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記者座談会 名護市長選結果どう見るか 沖縄を戦場にさせぬ力の結集が要 秋の知事選に向けて

 辺野古新基地問題を最大の争点にした名護市長選(1月23日投開票)は、新基地反対を掲げるオール沖縄が支援した候補者が敗北する結果となった。沖縄県は今年「選挙イヤー」と呼ばれ、市町村長選や議会議員選が続くなか、7月には参議院選、9月には天王山となる沖縄県知事選を控えている。名護と同日におこなわれた南城市長選でもオール沖縄が支援した候補者が敗北するなかで、諦めムードが煽られるとともに、オール沖縄も上層部から切り崩され迷走しているようにもみえる。だが米軍基地と県民との矛盾は、はした金で解消されるものでもなく、南沙諸島では米中の軍事衝突すら現実味を帯び、再び沖縄を戦火に巻き込むものとの攻防戦に「諦める」という選択肢はない。来たる知事選に本腰を据えて挑むことが求められており、本紙は名護市長選の現地取材をもとに記者座談会をもって現状と展望を描いてみた。

 

 A 今回の名護市長選は、当初からオール沖縄が支援する岸本陣営の劣勢だった。それは市民や関係者みなが実感していた。本紙も年明けから現地入りしたが、コロナの再拡大という条件もあって、前回と比べても選挙ムードは低調で、候補者の訴えすら直接聞いたことがないという市民も多くいた。前回は市外、県外からの外人部隊が大挙して入り乱れる騒乱状態だっただけに、拍子抜けするほどの静けさだった。

 

 再選を目指す渡具知武豊市長に対して、22年前に「条件付き受け入れ」を表明した岸本建男元市長(故人)の息子である岸本洋平市議が「辺野古反対」を掲げて挑む構図となったが、渡具知陣営は辺野古問題には一切触れず、米軍再編交付金による子育て無償化政策(保育料、医療費、給食費)の実績を前面に出して「もっと輝く名護市を!」「市民の暮らしの向上を!」と生活や経済の問題に絞り、コロナ禍で疲弊した市民の足下を見るように金力を振りかざした露骨な選挙戦を展開した。

 

岸本陣営の応援をする玉城デニー知事

 このために渡具知市政を支える自民党政府は、4年間で名護市を丸ごと買収するような施策を矢継ぎ早に実行してきた。辺野古反対を唱えた稲嶺前市政の8年間には凍結されていた再編交付金は、渡具知市政になった2018年には前年度分も含めて約30億円、その後の3年間は毎年約15億円を交付され、4年間で75億円だ。それも使途の制限を解いて一般財源に回せるようにし、渡具知市政はその大半を子育て世代向けの各無償化サービスに充て、それを「4年間の実績」とした。

 

 さらに国は、この選挙に帳尻を合わせるように、国道58号線の渋滞を緩和するためのバイパス「名護東道路」を1年前倒して昨年7月に完成させた。国道の渋滞緩和は名護市にとって長年の懸案事項で、市とは関係なく10年前からおこなわれていた国の事業なのだが、これも「名護市が政府と協調したおかげ」「国とのパイプが重要」といって現職再選を有利にするよう最大限利用した。

 

 名護市は沖縄県内でも市民所得が低い地域であるうえに、長引くコロナ禍で仕事や収入が急激に落ち込んでおり、子育て世帯にとっては月数万円の支出が免除されるインパクトは大きい。市民にとっては必要な施策だが、それが基地の受け入れを前提にしたものだという認識は若い世代のなかにはあまりなかった。親世代からは「基地には反対だが、保育料や医療費の無償化は正直助かっている…」という複雑な心境が語られていた。

 

名護市長選で渡具知陣営がまいたビラ

  これに対して岸本陣営は、「辺野古新基地を絶対に認めない」ことを掲げて挑んだが及ばなかった。国が知事権限すら無効化して工事を強行したり、交付金の減額など圧力を強めるなかで、これに対峙しながら市政を運営していくことの厳しさは有権者はみな知っている。市民生活にかかわる市長選であるだけに、「辺野古反対」なら誰でもいいという訳にはいかず、候補者本人にそこに挑めるだけの覚悟と実力があるかがシビアに見極められる。岸本氏が市議として真面目にやってきたことは評価されていたが、選挙戦では「国にもの申す市政」「決められる政治」など抽象的表現が多く、市民のなかでは「大丈夫か?」「もっと迫力をもってやれ」と心配や叱咤の声も多く聞かれた。

 

 また、強みとして父親の知名度が挙げられていたが、父親の建男氏は、住民投票の結果を無視して基地受け入れを表明した後に辞職した比嘉鉄也元市長の後継であり、七つの条件を付けていたとはいえ、基地受け入れを表明した市長として認知されている。本人もこれまで保守・中道の立場で来たわけで、「父の遺志を継ぐ」というだけでは、辺野古新基地を止めるというメッセージとして受けとられ難く、国とのギリギリの攻防が続く局面で、候補者自身の独自スタンスが十分に示されたとはいえなかった。

 

  市民からは「基地問題だけでは勝てない」という意見も確かにあったが、それは基地建設を止めるためのビジョンや覚悟をもっと迫力をもって示すべきだという指摘だったと思う。だが、陣営としては「私たちも子育て無償化を継続します」の方へ傾斜していき、両陣営の論戦は「市長が変われば無償化を継続できない!」「いや、別の財源でもできる!」といった財源問題に収斂(れん)され、最後はなんだかスーパーの値引きセール合戦のような様相になっていた。全体として受け身の選挙戦だったという印象だ。

 

 「辺野古新基地が最大の争点」といわれながら、市民のなかにある問題意識と、表でくり広げられる選挙戦との間にかなり乖離があったし、それが世論調査では辺野古新基地反対が6割、7割を占めながら、選挙では大差で負けた主な要因ではなかったかと思う。

 

  これまで80~76%台で推移してきた市長選の投票率が7割台を切ったのも史上初だ。盛り上がりに欠けた選挙だったことを示している。コロナや天候のせいだけではない。

 

  市民のなかでは辺野古新基地問題については反対が圧倒的だし、ようやくコロナ禍が落ち着き、「さぁ、これから」と意気込んでいた矢先に米軍由来の新型コロナの再拡大が始まり、検査もせずに好き勝手に遊び回ってコロナを振りまく米軍や、それを補完する日米地位協定の改定にすら言及しない日本政府に対して「いい加減にしろ!」の感情は強烈なものがある。観光業をはじめ各種産業がまたも一斉に休業や自粛に追い込まれ、学校から保育園まで休校になり、みんなが頭にきている。

 

 選挙後、市民からも「名護市民は辺野古を容認したわけではない」という声が多く聞かれ、「渡具知に入れた人たちもこの苦境を乗り越えるための当面の選択でしかない」と語られていた。オール沖縄側としては、この新局面に対応したたたかいができなかったことは事実で、有権者の側の考えが変化したのではなく、上層部が対応できていない問題として総括が必要だろう。

 

  「新基地反対というだけでは現状はなにも変わらない。現状ある米軍基地の重圧をどうするのか。むしろ、キャンプ・シュワブ(辺野古を含む名護市にある米軍基地)の返還に踏み込むくらいの覚悟が必要だ」と指摘する知識人もいた。

 

 「95年の米兵による少女暴行事件以来、在沖米軍基地の整理・縮小、撤去という課題が、“世界一危険な普天間基地の返還”に矮小化され、それが“辺野古への移設問題”へとすり替えられてきた。世界一危険な基地は、普天間の数倍の事故が起きている嘉手納基地なのに、それには触れない。宮森小学校の墜落事故を忘れたのか。普天間基地では運用停止どころか、現在もリニューアル工事が進められており、辺野古ができた後の返還の確証すらない。現状の基地が動かないのであれば、目先の経済要求に絡めとられていく流れにならざるを得ない。空砲ではなく、実弾を込めるべきだ」という指摘だ。これらすべてを名護市長選だけに委ねることには無理があると思うが、いずれにしても秋に控える本丸の知事選に向けて県民世論をどう束ねて行くかが問われている。

 

経済的支配へ怒り充満  税金使った選挙買収

 

 C 市長が誰になろうと辺野古の工事を進めてきたにもかかわらず、その迷惑料である再編交付金が、誰が市長になったかによって交付されたり、されなかったりすること自体、国による公然買収だ。選挙の公平性などそっちのけで、このような税金を使ったアメをバラ撒くことが国策の常套手段になっている。

 

 米軍岩国基地がある山口県岩国市でやられてきたことともそっくりだ。岩国でも、2006年の艦載機移駐の是非を問う住民投票では約9割が反対の意志を示したが、当時の安倍政府は、移駐計画に反対した井原市政に対して、すでに着工していた市役所改築の補助金まで凍結して兵糧攻めをおこない、「このままでは夕張(財政再建団体)になる!」と大騒ぎして市長の首をすげ替えた。その後は、特定防衛施設周辺整備調整交付金(特防交付金)、米軍再編交付金を注ぎ、それを財源に給食費や医療費の無償化をおこなっている。

 

 子どもが使う給食食器に「再編交付金事業」と刷り込んで、「そこまでするのか!」と物議を醸したことすらあった。これによって移駐を既成事実化し、ますます基地マネー依存に浸らせるという手法だ。それが強まれば強まるほど、米軍や国の意向には逆らえなくなり、基地由来の新型コロナ感染爆発が起きても市長は抗議の一つもできない有様だ。

 

 その一方で、岩国基地は2倍化したうえに、軍用機は120機、軍関係者1万人体制となり、嘉手納基地をこえて極東最大の基地となった。基地沖合埋立のための土砂を削りとり、跡地には病院や学校を兼ね備えたニュータウンの建設が約束されていた愛宕山は赤字を理由に防衛省に売却され、そこに米軍住宅が整備された。海側にも山側にも米軍基地が拡張され、オスプレイやF35といった各種軍用機の飛来が倍増し、大型艦船も頻繁に寄港する一大軍事拠点化が進んでいる。

 

 国策に従うならカネをいくらでも出すが、それは有事の際には真っ先にミサイル攻撃の標的になること、市民が基地を守るための人柱となることの見返りでしかなく、まさに地獄の沙汰もカネ次第。交付金凍結の脅しで札束で頬をひっぱたいて、故郷を売り、命を的にすることを強いるものだ。

 

愛宕山にできあがった米軍住宅(岩国市)

  同じ国策として持ち込まれた福島原発の地元・双葉町を見ても、東電からの寄付や国からの電源開発交付金が注がれて、町には劇場やスポーツ施設などの立派なハコモノができ、電気代減免や生活支援金などの恩恵があったが、事故後には誰一人住めない町になってしまい、いまや核廃棄物の最終処分場にされようとしている。基地による被害はもっと悲惨だ。ミサイル攻撃を受ければ一発で、基地の恩恵など一瞬にして吹き飛んでしまう。いかなる豪華な施設ができようが、たちまち戦場になる関係だ。基地がある限り、それは生命を人質にした豊かさでしかない。

 

  有事だけではない。沖縄ではこの間、米軍基地で使う泡消火剤に含まれ、半永久的に分解されないといわれるPFOS、PFASといった有害物質が下水や川に長年垂れ流され、水道水にも混入していたことが判明し、健康を脅かされる可能性のある住民は飲料用にミネラルウォーターを買って飲んでいるという。日米地位協定によって守られた米軍による犯罪や事故、騒音問題なども含め、「基地か、生活か」といった問題の立て方自体がナンセンスで、基地問題は生活問題そのものだし、大多数の県民にとって生存にかかわる問題だ。

 

  基地による振興のインチキについても、土建業者は実感を込めて語っていた。かつて辺野古の見返りとして自民党政府がおこなった北部特別振興事業では10年間で1000億円の振興費が注がれたが、それらのほとんどは本土のゼネコンが吸い上げていった。当時、一生懸命推進の旗を振った地元の中堅業者は次々に潰れていき、地元で恩恵を受けたといえば、建設業協会を牛耳っていた東開発(砂利業者)などの大手数社だけで、残った地元業者はそれらの企業の子会社化されたあげく債務を負わされて潰れていった話など、生々しい現実が語られていた。

 

 辺野古の埋立事業を見ても、大成建設・五洋建設のJVには國場組(那覇)、安藤・間と大豊建設のJVには大米建設(宮古)、大林組・東洋建設のJVには屋部土建(名護)と、本土ゼネコン傘下に地場大手がぶら下がる利権構図ができあがっている。

 

 沖縄国際大学の前泊博盛教授によれば、2008年~19年にかけてJVを組む大型事業では、多いときでは7割が県外企業に環流されているという。実質は「本土ゼネコンのための事業」になっているのに、さも沖縄にカネが落ちているかのように喧伝され、「沖縄は基地がなければやっていけない」といういわれ方をする。

 

 福島の被災者に「最後はカネ目でしょ」といって辞任した自民党の環境大臣(昨年の衆院選で落選)がいたが、名護に投じられている再編交付金なども年間400億円の歳入のわずか3・7%というわずかなカネだ。「行政がこれに頼って他の予算をとる努力をしなければ、基地マネー依存が高まるというだけで、全体の歳入が増えるわけではない。その引き換えに押しつけられるものは何かを考えなければいけない」と指摘されていた。


  名護市の旧消防跡地を市長の親族企業に転売していたことも「私物化は今に始まったことではない」と受け止められていたし、防衛マネーに群がるボス支配の歴史と合わせて辟易とした思いが語られていた。「いくらカネが注がれても沖縄の所得が低い問題は解決されず、むしろそれによって自立の道が閉ざされてきた」「国とのパイプで地元が潤うという幻想はもうない」ときっぱり語る土建業者もいた。

 

寂れる辺野古社交街

 C 基地由来のコロナ感染爆発をみても「どこが安全保障だよ!」という状態で、陣営を問わず、安全保障のために米軍基地の必要性を訴えるものは誰一人いなかった。1日100万人もの感染者が出ている米本土から検査無しで入ってきて、ノーマスクで基地外をうろつくものだから、国内の米軍基地で同時多発的にオミクロン株が広がった。「出てくるな!というか、出て行け!」というのが県民の本音だ。

 

 そのうえ辺野古は手の施しようのない軟弱地盤で工期もあと12年以上もかかり、使い物になるかすら定かでない。だから自民党も選挙で辺野古問題を封印し無償化一本でしか選挙ができなかったわけで、その意味では手詰まり状態といえる。

 

  沖縄戦や日本復帰前の米軍統治という厳しい時代を経験した世代からは「基地容認に繋がるような選択はできない」「何があっても基地問題が第一の争点」といわれ、候補者云々というよりも基地反対の意志表示として投票した人も多くいた。沖縄戦や復帰前後の厳しい経験とともに「基地に賛成する県民はいない」と口を揃えて語られるし、正念場となる知事選に向けて「オール沖縄しっかりしろ!」といわれていた。国の思惑は、むしろこの結果を利用して玉城知事なりオール沖縄の動揺を誘い、県知事ポストをもぎとっていくことにあると思う。

 

台湾有事の攻撃拠点に  南西諸島も米軍使用

 

 C 目先のことに目が行きがちだが、広い視野で沖縄の現状を考える必要がある。沖縄の基地問題といったら辺野古に釘付けにされがちだが、本当にそうだろうか。なんだか、それ自体もフェイクであるような気がしてならない。辺野古に視線が釘付けにされている間に、岩国から九州一円、南沙諸島にいたるまでコッソリと米軍再編は進められ、岩国なんてほぼリニューアルされるほど大増強となった。

 

 そして、いまさかんに台湾有事や中国脅威論が煽られているが、かつての大戦で捨て石にされた沖縄を、今度は米軍の戦争のための捨て石にするという日米の戦略方針がある。鹿児島から台湾にかけて弓状に連なる島々(琉球弧)を不沈空母に見立て、中国艦船が太平洋に展開することを阻止するというもので、アメリカの中国包囲網の前線に沖縄を据えようとしている。

 

 この数十年来、辺野古問題に全国の視線を釘付けにしている間に、石垣や宮古島など国境の島々、さらに南西諸島全体にミサイル基地が配備されてきた。本土でも「普天間の負担軽減」といいながら、自衛隊基地の米軍との共用化、民間空港の米軍使用、米軍の実弾訓練場の移設など、日本列島全体の沖縄化が進められてきたのも、この計画に沿ったものだ。

 

 昨年12月末に公表された日米共同作戦計画原案は、台湾有事を想定し、鹿児島から沖縄地域一帯にまたがる南西諸島に米軍の攻撃用臨時拠点を設置するというもので、現在進んでいる自衛隊基地は米海兵隊を支援するための配置だ。自衛隊がミサイル基地を配備している奄美大島や宮古島、八重山諸島、沖縄本島など40カ所が、米軍の攻撃用軍事拠点の候補地にあげられている。国会で「敵基地攻撃能力」の是非を云々しているが、実態は先行しており、ことは急速に進んでいる。

 

 「ミサイル攻撃から国土を防衛する」「地震などで災害対応が可能になる」などという建前で自衛隊配備を強行しておきながら、殴り込み部隊である海兵隊の攻撃拠点にするのだから、防衛どころか他国を挑発する矛となり、真っ先に報復攻撃の的となる。有事のさいは米軍の作戦指揮のもとに自衛隊が兵站や護衛などの業務を担い、地元自治体や住民はそれに従わされ、かつての沖縄戦と同じく命を的にされる関係だ。

 

6万5000人が集結し海兵隊の撤退を求めた沖縄県民大会(2016年)

 B 「政府はあの大戦で20万人もの犠牲を出した沖縄を再び戦場にするつもりだ。米国が戦争をすれば、その報復は米国にではなく沖縄に来る。1日も早い基地の全面撤去こそ沖縄の安全保障だ」と自民党県連の元幹部でさえいっていた。このような大がかりな捨て石作戦に立ち向かう新局面を作り出さなければいけない。

 

 A 「基地は最大の経済発展の阻害要因」(故翁長知事)という認識が県民の中には定着してきたように、ミサイルが飛んでくることを想定しなければならない状態では経済発展もなにもあったものではない。

 

 県民の4人に1人が犠牲になるほど凄惨を極めた沖縄戦を経て、米軍統治下に置かれた沖縄は、米軍のブルドーザーと銃剣によって強制的に土地を奪われて以来、優良地の多くを米軍基地にとられ、歴史的に自立経済の芽が摘まれてきた。

 

 「沖縄は基地によって成り立っている」といわれたのは復帰前までの話で、県民総所得における基地関連収入の割合は、復帰直後(1972年)の15・5%から、2015年には5・3%にまで低下している。焦土のなかから沖縄県民の血のにじむ努力のうえに復興を成し遂げ、現在ではアジアに近い地の利を生かして物流面でも観光面でも成果を上げ、国の振興費3000億円をこえる税金を国に納めるまでになっている。

 

 基地返還後の土地の民間利用によって、那覇の新都心(米軍牧港住宅地区)は32倍、同じく小禄地区では14倍、北谷町の桑江・北前地区では実に108倍も基地の時代よりも経済効果が増加している。普天間基地だけでも返還後の直接経済効果を試算すると現在の32倍に跳ね上がるという。「沖縄は基地収入に頼っている」という認識は過去のもので、沖縄経済の桎梏である基地をとり除き、産業振興と近隣諸国との平和的な関係の構築こそが沖縄の未来を切り開く道であることは明らかだ。辺野古問題に限らず、沖縄を前線基地にする大がかりな計画はこれと真っ向から逆行するものだ。

 

 だからこそ保守や革新の枠をこえて新基地建設に反対する「オール沖縄」という枠組みが生まれたし、その底流の世論は弱まるどころか、逆に強まっていると思う。

 

歴史的な島ぐるみの力  頑強な基地撤去世論

 

 C もともと沖縄の反基地闘争には保守も革新もない。沖縄戦による皆殺し作戦からつづく異民族支配に対して、島ぐるみでたたかってきた歴史がある。翁長知事の死後、オール沖縄のリーダー不在や、膠着した革新政党が主導権を牛耳っていること、経済界への圧力が強まって金秀グループが離脱するなどの問題点が顕在化しているが、オール沖縄が県民の総意のうえに成り立つ政治勢力である以上、下からの力でその迷走をただしていくことが求められている。

 

 いわゆる政党が主人公の組織ではないし、仲井眞元知事の裏切りや、自民党国会議員の公約覆しなど政治の欺瞞についても、その都度きっちりと灸を据えてきたのが沖縄県民だった。この下からの島ぐるみの力がオール沖縄を支え、押し上げてきた原動力にほかならないし、そこから離れたり、ぶれたりするのでは、「オール沖縄」でもなんでもない。オール沖縄という看板だけをかかげた国政野党の寄り合い所帯みたいにする筋のものでもないし、または逆にあれこれの理由を並べて180度立場を変え、元鞘に収まろうとする節操のない連中についても県民の目は厳しい。そもそもの動機が不純だし、何度も見てきた光景だからだ。

 

 B 今年は沖縄の日本復帰50年の節目でもあるが、サンフランシスコ講和条約による見せかけの独立後、本土が日本政府による間接統治に移行したのに対して、沖縄ではその後も米軍による直接統治下に置かれ、土地は強制的にとりあげられ、撃ち殺されても文句もいえず、生存権も財産権もない屈辱的な占領状態を27年間も経験した。

 

 基地労働者たちも全島で数万人規模のストライキをして、米軍の銃剣に立ち向かった。県民を轢いた米軍をMPが逃がそうとしたことに端を発して米軍車両を焼き払ったコザ騒動にしても、沖縄県民を虫ケラのように扱う米軍支配への抵抗として今も誇り高く語り継がれている。

 

米軍車両を焼き払ったコザ騒動(1970年12月、沖縄市)

基地労働者2万人のストライキに銃剣を突きつける米軍(1969年)

 米軍は解放軍でもなければ、日本を守るものでもなかったことは沖縄の全経験が示している。だからこそ復帰闘争も日の丸を掲げて独立を求める大規模なたたかいをくり広げたし、その経験はいまも脈々と沖縄県民の底流に流れている。「県民が一つになった時には比類のない力を発揮する」(故・翁長前知事)のが沖縄であり、県民のなかにはそのような互いの信頼関係がある。

 

 同時に、そのうえに乗っかって党利党略の具にしたり、それを裏切るものについてはシビアに審判が下されるのも事実で、いわゆる「オール沖縄」や玉城知事に対する「しっかりしろ!」という県民の声は、ただ「選挙で負けるぞ」というだけの警鐘ではなく、県民を信頼し、県民とともに最後まで断固としてたたかえ! という叱咤だと思う。

 

 C いま辺野古埋立に沖縄戦戦没者の遺骨が眠る南部の土砂を使うことに反対する遺骨ボランティアや遺族たちの運動、知識人らによる「命どぅ宝 沖縄・琉球弧を戦場にさせない県民の会」の立ち上げなどの動きが広がっているが、そのような県民のなかから日米政府に対峙する力を再構築していく努力が進められている。4年前の知事選でも、翁長知事なきオール沖縄の空中分解が心配されるなかで、県民投票を実現させるための10万人署名を短期間でおこなうなど、下からの実力行使で問題を解決させ、統一させて局面を動かしていった。

 

  メディアが煽る「保守vs革新」とか「保守+革新」のような手法の問題に切り縮めて、大多数の県民のところに足場がないというのではたたかいようがない。あくまでも島ぐるみの県民の力に依拠する以外になく、沖縄を再び核戦争の戦禍に巻き込むという現実的な脅威に対して、それを阻止する力を幅広く束ねていくことが必要ではないか。それは本土にとっても他人事ではない課題だ。「沖縄vs本土」で団結すべき相手と対立するのではなく、沖縄と本土の現状を共有し、互いに呼応したたたかいを足元から起こしていくことが求められている。

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