いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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政府好き放題の緊急事態条項 安倍改憲が目論む戦争体制 7月参院選が重要な焦点 

 年明け早早から通常国会が始まったが、安倍首相は年頭会見で「1億総活躍・元年」「新しい国づくりへの新しい挑戦」などといいながら、7月に予定されている参議院議員選挙で自民・公明を含む改憲勢力で3分の2の議席を確保し、憲法改定を含む戦争国家づくりをさらに加速させる姿勢をあらわにしている。また、3月の安保関連法施行、6月1日までのTPP承認、辺野古基地建設をめぐって攻防が続く沖縄では1月下旬には宜野湾市長選、7月には参院選が控えており、各分野で対米従属の暴走政治に対する全国的な反撃世論が盛り上がっている。安倍首相の「挑戦」は、あくまでアメリカに従う立場からこの国民世論と対決する宣言に他ならず、議席数だけで暴走体制を保ってきた浮き草のような安倍政府に鉄槌を下す全国的な世論と行動の大結集が求められている。年頭にあたり、安倍政府がうち出す政策の中身を改めて見てみた。


 安倍首相は、年頭の会見でアベノミクスの成果や安保法案の成立を昨年の成果として自画自賛し、「戦後最大のGDP600兆円」「希望出生率1・8」「介護離職ゼロ」という「新3本の矢」などの経済政策を強調しながら、7月の参院選では、「憲法改正をしっかり訴えていく」と強調した。自民党候補者の全員当選を目標とし、自・公で過半数を確保することを明言し、改憲勢力である「維新」なども含めて憲法改定の発議に必要な衆・参それぞれ3分の2の議席確保に全力を挙げる構えを見せた。昨年は、集団的自衛権の発動を容認する「解釈変更」の閣議決定という強引な手法で、地球の裏側まで自衛隊を送って武力参戦できる安保法を強行可決したが、この機に乗じた「数の力」で憲法の条文そのものを変えてしまおうというもので、全国的に盛り上がる戦争反対世論と真っ向から対抗する姿勢を見せている。


 一条ごとに発議しなければならない憲法改定において、昨年から安倍政府がこだわっているのが「緊急事態条項」の新設であり、内閣が必要に応じて非常事態を宣言し、すべての法を超越して国民の権利や経済活動を制限できるという戦前の国家総動員体制の焼き直しである。九条の改定よりも手っとり早く戦争に向けた国権を発動できる条項で、これを憲法改定の突破口に掲げている。


 緊急事態宣言は、2012年に自民党が発表した憲法草案に新設されたもので、内閣総理大臣が「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」とし、国会を超越して首相判断で宣言できるものとしている。


 また、「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」とし、国会の権限を停止でき、事後報告による承認だけでよいとする。


 さらに「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」と国民には無条件の服従を強い、その場合には基本的人権は「最大限に尊重されなければならない」とわざわざ付け加え、基本的には侵害することを逆に物語っている。政府の恣意的な判断で、平等権、思想、信仰、学問、集会・結社・表現の自由などの自由権、生存権、労働基本権などの社会権、請求権、参政権などのあらゆる人権が制限できることになる。そして、「緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる」とし、国民の審判を受けることなく内閣の意志で国会議員の任期を無期限で延長できる(100日を越えるときだけ国会承認が必要)など、「緊急事態」とさえいえば憲法で定められた秩序は停止し、内閣にはなんでもできる莫大な権限が与えられる法整備である。


 安倍政府は、「東日本大震災は緊急事態条項がなかったから救援が遅れた」と理由を並べているが、同条項が想定しているのは災害にとどまらない。真っ先に想起されるのが満州事変以降、日中関係が泥沼化するなかで制定した国家総動員法である。天皇が主権者だった戦前の憲法には、天皇が「戒厳」を宣告すれば、統治権限を軍に移行することができ、国家総動員法では一切の人、カネ、モノを政府の統制下に置いて戦争遂行のために問答無用で動員した。その結果、戦地に送られた数十万人という「邦人」は玉砕を命じられて遺骨すら帰らず、日本全土は空襲や原爆で焦土にされ、320万人の無辜の国民が殺されたことを忘れるわけにはいかない。安保法制で明らかになったように、これを今度はアメリカ主導の戦争のために適用し、ふたたび国土と国民を問答無用で戦争の渦中に叩き込むというものに他ならない。


 直近では、連続テロ事件が起きたフランスのオランド大統領が「非常事態宣言」を発令して当初の12日から3カ月に延長。国民監視のための警察を2年間で5000人増員し、政府が「公の秩序と安全を破壊する」とみなした団体や個人に対して監視や、裁判所の令状なしの家宅捜索や自宅軟禁を可能にし、一般市民の移動を制限し、集会・デモを禁止。COP21開催に合わせた環境保護の集会にも弾圧に乗り出して数百名を逮捕して騒ぎにもなった。また、興業場や商店、集会場、イスラム教礼拝施設であるモスクの閉鎖、政府が危険人物と見なした国民の国籍剥奪など、政府を批判するだけで「テロ犯」と見なす徹底的な監視、弾圧体制を敷いている。日本ではかつての戦争の反省から憲法で三権分立とともに基本的人権の尊重が定められ、国による緊急発動権は削除されていたが、これをふたたび合法的に可能にするというものである。

 平和主義覆し軍隊保持

 安倍政府は「国民の安全を守るため、国家、国民みずからが果たすべき役割を位置付ける」などといっているが、そもそも改憲によってどのような憲法を目指しているのか、自民党の憲法草案に見ることができる。


 自民党草案では、第一に、本来、国家権力を制限して国民の人権を保障する、つまり、国民が国家に遵守させるものである憲法の本質を逆転させ、憲法の遵守義務を「全国民が負い」、国家が定める「公益及び公の秩序」を害する人権は制限され、国民の義務を大幅に増やして、「国家」の方針に国民の権利を従わせるものへと変貌させている。


 とくに、人権を制限する主要な根拠をこれまでの「公共の福祉」ではなく、基準が曖昧な「公益及び公の秩序」とし、誰の人権と衝突しなくても政府の判断で「公の秩序を害す」と見なした場合はあらゆる人権を剥奪することが可能になる。


 前文では、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を頂く国家」を挿入し、基本的人権を尊重する義務を負うのは「国」ではなく「国民」に変わり、平和的生存権の根拠となる「平和のうちに生存する権利」も削除されている。


 第1章は、明治憲法に習って天皇を、「日本国の元首」と規定。新たに日章旗(日の丸)を国旗、君が代を国歌と定め、日本国民は「尊重しなければならない」と義務を課している。


 さらに「安全保障」の章では、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という九条の規定から「永久に」を削除し、これらは「自衛権の発動を妨げるものではない」を追加して平和主義を空文化させている。


 内閣総理大臣を最高指揮官とする「国防軍」を保持し、PKOや集団的自衛権をはじめとする「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に強調しておこなわれる活動」にあたると同時に、「公の秩序を維持し、国民の生命もしくは自由を守るための活動」つまり軍による治安維持活動を可能とする。「国は主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない」とし、国民が国防にあたることを前提としているのも特徴だ。


 現行では「この憲法が国民に保障する自由及び権利」は「常に公共の福祉のために利用する責任を負う」と規定されている「国民の義務」は、「国民は、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」へと変更し、常に政府が定める「公の秩序」に従うことを強要。人権そのものの概念が、人が生まれながらにして有する権利ではなく、「国家が与えた権利」で、常に「責任と義務」が伴うものとしている。


 この人権に対する概念の違いは全項目に貫かれており、思想及び良心の自由も「侵してはならない」から「(国が)保障する」へと変わり、個人情報は「(国民が)不当に取得し、保有し、又は利用してはならない」と国民の義務だけを課している。人権の尊重は「個人として尊重」から「人としての尊重」へと変わり、集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由については「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」と新たに制限を設け、活動の目的が「公益及び公の秩序を害する」と政府から判断されれば禁止させることができる。生命、自由及び幸福追求に対する権利も同様に「公の秩序」に反するか否かが基準となっている。

 地方自治体を従属下に

 また、「文民」と規定していた内閣総理大臣やすべての国務大臣は現役の軍人でなければ就任が可能になり、権限として新たに緊急事態条項を盛り込んだ。地方自治体に対しては国との協力義務を新たに規定し、地方公共団体に保障されていた機能のうち、「事務を処理する機能」だけを残して財産管理や行政を執行する機能を削除して、中央集権化を強めている。現在、辺野古への米軍基地建設において地元の総意を無視した政府の強権発動に対して、沖縄県が地方自治の理念に立って真っ向対決をしているが、憲法自体からこの権限を奪いとり、「地方は黙って従え!」という従属関係に貶めるものとなっている。


 さらに、憲法改正の発議の要件を従来の「各議院の総議員の3分の2以上」から「過半数」へと緩和し、国民投票も、分母を有権者数や総得票数ではなく「有効投票の過半数の賛成」で改憲を可能とする。憲法の公布名義も「国民」が「天皇」へと変わっている。


 さらに現憲法が定めた「国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であ」り、「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された」とする最高法規規定を全面削除。102条では、憲法尊重擁護義務を負うべき対象が「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」から「すべての国民」に変わり、名実ともに国家が遵守すべき憲法を国民に遵守させ、国家が定める「公の秩序」に縛り付けるものへと変質させている。


 このうち、安倍政府が最優先に掲げる緊急事態条項は、この政府権限を絶対化させる憲法改定の象徴的な内容である。内閣にすべての権限を集中させ、チェック機能も置かず、歯止めのかからない暴走を可能とするものであり、法律家や学者からも「大日本帝国の権限とナチスの全権委任法を組み合わせた内容」であること、戦前の非常事態宣言下では、戦時はもちろん関東大震災などの災害でも天皇による「戒厳」が宣告され、「治安維持」の名目で反政府的な人物や朝鮮人などが大量に殺害、拘束された事実を告発している。


 70年前にさかのぼるまでもなく、4年前の東日本大震災では「パニックになる」といって避難や救援のライフラインである高速道路を封鎖して被災者の逃げ場を奪い、原発事故で放射能がまき散らされ、次次に原子炉建屋が爆発しているにもかかわらず「直ちに影響はない」といって放射能の拡散予想のデータも、放射線量も公表せず、数万人の住民を被曝にさらしたことは記憶に新しい。国民の義務意識がなかったからでも、政府の権限がなかったからでもなく、政府の都合で権限を振り回して国民を統制したからに他ならない。


 かつての戦争による深刻な反省を覆して国民の権利を奪いとり、アメリカに従う政府に従属させる憲法改定を「国民の安全を守るため」ということ自体がペテンであり、その姿はすでに広範に暴露されている。


 安保法制の強行可決と同様に、安倍政府が寄って立つ基盤は国会内の議席数だけである。参院選を前にして軽減税率などのニンジンをちらつかせているが、野党の体たらくに依存した低投票選挙で過半数を確保しようとしているに過ぎない。しかし実行しようとしていることは段階を画した戦時国家づくりであり、それは国民生活の貧困化と一体のものである。


 憲法改定をはじめとする戦時国家づくりを中心に、TPP、米軍再編、増税、原発再稼働など亡国に導くあらゆる強権政治に対して全国に充満する怒りを各分野で行動にしていくこと、安倍政府と沖縄県民の正面対決となる1月24日の宜野湾市長選を前哨戦にして、七月の参院選では、独立と平和を売り飛ばす安倍政府に鉄槌を下す強烈な意志を突きつけることが全国共通の政治課題となっている。

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