いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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あきらめないこと、だまされないことの大切さ ー国策に抗う上関の教訓と重ねてー

 安倍政府が名護市辺野古の新基地建設のために土砂投入を開始した。わずか2カ月前の県知事選において、新基地建設反対を掲げる玉城デニー氏が大差で勝利をおさめ、揺らぐことのない民意を示したにもかかわらず、あの選挙で撃退された側があろうことか、県民感情を逆なでするかのように沖縄を弄び、地方自治や民主主義を蹂躙することで力を誇示したつもりになっている。こうして既成事実を積み重ねることで、アメリカに向かって「私たちはやってます」とアピールしていると同時に、抵抗する者には「オマエたちが何をいっても無駄なのだ」というメッセージを放っているのである。アメリカのポチが、異論を唱える国民、大衆を弄んで喜ぶ。そのような子どもじみた癖を備えた政府であることを万人に教えている。東京にとぐろを巻いた「一強」の思い上がりは相当なものである。

 

 辺野古新基地建設は客観的に見て、まだまだ完成など遠い先の話であり、強行する側にとって乗りこえなければならないハードルは山ほどある。県知事や地元自治体である名護市の許認可を必要とする案件も複数ある。ここにきてとり沙汰されるようになった軟弱地盤の問題をはじめ、物理的な障害も多多あるのが実際だ。今回の土砂投入が暴挙であることはいうまでもないが、それ自体「もうダメだ…」「何をやっても無駄なのだ…」と敗北感を抱かなければならないような代物ではなく、長い長い過程の、一局面における政府側のパフォーマンスにほかならない。諦めを煽るための強行策であり、沖縄への挑発行為という意味合い以外には何もないのである。

 

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 こうした諦めを煽るやり口は、国策を遂行するさいの常套手段なのかと思うほど山口県民にとっても馴染みが深い。既に40年近く続いている上関原発建設計画でも、センセーショナルに「公有水面の埋立着手」等等とメディアを通じて騒ぎあげ、「反対しても原発はできるのだ…」というメッセージを放ったことがあった。東日本大震災が起こる前に、実際に山口県でくり広げられていた大がかりな茶番劇である。

 

 原発予定地にはゼネコンが乗り込んで樹木を伐採したり土を掘り起こし、建設工事を開始したような大大的なパフォーマンスをやり、海にブイを浮かべたり、大型作業台船から石ころを投げ込んでみたり、年に一度は必ずセレモニーをやっていた時期があった。そのようにして反対派の気持ちを萎えさせ、水面下では「どうせ原発ができるなら、漁業補償金を受けとった方がいいのではないか…」と祝島を懐柔していた。祝島が諦めて漁業権を手放さなければ漁業権放棄が確定せず、中電は海に手をつけられないにもかかわらず、まるで「漁業権問題は解決済み」であるかのような人欺しをやり、補償金受けとりを迫ったのだった。

 

 なぜ1年に一度だけ「埋立工事に着手」のパフォーマンスをしていたのか? 本来であれば関係漁協すべての漁業権放棄への同意が前提となるのに、先走って県知事が公有水面埋立許可を出してしまい、1年以上事業者が何も工事しなければ許可とり消しになり、3年で完成できなければ許可とり消しだけでなく原状回復が求められるからだった。したがって1年目にはブイを浮かべ、2年目は石を海に放り込み、公有水面埋立法の体裁をつくろっていた。しかし、そのような諦めを煽る欺しの手口は暴露され、祝島が補償金の受けとりを拒んだため、現在も原発計画は宙に浮いたままである。

 

 「原発はできるのだから、諦めて補償金を受けとれ」といっていた推進勢力は、最近では「原発は(福島事故も起きて)できないから受けとれ」と真反対の工作をやっている。要するに受けとらせて漁業権を放棄させたいという魂胆を丸出しにしている。推進勢力が諦めない限り、こうした「勝つまでジャンケン」のような執拗な攻勢が続くわけで、対抗する側にとっては心が折れたときが敗北である。

 

 辺野古以上に息の長い37年に及ぶ国策とのたたかいにおいて、諦めない、だまされない、一局面を押し切られた程度でくじけないことがいかに重要か、山口県でも身をもって体験してきたが、諦めずにたたかっていることで全国からの支援があり、原発はいまだ建てさせていない。これは国策とのたたかいにおいて、40年近くかけて得た重要な教訓である。

 

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 沖縄県という地方自治体の政策選択にお構いなく、また知事が何をいおうが聞く耳を持たないのが安倍政府だ。公有水面埋立法も超法規的な手段によってなし崩しにし、議会制民主主義や地方自治の建前すらも超越して、国家権力がムキ出しの力を行使して米軍に奉仕する。「銃剣とブルドーザー」を米軍ではなく、今度は日本の為政者が成りかわって実行している。

 

 「勝つことは諦めないことだ」と玉城知事が辺野古現地を訪れ、目の前にいる数百人だけでなく全県民に向かって鼓舞激励の言葉を発していた。故翁長知事が叫んだ「うちなーのぐすーよー、負けてーないびらんどー(沖縄の皆さん、負けてはいけません)」の言葉とともに--。戦後からこの方、73年にもわたって続く米軍支配とのたたかいは、まさに諦めるのではなく何度でも起き上がって抵抗し、米軍基地のない沖縄を求める不屈の魂によって支えられてきた。対話ができない力業一辺倒の中央政府に対して、目先の局面だけに一喜一憂するのではなく、全沖縄の県民世論を束ねて対抗するなら、新基地建設を阻止することは十分に可能だ。基地建設の終了よりも前に倒壊するのは、むしろ安倍政府の側である。

 

 土砂投入は沖縄県民への明確な挑発であり、同時に全国で原発やイージス・アショア配備などの国策と対峙し、民主主義を求める国民への挑発でもある。法治国家の建前が音を立てて崩壊するなかにあって、ムキ出しの権力にどう対抗するかが問われている。それは沖縄に限った話ではない。入管法改定、水道法改定、TPPに続く日米FTA等等、国益を多国籍金融資本に売り飛ばし、日本社会の安売りをして恥じない勢力が、金力と権力だけは握らされ、改憲前から国の枠組みや法治国家としてのルールをオレ様ルールへとねじ曲げている。こうした状況を担保しているのもまた、政治不信すなわちあきらめである。

 

 混沌とした時代ではあるが、心がへし折られるくらいなら、逆にへし折ってやるくらいの強靱なパワーが必要とされている。日本社会がぶっ壊されることに対して、あきらめるわけにはいかないのが現実だ。

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