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『おいしい牛乳は草の色』 中洞正・著 安田菜津紀、高橋宣仁・写真 なかほら牧場

 なかほら牧場は岩手県の山奥、下閉伊郡岩泉町にある。この牧場は24時間365日、畜舎に牛を戻さない通年昼夜型放牧をおこない、自然交配・自然分娩・母乳哺育を特徴とする。牛たちの飼料は山に生える無施肥の野シバなどで、飲み水は牧場を流れる小川や湧き水だ。今多くの牛たちが、自由に身動きできない牛舎の中で米国からの輸入トウモロコシを与えられて乳を搾られ続け、人工授精で種付けされ、仔牛が生まれればほとんど顔を見せないまま引き離されているのとは対照的である。そのなかほら牧場が一冊の写真集になった。

 

 カメラはなかほら牧場の春夏秋冬を追う。野シバも木々も一斉に芽吹く春、牛たちは若芽を見つけては一心に食んでいる。夏には、仔牛たちもおおいに動いて健康な体をつくっていくそうだ。牧場にさまざまな彩りがあふれる秋は、牛たちにとって厳しい冬の前に脂肪を蓄える準備のときでもある。そしてマイナス20度の白銀の世界となる冬、牛たちは身を寄せ合って寒さをしのいでいる。1年を通じて、ゆったりと寝そべったり、親が子を思いやったりと、豊かな表情を見せる牛たちの写真は見飽きることがない。

 

 なかほら牧場が実践するこの山地(やまち)酪農には、「千年屋(せんねんや)」という思想が貫かれている。それは中洞氏によれば、1000年続く酪農をめざすというもので、外部投入を限りなく少なく、大量生産を戒め、自然環境に従い、家畜を慈しみ生きとし生けるものと共生しようというものだ。

 

 それは工業型酪農の対極にある。そもそも牛たちは草食で、植物の利用しにくいタンパク質を四つの胃の中の微生物の働きによって利用しやすいタンパク質にかえて摂取している。その牛に穀物飼料を与え続け、しかも運動不足とくれば、体のバランスを崩してしまうのも当然だ。

 

 山地酪農は牛のエサに、日本の在来種である野シバを利用している。そして野シバを食べた牛が落とす糞が、またその肥料になる。野シバがすごいのは地面を這うように広がり深く根を張ることで、それによって保水力を高め治山治水に貢献している。また、冬は青草がないので、国産の乾草やロールサイレージ、夏の間に刈って乾燥させておいた自家製の干し草を食べさせる。こうした山地酪農は、日本では「非効率」と見なされがちだが、欧米では当たり前のもので、スイスなどでは国が補助金を出して推奨しているというから驚く。

 

 健康な牛から分けてもらう牛乳は、草の色を彷彿とさせる、黄色みを帯びた乳白色だ。安全安心でおいしく、健康にいい。牧場のスタッフがこれを牛乳やプリン、ヨーグルト、バター、アイスクリームなどに加工して、直売や催事の売り場、インターネット販売などを通じて全国の消費者のもとに届けている。市販のものと比べて割高だが、「牛乳ぎらいの子どもがゴクゴク飲みます」という反響がまた、スタッフたちの励みになっている。

 

 こうしたなかほら牧場の生命観、生き方にひかれて、今では1年中ほぼ毎日、見学者や研修者がここを訪れ、スタッフと一緒に牛の世話をしたり食事をしたりしているという。牧場のスタッフも20数人に増え、ここから巣立って牧場を始める卒業生も出ているようだ。中洞氏は本書のなかで、次代の酪農家、ひいては一次産業の担い手、日本の国土の守り手を育てるのが自己の使命だと語っている。

 

 今、工業的農業や遺伝子組み換え・ゲノム食品の問題点が指摘されるようになり、経済的利益最優先で自然界に対して傲慢に振る舞う態度が批判されている。世界の人々を苦しめている新型コロナウイルスをはじめ、近年急増している動物由来感染症にしても、それは工業的農業のための農地開発や鉱物資源開発のために、世界の森林を大規模に伐採して野生生物の生息地に人間が入り込んだことが一因だ。

 

 第一次産業に関心のある若い世代にぜひ手にとってもらいたい一冊。巻末には20数人の若いスタッフ(ベテランの方もいる)の一言が掲載されているが、それぞれの人生が垣間見えて興味深い。なお、下記に掲載した2枚の写真はなかほら牧場から提供してもらったもの。   

 

 (春陽堂書店発行、A5判並製・160ページ、定価2000円+税

 

冬、雪の降り積もる牧場で枯れ草を食む牛たち

草が芽生く春は出産ラッシュ。急に母親らしい顔になった牛たちが生まれたばかりの我が子を気遣う

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