いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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核戦争の危機打開する運動を  米軍を日本から追い出せ

 人類最初の原子爆弾が広島、長崎の何の罪もない市民に向けて投下されて63年目を迎える。史上もっとも凶悪な大量殺人兵器である原爆を人人の頭上に投げつけたのはアメリカだけである。そして、原子雲の下での地獄絵を体験させられたのは日本人だけである。今日、原爆投下者が福田政府を従えて在日米軍基地を再編し、日本全土をアメリカ本土防衛の盾にして、ふたたび原水爆の惨禍にさらそうとする動きが強まるなかで、アメリカに原爆投下の謝罪を求め、核兵器の廃絶と平和を願う人人の憤激はかつてなく高まっている。この世論を1つに束ねて、すべての原水爆の製造、貯蔵、使用の禁止を求め、新たな原水爆戦争を阻止する全国民的な運動を発展させることが期待されている。そのうえで、日本の原水爆禁止運動の出発点となり、世界の平和運動に大きな影響を与えた1950年8・6平和斗争の路線を今1度明確にし、継承発展させることが求められている。
 広島、長崎では一瞬にして、数10万の非戦斗の市民が命を奪われた。さらに肉親・知人をむごたらしく殺された何10万もの人人が、消えることのない傷痕を受けてつぎつぎに命を縮めてきた。このような史上かつてない残虐な殺りくは、人類の名において許し難い犯罪であり、いかなる理由をもっても正当化することはできない。
 昨年来、伊藤一長・長崎市長銃殺事件、久間防衛相の「原爆投下はしようがない」発言を機に、長崎の被爆市民を先頭に平和を願う全国民的な憤激が一気に高まり、アメリカの原爆投下を擁護するいかなる論調も公然と表明することはできない局面を切り開いた。「広島は軍都で加害都市だったから原爆は落とされた」「反核を反米にすりかえてはならない」「和解せよ」「赦せ」など、進歩的な装いで平和運動を妨害・攪乱する宣伝も、アメリカの「原爆投下正当化」論の代弁であることがあまねく暴露され、影をひそめている。これは戦後60年余りにわたって、アメリカがメディアや「革新政党」などを動員して抑えつけてきた欺まんが音をたてて崩壊していることを示すものである。
 こうした状況はこの8年間、全国隅隅の数1000カ所で展開されてきた「原爆と峠三吉の詩」原爆展運動、それと結びついた1950年8・6斗争を継承する原水禁運動の力強い台頭と連動して生み出されてきた。それは今日、アメリカの傍若無人な原水爆をめぐる策動と、日本政府の対米屈従政策への憤激と結びついて発展している。

 戦争挑発を続ける米国
 戦後、アメリカは原水爆を独占し、その威嚇によって世界のいたるところで戦争挑発を働いてきた。ブッシュ政府は「核の先制使用」を公然と叫び新型の核弾頭やミサイルの開発に拍車をかけてきた。また北朝鮮、イランを「悪の枢軸」と名指しし、中国を「軍事的に最大の潜在的競争国」と公言、横須賀への迎撃ミサイル搭載のイージス艦の配備など、日本各地と周辺に「ミサイル防衛網」をはりめぐらしてきた。
 アメリカはイラク戦争で惨たんたる敗北に追い込まれる一方で、「東アジア重視」を叫び米海軍空母の半数以上、潜水艦の約六割を太平洋地域に配備し、日本、韓国、オーストラリアなどを含めた軍事演習や迎撃ミサイル実験をくり返し、極東アジアの緊張をふだんに激化させている。この演習に参加していた自衛隊イージス艦の漁船衝突事件は、自衛隊がアメリカの原水爆戦略の直接指揮のもとで動く、アメリカを防衛する軍隊であることを暴露するものとなった。
 米軍岩国基地への厚木基地機能の移転・拡張増設は、空母を接岸させ、核搭載艦載機や空中給油機を大量に配備し、沖縄と連動して岩国基地の核攻撃機能を格段に強化するものである。それは、NLP(空母離発着訓練)基地の移設計画とあわせて、被爆地広島周辺を原水爆戦争の出撃拠点にとってかえるものであり、広島周辺一帯を再び原水爆による焦土と化してはばからぬ許しがたい策動である。
 「ミサイル防衛網」とは日本を守るものではなく、日本全土をアメリカの核攻撃基地にして、その報復攻撃からアメリカ本土を防衛する盾にして、ふたたび日本に原水爆の惨禍を強いるものである。米軍岩国基地内で、核ミサイル攻撃を想定した待避演習、米兵家族を国外に脱出させる訓練などが岩国市民を蚊帳(かや)の外においてひんぱんに繰り返されてきたことは、このことを端的に示している。
 福田政府は、歴代の政府と同様に唯一の被爆国としての責務を放棄し、アメリカの戦争のために日本の民族的な利益を根こそぎ売り渡し、破滅させる道をつき進んでいる。「国民保護計画」は、「核ミサイル飛来」を平然と想定し「核爆発の方向を見ない」とか、「風下を避けて避難する」というもので、広島、長崎の体験を愚弄(ろう)するものである。それは岩国での市民への防毒マスクの配布計画とあわせて、「2度と同じ体験をさせてはならない」と決意する被爆者、戦争体験者の激しい怒りを買っている。

 50年8・6斗争継承へ 植民地支配との対決
 昨年の8・6原水禁集会は「原爆と戦争展」を軸に広島と長崎の絆を固め、アメリカに原爆投下の謝罪を求めて、核兵器の廃絶と日本をアメリカの核戦争の盾にする策動に反対する全国的な世論を結集して開催された。集会では被爆者と戦地の体験者が団結して真実を語りつぎ、労働者と青年学生が行動の前面に立つ決意を示した。海外からの参加者は原爆投下の真実とこのような運動の存在を知って深い感動をあらわした。1950年8・6斗争に貫かれた路線的骨格を今一度明確にして、この方向をさらに力強く発展させることが求められている。
 1950年8・6斗争では、「日本軍閥の無謀な戦争に終止符をうち、本土焦土作戦から幾千万日本国民の生命を救うために、やむをえぬ手段として原爆は投下された」というアメリカの宣伝が広島を覆うなかで、被爆写真と峠三吉の詩が広く市民の中に持ち込まれ、被爆体験に根ざした新鮮な怒りを発揚、共有し、アメリカの原爆投下の目的を正面からあばいてたたかわれた。それは同時に、現実に進行するアメリカが仕組んだ朝鮮戦争に反対し、「朝鮮に原爆を使うな」のスローガンを掲げてたたかわれた。
 この間の「原爆と峠三吉の詩」原爆展、原爆展キャラバン隊の全国的展開、さらにそこで語られた体験をもとに浮き彫りにされた「沖縄戦の真実」「長崎の怒り」「下関・全国空襲」「第2次世界大戦の真実」の展示では、アメリカの原爆投下の目的と天皇制軍国主義の犯罪が鮮明に暴露されたことで、被爆者、空襲、戦地など戦争体験者の思いが激しい怒りをともなってほとばしるように語られてきた。
 アメリカの原爆投下は、戦争を終結させるためにはまったく必要のないものであった。アメリカは天皇を脅しつけ、ソ連を排除して日本を単独占領し植民地・属国にする目的のために、罪のない女、子ども、老人、学生、勤め人を冷酷に焼き殺した。原爆投下とそれにいたる沖縄戦や東京・大阪をはじめ各都市への空襲による無差別大量殺りくは、アメリカの同じ戦争目的に貫かれたひとつながりのものであった。天皇を頭とする政治家、財閥など支配層は原爆を「天佑」としてアメリカに降伏し、命乞いをした。そして戦争にかり立て犠牲を強いた人人にはなんの償いもせず、民族的な利益のすべてを売り飛ばすことでその支配の地位を守ってもらう道を選んだ。
 このような論議が岩国・沖縄をはじめ米軍基地の再編、日本全土の核基地化、「市場原理改革」につながる植民地的屈辱、さらにはアメリカのイラクでの蛮行と重ねて発展するなかで、激しい怒りが呼び起こされ、現実の原水爆戦争に反対する若い世代の積極的な行動意欲が語られている。「原爆と戦争展」を全国各地のいたるところでくり広げ、広範な人人のなかでこうした論議を巻き起こすことは、壮大な原水禁運動の裾野を形成する重要な活動である。

 戦争反対第一義に 労働者の運動再建へ
 50年8・6斗争は、労働者が中心になり青年学生、婦人、教師、文化・知識人、宗教者など各層を結集することで、国民的な運動として力強く発展した。青年労働者はそれまでの狭い経済主義的活動の誤りを確認し、「反帝反戦斗争を基本とし、日常斗争はその一環である」「経済主義的斗争をあらため階級的宣伝と国際的連帯性を強化する」ことを明確にして戦斗的な行動をくり広げた。そうしたことが、朝鮮戦争でアメリカの原爆使用の手足を縛りつけ、世界的に反響を広げる原動力となった。
 現在全国各地で被爆者・戦争体験者が労働者、青年学生に語りつぎ交流する活動が活発になり持続的に発展している。労働者の職場で「原爆と戦争展」のパネルが展示され、50年8・6のような労働運動を発展させ、60年「安保」斗争のようにたたかおうという論議が、発展している。
 アメリカのグローバリズムによる市場原理改革と深刻な過剰生産、金融危機のもとで、企業の合併・再編、倒産と失業が長期に続き、大多数の労働者が非正規雇用の低賃金、殺人的労働状況に置かれている。アメリカが日本を属国化して労働者を搾取し、農漁民、商工業者を収奪・支配し、アメリカに巻き上げる構造を支える根幹は軍事力であり、その最大の武器は原水爆である。
 労働者のなかで、職場単位の改良や個人の利益だけに目をむけていては実際にあわないばかりか、排他的で反動的なものとならざるをえないことを明確にし、核兵器の廃絶、原水爆戦争反対を第一義的課題にして、アメリカの抑圧支配と正面からたたかう高い戦略観点に立って、全人民の根本的な利益を代表してたたかうことが強く期待される。そのなかで、アジアの平和を願う中国や朝鮮・韓国の人民との友好連帯、とりわけ在日朝鮮・韓国人、イラク人民との国際連帯を強めることが求められる。
 50年8・6斗争では平和運動にもぐりこんで、アメリカの原爆投下と正面からたたかうことを妨害・攪乱する「内部の敵」と厳格な境界線を引き、妥協なくたたかうことでその発展が保障された。
 その後、アメリカの原爆投下にも「一理ある」として感謝し、アメリカ「民主主義」の欺まんのとりこになった潮流が原水禁運動の伝統を破壊し、蝕んできた。こうした日和見主義潮流は被爆市民はもとより、広範な人人から毛嫌いされ見放されている。この間の原水禁運動の再建と発展は、日和見主義と明確に分岐し、広範な人人の側から独自の運動を巻き起こすことが決定的であったことを示しており、この教訓を実践的に発展させることが求められている。
 1950年8・6型の運動が発展するなかで、下関、広島、長崎をはじめ全国で被爆者、戦争体験者が真実を語り継ぎ、労働者、青年学生との交流論議が発展し、私利私欲なく純粋に多くの人人のために献身的に奮斗する組織・集団が形成され、その活動が生命力をもって発展している。この方向をいちだんと強化発展させ、広島・長崎の本当の声を全国、全世界に広げ、岩国、沖縄など米軍再編に反対するたたかいを合流し、今年の八・六広島集会に大結集することが大いに期待される。

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