(2026年9月18日付掲載)

沖縄県知事選のポスター掲示板(9月)
任期満了にともなう沖縄県知事選が13日に投開票され、自民、維新、国民、参政、公明、保守の6党が推薦した前那覇市副市長の古謝玄太(42)が、三選を目指した現職の玉城デニー(66)を大差で破って初当選した。政治的な立場をこえて辺野古新基地建設阻止の一点で結束する「オール沖縄」を提唱した翁長雄志元知事から玉城デニーへと引き継がれた県政運営は3期12年で一つの区切りを迎えた。だが県政と国との対立が解消したとしても、「日米安保の強化」を叫ぶ日本政府は、近隣国との緊張を高めながら全国的な軍拡を展開しており、その最前線に位置づけられる沖縄において、広大な米軍基地を押しつけ自衛隊配備を進める日米政府と県民との矛盾は何一つ解消していない。そのなかでおこなわれた沖縄県知事選の結果から何をくみとるか――本紙は記者座談会で整理した。
国政に抗う島ぐるみの力は健在

敗戦を受け止める玉城デニー候補(13日)
A 事実上の一騎打ちとなった選挙結果をみると、自民・維新をはじめ国政6党の推薦を受けた新人の古謝玄太が42万3124票(過去最多)を獲得し、「オール沖縄」が推す現職の玉城デニーは前回から6万3707票減の27万6060票にとどまり、14万7000票もの大差で敗れた。
投票率は61・57%。翁長知事が急逝し、玉城デニーが初当選した2018年の知事選(63・24%)には及ばないものの前回から3・65㌽増だった。過去4番目に低い。
各メディアの出口調査によれば、前回選挙で玉城に投票した有権者の約2割(7万票)が古謝に入れたとされる。純粋に7万票が玉城側から古謝側へ移動したとすれば、両者の票差は2倍の14万票となる。下地幹郎の出馬辞退と古謝支援などの動きもあったが、このような票の移動が起きたことが今回の大きな特徴だろう。
B 結果的には、オール沖縄が掲げてきた「辺野古新基地反対」という玉城陣営にとって唯一にして最大の大義が、今回の選挙では主要な争点にならなかった。各社の出口調査では、依然として辺野古新基地に「反対」が半数を占めており、当選した古謝自身も「選挙結果をもって直ちに県民多数が容認しているとは考えてない」と慎重にのべているように、新基地建設に対する県民世論が大きく変わったわけではない。沖縄県民の民意は、県民投票でも、過去3回の知事選でもすでに十二分に示されてきたのだ【表参照】。

だが、辺野古新基地をめぐる国と県の法廷闘争は最高裁での敗訴が確定し、国は知事権限を奪う代執行で地盤改良工事を進行させている。3期目を目指すにあたり、玉城県政が求心力を持つためには新たな対抗策や展望を示さなければならなかったが、それができなかったことによる票離れだろう。
逆に、今回の知事選で玉城陣営が掲げた公約「7つの政策の柱」からは、それまで最重要の看板だったはずの「辺野古新基地建設反対」という言葉が消え、「循環経済」とか「誰ひとり取り残さない優しい沖縄」など、実績に直結する経済や暮らしに重きが置かれていた。街頭演説でも「辺野古」とか「オール沖縄」という言葉を極力使わなくなり、聞かれたときだけ「容認できない」という立場を訴えるだけだった。予算措置や県民生活を人質に取られた状態で、「辺野古」一本で対抗する県政の限界を本人自身が認めていたような印象を受ける。
C 支援者からも「選対が体を成しているのかと思うほど緩慢な選挙態勢だった」「前回と比べても勢いが感じられない」「支援者グループ内の連絡網でも“辺野古には触れるな”という通知が来たり、電話がけでも“県税収は過去最高で経済は停滞していない”など、経済の好調さだけ訴えるように意思統一されていた。県民の厳しい生活実感とかみ合ってなかった」と語られていた。国とのギリギリした攻防の中で、人柄の良さや聞こえの良い言葉の言い回しだけでどうこうなるものでもない。
A 知事とはいえ一地方の首長にすぎず、財源を握り、司法まで操る国に対抗し続けることには限界はある。地方自治体の生殺与奪権を握る国が一切の対話を拒み、強権で屈服を迫るなかにあって、知事としてその矢面に立ち続ける過酷さは誰もが認めるところであり、彼が翁長知事から受け継いだ姿勢を曲がりなりにも最後まで貫いたことは多くの県民が評価しているとは思う。NHKの出口調査でも「玉城県政を評価する」は6割強を占めていた。だが「これでは次の4年は持たない」というのが、県民が下したシビアな判断だったということだ。
C 過去4番目に低い投票率にもあらわれているが、かつてなく静かな知事選だったという印象だ。国政政党の党首などがこぞって現地入りしたり、SNSでいくら外部がヒートアップしていても、現地ではいつになく多くの有権者が候補者の演説を聞きに押し寄せるような光景もみられなかった。県民にとっては苦渋の選択を迫られた選挙であり、「外部の熱気に煽られた」とか「新しい風が吹いた」などといえる代物でもない。
圧勝の先に待つ茨の道 6党推薦の古謝陣営

陣営の開票センターで当確の報道を見つめる古謝玄太候補(13日)
B 一方の古謝陣営には、国政6党がまぶりつき、早い段階で徹底した組織戦を展開した。「若さ」「国とのパイプ」「経済最優先」「10年間で手取り2倍」などを売り出し文句にしつつ、表舞台では現職批判を封印したようだ。国にあれだけ翻弄されながら「誰のせいにもしない沖縄」なんていっていたが、これが特に受けたとも思えない。
そもそも「基地問題より経済」というのは、沖縄では使い古された手法であり目新しさはない。沖縄の選挙で自民党がやることといえば、これまでの知事選でも「大型サッカースタジアムの建設」「プロ野球球団の創設」「USJ進出を支援する」「携帯料金を4割削減」「那覇から名護を結ぶ鉄軌道敷設」等々、大風呂敷を広げるだけ広げてきた。それでも県民は相手にしなかったわけで、今回も目玉政策として強調された「10年間で県民所得(手取り)2倍」が多くの県民の心を揺さぶったかといえば眉唾ものだ。
「10年で県民所得2倍」を達成するには、年率7・2%ずつ実質所得が伸び続けるということになるが、そもそも日本の実質GDP成長率が年率1%も満たないなかで、沖縄単独で毎年7%の経済成長というのは高度成長期並みの猛烈なブームが作られなければ不可能な話だ。なんの根拠もないし、印象操作の域を出ない。たとえ2期続けたとしても10年後の結果にはコミットできないのだから、初めから空手形だ。それでも「国が金を出す」というメッセージとしてはそれで十分だった。
C 一方、国から交付される沖縄振興予算は、仲井眞知事時代に「2021年までは毎年3000億円台」を約束したが、辺野古新基地に反対した翁長知事時代になると200億円の減額、2022年からは2600億円台にまで削り込まれた。国策に従わない地方に対する露骨な経済制裁――これが現実の沖縄に対する国の扱いだ。いわゆる集団懲罰に等しい。
県内をみると、少しは改善したとはいえ、県民所得は全国最下位、子どもの貧困率も全国ワースト1位のままだ。離島であるため物流コストは高いし、広大な基地があるために鉄道が敷設できず、渋滞もひどい。ガソリン代など物価高の圧迫感が強いのも沖縄が抱える構造的問題だ。
県民を貧困状態に置きながら、沖縄振興予算の大部分は大規模港湾、高規格道路、滑走路増設などの大型インフラ整備に注がれ、それをいくら県内企業が受注したとしても、契約金額ベースでは5割以上を本土のゼネコンが吸い上げていく構造になっている。底なし沼のように国費を吸い込んでいく辺野古の工事はその典型例だ。
観光収入も過去最高の1兆円に達したとされるが、もうけているのは外資・中央資本ばかりで、地元への歩留まりは25%程度だという。「かねひで」や「りゅうせき」「かりゆし」など地場資本は次々にホテル事業から撤退したり、外資への売却、縮小を余儀なくされている。
今回、辺野古容認の古謝が当選したことをもって、国は沖縄振興予算をまた3000億円台に回復させるというが、「いくら国費が投じられても沖縄が貧困から抜け出せない構造的問題を解決するグランドデザインが描かれなければ無意味」と喝破する識者もいた。これまでの経緯からしていつもの茶番であり、華やかな夢物語を描いている県民はあまりいないと思う。
A 古謝陣営には多くの国政政党が相乗りしたが、沖縄を兵糧攻めにしてきた面々をバックに「誰のせいにもしない沖縄」などというのだから、「いわされてるだけじゃないか…」というのが大半の県民の受け止めだろう。彼を古くから知る人ですら興ざめして見ていた。それでも基地負担は軽減されず、予算も減額されるという状態では、これ以上できないことを求め続けるよりも、できることをやらせようという判断が動いたということだ。選挙結果はそれ以上でも以下でもない。「この国の政府には基地問題を解決できるだけの当事者能力がない」(翁長知事の言)と見なされた、それだけの話だ。
今回の古謝擁立には、地元経済団体が結束して動いたという。「若さ」「世代交代」「県政刷新」というプロデュースの仕方だが、国から予算を引き出したい経済界にとって「最も使い勝手の良い駒」と見る向きもあり、各政党や支持母体(それぞれに繋がった業界)からの要望をすべて盛り込んだ総花的な公約がどこまで実現性を持つのかはまったくの未知数だ。
C かつての知事選では自民党の首相や閣僚、幹事長クラスが何度も応援に入ったが、今回は高市首相はおろか、県外議員の多くはほとんど街頭演説にも参加しなかった。6月の慰霊の日の式典で、高市首相に向かって「沖縄を戦場にするな!」とかつてなく激しい怒号が飛んでいたように、沖縄の民意を封じ込めて軍拡路線に突き進む自民党政府への怒りが強いとわかっているからだ。
古謝県政もこの県民世論は無視できない。国との対立を解消して「普天間の返還期日の明確化」することも公約として明言していたが、辺野古は軟弱地盤問題を抱えており、予定されている2036年の完成すら怪しく、滑走路も短く使い物にならないとさえいわれている。そして日米政府には普天間返還を実現させる気がまったくない。この欺瞞は早々暴かれることになる。
彼は総務省の官僚出身だが、「中央との太いパイプ」が県民の要求を実現するものになるのか、それとも軍拡など国策を一方的に受け入れさせるものでしかないのか、県民の視線は厳しさを増すだろう。あれだけの国政政党から恩着せがましい応援を受けながら、沖縄の知事として独自の主張ができるのかどうかも試されることになる。それはそれで茨の道だ。
辺野古の陰で軍拡進行 普天間返還のメドなし

大規模な設備更新工事が進む米軍普天間基地(2025年3月、沖縄県宜野湾市)
A 県政としては一つの区切りを迎えたわけだが、戦後80年にわたって沖縄が抱えてきた問題、そして「新たな戦前」ともいわれる情勢下でこれから沖縄に降りかかってくる前線基地化、戦場化というリスクは何一つ解決していない。自民党政府は「台湾有事は日本有事」として、それに対応する軍拡路線をとっており、沖縄を「標的の島」にする動きはむしろ急速に進む可能性すらある。これは対中国の前線に位置づけられる沖縄にとっては経済振興をも吹き飛ばす死活問題だ。
そこから見ると「普天間の危険除去」「辺野古移設」は、問題のほんの一部でしかなく、「沖縄をふたたび戦場にさせるな」という県民の切実な世論を、普天間・辺野古問題だけに矮小化してきた欺瞞がいよいよ剥がれ落ちたということでもある。
遡って考えると、1995年の米兵による少女暴行事件を契機に、沖縄では1950年代の「島ぐるみ闘争」以来となる米軍基地の整理・縮小、撤去の大規模な県民世論が巻き起こり、10万人規模の県民大会が幾度も開かれた。それは戦後50年にわたって主権を踏みにじってきた米軍支配への反撃の狼煙にほかならなかった。
そこでガス抜きとして浮上したのが「世界一危険な普天間基地の閉鎖・返還」であり、当時の大田知事(社民系)は「沖縄の過重な基地負担を本土も分かち合うべき」という路線をとり、主権をめぐる日米の問題は「県外移設か、県内移設か」という本土と沖縄の対立構図へ変容。これらが地元経済界を地盤にした保守県政でなく、それを通り越して中央に人脈をもち、アメリカにも顔が利く「知米派」の革新県政のもとでおこなわれたという点は検証がいる。そして、自民党政府だけでなく、民主党政府も辺野古を移設先とし、「普天間の5年以内の閉鎖・撤去」という日米合意を鼻先ニンジンのようにぶら下げながら、基地の縮小・撤去という県民要求はいつの間にか、新たな辺野古新基地を認めるか、認めないかという問題に収斂(れん)された。
あれから30年でどうなったのかを右も左も冷徹に振り返る必要がある。
B 沖縄国際大学の前泊博盛教授も国会の参考人質疑で与野党議員らに対して厳しく指摘していた。「普天間ごときで30年間何をやってきたのか。あんなものは国が仕掛けた壮大なフェイクだ」と。
そもそも普天間基地を「世界一危険」ということ自体が事実の歪曲で、もっとも危険なのは極東最大の嘉手納基地(空軍)であり、統計をみても、航空機事故(復帰後)は普天間の19件に対して嘉手納は655件と圧倒している。事実を見れば誰がどうみても世界一危険な基地は嘉手納だ。その本丸に触れる度胸も力もなく、ラムズフェルドが「世界一危険だ」といったからといったことに右も左も飛びついて、普天間ごときの返還で30年も浪費したのは県民に対する背信行為以外の何物でもない、という指摘だ。
その普天間基地では、滑走路(2800㍍)だけではなく、誘導路、着陸帯、駐機場、駐車場、プール、航空機用ガソリンタンク、照明装置、貯油槽、送油施設、消防、修理場…司令部施設も含めて全面的に施設が更新されており、最近、米国防総省は61億円かけて新たな燃料施設を建設すると発表している。アメリカには返還するつもりは毛頭なく、日本政府にも返還させる気も度量もさらさらない。そして、その外側では、南西諸島にまで自衛隊ミサイル部隊や弾薬庫が配備され、「尖閣有事」や「台湾有事」に備えた島民避難計画まで浮上するなど、沖縄の軍事要塞化に拍車がかかった。
「日米安保」そのものがすでに日本を戦場にする軛(くびき)として認識されているときに、その枠の中で空想をちらつかせて沖縄県民を弄んだのだ。「普天間」は米軍支配の本丸に世論の矛先を向けさせないための防波堤であり、その「危険除去」というアドバルーンは新たな基地を造らせるための仕掛けだったということだ。基地を目の当たりにしている多くの県民はすでにそれを見抜いているが、国政もメディアもそればかりを争点としてきた。
A 革新系政党をはじめとする本土の左翼勢力もこれに乗っかり、辺野古の座り込みに全国から動員をかけ、この現地攻防が沖縄のたたかいの生命線であるかのような空気を作り出した。本紙として辺野古の座り込み運動を大きく取り上げたことは一度もない。現地での攻防すべてを否定する気はないが、あんなやり方では運動は孤立するほかないし、広範な沖縄県民の願いとはかけ離れているからだ。
C 名護に取材に行ったときも現地住民からは、道路に寝そべったり、住民にも罵詈雑言を浴びせるような活動家のおこないが嫌がられ、近寄りがたいものになっていたし、内心は基地建設に反対する住民も「あんな運動は賛同できない」と眉をひそめていた。
地元住民から支持されないような運動をいくら激しく展開したところで、やればやるほどマイナスでしかない。国は強権でやってくるのだから、それに対抗するためには大多数の県民に依拠してともに進む以外ないのだ。
時が経つにつれて辺野古は「われこそは平和の闘志」「体を張った闘いを!」みたいなマインドで県外からもやってくる左翼活動家の巣窟となり、ますます県民や地元住民から乖離していき、その行き着く先に起きたのが高校生の命を奪った抗議船転覆事故だった。この事故とそれへのヘリ基地反対協の対応は、この知事選で争点化こそしなかったものの、このような勢力を拠り所にしてきた県政からの離反が進む決定打になった。「平和」を標榜しながら、未来ある子どもの命まで奪ったのだから当然だ。沖縄県民のたたかいを歪めたという意味でも断罪されてしかるべきだ。
政党の利害で運動潰す 主客転倒の運動観

2014年11月、「オール沖縄」を提唱して知事選に出馬した翁長雄志陣営の集会には保守・革新の枠をこえて1万人が詰めかけた(那覇市、セルラースタジアム)
B これは国策とたたかう運動全般に共通する教訓でもあり、オール沖縄がなぜ雲散霧消したのかという問題ともかかわっている。ひいては全国的にも革新系野党が選挙のたびに大敗している実態とも繋がる問題だ。
選挙にしても住民運動にしても、主人公はあくまで県民、市民であり、現地に生きる人々、さまざまな立場にある人々が安心して参加できる運動をどう下支えするかというのが主体の側に求められる姿勢だ。それが翁長知事や呉屋会長が引っ張った時期のオール沖縄には徹底され、決起集会などでも政党や団体の旗は掲げない、県外議員はたとえ国政政党党首であっても壇上に上げないなど相当に気を遣ってやっていた。「選挙の主人公は県民である」という線を貫くことが、いかに重要であるかをわかっているからだ。
それが翁長知事死去を境に、共産や社民など革新政党主導のカラーが急速に強まり、玉城県政1期目には金秀グループなど経済界が離脱。それ以降は、既存の主要野党が議席を暖めるための選挙互助会と化した。1区は共産、2区は社民、3区は立憲…という棲み分けが固定化し、「オール沖縄」の名を借りた国政野党の利害調整機関ではないかという批判は早くからあった。
玉城県政2期目に入ってからは、県内でオール沖縄系の市長はいなくなり、衆院小選挙区もすべて自民党に明け渡すなど「オール沖縄」の看板と内実との乖離が一層進み、その軌道修正もなされぬまま迎えた今回の知事選は消化試合の様相を呈していたといえる。実態は抜け殻だった。
A 「県民が一つになった時には比類のない力を発揮する」(故翁長知事)のが沖縄であり、県民のなかにはそのような互いの信頼関係がある。それが島ぐるみの力となって、国からの「アメとムチ」の攻勢がかけられても、県民はみずからの代表を押したてて頑強な意志を突きつけてきた。しかし同時に、そのうえに乗っかって党利党略の具にしたり、それを裏切るものについてはシビアに審判が下されるのだ。
C 「われわれは正しいことをやっているのだから下々は応援して当たり前」という上から目線、うぬぼれと幻想にあぐらをかいた自己陶酔、あるいは親切ごかしのものほしさというまがい物を人々は瞬時に見分ける。身の証的なプロモーション、あるいは固定の支持層をつなぎ止めるだけのポジショントークなど、一時的な党利党略に利用するだけで、住民が被る結果には何もコミットしないからたちが悪いのだ。
米軍岩国基地を抱える岩国でも、基地の拡張と艦載機部隊移転をめぐり、2005年には保守も革新もなく「郷土を守る」の一点で住民運動が盛り上がり、住民投票で87%が反対の意志を示し、国からの補助金打ち切りに対して1万人集会が開かれるほどの歴史的な高揚を見せたが、草の根の運動が次第に共産党など革新政党が音頭をとるものへ変わってから急速に停滞していった。運動の協力者のような顔をして近づいてきて、「反対」を掲げて抱きつき心中するものへの警戒は、全国的にも教訓として共有されるべきことだ。とくに国策が絡む問題では、自民党側の強権や派手な宣伝の目が行きがちだが、「応援団」「仲間」という顔をして党利党略や自己主張を展開し、運動を内側から壊してしまうのはそれ以上に打撃が大きい。
一方で、同じ沖縄でも、一昨年うるま市石川で浮上した自衛隊訓練場建設計画に反対する住民運動は、保守の支持基盤だった人々が横に繋がって自治会や住民主体の運動をくり広げ、市長も自民党県連をも揺さぶって国策を断念させている。辺野古の座り込み運動とは質においてもまったく対極だった。そのような島ぐるみの力は健在であり、むしろオール沖縄の指導部がそこから逸脱し、変質して自滅したというに過ぎない。あらゆる欺瞞に翻弄されてきたなかで、そのような性根というか思想性の違いは人々から鋭く峻別されるのだ。
A ウクライナ戦争やイラン戦争という国際情勢、そして日本も武器輸出や異次元の軍拡に大きく舵を切るという情勢下において、「日米安保」そのものが日本を脅かす元凶であるという認識が広がっている。軍拡も沖縄だけでなく、九州・西日本から北海道に至る全国各地で進行しているし、各地でこれまでの枠にとらわれない新しい住民運動が始まっているのも事実だ。無責任な与党勢力とも、自己保身で腰砕けして退潮する野党とも心中するわけにはいかないと誰もが思っている。アメリカのてのひらの上でいくらポジショントークを展開しても現実は1㍉も動かせない。その意味では、国政において保守・革新という枠組みは形骸化している。
むしろ欺瞞的な勢力の退潮は、新しい運動が始まる基盤が生まれるということでもある。沖縄のたたかいも新たな局面を迎えたといえる。また、沖縄の現実はそのまま日本の現実であり、「沖縄頑張れ」というだけでなく、新しいうねりを足下から築いていく努力のなかからしか展望は開けない。それが沖縄の島ぐるみの世論と本当の意味で連帯することだと思う。



















