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厚木基地岩国移転 原爆・空爆体験重ね怒り

基地「移転」も愛宕山開発も大ペテン
 日米両政府が10月29日、米軍再編の重要な一環として、米軍厚木基地(神奈川県)機能を岩国基地に移転する計画を発表した。厚木基地機能の岩国基地移転については、岩国市民をはじめ、周辺市町、広島県各市町で反対署名がとりくまれるなど、かつてない市民的なレベルで反対の行動となっていた。小泉政府は、国民の声を聞く必要はなく、日米同盟が最優先という姿勢を露骨にあらわした。人人のなかでは、広島の原爆や岩国空襲などの体験をあらためて思い起こし、そして社会全体がアメリカの植民地のようになってしまい、アメリカのための戦争にかりたてられることにたいする深い怒りが巻き起こっている。

 広島の被爆市民と連携   
 厚木基地から岩国へ移転するのは、米空母「キティーホーク」搭載のFA18戦斗攻撃機など約70機で、移転時期は新滑走路が完成する2008年以降。移動する米兵と家族は約3000~4000人にのぼり、岩国に司令部庁舎や家族住宅、格納庫など374棟の建物が新築される。この移転費用は1000億円かかるといわれるが、日本政府の血税を使おうとしている。
 岩国では、合計2800億円をこす「思いやり予算」を投じて滑走路の増設と空母が接岸できる大岸壁を建設する沖合拡張工事が「基地被害の軽減」などといわれすすめられてきた。また大規模な借金を負わせて愛宕山の宅地開発をすすめてきた。これらは、まったくのペテンであった。はじめから基地拡張計画があり、それをダマして準備してきたものである。
 この間、基地増強計画が明らかになるにつれ、地元岩国や広島・山口両県の市町村、自治会、女性団体などから反対表明があいついできた。先陣を切ったのは、被爆地広島の大竹、廿日市、江田島、大野、宮島の5市町で、広島県民の強い意志を示した。
 地元岩国では、広島など周辺の動きを力にして、自治会連合会や女性団体などが、はじめて市内全域をあげて基地増強に反対することを決定。8月から「基地の拡大・強化に反対する署名」を自治会連合会を中心にとりくみ11万市民の半数をこえる反対署名を集約した。署名は、9月半ばに、大多数の市民の総意として岩国市に提出されたが、現在もひきつづき集められている。隣接する由宇町、広島県の廿日市市、大野町でも署名など反対行動は勢いを増して広がっている。とりわけ、原爆を受けた広島湾を核攻撃基地として大増強することに、強い怒りが表明されてきた。
 署名をとりくんできた川下地域の自治会長の一人は中間報告にたいして「国は地元の合意を尊重するといってきたが、岩国市民や、広島の人たちの声が足げにされたような思いだ」と語り、また「目先の利益を優先する商工会議所などの一部の人を除いて、岩国市民はみんな基地の拡大・強化に反対だ。署名数は6万人だが、世帯主や代表のみが書いた家も多く、ほぼ100%だと思っていい。計画が撤回になる最後まで運動をつづけたい」といった。
 別の自治会長は、「反対、反対だけのかけ声だけではつまらない。威勢がいいだけで、結局最後には許すことになる。最終的に、基地問題には安保条約が出てくる。愛宕山まで買われれば、米軍の岩国になってしまう。他の自治体、広島が反対をしてくれているから心強いが、根強い運動をつくりたい」と話した。
 署名をとりくんできた婦人の一人は、「これまで、基地はあってあたりまえだったが、一度拡大されれば、二度と小さくはならない。子どもや孫の代まで基地を岩国に残すことはできないと、署名をとりくんできた。国が無視するならわたしたちの声は、どこに持っていけばいいのか。結局は、日本とアメリカの関係に行き着くと思う。この運動は一過性でなくて、長期戦になる。署名してくれた人たちの思いにこたえ最後までがんばりたい」と語った。

 市民の愚弄に憤り ペテンにかけた国・米軍の計画的な拡張
 岩国市民のなかで、かつてなく基地の拡大、強化反対の世論が盛り上がったなかには、「危険と騒音防止のための沖合移設」とペテンにかけて、基地を増強してきた政府と米軍にたいする怒りが激しく語られる。
 現在、基地沖合拡張工事は08年度完成予定をめざして急ピッチですすんでいる。魚介類の産卵の場だった藻場や干潟をつぶして基地面積を782㌶(現在571㌶)に拡張。そこに長さ2440㍍の滑走路を増設し滑走路は2本体制になる。
 もともと基地沖合移設事業は、37年まえ、板付基地所属ファントムが九州大学構内に墜落したことをきっかけに、岩国にも同機種が配備されていたことからはじまった。当初の市民の要求は基地の移転だった。しかし、いつのまにか「滑走路の沖合移設」にすりかわり、結局は「移設」はペテンで基地の拡大であったことが明らかとなった。
 さらに、滑走路の増設だけではなく、空母や強襲揚陸艦など大型艦艇が接岸できる国内最大の岸壁(水深13㍍。長さ360㍍、2009年に完成)の建設もすすめた。それは航空基地とともに軍港にするもので、キティーホークにかわる原子力空母が、岩国基地を使用することは容易に想定される。さらに米軍は「西太平洋配備の空母を2隻体制にする(現在は横須賀に1隻)」という計画を持っており、空前の原子力空母基地になることも想定される。
 市民にたいしては、「基地跡地の返還」も宣伝されたがホゴになり、「空港の軍民共用化」にすりかわった。また「一石二鳥」の方法として、沖合埋め立ての土砂採取の跡地・愛宕山に102㌶、1500世帯分の宅地造成工事を「活性化につながる」と、売れるメドもなく強行してきた。このたびの計画で「山口県住宅供給公社が基地外に造成した宅地を米軍住宅用地として買い上げる」とされ、厚木移転にともなう米軍家族(1000人以上)の住宅を建設しようとしている。これもはじめから、計画的なペテンであったと理解するのが自然となった。
 市民のなかでは、「はじめから基地の拡大を狙っていたにちがいない」と、市民を愚弄するものであったことに憤りが強まっている。川下地区の住民の一人は、「この付近は、昭和15年に海軍に土地を接収されたまま、戦争が終わってももどってこなかった。沖合移設は騒音防止の説明がいつのまにかすりかわり、跡地返還もたち消えになった。市民のためといっていたがウソばかりだったんだ」という。
 愛宕地区の70代の婦人は、「国は、基地に反対する国民の声を聞かないのか。あたりまえのように決定などと発表したが、市民はみんな反対している。もともと、基地の沖合移設は、危険と騒音の防止、市民のためという説明だった。うまいことをいって、完成したら基地の拡大になると知り、頭にきている。米軍の再編というけど、縮小どころかたらい回しで、結局拡大だ。全国へしっかり真実を伝えてくれ」と話した。
 桂町の婦人は、沖合移設運動に積極的に協力したことを悔やんでいた。「沖合拡張のときに、事実をよく見て反対すべきだった。当時は、危険な基地を移設して、跡地も返還するということを信じていた。完成するころになって拡大するといっている。国のいうことは信用できない」と語っていた。
 自治会長の一人は、「ここまできたら、ただの騒音反対では話にならない。基地も拡大する、愛宕山も買い上げる、民間空港だと人をたぶらかす。これまでがずっとペテンだった。愛宕山用の浄化施設までつくっているんだ。国は、人をだましてもむりやりにすすめようとしている。騒音もひどいが、一番は戦争と危険だ。原爆反対をしている広島と結んだ強い運動をどうつくるかだ」といった。

  生半可でない思い 原水爆戦争の危険
 市民のなかでは、9・11テロ以後の、アフガン、イラク戦争をつうじて、原水爆戦争の危険が最大の問題となっており、米軍基地に反対する思いは生半可なものでないと語られている。そして原爆体験、空襲体験など戦争体験が熱心に語られている。
 基地近くの70代の婦人は、「戦争はほんとうにひどかった。岩国も何度も空襲され、逃げまどった。広島で被爆した人たちも見た。わたしたちの青春は、戦争に奪われた。食べるものはない、勉強もできない。二度とあんな目にはあいたくない」と語る。そして、「いままでは、基地とも平和共存できた。戦争が終わって平和で自由になったと思ったが、自由をはきちがえて日本はガタガタの国になった。60年たち、また戦争が起こりそうで不安でしかたない。基地は戦争をするものだ。拡大・強化は絶対許せない」といった。
 川下に住む70代の男性は、陸軍燃料廠に小学校卒業から学徒動員され、空襲にあった体験を語る。爆弾が落ちてくる音を聞きながら、自分の防空壕にあたらなかったらホッとしていたこと、同級生も大勢が殺され、空襲のあとは、友だちの死体をかたづけるのが仕事だったこと、将校の連絡員にされた学徒は、爆弾が落ちてくるさなかに連絡でこき使われ、ほとんど死んだことなどを語り、「戦争は悲惨なものだった」といった。
 そして「60年まえは日本が戦争をやったが、今度はアメリカがあちこちでやっている。つぎに戦争が起こっても、アメリカは平気だろう。基地を持っている日本が一番やられるようになる。戦争には絶対反対しないといけない」といった。
 80代の男性は、「一番恐ろしいのは、ミサイルとテロの心配だ。小泉さんは、だれがなんといおうと靖国に参拝するし、中国や朝鮮との関係をむりやりに不安定にしている。戦争すれば、岩国は真先に狙われる。年寄りはそれを一番心配している」といった。
 楠の80代の男性は、「基地に反対することは、なまやさしいものではない。エライ人たちは、反対というが、自分の首がつながる程度しかやらない。わたしたちは、戦前海軍に土地をむりやりとられたが、基地に反対するのは、10年、20年かかっても腹をくくらないとできないことだ」と語る。
 別の70代の男性は、「国が市民の声を聞かないというが、政府はアメリカのいうことが絶対になっている。日本はアメリカに占領されているからあたりまえのことだ。60年平和だったと思っている人もいるが、戦争を体験した者からみれば、ずっと国はアメリカにとられている。“思いやり予算”といって、税金をつぎこんで外国の軍隊を養っている。第3次世界大戦が起こりそうで不安だが、今度の戦争は、空襲なんてものじゃない。原爆がとんでくる戦争になるんだ。必死になってやらないと、基地は反対できない」といった。

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