2012年原水爆禁止広島集会(主催・原水爆禁止全国実行委員会)が6日、広島市中区の県民文化センターで開催された。広島市内では8月に入り、「広島、長崎の新鮮な怒りと戦争の真実を若い世代に、全国、世界に伝えよう!」「アメリカは核を持って帰れ!」をスローガンに第11回広島「原爆と戦争展」が産業会館で開催され、平和公園の原爆の子の像横では連日、学生たちの手で街頭「原爆と戦争展」がおこなわれた。4日には劇団はぐるま座の『峠三吉・原爆展物語』公演、5日には原爆と戦争展会場で全国交流会がおこなわれるなか、集会参加を呼びかける宣伝カー3台が全市的な宣伝をくり広げてきた。原発再稼働、オスプレイの強行配備、TPP参加など、アメリカによる植民地的政策と、国民世論を無視してアメリカのいいなりになって突っ走る日本政府への深い怒り、原爆投下から続く日本社会を根本的に変革する熱気が高まるなかで、一連の行動は広島市民をはじめ全国・世界の人人の関心を集めた。その集約点となった集会には、広島、長崎、下関の被爆者や戦争体験者をはじめ、全国から小・中・高校生、大学生、現役労働者など若い世代など450人が参加。アメリカによる原水爆戦争を阻止し、日本の独立と平和を求める運動を大結集する意気込みあふれる集会となった。
集会では67年前、アメリカによる原爆投下で亡くなった人人に参加者全員で黙祷を捧げた後原水爆禁止全国実行委員会の川村なおみ事務局長が基調報告を提案した。川村氏は、アメリカが中国・アジア支配の野望のための核ミサイル戦争の矢面に日本を立てる計画を進めていることを明らかにし、今こそ被爆者の新鮮な怒りを共有することの重要性を強調。日本がデタラメになった根源に向けて世論が高まるなかで、それを受け継ぐ若い力が登場していること、この広島・長崎の被爆市民の声を代表する運動を全国に発信していくことを訴えた。
続いて劇団はぐるま座の団員4人が登壇し、原爆詩人・峠三吉の詩「すべての声は訴える」「八月六日」「その日はいつか」の3編を朗読したあと、広島、長崎、下関の被爆者が発言に立った。
戦争を再び繰返させぬ 被爆者力こめ訴え
原爆展を成功させる広島の会の真木淳治氏は、中学3年生のとき動員先の工場で被爆して火傷を負い、多くの同級生を失った体験から、退職と同時に一念発起し、被爆体験を語り始めたことを語った。広島の会が平和を願う市民の会として組織され、私心のない団体として100名余りが原爆展運動を柱として活動していることを発言。大学生たちが昨年秋から月2回平和公園で街頭「原爆と戦争展」を始めていることに喜びを語った。「国は大飯原発三、四号機の再稼働を強行し、多くの反対を押し切り、オスプレイの配置を進めている。国民の思いより一部の人たちの強い要望に応え、米国のいいなりに決定するやり方は許すことはできない」とのべ、「広島から全国へ被爆者の声を発信しよう。一人一人の力は小さいが、多くの人の思いが集まれば大きな力になりうる。大きな波にして広げていこう」と力強く呼びかけた。
原爆展を成功させる長崎の会の河辺聖子氏は、「今福島で瓦礫の心配をしているが、長崎は人間の瓦礫。腕がない者、目玉が飛び出た者、ひどい状態だった」と、原爆投下直後の惨状を語った。戦後60年間、原爆展に近寄らずに生きてきたが、キャラバン隊に出会い運動に参加したことを語り、教育の重要性を強調。「学校の先生には原爆のことを勉強してもらい、後世に伝えてもらいたい。このまま放っておいたらまた戦争をする。このすごい世の中をどうにかして立て直さないといけない。広島、長崎が力を合わせ、全国の方と協力してよい国にしていきたい」と語った。
下関原爆被害者の会の大松妙子氏は、「67年たった現在でもあの悲惨、恐怖は脳裏から離れることはない。8月6日が来るたび、なんのための戦争だったかと考える。お国のためとは、政府や官僚、大企業の利益のためで、善良な国民を欺くためだったということだ。未来ある若者を戦場へ動員し、アメリカは日本を占領するために原爆を投下し、広島、長崎の市民は一瞬にして何十万の命を奪われ、町を廃虚にされた」とのべた。福島の人人に思いを寄せ、地震列島に五四基もの原発をつくったことへの怒りとともに、広島・長崎を復興させた経験を語り、「聞く耳を持たぬ政府、アメリカの奴隷、国民のためにならない政府、大臣はいらない。8月6日を起点とし国民が一致団結し、平和のために頑張りたたかいましょう」とのべた。
ここで5日から広島を訪れ被爆者から体験を学んできた「広島に学ぶ小中高生平和の旅」の子どもたちや引率教師など約80人が登壇し、旅に向けた署名カンパ活動や被爆者の話を聞いて学んだことを構成詩にして発表した。旅の準備の過程でこれまでにない子どもたちの積極的な行動と、地域の人人の多大な支持が寄せられたこと、13回目となる平和の旅がみんなの力でつくっていく会に発展してきたことを力強く発表。「これからも被爆者、戦争体験者の方方、お父さん、お母さん、地域の方方、その他多くの人人が私たちに託された思いを真剣に受け止め、思いに学んでいく活動をもっと強めていく」「学んだことをたくさんの人人に伝えていき、団結して活動していく」と元気よく発表し、大きな拍手が送られた。
原爆展参加の学生発言 沖縄、岩国の報告も
続いて意見発表に立った広島の女子学生は、大学での原爆と戦争展に出会うまで原爆、戦争の真実をまったく知らなかったこと、「日本の戦時中の残酷な行為が原爆をもたらしたのだという考えが根底にあり、純粋に被害としての原爆の真実をとらえることができていなかった」と口火を切った。日本の教育では戦争の真実を伝えていないばかりか、今ふたたび日本に戦争の流れが襲いかかっていると語り、「原爆は平和をもたらしたというアメリカ中心の考えのもとに教育され、真実は厚いベールに包まれている。教師を目指す者として戦争の真実を伝えることのできる人になりたい」とのべた。
平和公園でのキャラバン隊に参加し、日本各地、世界各地の幅広い年齢の人人が食い入るようにパネルを見つめ、アンケートに答えてくれたことを感動をもって紹介し、「学生は、このようなキャラバンに参加することで、さまざまな意見に触れることができるだけでなく、自分自身の考えを深めることもできる。これから私たちの世代もより深く戦争と原爆にかんして考え、知り、真実を真実としてとらえる必要がある。キャラバンの活動を通してさまざまなことを学び、活動していきたい」と語り、参加者に強い激励を与えた。
原水爆禁止沖縄県実行委員会の源河朝陽氏は、オスプレイ配備強行に激しい怒りと抗議の声を上げている沖縄県民を代表し、連帯の挨拶をおこなった。戦後67年へて膨大な米軍基地が居座っていることに、「民族的怒りがマグマのように噴出し、爆発寸前にある」と県民世論を紹介。オスプレイ配備を巡る野田政府の姿にふれ「日本には主権がなく、アメリカの意向一つで決められる、日米安保でがんじがらめに縛られていることが、今やだれの目にも明らかになっている」とのべた。名護市辺野古へのオスプレイ配備を想定した新基地建設に反対する16年間の沖縄県民のたたかいが、アメリカの戦争計画を押しとどめていることを報告し、“アメリカは核も基地も持って帰れ”の全国民的世論を喚起し、60年代の復帰斗争や“安保”斗争、70年代の沖縄斗争のような一大政治斗争・政治ゼネストに発展させていく」と、広島、長崎、全国と連帯し運動を発展させる決意をのべた。
岩国基地の拡張反対連絡会議の森脇政保氏は、オスプレイの日本配備強行で、岩国市民のなかで「野田はどこの総理大臣か、アメリカの州知事か」と怒りが語られていることを紹介。だまされ続けてきた岩国市民は、「安全性を確認するまで飛行は控える」との日米政府の言葉を一人も信用していないとのべた。「岩国市民の願いは、子や孫のために郷土と祖国日本の将来のために、基地をなくして真に独立した平和で豊かな日本を建設することだ。これはかつての第2次大戦による原爆と空襲、戦地での凄惨な体験と戦後六七年に及ぶアメリカの占領・支配による苦難と屈辱の体験に根ざしている」とのべ、「このままアメリカの属国になるわけにはいかない」と語り、「安保破棄、米軍基地撤去の全国民的大運動を起こしていこう」と結んだ。
日本立直す意欲が充満 教育や文化から突破
小学校教師の佐藤公治氏は、いじめ事件で警察が学校に強制捜査に入ったことにふれ、「戦後の政府・文科省の教育が完全に破産したことを物語っている」とのべた。このなかで「教育を立て直し、日本を変えていこうという動きも着実に大きくなっている」とのべ、上宇部小学校で「みんなが助けあって」、昨年6年生115人全員が鉄棒逆上がり、倒立、7段ピラミッド、縄跳び7分間持久跳びすべて全員達成したことを報告。子どもたちが体力的にも精神的にも強くたくましくなり、自分中心をぶっ飛ばし、友だち関係を大きく改善し、いじめを解消してきたとのべた。
この成長に欠かせなかった要因として、修学旅行での被爆者との琴線に触れる交流、平和の会・平和の旅で、被爆者や戦争体験者、農漁民や生産者から歴史的な体験や社会の生きた実際を学ぶ蓄積があることをあげ、「被爆者や戦争体験者、働く父母たちは、子どもたちを次の世代を担うたくましい後継ぎとして希望を託している」「教師は子どもを人民大衆の側からとらえるため、密室のような学校から飛び出し、働く親たち、被爆者・戦争体験者・地域のなかに入りその生活、歴史的な経験、真っ当な考え方を学びとること。その願いに立って世の中の立て直しを教育からやろうという高い志に立つことが、展望あふれる教育をうち立てる道であると確信する」と発言した。
劇団はぐるま座の本山みどり氏は大阪、宮崎、広島県下での『峠三吉・原爆展物語』公演のとりくみを報告。「どこでも戦争から続く現代の切実な実情と鋭い問題意識が語りあわれ、東日本大震災と福島原発事故、その後の復興の経過と原発再稼働、オスプレイの岩国配備まで来て日本を植民地にし、新たな戦争を企むアメリカと、それに従い国を売り飛ばす政治への怒りが全国で沸騰している」とのべた。日本を立て直す運動として各地で力のこもった運動が展開され、舞台を見た労働者が「これが本当の労働運動だ」「市民のなかに入り市民とともにやる平和運動。このような運動がやりたい」と語るなど、労働者や現役世代が使命に燃えて登場し、各地で公演を契機に全市的な原爆と戦争展が開催されるなどの広がりを紹介した。
4日の『原爆展物語』広島公演のとりくみでは、原発再稼働やオスプレイ配備などに象徴されるアメリカ追随の現代について「今こそ被爆地・広島から真実を伝えなければ」と語られ、観劇後は中高校生や大学生など若い世代が、広島県民として受け継ぎ、新しい時代を切り開くため運動の担い手になりたいと意欲に満ちた反響が相次いでいることを報告し「劇団も広島、長崎、全国の人人とともに、戦争を阻止し、真の独立と平和を築いていくために奮斗したい」と結んだ。
意見発表の後、広島の大学生が集会宣言を堂堂と読み上げ、基調報告、スローガン、集会宣言を満場一致で採択し、デモ行進へと移った。
沿道の市民が強く共感 デモ見守る姿目立つ
県民文化センターから八丁堀交差点をへて原爆ドームに向かうデモ行進のなかで、「アメリカは原爆投下を謝罪せよ!」「アメリカは核も基地も持って帰れ!」「日本を中国、朝鮮への核出撃基地にするな! 米国の核戦争の盾にするな!」「峠三吉の時期の私心のない運動の原点に返り、平和勢力は大結集し、力ある原水禁、核戦争阻止の運動を再建しよう!」などのスローガンは、沿道の市民から大きな支持と共感を得た。平和の旅の子どもたちは峠三吉の詩「八月六日」や「序」を大きな声で朗読しながら進んだ。
歩道側で一緒に進みながら「峠三吉の原爆展のデモが来たよ」と知人に連絡する人、「頑張ってください」「御苦労さまです」と声をかける人など、広島で11年続けてきた原爆と戦争展を一緒にとりくみ、参観してきた広島市民が、沿道で足を止めて、また店の中からデモ隊を見守り、集会宣言のチラシが手から手へと受けとられていった。
また初めて8月6日に広島に来たという山口県の男性は、子どもたちの姿に感動し、最後まで沿道を一緒に歩いた。栃木県から来た親子も、宣伝カーにじっと耳を傾けて「今の政府にはいいたいことがたくさんある。ぜひ頑張ってほしい」と話し、デモ隊が見えなくなるまで見送っていた。
デモ隊はこうした市民と響きあいながら市中を進み、被爆地・広島を代表する運動として圧倒的な存在感を示していた。