いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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衝撃を呼ぶ『原爆展物語』台本 あの戦争は何であったかの論議

 劇団はぐるま座の『峠三吉・原爆展物語』下関公演(3月20日、海峡メッセ下関)が全国初演として、強い期待を集めながら取り組みが進んでいる。この劇は原爆と戦争展運動の10年間の記録であり、厚く施された欺瞞のベールを引きはがし、320万人が殺されたあの戦争は何のための戦争だったか、それにつづく戦後社会はなぜデタラメになったか、これを打開し日本社会を立て直す力はどこにあるかなどを描き上げている。その内容は戦地体験者をはじめ若い世代もふくめ、人人を考えさせ、行動に駆り立てている。『原爆展物語』に寄せる各界各層の声を紹介する。

 全体像知り見えてきた米国や日本上層部の姿  北九州市 中国戦線体験者

 「原爆展物語」の戦争体験場面を読みさまざまなことを知った。中国戦線の経験しかないので、南方で食料がなくて餓死するなど実感がないこともあったが、全体を知り、アメリカや日本の上層部は戦争中から、その勝敗以上に戦後の日本をどう占領支配して利用するかに関心があったことがよく見えてきた。
 劇に中国の抗日戦争をたたかった八路軍のことが出ていたがこれは本当のことだ。日本軍も蒋介石の軍隊も物は奪うし家は焼き払うし、どちらも「通った後は草木もなくなる」といわれていた。だが八路軍だけは悪いことをしなかった。民を大切にしていた。自分たちの部隊もある日、突然ドンゴロス(麻袋)が置いてあり、開けると落花生などが入った慰問袋だった。「親愛なる日本の兵隊さん、何のために戦争をしているのか。早く妻子のもとへ帰りなさい」という内容で差出人が八路軍だった。町に滞在するときもちゃんと宿代を払っていた。敵でも憎めない存在で、装備は貧弱だがとても強かった。「日本でもその気になったら侵略者を追い出すことができる」というのはその通りだ。
 それと今思うのは本音と建前を見分けないとおおごとになるということだ。私が子どものころは何でも「天皇陛下の為に」で教育され、疑問を出せば憲兵隊に引っ張られる状態で、建前ばかり蔓延していた。その結果、戦争にまでつれていかれた。それは今も同じと思う。アメリカについてはとくによく見ておかないといけない。
 戦後は「日本が良くなった」といわれるが、親子関係から教育からすべておかしくなってしまった。アメリカが真珠湾攻撃の時から日本を調子に乗らせ、占領していい具合に利用しようとしてきたからだと思う。だから莫大な税金を使って天皇制も残した。アメリカとの外交も「同盟国」などといわれて政治家は喜んでいるが本音は違う。日本を調子に乗らせて、戦争の弾よけかアメリカを守る盾にするだけだ。こんなものを真に受けて操られると日本はつぶれる。だから早く若い人に戦争の体験を伝える必要があると思う。
 また、セリフが劇で演じられると、自分が文章を読むだけとは違うもっと迫力のあるものになると思うので期待している。仲間と見に行きたい。

 国民犠牲に延命図った恥ずべき日本の為政者    下関市 医療関係者
 
 台本を読んで、第2幕第1場の戦争体験の場面から衝撃が走った。これまで戦地体験はNHKをはじめ多くのテレビでもやった。弾薬もなく、食料もなく、多くの日本の兵士は飢えと病気で死んでいった。ガダルカナルでの敗北でもう戦い続けることはできなくなったのに戦争をやめなかった、天皇や、財閥や、政治家や、上に立つものの決断の問題だと思っていた。だが、彼らは自分たちだけの延命をはかり、日本国民と兵士が犠牲になるにまかせた。そして、進んでアメリカの占領の手助けをし、アメリカいいなりとなった。単なる為政者の判断の問題ではなかった。
 ブッシュが、イラク侵略戦争をやり、「日本をモデルにする」といったとき、なぜ日本が3万人程度の米軍で六十余年も支配し続けられているのかを話し合った。天皇、財界、政治家、マスコミをあげてアメリカの占領に協力し、日本の国益と民族の利益を売り渡したからだと話し合ったことを思い出す。
 第二次大戦のガダルカナル戦で敗北し、東条内閣が倒れたとき、無条件降伏すべきだった、ということまではNHKでもやる。だが戦争をなぜやめなかったのかが問題である。沖縄戦も、広島、長崎への原爆投下も、全国空襲も必要なかった。
 日本の為政者は「一億玉砕」を叫びながら、自分たちだけの延命をはかっていたのである。日本の為政者は世界中でもっとも恥ずべき為政者だと思う。この劇は、第二次大戦と戦後、無数の庶民の証言をもとに、日本属国化の根源を明らかにして、真の独立と平和、繁栄の方向を訴えようとしている。

 日本のデタラメ打開する道教えてくれる劇     下関市 衣料品店主

 台本を読んで、まず小・中学生のころ観た原爆の映画を思い出した。私はアメリカの原爆投下は、ナチスのアウシュビッツや日本の南京虐殺どころではない人類史上最大の戦争犯罪だと思っている。世界的な世論で裁かなければならない。
 私は、日本の為政者は少なくとも1年前に降伏しなければならなかったと思っていた。320万人もの犠牲者を出すことはなかった。ところが、1年半前から自分らだけの延命をはかり敗戦の道をさぐっていた。
 第1に、にもかかわらずアメリカは原爆を投下した。まさに「戦争を早く終わらせるためには必要なかった」。アメリカは人間として考えられないことをする国だ。イラク開戦で「大量破壊兵器」もうそだったし、外交官の娘に「クルド人の赤ちゃんを投げつけて殺していた」と証言させ、テレビで大大的に敵意を煽ったのもうそだった。世界でもっとも、なにをやるかわからない国だ。
 第2に、最大の問題は、日本の為政者が原爆を投げつけられながら、延命のためにアメリカの下僕となったことだ。「核密約」問題も、「無利子巨額資金供託」も、日本がでたらめになっている根元がつながった。下僕政治家の本流・自民党はあいもかわらず「政治とカネ」を叫び、四分五裂している。みんな寝言をいうなと、いっている。
 日本国民にとって最大の課題は真の独立である。日本が直面する各分野でのデタラメを打開する道がここにあることを教えてくれる。

 「ホンモノの教科書」に出会える貴重な機会   山口市 50代中学校教師

 夜遅く仕事から帰った私に母がいった。「民主党もダメ。朝鮮学校除外とは何ごとかいね!」。3月12日付本欄、オモニ会代表による「高校無償化法案」への訴えを読んで共感、抗議しているのだ。全国紙の報道記事を読んで、すでに知っているハズだが、これまで一言も口にしなかった母である。ナゼなのか。
 同じく2月22日付本欄に掲載された下関市の「20代母親」さんの『原爆展物語』公開稽古を見て――には深く頷いていた。それは都会に育ち、米軍による無差別焼夷弾攻撃の悪夢、艦載機パイロットのまるでゲーム感覚のような狙撃に幾度も死線を彷徨った少女の気持ちが「今の若い人人にも確実に伝わっているのだ」という痛切な感慨であろう。
 私は、といえば、『原爆展物語』の台本を昨年末に長周新聞社山口支局から、さらに本社の近くで長年にわたり、実に誠意ある書店を経営しておられる方から頂き、あわせて本紙掲載によるものと、都合、3度も読ませていただいた。それは執拗なまでに推敲を重ねて来られた劇団の方方の、本劇に懸ける意気込みを図らずも垣間見る好機となった。
 広島の、長崎の、沖縄の、一つ一つの戦地での、日本中の名もなき民衆の、生の声が腹の底から私たちを突き動かす。幾多の貴重な生の声から一例を挙げる。沖縄地上戦といえば、日本兵による集団自決の強制、米軍による日本本土への上陸の時間稼ぎ、いわゆる沖縄「捨て石」論。これらは、ある意味でとても解りやすいし、真実の一側面であることも事実。しかし「みんなアメリカーの艦砲や火炎放射器で、女、子どもの区別もなしに、皆殺しにされていったんだッ。悲鳴をあげて逃げ惑う避難民の列にも艦砲や戦車砲が撃ち込まれて……」の声を私たちはどう受けとめるべきなのか。戦後六五年を経た今現在も、日本全体の米軍基地のうち実に七五%が沖縄に集中しているのだ。「集団自決強制」「捨て石」論のみを声高に叫ぶことは、米国の日本支配にとって非常に都合がよいのである。劇の台本を読んで、「真実」とは何か、と自らに問いかけざるをえなかった。
 思うに今、情報はあふれかえれども、「真実」は遠ざかる一方である。私たちは途方もなく「真実」に飢え渇いているのだ。前述した「20代母親」さんはなぜ、戦争の真実、本質をあれほど深く学び得ておられるのだろうか。おそらく彼女はホンモノの教科書に出会うことができたのだ。
 長周新聞。「ホンモノであることを担保する」所以。民衆の視点に一貫して立っているから。『原爆展物語』の初演が目前に迫っている。また一つ、「ホンモノの教科書」に出会える数少ない貴重な機会である。

 戦争の経験や歴史知らなければ現実見えない   下関市 40代母親

 『原爆展物語』の台本を読みながら、親や子を亡くした被爆者や体験者の証言は、涙が出て読むことができなかった。17、18歳で死ぬとわかって息子を送り出した母親の気持ちを思うと同じくらいの息子たちを持つ母親としては耐えられない思いがする。
 幼いころ母親から戦時中に長門市で機銃掃射に狙われたという経験をよく聞かされていたので戦争の問題については関心を持っているが、母親になってその思いは強くなった。
 私たち40代世代は現実主義の人が多く、目の前に追われている人が多い。でも現実主義といっても、戦争の経験や歴史を知らなければ本当の現実は見えないということを読みながら感じた。米軍基地がなぜあるのかや、派遣切りや、ひどい犯罪が後を断たない日本の状態が、戦後の教育やアメリカ型合理主義経済を日本に持ち込んだ問題が深くかかわっていることも考えさせられた。
 台本の最初の広島での原爆展で、広島市の教育委員会が文句をいってきたというのに驚いた。そんなことがあるのか、広島だからこそ語れると思っていたが、語りにくい空気があることに驚いた。ただ、戦後何十年も語ることができなかった被爆体験や戦争体験をねばり強く引き出していったスタッフの人たちの存在がすばらしいと思った。
 戦争体験者が語る体験を継承することは大事だが、それを聞く私たち受けとめる側が、その体験や思いをどう受けとめるのか、今後日本をどうしていくのか考えることがとても大事なのだろうと思う。

 バシー海峡で沈められ帰らなかった3人の兄  下関市 増村ミツ子

 私には4人の兄がいたが、そのうち3人が戦争中、輸送船に乗っていて台湾沖のバシー海峡で沈められた。沈められるのはわかっているのに、なぜ同じ航路を何度も何度も通ったのか、中国の沿岸など外の航路はいくらでもあるのに。しかも護衛の飛行機もなく、丸腰で。そのことがずっと疑問だったが、『原爆展物語』の台本を読み、当時の参謀や上の方の人たちがわかっていてそれをやったということがわかり、非常に腹立たしい思いだ。
 一番上の兄と二番目の兄は、同じ輸送船に乗っていた。門司港から出て、フィリピンに送られる途中だった。夜中にアメリカの潜水艦の魚雷が命中し、出口の近くで寝ていた長兄はあわてて甲板に駆け上がり、そして船底にいる弟の名前を大声で必死で呼んだという。しかしあっという間に船は沈められ、甲板の手すりにつかまっていたおかげで長兄は助かったが、次兄はどうなったかわからない。そのとき助かったのは、長兄を含めてわずか20人ぐらいだったという。
 その後長兄はフィリピンに行き、他の部隊に合流して混成部隊になった。そして斬り込み部隊が編成され、いよいよ明日の早朝に突撃という前夜、大雨が降り、川が洪水のようになって兄は流されて谷底に落ち、そこでたまたま湧いていた清水を飲んで生きのびた。
 二番目の兄は先見の明があり、当時私がどこに就職するか悩んでいたとき、今からは石油の時代なので石油会社がいいと教えてくれた。すぐ上の四番目の兄は一番優しく、優秀で、内務省に出ていたが、兵隊にとられ、そして同じバシー海峡で沈められた。2人とも帰ってこなかった。奥小路にあったうちの家も下関空襲で丸焼けになった。
 たくさんの優秀な若者が戦争で亡くなった。その人たちが生きていたら、戦後の日本はまた変わっていただろう。それが為政者の保身のために、日本が負けるのがわかっていて殺されたというのが腹立たしい。今ごろは政治家がアメリカのいいなりになっておかしいことが多いが、それもあの戦争のときから続いていると思う。
 92歳まで生きていた長兄もすでにいない。今生きている者が、あの戦争でなにがあったのか語り継いでいくことが必要だと思う。

 国民の犠牲望んだ天皇        下関市 70代男性

 私の父も昭和19年に輸送船に乗って門司を出て、すぐにアメリカの潜水艦に沈没させられて亡くなった。当時私は小学生だった。すでに何隻もの輸送船が沈められていたため、昼間に出港できないから夜中の出港だった。日本人は暗闇だからわからないと思っていたがアメリカにはばれていて、見送りに行くと、もうアメリカの飛行機が上空をぐるぐる回っていた。3000人くらい乗り組んでいたが、フィリピンに向かう予定だったので、もし無事に着いても戦死することは間違いなく、みな死ぬ覚悟だった。
 3000人のうち生き残ったのは20~30人。父の友だちが生き残って帰って来て様子を話してくれた。船には救命ボートを積んでいたが、救命ボートの降ろし方も教えずに乗り組ませていた。
 やられたときにたくさんの人が救命ボートに乗って、ロープをたたき切ったため、ものすごい勢いで海面に落ち、その衝撃でたくさんの人が亡くなったという。父は、沈没するときの渦に巻き込まれまいと、二人分のブイを抱えてすぐに海に飛び込んだようだ。友だちはブイがなかったため、じっと船に残っていると、幸いじわっと沈んだので翌日に回ってきた日本の船に助けられたといっていた。
 天皇はわざと国民を殺すようなことをした。原爆も、自分たちが始めた戦争をうまく終わらせるためにアメリカに落としてもらったようなものだ。さんざん国民を殺させておいて、「朕は国民が犠牲になるのを望まない」などとウソ八百いって裏切った。国民が犠牲になるのを一番望んでいたのは天皇だ。
 ドイツはヒットラーが切腹したが、昭和天皇はアメリカに助けられて生き残り、指導者たちがまったく責任をとらずに国民みんなが悪いようなことをいってきた。しかし教育で「お国のため」とたたき込んで死なせていったのはだれなのか。今『蟹工船』が50万部売れているが、あの作家は特高警察にたたき殺された。学者のなかでも憲法を巡って、「天皇には命令を下す権利はない。議会で決めないといけない」という派と、「統帥権がある」という派と二つに分かれ、統帥権を盾にとる悪い奴らが勝った。そうやって国民にものをいわさないようにして戦争に引っ張っていったのだ。
 責任もとらない指導者が戦後も国会議員になって威張ってきたから今の日本はこんなにおかしくなってしまった。アメリカに逆らわないのも当たり前だ。これまでとくに天皇の責任を問う人はだれもいなかったが、そこをぬきに日本の現状は考えられないということを広く伝えてほしい。

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