いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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私が体験したおもてなしの国イラン  イランと日本の親善文化交流会・近内恵子

ちかうちけいこ ペルシャ貿易勤務の後、拓殖大学のペルシャ語講座を卒業し、通訳の仕事やイラン文化センターにて日本向けにイラン文化の紹介をおこなった。その後、上記で築いたイラン人の人脈を頼りに三度にわたってイランを訪問。うち2回は3ヶ月に及ぶ滞在となった。現在、友人たちと「イランと日本の親善文化交流会」を結成し、両国民の相互理解を深めるために行動している。今月3日には東京大学でイラン映画上映会をおこなった。

 

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 イランとかかわるようになって、10年以上の月日が過ぎた。10年前も、そして今も変わりなく、多くの日本人のイランに対する印象は悪いままだ。

 

 1988年にイラン・イラク戦争が停戦になってから、イランはどこの国とも戦争をしていない。それなのにいまだにイランに行く前になると、何人かの知り合いに「戦争は大丈夫?」と聞かれてしまう。イランの首都テヘランは東京と同レベルの平和な状態といっても、なかなか信じてもらえない。

 

 私にとってイランといえば、おもてなし文化の国。実際にイランの人たちとかかわらないと、なかなか知ることができない文化かもしれない。

 

 例えるならば、四国巡りのお遍路さんをもてなす、あの文化に似ている。「遠くから来た旅人には親切にする」というのが、イランでは当たり前の文化だ。イランの人々は外国人が大好き。気軽に声を掛けてきて、お茶を出し、お菓子をすすめる。アッラー以外は認めず、常にテロや戦争に明け暮れているなんていうイメージとはまるで真逆の人たちだ。

 

もしもし日本人ですか

 

 10年程前にシラーズという街で受けたおもてなしは、こんな感じだった。

 

 街中を一人で歩いていると、日本語で「もしもし! 日本人ですか?」と声を掛けられた。見知らぬ人なので、こちらは警戒心でいっぱい。恐る恐る「そうです」と答えると、相手のイラン人のおじさんは和やかな笑顔で、自分が以前に千葉の成田で働いていたこと、そのときの職場の人たちにとても親切にしてもらったこと、日本で暮らしたかったが、母親が病気になり、泣く泣くイランに帰ってきたことなどを話してくれた。

 

 どこか行きたい所があれば案内するというので、泊まっていたホテルの近くにあったお城跡に行きたいというと、喜んで連れて行ってくれ、そこがどんな遺跡なのかをガイドさながらに説明してくれ、入場料、近くで食べたアイス代など、全部支払ってくれた。「日本人に優しくしてもらったから、日本人に会ったら優しくすることにしている」といって、こちらからの金銭は一切受けとらない。

 

 次の日もホテルのフロントにあらわれて、「大したことができなくてごめんね。このお金でイランのお土産を買ってね」と、山盛りのお菓子と2000円程の現金まで渡してくれた。さらにはテレホンカードと電話番号も渡してきて「困ったらいつでも電話して。助けに行くから」といわれた。このおじさんが、日本で稼いだお金でイランで会社を起こし、それで成功しているからできていることかもしれないが、日本の中小企業の社長さんが、旅行中の外国人にここまで親切にするとはあまり考えられない。

 

 このケースの場合、日本人だったから親切にしてもらえたとも考えられるが、イラン人のおもてなし精神は日本人だけにはとどまらない。

 

 知り合いのトルコ人はイランに到着したばかりの空港で、どのバスに乗ったら良いかわからず困っていたところ、イランの人たちに丁寧に教えてもらい、さらにバスのチケットまで買ってくれたといっていた。また私自身が経験したケースとして、たまたま乗ったタクシードライバーの家に二泊させてもらったことがあるが、運転手のおじさんは、ヨーロッパの旅行者も何人か家に泊めたことがあると話していた。

 

家族に混じっての食事

 

 このドライバーさんのおもてなしの話も書いていこう。

 

 ザンジャーンという街のバスターミナルに到着した私は、宿まで行くためにタクシーを拾った。

 

 道すがらドライバーのおじさんと意気投合。ホテルなんかに泊まらないで、私たちの家に泊まったらどうだ? と聞かれ、私たちという言い方から独身男性ではないと判断した私はこのおじさんの家に泊まることにした。

 

ザンジャーンのタクシードライバーと。左が近内氏。背後はバザールのモスク

 

 まずはおじさんの家に到着すると、親戚でも来たかのように奥さんが笑顔いっぱいで迎えてくれた。おじさんの家で紅茶をご馳走になりながら奥さんといろいろとお喋り。そして一息入れた後は、今度はお隣さんの家にお邪魔することになった。お隣のお子さんは1週間後に結婚式をするという。そのため、親族が集まっている状態だった。

 

 イランでは結婚式のときに音楽をかけて、皆で踊るのがご定番。まだ式前ではあったが、「踊ろう!」というノリになり、当然、私にも「踊れ、踊れ」といってきた。イラン文化が嫌いではない私は踊るのも好きなので、皆の前で踊り始めると、これがかなり受けた。一気に皆と仲良くなり、晩ご飯はうちで食べなさいと約束させられてしまった。

 

 晩ご飯の前には、ドライバーのおじさんとお隣さんの息子さんと私の3人でザンジャーンのバザールへ。これまたガイドさながらにバザールの中を案内してもらった。晩ご飯は約束通り、お隣さんで食べ、もう11時にもなろうかというのにお隣さんの息子とお嫁さん、そしてお母さん、ドライバーさんの息子さん3人とで近くの山までドライブすることになった。「ホテルで1人っきりで過ごすより、自分たちといて楽しいでしょ?」。満面の笑みでいわれ、自分も本当にその通りだと思った。

 

 2日目もさまざまなおもてなしを受けたのだが、それは割愛して、3日目の帰るときのこと。私はイランの首都テヘランに戻るのに、夜行電車を利用してみたいと思っていた。その旨をドライバーのおじさんに告げると、私を旅行会社まで連れて行ってくれ、チケットを買ってくれた。旅行会社の人たちも親切で、記念撮影までしてしまった。

 

旅行会社での記念撮影

 

 深夜0時前に出る夜行電車。おじさんは最後の最後まで私に付き添ってくれ、温かい眼差しで、「またザンジャーンに来いよ。待ってるぞ」といってくれた。電車の出発が遅れて待っている間に、こんな遅い時間にもかかわらずおじさんの息子さんまで駅に駆け付けてくれ、電車が出発するまでずっと見守ってくれた。最後の最後で、おじさんにお金を渡そうとしたが、本気で受けとってくれない。仕方がないので、無理矢理ポケットにねじ込んで来たのだが、お金に関係なく見ず知らずの人に、ここまでなかなか優しくできるものではないだろう。

 

 このように自分の家に呼んでおもてなしするのはイランでは決して珍しくはない。出会ったばかりでも意気投合すれば、結構すんなり家に招き入れてくれる。

 

 友だちの家に呼ばれ、食事をご馳走になり、泊まらせてもらうぐらいなら日本でも珍しくはないだろう。けれどイランはここだけでは止まらない。アルダビールという所に住んでいるイラン人の友人の家に泊まったときは、まず友人のお姉さんの家に招待され、お食事とお泊まり。その次は妹さんの所で同じく。さらにはその妹さんの旦那さんの実家で、親族が集まる場に混ぜてもらいご一緒に食事。

 

 皆の前で自己紹介をするでもなく、隣にいる方々となんとなくお喋り。これも食べなさい、あれも食べなさい、と次々に自分のお皿に料理が盛られてしまうので、きちんと断らないと食べても食べても、食べ物が山盛りに積まれた状態になってしまう。皆が揃って、一斉にいただきますという文化でもなく、なんとなくお皿が並べられ、食事が出てくると、思い思いに勝手に食べ始める。変に畏まったものがないので、招待される側も気楽でいることができる。

 

接待を受け親族に混じって食事をしているところ

 

 

 イスラムではアルコールはご法度なので、親族の集まる場にお酒の用意はない。年長者やお世話になっている人たちにお酌して回るという文化が存在していないのも気楽になれる理由の一つかもしれない。

 

 大勢が集まるとき、イランではソフレと呼ばれるピクニックシートのようなビニール製の布を敷き、そこで食事をとる。ソフレを敷いたり、綺麗に拭いたりするのは男性たちも積極的に手伝っている。肉を焼くのは男の役目で、料理の上手な男性はとても多い。一方、シチューのような煮込み料理は女性たちの得意分野だ。

 

イラン料理について

 

 イラン料理についても触れておこう。よくイラン料理ってどんなものですか? と聞かれるので、パンチのないインド料理と答えることにしている。トルコやアラブ料理を食べたことがある人には、かなり近いものだが、同じではないと答えている。ホットでスパイシーなインド料理とはまるで違う味わいだが、スパイスをハーブに変えると、途端にイラン料理に近いものになっていく(スパイスとハーブの差は諸説あるが、ここではインド料理のような辛くて刺激の強い料理に使われる物をスパイスと呼び、刺激性は少なく、野菜や果物を乾燥させただけの、香りは強いが辛みはあまりないものをハーブとしておく)。

 

 イランは広い国なので、北と南では料理もかなり違う。南は暑いため、辛い料理も存在するが、基本的にイランの人たちはインド料理のような辛い食べ物は苦手だ。そして私たちはイランもトルコもアラブの国々も、全て一緒くたに中東と呼んで、同じ文化を持つとすら考えているが、ペルシャ帝国の末裔であるイラン人たちは、彼らと一緒にされることを極端に嫌う傾向にあり、実際、料理でもその差を感じることができる。

 

 イラン料理の代表的なものをいくつかご紹介しておこう。お宅に招かれ、おもてなしとしてもよく出てくる料理である。

 

 まずはゴルメサブジと呼ばれる緑色のシチューだが、まさにハーブシチューといって良い料理だろう。ほうれん草を主体に乾燥した香草野菜をたっぷり使い、羊肉と豆、そして乾燥したライムがそのまま一緒に煮込んである一品である。ライムの酸味が少し効いた香草の香りのするシチューといっても、日本料理にはない味わいなので想像しにくいかもしれない。

 

手前がゴルメサブジ

 

 次はフェセンジャン。こちらは鶏肉とクルミのザクロペーストシチューだ。私としてはフルーツシチューと名付けたい一品で、ザクロペーストの程よい甘さが鶏肉と合って、とても美味しい料理となっている。この料理を上手につくれるかどうかで、シェフの腕前を見ることができるイラン料理ともなっている。

 

 シチュー系の料理は、カレーのように細長いインディカ米にかけて食べたり、ナンにつけて食べたりするのがご定番だ。

 

 アーシュレシテは、ゴルメサブジに近いシチューの中に日本のうどんとほぼ変わらない麺が入っている料理だ。揚げた玉ねぎとキャシュクと呼ばれるチーズとヨーグルトの間のような乳製品をお好みで掛けて食べる。

 

 飲み物の代表はドゥーグと呼ばれるヨーグルトドリンク。インド料理でラッシーを飲んだことがある人も多いと思うが、あの甘いヨーグルトドリンクではなく、塩味とミントが効いた飲み物となっている。ものによっては炭酸が入っているものもある。慣れていない日本人からすると、しょっぱいヨーグルトドリンク? と眉間にシワを寄せる人も多いのだが、羊や鶏肉のキャバーブとの相性は抜群なので、是非単品ではなくて、イラン料理と共に味わってもらいたい飲み物である。

 

 セキャンジャビンもよく飲まれるドリンクだが、これも日本人には驚きで、きゅうりの千切りがいっぱい入ったミントとお酢の飲み物になっている。湿度はないが夏はかなり暑いイラン。夏の暑さに負けない飲み物としてよく飲まれている。また、きゅうりはイランでは、ほぼ果物の扱いになっているのも、私たちには不思議な感覚だ。

 

近内氏(右)が持っているのがセキャンジャビン

 

 デザートの代表は、ショレザード。サフランを使ったライスプディングで、ローズウォーターでつくるため、ほんのり薔薇の香りもする上品なお菓子だ。トッピングとして、シナモン、アーモンドやピスタチオを使い、花や幾何学模様が描いてあったりもする。これを見るのもまた楽しいものだ。

 

 おもてなしを受け、このような料理を頂戴するとき、接待側が「私のお母さんのフェセンジャンは世界で最高の美味しさよ!」とか、「俺の妻のゴルメサブジ以上のゴルメサブジはないね」とか家族の料理自慢が入ることがとても多い。お母さんや奥さんは、その言葉を聞いて心から嬉しそうだ。謙遜文化の日本にも良い面はあるが、「つまらないもの」「大したものではないが」といわれて出される料理より、家族が「最高の一品だよ!」といって出してくれるお母さんや奥さんの愛がいっぱい詰まった料理の方が、美味しく感じられるのは間違いない。

 

必ず出てくる接待セット(紅茶、お菓子、果物)

 

本当の豊かさとは?

 

 イランは日本の約4倍の面積がある国だ。人口は逆に日本の半分ほど。

 

 首都のテヘランは日本と同じく、部屋は狭い傾向にあるが、それでも日本人から見れば、かなりゆとりのある造りとなっている。

 

 お客さんを気楽に泊められる理由の一つは、ここにある。家族主義なので、残業、残業で夜遅くにならないと帰って来ないという話もあまり聞かない。時間にゆとりがある。これも接待できる大きな理由だろう。

 

 そして戦争状態であったり、憎しみあったりしていて、心のゆとりがなければ、他者に対する思いやりも生まれず、接待文化も生まれてこないだろう。日本の方が間違いなく先進国ではあるが、一体どちらに本当の豊かさがあるのだろうかと思わずにはいられない。

 

 イランの僅かな一面しかお伝えできていないが、これを読んで少しでも多くの人が、イラン人の人柄の良さ、温かさを感じてくれたらと思っている。

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この記事へのコメント

  1. この記事には、とても心が温かくなりました。私の友人(保守的な方)が歴史好きのご主人とイランへ一昨年旅行して、いたるところで現地の人から次から次へと声をかけられ、写真を一緒に撮りたいと言われ、びっくりするほど大勢のイラン人との写真に入ったそうです。彼女はイスラム観、イラン観が一変するほどの歓迎を受けたわけで、「こんなに友好的な国民性だとは夢にも思わなかった」と言ってました。
     私の父は、パーレビ王朝の頃、紡績の技術を教えるために数年イランに行っていました。無学な工員出身の父は、イスラム教徒の下級労働者を見下していて、2年に一度帰国して私たちにそれを聞かせるたびに、私は悲しい気持ちになりました。私は多感な学生でしたので、「教養のないのは父も同じではないか」と反発しました。
     イラン革命が起こり、その後、優れたイラン映画が次々と日本で上映され、女性の監督が作った映画も多く、イランの文化の高さ、女性の知性の高さ、女性が活躍できる社会であることなどに目をみはりました。「赤い運動靴と金魚」「友だちのうちはどこ?」「太陽は、僕の瞳」など、今も思い出します。新しい映画もほとんど見ています。ときには、イスラムに対する偏見を改めてほしくて、自腹を切って、友人の分もチケットを買い、友人数人を連れて見に行きました。
     でも、多くの日本人の対イラン、イスラムの偏見は強いですね。
     長周新聞さんの先見性、公平な世界観には頭が下がります。私もしっかり貴紙を読んで、学びたいです。

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