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広島原爆資料館の展示見直し  「原爆の非人道性伝える」

 広島市の原爆資料館の展示内容見直しを進める基本計画検討委員会(委員長/今井亘・中国新聞特別顧問)は18日、整備基本計画の素案を了承した。07年1月に更新計画を定めて知識人や有識者による協議を重ねてきたもので、「軍都広島」をはじめとする加害者論、原爆の威力を加害者の視点から誇示する展示内容を全面的に改め、「被爆者の視点から被爆の実相」を展示の中心に据えることでまとまった。市民からの反発が強かった原爆投下者アメリカの視点からの展示内容が抜本的に見直されることとなった。
 
 基本計画検討委が素案了承

資料館への来館者の平均観覧時間(45分)のうち、広島が軍事的な色彩を帯びていく経過や原爆の破壊力、冷戦下の核兵器開発などを展示した東館が26分(58%)だが、被爆資料などを展示した本館にはわずか19分(42%)しか時間が割かれていなかった。
 「軍都広島」を基調とする前半部が長すぎるため、参観者には「日本軍の拠点であった広島に原爆が落とされたことは仕方がなかった」と映り、建物や核兵器の威力が強調されることで「原爆の威力は凄まじく、アメリカに逆らえばひどい目にあう」という暗い印象を与える効果となっていた。被爆市民からは「アメリカに配慮した資料館だ」「悲惨なものを意図的に隠し、原爆の実相を伝えていない」「人間の臭いがしない陳列棚ではないか」と強い批判が相次いでいた。
 今回の素案では、東館の一階の導入部分からの展示を大幅に省略し、入口から三階までのエスカレーターを新設。はじめから被爆資料や被爆者の手記、遺品などを紹介する「被爆の実相」を見学するようにルートを変更する。
 そこでは、これまでの展示が都市の壊滅的な被害が中心に置かれ、原爆の破壊力のみ強調するものであった点、「熱線」「爆風」「高熱、火炎」「放射能」など原爆の効力によって被害の様子が分類されていた構成を改め、「人間(被爆者)の視点からの被爆の実相」とし、「八月六日のヒロシマ」「魂の叫びの場」「被爆者の今日までの歩み」などのテーマで「被爆資料や遺品などをありのままに展示し、原爆の非人道性、原爆被害の甚大さ・凄惨さ、被爆者や遺族の苦しみ・悲しみなどをこれまで以上に伝える」としている。
 検討委員会では、「これまでの展示は、あまりにも物理学的、医科学的な視点が強く、被爆者の苦しみ以上に原爆の威力を誇示しているように映りかねない」「熱線や放射能などがそれぞれ別個に被害をもたらしたように勘違いされ、すべてが同時に市民を襲ったことが伝わらない」という意見が多く出たという。
 また、「軍都広島を強調することによって、原爆が落とされても仕方がなかったと因果応報的に捉えられかねない。太平洋戦争において、アメリカが戦後処理を見越して原爆を使用したという点が伝わらない」など、「じいちゃん、ばあちゃんが悪いことをしたから原爆が落とされた」といって被爆市民を黙らせて原爆投下者を正当化してきた加害者論の問題点について指摘が相次いだ。
 長年、市民のなかで問題視されていた原爆投下の正当化を助長する内容構成が大幅に見直されることとなった。
 素案は、「被爆の実相」の後、ふたたび東館へ戻り、「原爆開発から投下まで」「原爆の脅威」「核の時代から核廃絶の時代へ」「ヒロシマの復興と支援」「平和への取り組み」などの展示へ続き、最後に「観覧後の心情に配慮した場」としてメッセージや手紙を書いたり、折り鶴を折るなど「心を癒し」「平和への思いを行動に移す空間」を設置することにしている。
 「原爆投下の目的や投下に至るまでの時代背景や、原爆投下後の復興を見る上で戦前の広島の町の様子についても盛り込む予定」(資料館学芸担当)というが、具体的な展示手法や内容については触れていない。

 素案公表し意見を募集 今年度中に計画完成 

 市は、来月はじめから広報誌やホームページを通じて素案を公表し、市民の意見を募集して今年度中に基本計画を完成させるとしている。
 広島市内では、1999年に下関からはじまった「原爆と峠三吉の詩―原子雲の下よりすべての声は訴える」パネルをメインとした原爆展、原爆と戦争展が2001年から9年間にわたって開催され、広島市民を代表する恒例行事となってきた。05年からは長崎市でも開催され、被爆地の絆を深めてきた。
 それは、原爆投下者の側からではなく、原爆を受けた市民の側からその苦しみ、悲しみ、怒りを伝えること、原爆投下は戦争を終結させるためには必要なく、アメリカが日本を単独占領し、戦後社会をコントロールするための虐殺行為であったことを鮮明にすることで全市的な共感を集めてきた。市民が誰はばかることなく旺盛に被爆体験を語り継ぐ運動が進むなかで「アメリカは謝罪し日本から核をもって帰れ!」との論議が全市民的な世論として広がり、「原爆は戦争を早期に終結させた」「原爆の被害より加害責任を反省せよ」などといって市民の口を抑えつけてきた詭弁は影を潜めることとなった。
 「アメリカとの和解」を主張してきた秋葉市長は、07年に原爆資料館を運営する平和文化センターの理事長にはじめてアメリカ人であるスティーブン・リーパー氏を登用し、「原爆投下を肯定する意見の強いアジアの声に触れ、(原爆資料館を)他民族が共感、納得できるものにしたい」「原爆を落としたアメリカと唯一の被爆国日本との協力が不可欠」などと語らせて加害者論の蒸し返しを図ったが、今回の展示内容の全面見直しは、原爆投下の正当化を許さぬ市民世論の盛り上がりを反映するものとなった。
 なお、秋葉市長は、今年に入って「オバマジョリティ・キャンペーン」をぶち上げ、田上長崎市長とともにオリンピック騒ぎに興じているが、「原爆を市長のお祭り騒ぎに利用するな」「被爆地の本当の声を伝えろ」という世論は広島・長崎両市で強まっている。

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