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東行庵の高杉晋作史料持ち出し問題 「泥棒はいけん」と萩市民の声

高杉晋作と奇兵隊士の墓がある東行庵で、突如として遺品が持ち出され、東行記念館が閉館を宣告されたとき、いまぞとばかり史料の受け入れに手をあげたのが萩市の野村市長であった。萩市内では「あれは市長の独断だ。よそのものを泥棒して博物館を開くなんて良識がない」と評判となっている。

  野村市長の独断にあきれる
 ある事業主は開口一番、「やっぱり下関は噴き上がった」と、ある意味ほっとしたと語る。「何十年と東行庵に世話になっていながら持って帰るなんて、よくもまあ、そんな大それたことができたものだ。管理のために費やした費用は少少なものじゃない」と突然の閉館には驚いていた。市長の発言については、「萩市には、高杉家の墓もなければ高杉晋作にかんする遺品はなにもない。この地で晋作が生まれたというだけでじゅうぶんだ。ほんとうに、うちの市長は常識はずれなことをする」と市民の意志ではないことを強調した。
 萩市長の発言によれば、来年11月にオープンする新博物館で管理するということであった。だが新博物館の計画には、高杉晋作史料を展示するための場所は確保されておらず、市役所内では突然の発表に、「びっくりしてます」「困ってます」と職員らは困惑している。
 新博物館の建設はすでに着工している。萩市が高杉晋作の遺品を受けとっても、それを置くための常設展示室はなく、置くとしても企画展示室しかスペースがない状況。「どうして、突然市長があんな発言をしたのかまったく理解できない」と市職員らも寝耳に水で、驚いている。
 また、萩市が誘致した県立の維新博物館計画も、「市長は、まるで決まったかのように吹聴しているが、実際はまだ建設場所さえ決まっていない」と関係者は指摘している。
 萩市長は、キャンペーンのために奇兵隊の格好をしたキャラバン隊を全国各地に派遣している。ときには、みずからも奇兵隊長の衣装を着て宣伝に回るほどの熱狂ぶり。
 また、年に1、2回一坂太郎氏が萩に呼ばれて講演に来ているようすも語られており、「どうして一坂さんのことはとりあげないのか?」と偏った報道に疑問の声も上がっていた。

 史料は東行庵に返すべきだ
 東行庵と同じ系列の萩市の寺関係者のなかでも、今回の閉館問題が大論議となっている。高杉関連の史料については、墓のある東行庵に返すべきだというので一致している。
 ある禅寺の住職は、萩市長が、92年に高杉家の墓が下関の東行庵に持って行かれたことについて、市に墓を守っていく姿勢があれば持って行かれるようなことはなかったと発言したことにたいし、つぎのように指摘した。
 「まるで、お寺が手放したみたいなことをいっていたが、墓というのは市が守るとか、寺が守るとかいうものではない。祖先の墓をどこに持っていくかとかは寺側が口出しするようなことじゃない。寺にも市にもそういう権限はないのだ」と、強調していた。
 萩市の旅館協同組合は、「奇兵隊」の名称を商標登録して独占しているという意見について、「だれにも使わせないというのではなく、テレビのコマーシャルで奇兵隊がもうけのために利用されないよう防御するために登録した。独占でやるためじゃあない」と弁解し、下関市もぜひ使ってくれとのべている。
 観光関係者のあいだでは、高杉晋作史料は「実はのどから手が出るほどほしいんです」と前置きし、市内に訪れる観光客には高杉晋作の女性ファンが多く、晋作ポスターをつくるとすぐに完売、テレホンカードにしても圧倒的に高杉晋作のデザインが売れることを明かした。
 萩市内では、よそからとってきたものを観光と商売のために使うのは気がひけるというのが普通の意見で、市長がだれにも相談せずにやったことだと口口に語られている。萩市民としては人の物を泥棒してまでもらおうとは思わないといっている。
 また、多くの市民は、萩と下関がけんかするようなことになったらたいへんだと心配しており、高杉晋作の史料なのだから、墓のそばにある方がいいといっている。

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