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『国語教育の危機』 著・紅野謙介

 来年の1月で大学入試センター試験が廃止になり、再来年から大学入学共通テストに変わる。とくに大きく変わるのが国語で、マークシートだけから記述式が導入される。

 

 同時に文科省は小学校から高校までの指導要領を改訂し、小学校は2020年度から、中学校は2021年度から、高校は2022年度から全面実施となる。ここでも変化が著しいのが国語で、教科書から文学が消えるといって関係者が問題にしている。

 

 高1で学ぶ「国語総合」は「現代の国語」と「言語文化」(いずれも必修)に分かれるが、「現代の国語」には文学はなく、実用一辺倒で、「聞き手にわかりやすいスピーチ」「特別予算を獲得するための文章を書こう」「説得力のあるエントリーシートを書こう」など。

 

 一方、「言語文化」はほとんどが古文・漢文で、近現代の文学や評論は3割前後。大学入試の対象は高1の必修科目なので、そこに文学作品がほとんどないことになる。ちなみに高2、高3で学ぶ「国語表現」も面接でのやりとりや企画書・報告書の書き方など実用中心だという。

 

 高校教員をへて日本大学文理学部教授となった著者は、この改革は「指導要領始まって以来の歴史的な大改訂」だが、「主体性・多様性」を強調しつつ実際は一方通行の一元化であり、国語を通じて思考力・判断力・表現力を身につけさせる方向とは逆行するものになっていると批判している。また、この改革は第二次安倍政府の教育再生実行会議が決めたもので、小泉改革のさいの日本語特区(世田谷区)を全面化したものだと指摘している。

 

 この改革は高校教育と大学入試、大学教育の3つを一体的に変えるプランになっているが、その性質はここ数年実施された大学入試のモデル問題やプレテストにあらわれており、本書ではそれが詳細に検討されている。国語の記述式問題の一例を次に示す。

 

 城見市(架空の自治体)が決めた町並み保存地区・景観保護ガイドラインの主旨を理解したうえ、「住民に不自由や自己負担を強いる」といって反対する父を、「将来の世代のためだし、補助金が出る可能性もある」という行政の示す方向で説得する文章をつくりなさい、というもの。問題文には、景観保護ガイドラインと、家の周辺の地図、そして父と姉の会話が示されている。

 

 著者は、これまで国語の記述式問題は、著名な作家や評論家の署名のある文章を示してきたし、それは書き手の主観には限界があるのを学ぶことを含んでいたとのべ、これに対してモデル問題がすべて無署名の文章になっており、これまでの国語の教材や試験問題がどのような考えのもとにつくられてきたかを知らない人がつくった問題だという。そしてその内容は社会参加の仕方を上から方向づける「規律訓練」のようなもので、国や自治体への批判を抑え、米軍基地や原発で問題になっている補助金をあてにする方向へ誘導している、とのべている。

 

 次の例。青原高校(架空の高校)の生徒会部活動規約、部活動に関する生徒会への要望(アンケート集計結果)、市内5校の部活動終了時刻、青原高校新聞の主張、生徒会執行部での会話文、を読ませ、「確かに生徒の部活動終了時間延長の要望は強いが、安全確保に問題があり、延長は認められない」という答えを書かせる。

 

 一つの特徴は、問題文の分量がこれまでとは比べものにならないほど多く、瞬時に大量の情報を読み込み、必要な情報をくみあわせる能力が問われることだ。著者はそこに、戦争ゲームの攻略法と同じような臭いをかぎとっている。答えのない問いにぶつかるから思考力が試されるし、自由な発想や突飛なアイデアも浮かぶが、そうした余地はない。内容上は、公共のルールの順守が大前提で、現実を変えることは視野の外に追いやられる。著者は、日本の今の政治・経済・社会によって規定される「公共」を絶対条件として受け入れよという制作者の意志が貫かれており、その「公共」が歴史的に変化するものだという前提がない、とのべている。

 

 記述式が悪いわけではないし、多くのデータを読み込んで一定の結論を出す力は必要だ。問題はそれをつうじてどんな子どもに育てるかであり、現状にそのまま順応するのか、それとも平和でより豊かな社会をつくるのか、ということではないか。それにしても自民党改憲草案への忖度か、と突っ込まれても仕方ないような内容だ。

 

 著者は最後に、今の国語教育の問題点を指摘しつつ、国語の持つ本来の力をとり戻そうと主張する。小説は、その物語世界にあらわれたさまざまな人物の、性別や年齢、階層、国籍をこえた複数の立場、感情や思想がぶつかりあい、ひきつけあう中で動いている。それが読まれるのは、私たちが複雑な葛藤のなかで日日、生を肯定する道筋を探しているからだ。現代が相対立する主張や真偽とりまぜたおびただしい情報にとり巻かれていることは、小学生でも知っている。だからこそ、そこから目を背けて自分だけの世界に閉じこもるのではなく、さまざまな価値観に身を開き、自由で創造性にあふれた思考力、判断力、表現力を身につけるよう指導することが教育者に問われているのだ、と。

 (ちくま新書、285ページ、定価880円+税

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