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『絶望死のアメリカ』 著 アン・ケーンス、アンガス・ディートン 訳・松本裕

 20年前、アメリカは9月11日の同時多発テロを契機に対テロ戦争に突入した。だが、最近の米軍のアフガン撤退は、最新兵器で武装したいかなる大国であれ、武力による侵略でその民族を屈服させることはできないことを改めて示した。アメリカの対テロ戦争は、中東アラブ地域の膨大な民間人の犠牲をともないつつ、その失敗が明らかになった。

 

 この20年はまた、アメリカがIT革命・デジタル化をテコに、新自由主義とグローバリズムを極限までおし進めた時期でもあった。その結果米国民は幸せになったか。

 

 本書は、プリンストン大学で経済学を専攻してきた2人の名誉教授によるものだ。20世紀の最大の功績の一つは、生活水準の向上と医学の進歩によって、死亡率を着実に低下させてきたことだといわれる。ところがアメリカではこの20年、中年の白人男性(とくに低学歴の貧困層)の死亡率が上昇に転じた。もっとも増加率の高い死因は、自殺、薬物の過剰摂取、アルコール性肝疾患の3つだ。著者はこれらを「絶望死」と呼び、根底にある経済的社会的原因を含めて読者に示そうとしている。

 

 本書によれば、この絶望死はアメリカのほとんどの州で1999年に増え始め、以後増加し続けている。45~54歳の白人男女による絶望死は、1990年には10万人中30人だったが、2017年には10万人中92人にまで増えている。彼らは苦痛、孤独、不安からの逃げ道を求めて、死ぬまで酒を飲み続けたり、薬物を過剰摂取したり、銃で自分の頭を撃ち抜いたりしている。実は最近、イギリスでも同様の「絶望死」が増えていると、別の研究者が指摘している。

 

 2017年には15万8000人のアメリカ人が絶望死で命を断った。それは「ボーイング737機が毎日3機墜落し、乗員乗客が全員死亡するのと同じ数」である。それを個人的要因だけに帰すことはできず、その社会的土壌、つまりもはや有意義な人生を送れる環境を提供できなくなった社会の崩壊に目を向けなければ解決できない、と著者はいう。

 

貧困と格差 リーマン・ショックで拍車

 

 著者があげている社会的要因の一つは、貧困と格差であり、アメリカ経済がいかに一般市民のためではなく一握りの大企業とその経営者のために動いているかである。

 

 アメリカ経済の停滞はベトナム戦争に敗北した1970年代から始まっているが、製造業では1979年から2008年のリーマン・ショック直前までで500万人が職を失い、リーマン・ショックでさらに200万人が職を失った。リーマン・ショックでは何百万もの労働者が職も自宅も失い、銀行の融資ストップで数百万もの小規模事業者が倒産した。ところが銀行家たちは責任を問われることなく、高額報酬を受けとり続けるという社会的不平等が、誰の目にも明らかになった。

 

 仕事を失った労働者は、コールセンター、アマゾンの倉庫員、ウーバーの運転手などの仕事を探すことになる。多くが外部委託された別会社から派遣される臨時スタッフで、賃金は安く、福利厚生は乏しい。問題は所得が少ないだけでなく、将来の見通しが立たない部品のような扱いで、労働の誇りを奪われていることであり、結婚や家庭生活の喜びを奪われていることだ。それが苦悩と絶望を生んでいることを著者は訴えている。

 

金もうけの具と化す医療

 

 もう一つの要因として、著者は、アメリカの医療が国民の健康や生命を守るという公共的な目的を投げ捨てて、製薬会社、医療機器メーカー、保険会社、病院統合をくり返してますます大規模になる株式会社病院の所有者や経営陣の金もうけの道具になっていることだ。彼らは政府の規制緩和と優遇税制で肥え太った。

 

 アメリカの医療費は世界でもっとも高額だが、アメリカ人の健康は先進国では最低だ。アルコールによる死は失業者のなかで増えつつあるが、高額な医療費がそれを促進しているといわれているそうだ。

 

 著者の一人がニューヨークの有名な病院に人工関節の置換手術で入院したとき、相部屋の病室代として1日1万㌦(100万円以上)を請求された。病院が値段を引き上げるのは、コストがかかるからではなく、合併によって競争を減らし、市場支配力を使って値段をつり上げているからだ。

 

 とくに救急医療はもうけのチャンスと位置づけられている。救急車サービスや緊急救命室は投資会社が所有する企業に外部委託されており、交通事故被害者が病院で意識をとり戻すと、担架に数万㌦の請求書が貼り付けられていたということも珍しくない。

 

 また、薬物過剰摂取による死は絶望死のなかでもっとも多く、もっとも急増しているが、その薬物死の七割が鎮痛剤オビオイドに関連するものだといわれている。オビオイドの効果は鎮痛にとどまらず、使用者が快楽を感じてくり返し使用したくなり、投与をやめると激しい禁断症状を起こす中毒性にある。それを政府が認可し、投与によって患者が人生を狂わされたり死亡したりしているのに、政府のお墨付きを得た製薬会社がボロもうけしている構図がある。

 

 以上のことは、新自由主義とグローバリズムのなれの果てを示している。そしてどん詰まりまできた今、全米各地で「社会の構成員一人ひとりが同じ権利を与えられ、教育や医療に平等にアクセスでき、安全に暮らせる住居を確保できる世の中をめざして、自分以外の誰かのために行動を起こす」という新しい運動が人種をこえて広がっているという(『Weの市民革命』参照)。この20年、小泉・安倍政府がアメリカを後追いしてきたが、今のアメリカは日本の将来を暗示しているようだ。

 

 (みすず書房発行、A5判・330ページ、定価3600円+税)

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