
戦争体験者の高齢化が語られるようになって久しい。とくに、戦地に駆り出され九死に一生を得て帰国した元日本軍兵士の多くが他界するなか、各地の戦友会が存立できず解散する現実がある。著者は「普通の主婦」から歴史研究者(イギリス近代史・ビルマ戦史、大学講師)となり、20年以上も複数の戦友会や慰霊祭に通い、その世話係をしながら元兵士たちから聞き取りを続けてきた。その生々しい証言や親睦会での偽りのない語らいを通してつかんだ戦場と元兵士たちの心の真実を、エピソードを交えててらいなく綴っている。
著者はビルマ戦線で玉砕した拉孟戦の生存者による戦友会の厚い信頼を得て、会の共同代表を引き継ぐまでになった。このことは、文書史料による公刊戦史からは歴史の実像に迫ることはできない(真実が書かれているとは限らない)として、人々の実体験をその感情とともに聞き取るオーラル・ヒストリー(口述史)の手法をとる著者の研究実践と切り離しがたく結びついている。
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著者は、元兵士たちが戦友会を創った最大の目的は「死んだ戦友の骨を拾うこと、そして戦没者の慰霊につきる」と断言している。そして、若者をあのような地獄に投げ込む戦争は「どんなことがあってもやってはいかん」「絶対に阻止しなければならない」ことを確かめ合う場なのだという。それは軍歌をうたい戦場の武勇を回顧するといったねじ曲げられた「戦友会」のイメージを打ち壊すものだ。
さらに、同じ戦場で筆舌に尽くしがたい苦難と悲哀をなめた者でしかわからない「戦友愛のすごさ」を指摘する。また、それは生きのびた戦友同士より、死んだ戦友への思い(愛)の方が勝っており、家族にも理解しがたいものがあるという。
激戦地では、多くの若者が故郷に生きて帰ることを痛切に願いながら飢えや病気で息絶えた。その修羅場をくぐって生還した元兵士たちは戦後ずっと、そんな戦友への憐憫の情を胸に焼き付け、その遺骨さえ持ち帰ることができなかったことを悔やみ、「死に損なった」という後ろめたさすら感じてきた。著者は、そこに「変わり身の早い戦後社会への戸惑いなどが入りまじったものだったのではなかったか」と思いを寄せている。
出征のときは「万歳三唱」で送られて、地獄の戦場からようやく祖国にたどり着けば、社会から冷たい視線にさらされる。そうした風潮のもとで、戦地での真実は大っぴらには語れず、家族にも口を閉ざしてきた。一方、家族は夫や父親のトラウマによる異常を疎ましく思い、慰霊碑の建設などに巨費を投じることが理解できずぎくしゃくする状況を強いられた。
著者は「戦争を起こした責任者たちは、侵略した国や地域に多大な被害を与えたと同時に、自国の人びとを戦争に駆り立て心身ともに深刻な被害をもたらしたことにもっと真剣に向き合うべきであった。これは現代の私たちへの問いかけでもある」とのべている。そして、戦友たちの不戦の誓いを継承するために、高齢化した父親の付き添いや遺族として戦友会に参加してきた女性たちとの交流を続けている。
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本書のなかで、保守系右派団体の「日本会議」や「英霊にこたえる会」などの若者が一時期、戦友や遺族の数を上回るほど戦友会に入会した事実や、そのやりとりは注目に値する。
戦争ができる国にしたいと息巻く「勇ましい人たち」は、戦友会の席であの戦争は「自衛のための戦争だった」と肯定し、戦場で倒れた者を「英霊」と畏敬し、特攻作戦や玉砕を称賛し、「インパール作戦は敗退戦ではない」「従軍慰安婦はいなかった」などと自慢げに自説を展開した。しかし、生死の極限で戦争の本質を覚った元兵士たちはそれを咎めあしらった。自分の興味関心だけで戦友会に入った者たちは沈黙をよぎなくされ、あるいは場違いだと悟ったのかさっぱり来なくなったという。
戦友会では「戦争を知らない奴ほどラッパを吹く」「戦争をしたがる輩は戦争を知らない人間だ」「戦友の死を無駄にするな」と語られる。戦場で逃亡などを取り締まった元憲兵が、いま戦争に行けといわれれば「逃げる」と明言する。元特攻兵士は「死ぬ覚悟をしているのに、なぜ死ぬ覚悟でこの戦争に反対しなかったのか。時代に迎合してしまった。私のまねをしちゃいけない」と声を振り絞る。著者は「台湾海峡有事」を煽って軍拡の声が大きくなったのは、「戦場体験者が姿を消してきたことと関わっている」とのべている。
著者は靖国神社に参拝する一方で、「不戦兵士を語り継ぐ会」の共同代表や戦争遺跡である「日吉台地下壕保存の会」の運営委員を務めている。そのため、反戦平和の市民団体からは「ウヨクの巣窟と思える靖国神社や戦友会によくいける」と不審に思われたりするという。それに対しては「右だ左だああだこうだと揉めている場合ではない」として、次のようにのべている。
「上層の特権階級だけが潤う社会、彼らに有利な社会を推し進めて行った先にあるものは“普通の人々”の人権や自由が抑圧される社会である。最悪の結末が戦争だ。“上から目線”の社会はもうたくさんだ。為政者や特権階級の化けの皮を剥がすためにも、歴史的に価値のないと見なされてきた“普通の女性たち”……“すべての抑圧されている人たち”が立ち上がって現代社会を問い直す“ヒストリー・ワークショップ運動”のような歴史実践運動が求められている」
その意味でも本書は、戦争でもっとも被害を受けた人々とその遺族、家族など大多数の人々に依拠できなかった戦後の平和運動の欠陥を示唆するものとなっている。
(生きのびるブックス発行、B6判・246㌻、2300円+税)





















