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『レ・ミゼラブル』が描いた19世紀のパリ 王政が放置した下水道の探索 今日につながる公衆衛生の営み

 コロナ禍に立ち向かい外出自粛による閉塞感をうち破ろうと、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の歌曲「民衆の歌」を、俳優や歌手あるいは家族や若い仲間同士で、自宅やスタジオをつないで合唱し動画で配信する活動が広がっている。その勇壮な歌声が共感を広げている。

 

 〈闘う者の歌が聞こえるか/鼓動があのドラムと響き合えば/新たにあつい命が始まる/明日が来た時/そうさ 明日が〉
 〈列に入れよ 我等の味方に/砦の向こうに 世界がある/闘え それが自由への道〉

 

ビクトル・ユーゴー

 フランス大革命後の7月王政を打倒するためにパリ市民が蜂起した1832年6月、政府軍との衝突場面で、青年アンジョルラスを中心とする男女の群像が鋭い眼光で前方を見つめてうたいあげる劇中歌である。

 

 『レ・ミゼラブル(惨めなる人々)』といえば、文豪ビクトル・ユーゴーの世界を震撼させた大河小説である。日本では「ああ無情」の題名で児童文学にもなり、主人公ジャン・バルジャンが絶望的な境遇のもとで強靱に生きる姿が世代を超えて人々の心に焼き付いている。

 

 フランスの片田舎に生まれ育った青年ジャン・バルジャンが一片のパンを盗んだために、19年間もの獄中で屈辱と労役を強いられる。そのことが、永劫に容赦されない罰として、彼の数奇な生涯を容赦なく決定づけることになる。彼は贖罪や善行によって社会的経済的な地位を得る。しかし、良心の呵責にさいなまれるいく度かの局面で、強い正義感と虐げられた者への同情を貫く。しかし、そのことによって奈落の底に突き落とされるのだ。

 

 この長編から当時のパリにおける最下層の民衆の抑圧された生活や、気分感情の複雑な動きが、またそれがどのようにして生み出されたのかまで、躍動的に伝わってくる。それはユーゴーが、ナポレオンのワーテルローの戦いから王政復古、1832年のパリ市民の蜂起について記録的に叙述した部分と重なって浮かび上がり、時代のすう勢と社会の欠陥をも直視するように迫るのである。

 

 ところで、ジャン・バルジャンが生涯警察に追われる身でありながら、孤児コゼットを宿主夫婦の虐待から救い出して育て、その恋人マリウス(共和派の青年)が市街戦で瀕死の状態にあったのを背負って下水道から脱出を図る描写は、読者が手に汗を握る場面である。ユーゴーは、ここでもパリ市街の下水道について歴史的に詳細に記述しており、感染症とのたたかいに直面する今日、興味深い部分となっている。

 

 19世紀のパリは人口が急増したため排水・排泥がおよばず、下水道がいくたびか反乱し「泥の都」と呼ばれていた。セーヌ川の水は汚れ、不衛生極まりなかった。フランス革命以後、パリの下水道改革が疫病対策の面からも緊急の課題となった。

 

 パリの下水道は、中世においてはまったく放置され長い間その全体像はわからないままであった。為政者は「精神的にもまたは物質的にも自分の仕事を処理する道を知らず、弊害を除去することができないとともに汚物を除去することもできなかった。……たとえば、下水道はまったく探査することができなかった」のである。

 

 ユーゴーは続けて、「ファゴンの説によると、1685年の恐ろしい熱病は、マレーの下水道にできた大きな割れ目から起こったものとのことである。その割れ目は、1833年まで、サン・ルイ街の風流馬車の看板が出ている前の方に、大きく口を開いたままであった。またモルテルリー街の下水道の口は、疫病の出口として有名だった。……その恐ろしい腐爛の地域を探険しようという考えは、警察の人々にも起こらなかった」と書いている。

 

 フランス革命はそれを大胆にやり遂げる人物、ブリュヌゾーを生み出した。彼の指揮のもと「その探険はやがて行なわれた。恐るべき戦陣だった、疫病と毒ガスとに対する暗黒中の戦いだった。同時にまた発見の航海だった」「当時の消毒方法はきわめて初歩の程度だった。前進は遅々として困難だった。……角灯はガスのためによく燃えなかった。気絶した者を時々運び出さなければならなかった。ある所は絶壁のようになっていた。地面はくずれ、石畳は落ち、下水道はすたれ井戸のようになっていた。堅い足場は得られなかった。ひとりの者が突然沈み込み、それを引き上げるのも辛うじてだった」。

 

 ユーゴーはこうした極度の困難を乗り越えて実施された検分によって地質学、考古学、化学、さらには歴史学上の新たな発見がもたらされたことをも記述している。下水道は放置されていたから、為政者の墓場、政治上宗教上の公衆虐殺による死骸の放棄など、パリの歴史をそのまま刻み込んでいた。それらの洞穴のなかでは、「社会の災害の大なる悪臭が呼吸される。片すみには赤い反映が見える。そこには血のしたたる手が洗われた恐ろしい水が流れている」と。

 

 さらに続けて、「下水道は都市の本心である。すべてがそこに集中し互いに面を合わせる。その青ざめたる場所には、暗闇はあるが、もはや秘密は存しない」「不潔の堆積なるがゆえに、その長所として決して他を欺かない。率直がそこに逃げ込んでいるのである」と、そこに潜むありのままの真実を哲学的に追究していく。そして、「国家至上の道理、宣誓、政略、人間の裁判、職務上の清廉、地位の威厳、絶対に清い法服、などが装ういかめしい様子を、地上において絶えず見続けてきた後、下水道にはいってそれらのものにふさわしい汚泥を見るのは、いささか心を慰むるに足ることである」と、上品さを装うベールを引きはがし真実を探究することに、心を躍らせるのである。

 

 ユーゴーはここで、「社会観察者はそれらの影の中にはいらなければいけない。それらの影も社会実験室の一部をなす。哲学は思想の顕微鏡である。すべてはそれから逃げようと欲するが、何物もそれから脱することはできない」と断じている。

 

 実際に、一大叙事詩ともいえる『レ・ミゼラブル』には、ユーゴーが詩人・小説家としてそのような現実に迫る態度を貫いた証として、今もなお輝きを放っているのだといえる。

 

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