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長周新聞55年、戦後65年を総括  創刊55周年呼びかけ人会議

 長周新聞創刊55周年記念祝賀集会の実行委員会結成に向けた呼びかけ人会議が23日に開かれた。呼びかけ人は柳田明(川崎市・医師)、高田美智子(下関市・大新館会長)、藤井日正(下関市・本行寺住職)、伊東秀夫(下関原爆被害者の会会長)、黒川謙治(人民教育同盟中央本部委員長、福田正義顕彰会会長)、安村直行(原水爆禁止山口地区実行委員会)、西沢昌子(劇団はぐるま座)の7氏。会議では長周新聞の「創刊55周年の訴え」を歓迎し、320万人も殺された第二次大戦はなんだったか、とくに米ソ二極構造崩壊後の20年で日本社会はどうなったか、長周新聞の活動はどうだったか、などについて読者の総括論議を起こし、その大結集の場として記念祝賀集会を準備していくことが確認された。そして「長周新聞創刊55周年記念祝賀集会実行委員会結成の呼びかけ」を発表。第一回実行委員会を2月21日、福田正義記念館で開くことを申し合わせた。
 会議は冒頭、呼びかけ人会代表の柳田明氏が「長周五五年といえば歴史の重みを感じる。福田主幹ゆかりの方が“これから福田さんの考え方が発揮される”といったがその具体化ができる段階にきた。新たな段階の長周になってもらわないといけない」と挨拶。活発な論議を促した。
 つづいて長周新聞社の森谷浩章編集長が挨拶。「創刊55周年は福田主幹が亡くなって丸8年になる。大きな痛手だったがわれわれが体系的に福田主幹の事業を学ぶ機会となった。長周新聞の活動は福田主幹が切り開いた精神、路線を学び実践で貫く努力をしたときに発展した」とのべた。そして「20年前の米ソ二極構造崩壊、90年代の社会主義攻撃と裏切りの流れとたたかって道を切り開いてきた。2000年代に入ったこの10年国内外情勢が大転換を遂げた。アメリカの一極支配が崩壊し戦後日本を貫いてきた売国政治が崩壊し始めた」と話した。長周新聞の活動について「原爆展運動、原水禁運動が柱となった。この運動が『原爆展物語』になり全国発信するところにきた。1950年8・6平和斗争は福田主幹の戦後出発を代表するたたかいだが、それが長周創刊につながり、その路線を学んで実践すると広島・長崎をはじめ全国を揺り動かす運動になった」とした。
 そして「戦後65年へて生活環境も世論も大転換した。とんでもない社会になったと世論が沸騰しているが、なにが根源か、第二次大戦から総括し日本人民の進撃方向と進路を鮮明にしないといけない。創刊55周年運動で読者・支持者の皆さんの総括論議を繰り広げていただき、記念集会を長周新聞活動を大飛躍させる契機にしたい」とのべた。

 現代変革する大運動へ

 その後「どんな運動にするか」をめぐり活発な論議がかわされた。
 柳田氏は福田主幹に「民族のための医療をやれ」といわれ、最初は意味がわからなかったが、医師として医療に携わるなかで意味がわかってきたというエピソードを紹介。「さまざまな分野で福田路線が実行できる人を増やすことが目標だ。いくら政権がかわってもそれだけでは変わらない。日本の将来のためにどん底で考えている人が具体化する時代だ。その具体化ができるのは長周だ。飛躍する年になると思う」と期待を語った。
 西沢昌子氏は「はぐるま座は人民劇団再建を決意し『動けば雷電の如く』を公演しているが、全国で現代の世直しを求める意識が出る。『原爆展物語』の実行委員会でも“平成維新が必要だ”と語られ“その展望が『原爆展物語』に描かれている”と期待が大きい。この『原爆展物語』を全国で公演し福田型のいろんな戦線の運動を日本中につくりたい」と話した。
 安村直行氏は「『原爆展物語』に原水禁運動の到達は集約されている。米ソ二極構造崩壊後、小泉構造改革、市場原理主義でガタガタになったことへの怒りは強いが、こちらの側がどこへ向かってたたかっていくかが曖昧だった。これが原爆展運動を通じてはっきりした」とのべた。そして「原水禁運動は杉並の署名運動から始まったのではない。労働運動としてたたかわれた50年8・6路線がはっきりしてきた。日本人民の敵はアメリカというのがいつの間にかなくなっていたが、反米愛国という認識を鮮明にして実践していくと世界に影響をもつ運動になった。山口県の運動を発展させて長周新聞の影響をつくっていきたい」と話した。
 伊東秀夫氏は1950年代の大丸斗争で福田主幹から「自分の利益を守るより労働者全体、市民の利益を守ってたたかっていけ」といわれ、たたかう方向が明確になっていった経験を話した。下関原爆被害者の会を内部から破壊する潮流が表れたときも長周新聞が性質を明らかにして導いてくれたとのべた。「オバマジョリティーなどといって欺瞞政策がとられるなかで、原爆展運動が全国で発展しているのは喜びだし、人民大衆に依拠してたたかう長周・福田路線の勝利だ。そこに確信をもってたたかうことが大切。被爆者の婦人たちは長周新聞が最大の理解者であり協力者だといっている。これからもがんばりたい」と語った。
 ここで第一回下関原爆展から中心を担ってきた藤井日正氏が発言。「火事で焼けるなら諦めはつくが、戦争でアメリカのB29がわざわざ飛んできて無差別に日本全国おもなところを焼き、下関を焼き、本行寺の本堂を焼いたのはすごくショックだ。なぜ焼きやがったかという思いがある。原爆では10万人以上も殺しなんともいえない怒りがある。それを耐えてきた」と怒りに声を震わせた。「この世に受けたことは諦めてあの世で成仏しようという宗教もあるが法華は違う。この世で受けたことはこの世で解決する。だが戦後はいいたくてもいえずにきた。そこを1950年に福田主幹が原爆の非は堂堂と貫かないといけないといえるようにしてくれた。ここに感銘している。この福田主幹の思想を継承し劇団はぐるま座が『動けば雷電の如く』につづき『原爆展物語』をやるのはすばらしい。死ぬ気でやってほしい」と期待をこめた。
 黒川謙治氏は「福田さんの路線が今から光を放つといわれたことがますますはっきりしてきた。教育分野も昨年、長周新聞の援助を受けて戦後の教育運動を総括していくと自己満足がわかった」とのべた。そして「教育は先生がやると思っていたが、被爆者の方が子どもの教育がつぶれれば日本がつぶれると話す。ほんとうの教育の源泉は人民大衆だし先生が本などで得た知識ではない。勤労人民が労働のなかで身につけた知識が伝わっていけば子どもは人民の後継ぎとして育つ。それが今は意図的にバカにする教育がやられている。教師は人民大衆と子どもを結びつける役割を果たし、敵と正面からたたかわないといけない。地域、勤労父母と運動をつくっていきたい」とのべた。

 原爆展物語を全国普及

 さまざまな戦線から総括論議を発展させ現代を変革する運動をつくる意気込みが語られるなか、55周年運動のイメージが深められていった。全国に読者を広げていくことも論議され「劇団の公演のロビーで長周新聞を置いておくと争ってとる。非常に関心が高い。ここと深く結びついていく必要がある」「下関は明治維新発祥の地で京都でも鹿児島でも長崎でも長州びいきが強い。現代の世直しで全国をつなぐ必要がある」など語り合われた。
 さらに総括論議の内容をめぐって「福田さんは戦時中に下関で殺された中国人の遺骨を返したが、死んだ人のことを忘れていない」「現代を考えるうえで戦争で320万人死んだ。この出発点に立つか立たないかが大きな分かれ目ではないか」「第二次大戦であれだけ殺されたことを思い起こさせることは現代を考えるうえで大切だ。『原爆展物語』の台本ができて下関でも長崎でも広島でも反響が激しい。思い出さないといけないとなっている」など活発に語り合われた。話が弾み55周年運動の熱気に満ちるなか「こうした論議をさらに読者全体に広げよう」と確認し討議を終えた。
 以上の論議をもとに「実行委員会結成の呼びかけ」を発し、長周新聞創刊55周年運動を読者の手で開始することを決めた。
 そして5月16日に海峡メッセ下関で記念祝賀集会を開くこと、第一回の実行委員会を2月21日に開くことなどが確認された。

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