者、とくに住民のほとんどが南部で亡くなっている。そこには本土から沖縄に送られ、戦死した多くの日本兵のものも含んでいる。沖縄だけの問題ではなく、戦争で斃(たお)れながら骨も見つかっていない肉親が眠る場所の土砂を埋め立てに使うことがあっていいことか否か、日本全国の問題として考えてもらいたい。それは基地に賛成か反対かという政治的見解をこえた問題だ」と強調した。
具志堅氏たち遺骨収集団体の呼びかけに支援の輪が広がり、若い世代からも共感が集まっている。6月23日に76年目の「慰霊の日」(沖縄戦の日本軍の組織的戦闘が終結した日)を迎えるにあたり、具志堅氏のグループは6月19、20日に沖縄県庁前、21~23日は、慰霊式典がおこなわれる糸満市摩文仁の「平和の礎」周辺でハンストをおこない、土砂採取計画の断念を求めて抗議の意を示すことにしている。
※ 参照記事 おじい、おばあが見た沖縄戦