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江田島原爆展が開幕 広島湾の核基地化重ね憤り

「原爆と峠三吉の詩」原爆展を成功させる広島の会(重力敬三代表世話人)は3日、広島県江田島市のイズミゆめタウン江能店2階で「江田島原爆展」(後援・江田島市、江田島市教育委員会)を開幕した。おりから米軍岩国基地に厚木基地の空母艦載機部隊移転計画が発表され、江田島市でも市や女性会、老人会をふくめた署名運動が開始された直後。原爆展会場には署名簿を持ちこみ、原爆で親兄弟、身内、友人を亡くし、二度と戦争を起こさぬことを誓って戦後を生きぬいてきた被爆者や年配者らの切実な思いが語られた。

  NLP基地建設許さぬ
 同原爆展のとりくみは、地域の女性会や老人会、お寺、地域の被爆者や農協、漁協などをふくめ四五人の賛同協力のもと、意欲的なとりくみとなった。江田島市は、広島原爆で被爆した人も多く、たくさんの負傷者が船で運ばれ、死体は海岸で焼かれ埋葬されたという。海軍兵学校もあり、多くの特攻隊員を送り出した町である。
 そのような島に一昨年、米軍の夜間離発着訓練(NLP)基地を沖美町沖の大黒神島に建設する計画が出されたが、町民の立ち上がりによって一週間で白紙撤回に追いこんだ。しかしその後も土建業者を中心とする「誘致運動」が持ち上がった。それでも「米軍に基地を提供したらアメリカに売ることになる。自分たちではなく、つぎの世代、子どもたちに将来のことでは絶対に引けない」と粉砕してきた誇りと、その思いを子や孫世代に語りつぎたいと、意欲的にとりくまれた。
 初日の会場には広島の会の被爆者や会員10人が広島市からかけつけて受付を担い、参観者と経験を交流したり、中・高校生の参加者にはパネル前で体験を語った。
 前日の設営準備から参加した80歳の被爆男性は、「このパネル(“広島湾を核攻撃基地にする屈辱”)を大きくして見てもらいたい。ほんとうに日本はアメリカに乗っとられた状態だ。こんなことは絶対に許されない」と語っていた。
 原爆展会場では、「沖縄戦の真実」のパネルに足を止め参観していく人が多かった。女性会や老人会の呼びかけで数人が連れだって参観したり、孫を連れた祖父母の姿も見られた。基地問題のパネルの前では、「大黒神島がわたしの家の目の前。ほんとうにいいとこなのに。このまえは阻止したのに…」と語りあい、何度もパネルを見返す姿も見られた。
 夫婦で参観した60代の婦人(市内大柿町)は、「母が河原町の自宅で被爆して柱の下敷きになった。亡くなるまで白血球が少なく、体が弱かった。原爆に比べれば生活の悩みや少少の病気など小さいこと」と涙をこらえながら語った。「NLP反対署名は大柿町の女性会でもやっている。以前、岩国基地に見学に行ったが、市民の住宅地は狭いのにとてつもなく広かった。大黒神島に基地がつくられたら、秋月弾薬庫、呉の海上自衛隊もかかえるこの一帯はかならず戦場になる。このまえも沖美の漁師が岩国の米兵に銃で狙われたがその事件ももみ消された。戦後60年、国民を守るどころか主人のようなふるまいをつづけるアメリカに、日本はどこまで尽くすつもりなのか」と怒りをあらわにした。
 「原爆で父を殺された」という婦人(60代)は、沖縄戦のパネル前で「日本がやられたのは原爆だけじゃない。沖縄戦も東京空襲もこんな無惨なことはない。日本全国はみな戦争犠牲者ですよ。沖縄などはむちゃくちゃに攻撃したあとに上陸作戦で基地にした。あの戦争で終わらずに、いまだにずっと引きずっている。そしてアメリカはまだやるつもりだ。最近も沖縄を開発するとかいっているし、岩国にも来るといっている。なぜ日本がここまで従わないといけないのか。小泉さんはなんで“ブッシュ、ブッシュ”ばかりいっているのか。少しは逆らわないといけんでしょう」と悔しさをぶつけた。

 岩国との連携切望 “江田島もがんばる”
 孫を連れてきた沖美町在住の商店主の男性(60代)は、「日本はアメリカの完全な植民地になっているから、これを見るとよけいに腹が立つ。憲法まで変えて戦争を仕かける国にしようとしている」と語った。さらに「アメリカは中国の甘い汁を吸うために日本をどうしてもわがものにしたかったから、ソ連を排除する目的で原爆を落とした。中国や朝鮮など隣国を狙うアメリカについて靖国参拝などで刺激しているのが見え見えだ。かつては気がついたら治安維持法などでものがいえなかった。若い人はこの悲惨な犠牲のうえに自分たちが生きていることを知り、戦争を食い止めるためにいま立ち上がらないといけない」と熱をこめて語った。
 家族で訪れたお寺の住職(60代)は、「認識が50年遅れていた。峠三吉さんが書いているように、アメリカの日本単独占領と天皇制の保持のために原爆が落とされたことがいまになってわかってきた。憲法の改正と米軍基地の再編までやられようとしている。黙っていてはいけない」と語り、『沖縄戦の真実』『長崎の怒り』パンフを買い求めた。「岩国基地の問題は江田島でもがんばらなくてはいけない」とスタッフに握手を求めた。
 原爆展会場には被爆者である江田島市の曽根市長も参観した。曽根市長は、「時期的にもいいとりくみだと思う。NLPについては断じて承服できない。地元のなかでは事業規模が何千億ということで“来てもらったら”という声も漏れ聞こえてくるが、市民の生命、財産を守る立場からも断じて許されないこと」といった。その場にいた広島の会の被爆男性も「原爆であれだけ傷めつけられ、そのアメリカがわたしらの上空を好き勝手に飛ぶ。こんな屈辱的なことはない。許せない」と熱をこめて訴えた。
 原爆の後3日目に入市した男性(70代)は、「道路の死骸などはかたづけられていたが、防火水槽や木陰にはまだ死体があった。防火水槽で水を求めて死んでいる人はやはり苦しそうで、木陰には真黒焦げで寄りかかっていて、いまでもその情景が浮かんでくる。絶対に忘れてはいけない」と絶句。「アメリカとは野蛮な国だ。結局戦争するものはすべて自分の利益のためだ。“平和のため”というが、全部一部の者のためではないか。絶対に基地なんか来させたくない」といった。
 旧制中学1年のときに学校に行かずに江田島で農作業をして過ごしていたという男性(70代)は、江田島で光を感じたが原爆とはわからなかった。その後同じ学年で広島市内の学校にかよっている同級生の半分は死んでいたことを知ったという。「あれから60年というが、日本はアメリカの商業主義に飲まれて完全に支配されてしまった。いまの基地問題でもアメリカは日本に基地の負担を強いているという感情はない。日本にあるのを当然のことと思っている。“それが日本のためではないか”と。わしらからしたら冗談じゃない。それを政府も簡単に受け入れて金まで出すといっている。なぜここまでしなければいけないのか。わしらも来させないように署名をやっている」と話していった。
 午前から夕方まで会場にいた20代の女性は、江田島育ちだが、学生時代は原爆は意識することがなく、最近になって祖父が7日に入市したことを聞いた。一時期アジアで仕事をすることがあり、そこでかつての戦争で日本がやったことについての事実、歴史を知り、そこから日本の広島、長崎、沖縄の歴史を勉強するようになった。「いまの日本の現状を考えるときに沖縄のことは絶対にはずせないと思う。基地問題でも、自分のところになかったらいいのか。なぜ日本に米軍基地があるのか。その根本の問題にいかないと、解決しない」と問題意識を語った。
 さらに「いま現在、イラクの人人が受けている屈辱は、60年まえに自分たち日本人、祖父たちが受けてきたことと同じと考えるとショックだった。いまの世代は過去の歴史から現在を考えるということができない。歴史が断絶されてきたと感じている。幸せとはほしいものを買って、好き勝手して不自由なく暮らすことのようにいわれ、アメリカを追いこせ追いつけでなんでも真似をしてきた結果がここまできた。こういう問題をもっと考えていきたい」と、広島の会の被爆者とも交流し、語っていた。
 なお江田島原爆展は6日(日)まで開催される。

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