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原爆と下関空襲展が開幕  熱い思いかたる体験者

「原爆と下関空襲展」が20日から福田正義記念館(下関市田中町)で開幕した。下関ではじまった原爆展は、広島・長崎・沖縄をはじめ全国に広がり、大きな反響を呼び起こしてきた。今回はその反響をもとにつくられた「沖縄戦の真実」「東京大空襲」が下関ではじめて展示されるほか、下関市民の反響にこたえて新しくつくられた「下関空襲の記録」「全国の空襲」パネルが展示されている。また被爆資料や市民から提供された焼夷弾の筒や防空ずきん、空襲時の焼け瓦なども展示されている。

  無差別殺りく繰り返させぬ
 午前10時から被爆者や来場した市民など約40人が参加して開会式がおこなわれた。冒頭あいさつした下関原爆被害者の会副会長の石川幸子氏は、戦後60年をむかえ、原爆展とともに下関空襲展をいっしょにおこなうことになった経緯を紹介し、賛同者が330人をこえたことを報告。「あの悲惨な空襲、原爆をくり返すことがないように、たくさんの人に足を運んでいただきたい」とのべた。
 つづいて成功させる会の代表世話人である野村忠司氏があいさつした。「いつも神社仏閣に平和を祈っていたが、この会場に来て、祈るだけでなく、平和運動に自分がどうとりくんでいくかというところに一歩突きすすんでいかないといけないと思った」と、展示会への期待を語った。
 開会と同時に近くに住む下関空襲の体験者、戦争体験者をはじめ、子どもを連れた家族や、20代から30代の青年など各層の人人が会場を訪れた。なかには遠方から友人と誘いあって来る体験者の姿も見られた。初日には200人の市民が来場した。
 また空襲で焦げた着物や、元特攻隊員から出征時に恩師や友人が寄せ書きした「日の丸」が寄せられるなど、市民からの資料提供もあいついでいる。

  市民からの資料提供も
 会場には下関の被爆者が交代でつめ、空襲の体験者と交流し、若い世代に体験を語っている。被爆者のなかでは「わたしたちは空襲のことを知らない。下関がこれほどひどい目にあっていたことをはじめて知った」「広島・長崎と沖縄、各地の空襲がこの展示でつながる」と共通して語られ、下関の被災市民とともに運動をすすめることへの喜びが語られている。
 初日から、多くの空襲体験者が展示を見て体験を語っていった。「子どもたちに話しても聞いてくれないのではないか」という思いを持ちながら体験を語らずに六〇年過ごしてきた市民にとって、はじめて語る場ができたと喜びを持って受けとめられている。
 小学5年で空襲にあった男性は、丸山町で隣の大家の家まで焼け、自分たちは追い出されて市内を転転としたという。「焼け跡は海まで丸見えだったので船が機雷で沈没するのを何度も見た。蓋井島の付近でものすごい火柱をあげて沈没した船がいたのが忘れられない」と語り、戦後の食糧難のなかを生きぬいてきた体験を語った。
 南部町で体験した婦人は、「ほんとうは来まいかと思ったけど、勇気を出して来てよかった」という。市役所の方に家一軒分ぐらいの大きな火柱が立ち、自宅の長屋にはB29があまりに低空で焼夷弾を投下したので、たくさん固まって落ちてきたという。燃え尽きた方に逃げたおかげで助かった。「思い出したらやっぱり涙が出る」と涙をふきながら語っていた。
 また80代の婦人は、「わたしは清和園の生き残りだ」と体験を語りはじめた。自宅から見ていると市内は火の海でどこに逃げたらいいのか見当がつかず、近所の人がみな畑に集まって焼け死んだという。突風が起こって、炎がなめるように広がり、夫とおいも死んだ。「わたしはこんなことを起こした真犯人が知りたかった。戦後、高度経済成長とかバカンスだとか世間は騒いでいたけど、結局戦争で殺されるなら生まれてこない方がいいと思って一人で生きてきた」と語り、「アメリカについていかないといけないいまの社会のでたらめさを見ると、これが戦争に負けたということなんだなと思う」と怒りをこめて語っていた。
 「巌流島も沈没した船がたくさん引き揚げられていた」「焼けた砂糖会社の倉庫に鍋としゃもじを持って砂糖をとりに行った。油がついた砂糖を食べて死んだ人もいる」「アメリカが関門トンネルを爆撃するという話もあったが、占領後に自分たちが使うために攻撃しなかったんだ」「占領軍が来るから軍関係の写真を残していたらつかまるといううわさで、うちも写真を全部焼いた」など当時の様子がつぎつぎと語られた。「つぎの日曜にまた来ます」「友だちを連れて来ます」と市民のなかで広がっている。
 また50代の婦人は「親たちがこんな体験をしていたのかと思うと涙が出る」と衝撃を受けた様子で感想を語っていた。
 40代の男性は「原爆でこれだけやられたというのはもっと世界に訴えないといけない。南京虐殺とか、日本のやったこともたしかに悪いが、真珠湾攻撃と原爆や空襲は次元が違う。アメリカがやったことは日本以上だ」と語っていた。
 原爆と下関空襲展は二七日まで開催され、会場で語られた体験は随時掲示される。

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