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核戦争止めるため被爆地で学ぶ 広島平和公園での街頭「原爆と戦争展」に国内外から多数の参観者 市民の思いに国境こえ共感広がる

 原爆展全国キャラバン隊は5、6日、広島市中区の広島平和公園で街頭「原爆と戦争展」を開催した。展示したパネルは、原子雲の下にいた人々の生々しい実体験から原爆投下者への怒りをうたった峠三吉の詩をベースにつくられたもの。世界ではウクライナ戦争の戦闘が長期化して多くの市民が犠牲になっている。一刻も早い停戦を求める国際世論が高まっているなかで、78年目の広島には海外からも多くの人々が訪れ、戦争・原爆の被害や影響について真剣に学ぶ姿が目立っている。国内外からの参観者は、今“核の脅威”が煽られ、核戦争がより現実的な脅威として迫るなかで、世界で唯一原子爆弾を投げつけられた広島・長崎の被害の実態や市民一人一人の思いを受け止め、全世界で戦争を阻止するための決意を強めた。

 

展示パネルを参観する国内外からの訪問者(6日、広島平和公園)

 今回の展示では、「一部の者の思惑の下に引き起こされた戦争によって、いつも何も知らない多くの無辜(こ)の市民が犠牲になる」という意見が、国内外問わず多くの参観者のなかで共通して語られた。

 

 夫婦で東京から来た50代の男性は、長時間かけて展示を参観した後、アンケートに「これまで公に知らされていなかった戦争の状況や、当時の権力者がどのように戦争を進めてきたのかを知ることができた。戦後の日本がどのような目的でアメリカを受け入れたのかを理解することができた。戦前、戦後を通して、何の罪もない善良な国民が権力者に利用され、決して真実を知らされないまますべて幕が閉じられる。このような惨事を二度とくり返してはならないと感じた。また同じようなことが起こってしまったら、この戦争で命を落とした人々が報われない」と記した。

 

 広島県内に住む20代の男性は「東京生まれ東京育ちなので、原爆のことは知っていたが、どんな被害があってどのような苦しみがあったのかまったく知らずに生活してきた。仕事で広島に赴任したことをきっかけにその実態を初めて知った」と話した。そして展示のなかで印象に残った内容について、「戦地に行った人の証言のなかに“何も分からないままどこに行くかも知らされず、弾に当たったら死ぬということすら知らなかった”という内容があった。今ならそんなはずはないと思うのが当たり前だが、当時は本当に国民は何も知らされないまま、国全体が戦争一色に染まっていたのだと思う。そして戦地に行った兵士はほとんどが餓死や病死し、日本国内に残った一般市民までも空襲や原爆で大量に虐殺された。それなのに展示の後半には“敗戦すると天皇も政府も財界も政治家もみな平和主義者のような顔をした”とあった。このことがさらに衝撃的だった。戦争を煽るだけ煽っておいて、そんなことが許されるはずがないと思う。だが、その“異常”がまかり通るのが戦争であり、“闇”の部分だと思う」と話した。

 

 ベトナムから来た女子大学生は、アンケートに「戦争は残酷だ。戦争に参加していない子どもや女性、年寄りも含め何百万という人々が戦争で死ぬ。第二次世界大戦での戦地の写真や、広島・長崎の原爆投下による犠牲者の写真を見たのは初めてだった。私の国も同じように戦争を経験しており、多くの兵士たちが戦地に行ったきり帰ってこなかったことなど、たくさんの出来事を聞いてきた。ベトナムでは、アメリカとの戦争の前まではフランスとの戦争が続いており、長きにわたる戦争で多くの人々が犠牲になっている。人間が戦争さえしなければ、美しい世界になるはずだ。政治的権力とは、卑しい権力者が握ることによってその影響が自国の市民へと向くことになる」と記した。そして「“アメリカに終戦はなかった”という展示があったが、いわれてみるとその通りだ。日本との戦争に勝利したあと、すぐに朝鮮戦争、ベトナム戦争と休みなく戦い続けている。そしてその後もずっと世界の戦争に常にかかわっている。どの国でも国民は戦争を望んでいないはずなのに」と話していた。

 

 ニューヨークから来た女性は夫と一緒に展示を見たあと「当時の大本営発表に国民がだまされていたということを初めて知った。自分はニューヨークにいるが、日本の政治にはとても関心がある。今も日本の政府もメディアも国民に大事なことを教えないし、政府だけに頼っていてはまただまされる。自分たちで情報を得て考えていくことが大切だということを、今日の展示を見てより強く思った」と話した。

 

外国人参観者の感想 「平和のために市民が連携を」

 

 海外から広島を訪れる観光客も多く、展示に足を止め長時間かけて英訳を真剣に読み込む姿が目立った。アメリカやドイツをはじめ、欧米から若い学生たちも多数参観した。外国人参観者の感想やアンケートでは、ウクライナ戦争をめぐり、再び核の脅威が煽られていることへの危機感の強まりが反映されていた。そして、一刻も早く戦争を止め、三たび核兵器による悲劇をくり返さないために、国境をこえた連携が重要との声が寄せられた。以下、アンケートの一部を紹介する。

 

 ▼この展示は原子爆弾の危険性や恐ろしさを思い起こさせるものだ。アメリカ人として、広島や長崎でのその後の影響について知ることができるチャンスはなかなかないが、私はこれらによって失われた命を悼む。ウクライナ戦争は恐ろしいことだ。世界のいくつかの超大国自身の核兵器によって、第二次世界大戦以前を想起させる緊張をもたらしている。それらの衝突はすべて必要のないものだと思う。私はニュースで報じられることから知識を得るが、ニュースだけがすべてとは思っていない。(アメリカ・23歳男性・学生)

 

 ▼世界中でこれまでおこなわれてきたこと以上に、より平和のために国家間が連携することが非常に重要だ。ヨーロッパ人として、私はドイツや日本の戦争犯罪について考えるが、アメリカやソ連による行為を忘れてはならない。戦争はできる限り早く終結させるべきだ。(チェコ・25歳男性・学生)

 

 ▼日本の市民に対するひどい扱いにとても心が痛んだ。そして展示のなかでなぜアメリカが非難されているかも十分理解した。しかし、日本の市民が軍や政府に属していなかったのと同じように、アメリカの市民もまた軍や政府には属していなかった。そしてほとんどのアメリカ人はアメリカが第二次世界大戦でおこなったことについて賛同していなかった。しかし政府はそのことについていわない。中国やロシア、アメリカ、その他の国々が核兵器を保有し続けているなかで、ウクライナ戦争は“ヒロシマ”を思い起こさせ、お互いを破壊し合うということが現実の脅威として私たちに迫っている。(アメリカ・31歳男性・溶接工)

 

 ▼日本人の側の視点から、原爆投下やその他の詳細な事実を知ることができとてもよかった。またあの悲惨な戦争にオーストラリアも関与していたことについて認識する機会を与えてくれたこともよかった。無意識な人々からは忘れ去られているが、広島や長崎の無実の人々、さらには父や母、きょうだい、子どもを亡くした日本の人々のために涙せずにはいられなかった。ウクライナ戦争が起きたことで、戦争による残虐行為が再び私たちに迫ってくることを恐れている。(オーストラリア)

 

広島市内の被爆者も 米国の人体実験に憤り

 

 原爆の日に合わせて、全国各地から学生や親子連れ、戦争体験世代が平和公園を訪れ街頭展示に見入った。また、広島市内からも被爆者や教師、若い世代などが多数街頭原爆展を参観した。

 2歳で被爆したという女性は、展示を見たあと「ABCC(原爆傷害調査委員会)のことまでしっかり書いてあって安心した。あれこそアメリカが私たちを原爆の実験台にした何よりの証拠だ」と語り始めた。原爆投下当日、女性は仕事に向かう父を家で母親とともに見送ったが、父はそれっきり帰ってこない。自身も額にガラスが突き刺さり、顔半分にやけどを負った母親に抱かれ親戚の家まで逃げたという。

 

 戦後、この女性は本川小学校の隣の神崎小学校へ通った。小学2年生になった頃から学校にABCCがやってきて連れて行かれるようになったという。女性は「当時からずっと体調が悪く、よく鼻血を流し口から何度も血の塊を吐いた。おかげで常に貧血状態でいつもフラフラになりながら学校に通っていたことを覚えている」と話す。当時、同じようにABCCに連れて行かれていた友だちがクラスに3人いたが、そこで何をされたか口外することは許されず、「親にも話すな」といわれていたという。

 

 女性は「“怖かった”という思いが強烈に残っており、それ以外あまり覚えていない。裸にされ、体のあちこちを検査されたが、何の治療もされず体調は少しも良くならなかった」と語る。小学六年生のときには、一緒に連れて行かれていた3人のうち1人の男の子が授業中に机に大量の血を吐いて倒れたという。男の子は病院に搬送されたがそのまま亡くなり、残った2人で「次はうちらの番じゃね」と話していたという。ABCCの検査は中学2年生になるまで続いた。

 

 女性は最後に「家族も友だちも原爆で殺されたが、それだけでなくアメリカは原爆投下後何年にもわたって被害を調べあげ、私たちはその実験台にされた。そのときはただ連れて行かれ怖いという思いしかなかったが、今思うと親まで殺されたあげく体の隅々まで調べあげられ、どれほど屈辱的なことかと怒りが湧いてくる。アメリカが原爆を使って人体実験をしたという歴史の証拠を残し、これから先も伝え続けてほしい」と力を込めて語った。

 

 小学生の子どもを連れて東京から来たという父親は、子どもたちに一枚一枚のパネルの内容を説明しながら長時間かけて参観し「東京では過去に東京大空襲の経験もあるが、学校ではいっさい語られることがなく、子どもたちもそんなことがあったということすら知らないと思う。ウクライナ戦争が起きていることは子どもたちも知っているが、学校では平和学習もないなかで、“戦争”とは何か、かつて日本でどんなことが起きたのか、広島に来たら何か学べると思っていた。少しでも戦争の悲惨さや恐ろしさを感じて“戦争は嫌だ”という気持ちだけでもしっかり持っていてほしい」と話していた。

 

 被爆三世だという男性は「原爆投下直後、祖母が親戚を助けに行こうとして母が胎内被爆した。そのときに、数え切れないほどの死体や馬に火が付いてもがいている姿などを目にしたそうだ。親族も数多く亡くなった。今日(6日)の式典でのスピーチを聞いていたが、誰一人としてアメリカの原爆投下に怒り、世界に核廃絶を真っ向から本気で訴えるような者はいない。そのような姿勢で原爆ドームを“観光名所”のような見世物にするくらいなら、“いっそのこと壊してくれ”とでもいいたくなるのが本音だ」と涙ながらに語った。

 

 参観者が語った内容のなかには他にも、「日本こそ核兵器禁止条約に真っ先に署名して世界に発信していく立場なのに、それをしようとしないのが悔しい」「みんなが貧乏になって戦争になったというのを見て、当時もそうだったのかと思った。戦中、戦後の記述の最後にまた貧乏になっていくことが書いてあり、ハッとさせられた」などの意見があった。

 

アンケートより 「国籍問わず次代に継承すべき」

 

 ▼78年前、この地で被爆し、人とも思われぬ姿で亡くなっていった方々がいること、生き残った後も命を守ることより「調査」を優先し人権を脅かされ、踏みにじられ、忘れ去られた人がいることを改めて噛みしめた。安保三文書が閣議決定され、大軍拡の法案があっけなく通されてしまっている今、今日目にした展示を再び現実のものにしないために声をあげていかなければならないと思う。(20代・記者)

 

 ▼当時の様子(戦争、社会、暮らし)が風化されつつあるのかと心配している。平和はとても見えにくいものだ。なぜなら日々安心して暮らすことができるのが当たり前になっているから。私は戦争を知らない世代だが、幼い頃祖父から「戦争は絶対にやってはいけない」「核兵器は必要ない」と教えてもらった。今回、G7サミットでの日本政府の見解は残念でたまらない。(福岡県・50代男性・教師)

 

 ▼とても勉強になった。犠牲者、一国民レベルでの視点が重視されていることは本当に大切なことだ。この展示をG7含む政権に携わる人たちにもしっかり観てほしいと思った。また、教科書には出ていないこの歴史の真実を、国籍を問わず次代に伝えていってほしい。(50代女性・通訳)

 

 ▼原爆の前後だけを切りとるのではなく、日本の帝国主義、軍国主義の歴史も含めて展示されているのが珍しく、有意義だと思った。アメリカの大学でも日本の帝国主義やファシズム、原爆についての授業を受けているので、日米での語られ方の違いが興味深かった。(20代女性)

 

 ▼軍部、政治家、資本家、占領軍、アメリカ、共産党、すべて平等に批判しているように思い、興味深かった。中立的立場から「あの戦争は何だったのか?」を問う必要がある。(東京都・30代女性)

 

英訳文を時間をかけて読み込む海外からの訪問客(6日、広島)

子どもたちにパネルの内容を説明する父親の姿も(6日)

 

【参考】原爆と戦争展パネル縮刷冊子パネル英訳版

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