いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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馴れ合いと惰性の打破なるか――告示直前の下関市議選情勢 有権者の厳しい視線のなか本戦へ 本紙記者座談会

 統一地方選の前哨戦となる下関市議会議員選挙は、いよいよ29日に告示を迎え、1週間の本戦が幕を開ける。50陣営以上が出馬すると予想されている今回の選挙は、年末年始にかけてかつてないほどの物量で各陣営のチラシやリーフが配布され、にわかに街角で朝立ちをする者があらわれたり、「市議会議員の○○です」と選挙ばりに街宣車を走らせてフライングする者が出てきたり、公職選挙法違反で警察から注意を受ける陣営がいたり、前哨戦から人知れずヒートアップしている。本戦を前にして、この選挙戦で何が争われているのか、争点について記者たちで最終分析してみた。

 

市内で出回っている立候補予定者たちの後援会リーフ

 A 年末年始にかけて、自宅のポストに投函された各陣営のチラシ類だけでもすごい量になる。無料配布される街の広告紙に挟まれたものは、カネを出して配ってもらっているんだな…とも思うが、その場合、相場でいえば1枚3円くらいなので、1万枚配布しようと思えば3万円、2万枚配布しようと思うと6万円ほどかかる計算だ。新聞の折り込み広告に入れてもらう場合の相場はだいたい1枚5円なのでもっとかかる。専門業者に委託するとみずからの足を使わない分、経費はかさむ。地域を限定してスポット的に投函していくのがほとんどだろうが、集合住宅は別として、一戸建てが多い地域になると一人で1000枚投函していくだけでも半日以上はかかる。


 しかし、なかには手書きで「ご挨拶に伺いました」と書かれたリーフを投函しているのもいた。本人なり陣営関係者が一枚一枚書いたものを手配りしていたのだろう。涙ぐましいといえば涙ぐましいが、そうやって「足を運んだボク」みたいなもので一票をもらおうとするモノ欲しさが滲み出ていて、これはこれで浅ましい…と感じるものでもある。人物にもよるのだろうが、日頃往生が今さら何をしてんだ? と――。まあ、どの陣営なり候補者も顔を売ろうとあの手この手で必死な感じだ。

 

  とはいえ、顔を売るだけで得票につながるほど甘くはない。ミス何とかの美貌を売りにした人物も候補者のなかにはいるが、この人に! と思ってもらえるかどうかは、やはり本人が有権者とどれだけ対話をして、どれだけコミュニティーのなかに浸透しているのか、現職であればどのような議会活動をしていたのかが鍵になる。あるいは陣営関係者たちの地域における存在感や日頃からの人脈、信頼関係なども加味されていく。本人のみならず選挙をとりくんでいく周囲も含めた複合的な要素が得票にあらわれる。

 

 地方選の場合はなおさらで、地域のなかにおける日頃からの人間同士の横のつながりが肝になる。いくら偉そうなことをのべていても、「アイツ、デタラメじゃないか」と思われていたらそのような人物評価が街の噂になるし、逃げていく票もある。そのように一票一票がとても身近なものだ。そういう意味で、国政選挙ほどアバウトにはいかない。高学歴であろうが、低学歴であろうが関係なしに、人間が見られているし、人間の横のつながりこそが勝負所という側面が強い。フワフワした綺麗事だけを叫んでも選挙などできない。

 

 C 今回の選挙は、街の情報通たちの話を総合すると52~53陣営になるのではないかと見られている。幾人かまったくリーフ等も作成せずに本戦に挑もうとしている者がいたり、雨後の筍みたく候補者があらわれるものだから把握が難航しているが、年末年始にかけてようやく絞れてきたのがその数字だ。多少前後することもあるだろうが、50はこえて過去最多の立候補者数になることは疑いない。

 

 ただ、過去最多だからといって大激戦になるかというと、そこもまた微妙だ。競り合ったなら大激戦という表現が当たるかも知れないが、全般として現職有利な構図のなかで泡沫が振るい落とされていくだけというのでは大激戦とはいえない。どのような選挙になるのかは蓋を開けてみないと誰にも分からない。

 

 D しかし少なからずいえることは、投票率が爆上がりすれば別だが、これだけの候補者が出てくるということは候補者同士の食い合いが生じて、当選ラインは必然的に下がってくるということだ。「○○さんは大丈夫(安泰)だからウチに票を回して」作戦を展開している陣営もすでに見受けられるが、削ったり削られたりがあちこちで激化する。恐らく現職の大半が得票を減らすだろうし、逆にこの選挙で前回よりも得票を伸ばした候補者がいたら脅威になる。その場合、4年間の議員活動なりがそれなりに信任を得たといってもいい。あるいは本人はたいした活動実績もないのに得票を伸ばした場合、それは新たな組織票をゲットして成り上がったと見なすこともできる。

 

 いずれにしても候補者の3人に1人が振るい落とされる選択肢の多い乱立選であり、当たり前に考えて得票は分散し、現職にとっては減らすことが大前提となる。斯くして当選ラインが下がるということは組織票を有する者や現職有利の構図になっていくことが予想される。通常ならば乱立選挙は候補者の知り合いや周囲が投票に行く分、投票率が上がるのが常識だが、政治不信がすごいなかでどうなるのかも注目点だ。「出たがりばかりが飛び出してきてバカではあるまいか…」「何の役にも立たない連中の就職合戦じゃないか…」という冷めた空気があるのも事実で、過去最多の立候補者がいるからといって盛り上がっていないのも現実なのだ。候補者や陣営はそこは自覚しないといけない。

 

  選挙では事前に「今回は危ない」などといわれる現職ほど案外粘ったりするもので、逆に「あの人は大丈夫」「安泰」などといわれるのがもっとも危ない。例えば「れいわ新選組の竹村は安泰」「あれだけ活発にポスターを貼って顔を売っているし、チラシも広範囲に投函しているのだから当選するだろう」「れいわ新選組のネームバリューで十分いけるだろう」などという評判についても、本当にそうか? だ。自民党候補者や保守系の企業関係者などが最近になってそんなことを話題にしているが、実態は陣営しか知らないわけで、果たしてそうなのかだ。

 

 長周新聞の本池についても「上位当選だ」などと根拠もなく意図的に流布している一群がいて、むしろ悪意すら感じる。そうして、「あの人は大丈夫だからウチに回して」をセットで展開する。この手のやり口は他陣営崩しの基本中の基本で、どこの陣営がやっているか名指しこそしないが、発信源についてはオマイらいい加減にしろよ! と思いつつ観察している。支持者に「本池は大丈夫だからウチに回して」の電話が幾つもかかっていて、「オマエたち、しっかり固めていけよ!」と叱咤されているところだ。

 

 いわゆる主義主張の異なる自民党候補なら重ならないが、似たような主張を掲げた者ほどにじり寄ってくる傾向にある。これまた地方選あるあるだ。ここは引き締めて票固めをやらなければ引き剥がされていく関係で、悠長なことをいう向きについては厳重に警戒しないといけない。陣営によっては「今回は危ない!」と救急車の緊急サイレンかと思うほど危機感を煽って締めているのもいるくらいで、「安泰」などといわれて喜んでいるような者はアホか何かの類いにほかならない。

 

 選挙とは水物で蓋を開けるまでわからないし、最後まで全力で一票一票を積み重ねていくことが勝負になる。徹底的にやりきるのが肝だ。得票は多ければ多いほどバックにいる有権者の力が議員本人のその後の活動の後押しにもなるわけで、本池についても1期4年の審判になる。あくまで地道に選挙戦をたたかうほかない。そして、再び議場に「もの言う議員」として単独であっても切り込んでいかないといけない。

 

かつてない長さとなった下関市議選のポスター掲示板

仁義なき組織票争奪戦 自民・安倍派議員ら

 

 A 保守系で見てみると、現職のなかでもとりわけ安倍派所属議員たちの混迷ぶりが際立っているのではないか。安倍事務所が今回の市議選にはノータッチというか、安倍事務所も解散して、安倍家から私設秘書たちの給料が出なくなったもとで、ボランティアで市議選の采配を振るう者などいない。そういう意味では制御の効かない乱立戦も元を辿れば安倍晋三の逝去に始まっているし、そのもとで統率がとれずに食い合いが激化している。これまでなら戦況を見つつ、投開票の3日前あたりくらいからゴソッと動かす組織票とかもあって、不思議な動きをする票で終盤に押し上げられる安倍派議員などもいた。今回は果たしてどうなるだろう? と話題になっている。

 

 それこそ、組織票の奪い合いに発展している自民党議員たちもいて、前回選挙で安倍事務所から1500票を世話してもらったといわれる現職とかも、他候補に某企業傘下の組織票をゴッソリと横取りされて、「アイツ、どうなるの?」「○○(地元名門企業)の上層部が(女性候補から)ボディータッチでいてこまされたんじゃないのか?」と囁かれていたりする始末だ。奪ったり奪われたり、組織票界隈もなんだか喧騒がすごいようなのだ。

 

  他にも組織票の入れ替わりは複数俎上に上っていて、捨てられた現職が苦肉の策で某宗教ににじり寄ったり、さまざまな情報が飛び交っている。一方で、統一教会が市議選で推してきた安倍派の女性候補については、「安倍事務所がこれまで丸抱えしてきた分、今回は危ない」と事前に流布されていたものの、組織票は引き続き彼女のもとに集まる算段のようで、安倍派企業群がガッチリと脇を固めている。選挙事務所も安倍後援会会長の所有ビルに構えて、それこそ安泰なのだろう。某運送会社の組織票も事前の計画通り新たに回るのかも知れない。これらは選挙が終わって検証される部分も多い。

 

  昨年末あたりから選管に届出の事前確認をする作業が始まっているが、候補者本人が出向いたりして驚かれている。支持者なり陣営関係者がその手の実務はこなして、候補者本人は徹底的に挨拶回りに行かせるものだが、ひょっとして運動員がいないのだろうか? と思うような光景だ。それだけ見ても個人戦なのだと思わせる。昨年開かれた立候補者説明会も候補者本人が一人ぼっちで参加しているような現職が何人もいて、一緒に陣営を支えてくれる仲間がいないのだろうか? と感じたほどだ。この辺りの陣営の事情は選挙戦が始まってからさらに可視化されるだろうし、前回同様、自分で選挙カーを運転して自分で名前を連呼する候補者もなかにはいるのだろう。

 

  選挙の形態にはさまざまあるし、どれが正解というものでもない。新人がたくさん立候補しているのは良いことだし、できれば翼賛化した議会をガラガラポンしてほしいという要求は有権者のなかで根強い。このなかで新人が現職を押しのけて当選を果たすためには、乱立のなかから抜け出すほどの得票を得なければならないし、だからこそ陣営の底力が試される。

 

 ただ、無所属の新人といっても安倍派や林派の紐付きも複数人いるし、当選すれば自民党会派入りが確定しているのも何人かいる。翼賛議会の頭数に加わろうという魂胆だ。林派もベテラン現職に加えて幾人かの新人にテコ入れしているのは知られているし、これらもどうなるのかは見物だ。しかし、如何せん周囲から人物評や金銭トラブル等で評判が悪いのも含まれていて、身近な人から評判が悪いってどれだけ? とは思う。立候補するのはあくまで自由であるし、その得票が街のみんなの評価なのだろう。あるいは、代議士の秘書をしていたとかで、すでに当選している気になっていると地域で話題になっている候補者もいる。組織票が見込めるにしても、「選挙は甘くないよ」と誰か忠告してやる人間はいないのだろうかと思う。選挙前から天狗になってはダメだ。

 

 D できれば垢のついていない若手が新人のなかから幾人か当選してほしいものの、当選後に取り込んでいく力もすごい。下関市議会とは、安倍・林代理市政の飼い慣らした承認機関に過ぎないし、そのもとで長年あぐらをかいてきた存在だ。「取り込んでいく力がすごい」といったが、例えば前回選挙で国民民主党から立候補して当選した女性議員などは、1年も経たずに国民民主党をメール一つで離党していったことが知られている。そして自民党会派入りを果たした。今回の市議選では自民党の候補者として2期目に挑もうとしている。節操がないのだが、そのようなことが平然と横行している。

 

 連合傘下の選挙を支援してきた労組関係は随分と立腹しているみたいだが、それらの組織票が離れるかわりに、今回は某地元有名企業が傘下のグループあげて支援に回るそうだ。その割を食っているのが安倍派若手市議でもある。これを「失うものあれば拾うものあり」というのか知らないが、保守系の企業関係者のなかでも「節操がない…」「下関を代表する企業がそのような政治的節操のない人間を推すとは…」という声がくすぶっている。

 

  とはいえ、裏切り者を取り込んでいくのが昔から下関の政治であって、労働運動破壊で活躍したサンデン第2組合のトップだった小浜が長年林派の市議会議長として君臨していた実績だってあるではないか。林派県議の塩満といっても、いまでこそ400万円のインプラントをしてクラウンを乗り回しているけれど、元々は労組の幹部出身じゃないか。山口銀行だって歴史的に労組のトップが取締役への登竜門で、資本になりかわって労働組合を抑え込むことが出世街道だ。これらは山口銀行の天皇だった元頭取(日立製作所の労務出身)が持ち込んだ手法でもあるが、政治的節操など昔からあってないようなものだ。今に始まった話でもない。

 

  連合組織を裏切った女性議員も確かに節操がないが、その逆に立憲民主党は今度の市議選で元安倍事務所の秘書を擁立している。これまた「節操がない」の逆バージョンのようにも見える。仮に当選したとしても安倍派、林派の自民党会派にぶら下がって生息しているのが連合所属の市議たちであって、客観的に見ると1軍になるか2軍になるか程度の違いしかない。だから、前述の女性議員が自民党会派入りを果たしたからといって、それは「2軍はいやだ。1軍がいい」といっているだけで、どうせ翼賛化しているのなら主流派に身を寄せようというものでしかない。そこには矛盾がないのだ。下関市議会で労働組合の連合を足場にした議員は市民連合という会派に属しているが、前述の小浜元議長だって市民連合所属の議長だ。自民党安倍派、林派とうまいこと持ちつ持たれつして馴れ合っているのが実態であって、労働者のためにたたかった試しなど一度もない。だから、ダラ幹連合といわれる。

 

 本池涼子が議会のなかで一匹狼でやらなければならないのも、そのような者と馴れ合う必要はないからだ。是々非々の立場を貫こうと思えば、下関市議会のいわゆる野党系と称する部分についても馴れ合ってなあなあになることは致命的だ。群れる必要などないし、いうべきことはいう立場を堅持しようと思えば、それくらいの距離感はどうしても必要になる。

 

  年4回の定例会後には執行部と議員との懇親会が春帆楼やグランドホテル上層階で開かれ、さっきまで批判的なことをのべていた野党議員までが媚びを売るように群れていくとか含めて、インチキな構造が出来上がっている。一言でいうとそうやってジワジワと飼い慣らされていく。「たたかう野党!」「我が党は!」とか叫んでいる者が、もっとも卑屈ににじり寄っているのも実態で、それこそ「共産党のNをどうにかしろ!」「自民党議員に“いつもお疲れ様です”とか出待ちみたいにおべんちゃらばかりして気持ち悪い」と役所内でも大話題なのだ。批判ポジションで飯を食っているといわれても仕方ないものがある。

 

 どういう性根なのかは知らないけれど、こういう実態については共産党の組織内でどうにかせい! と思う。同僚市議だって知っているだろうに――。部外者ではあるが、あまりに酷いからあえて指摘するのだ。当事者の自民党議員や執行部が引くほど媚びを売りに行く理由について、むしろ知りたいくらいだ。その支持者にお願いしたいのだが、この市議選で投票を呼び掛けられた際には、日頃からどのように媚びているのか目の前で実演させてみたら良いと思う。願わくば、誰か動画でも撮っている役所関係者がいたら、陰で「ゴマすりの達人」とか悪口をいうだけではなくて、支持者に見せてあげるべきだと思う。そうした二面的な実態を理解した上で、投票するか否か有権者が判別すべきではないだろうか。

 

  結局のところ、国政に先んじて翼賛化しているし、安倍派と林派を筆頭にして野党系も含めて群れているだけといえる。そして、行政のチェック機能を果たすべき議会は馴れ合いと惰性の世界に溺れて窒息している。こうした現状をぶっ壊していくためには、実態を市民に広く知らせていくほかにないし、しっかりと市民世論に立脚した市議を1人でも2人でも送り込んで風穴を開けていくことが必須だ。執行部からすると、市長が安倍派の元秘書で、そのもとに議会を飼い慣らして安泰な状況を作ることが、やりたい放題できる最善の状況となる。

 

 林派と安倍派については覇権争いもするが基本的に持ちつ持たれつであり、相互依存の関係で今日までやってきている。安倍晋三逝去で今後は辛抱していた林派が仕掛けていくのだろうが、基本的にはこの覇権争いでしかなく、どっちが行政を私物化するかを争っているだけだ。その流れを察知して、今度は林派に雪崩を打ったり、さまざまな変化はあらわれるだろうが、所詮それだけのことなのだ。

 

飼い慣らしが常態化 不正も正さず改革唱える

 

下関市長・副市長と市議らの記念撮影(2019年2月27日)

  そんな下関市議会がにわかに「議会改革」を叫び始めたので何のことかと思ったら、定数を34から32に削減するのだといって騒いでいた。単純に人数を減らせば議会が良くなるのか?とも思うのだが、安倍事務所直結でブイブイいわせていた創世下関(議長、副議長輩出会派)や公明党が賛成したといって自慢し、市議選候補者のなかには議会で審議された際の賛成者と反対者を一覧にして配布しているのもいる。まるで反対した者が悪で、賛成した創世下関と公明党という議会を牛耳っている側が正義であるかのような扱いをしているのに特徴がある。

 

 しかし、冷静に考えて改革するなら定数ではなく中身だろう。定数を減らせば、組織票を有する現職や自民党、公明党といった組織候補が強いのは目に見えている。落選して振るい落とされるのはその他というだけだ。「少数精鋭」とは多様性の否定であり、現状ですら大政翼賛化している下関市議会の群れが34人から32人になろうが、大勢には何の変化もない。これのどこが議会改革なのかだ。むしろ、底辺を切り捨てて組織をバックにした者の意見だけが反映される議会にしかなり得ない。「定数削減」とは聞こえは良いが民主主義の否定であり、厳密に考えなければならない罠が潜んでいる。むしろ議員報酬を削減して、それでも議員として役割を果たすという者だけが出てくる仕組みにするほうがまだ健全だ。

 

 D はっきりいってしまうと、下関市議会の34人の議員たちが行政のチェック機能として役割を果たしているかというと、34人だろうと32人だろうと何も変わらないのではないか? 人数の問題という点で見れば、確かにそのような役に立たない者が何十人おろうが関係ないわけで、税金に寄生して養われている寄生虫みたいなのは人減らしの対象になるべき存在ではある。だから、議員定数削減は大衆受けする側面がある。日頃から、「議員なんてクソの役にも立たない輩」だと思われていることが、受け入れられる素地になっている。下関市議会の場合、それを安倍派・公明党が逆手にとって、「議員定数削減を進める英雄」みたく振る舞って、自己プロモーションしている始末だ。

 

 ただ、ここで思うのは、先程から論議になっているように中身だ。「議員定数削減を進める英雄」ならば、例えば公用タクシーチケットを不正使用(歓楽街からの飲み会帰りに使いたい放題だった)してきた君たちは、まずは不正使用分くらいは返金しなよ! と思う。改革を叫ぶなら、いの一番にそこから改革せい! と――。夜な夜な飲み屋から深夜に自宅へ帰宅するのに、議長、副議長が1万円近くかけてタクシーで帰り、50枚綴りのタクシーチケットを議会事務局から持たされて使いたい放題だったことが指摘されたのに、開き直って隠蔽の限りを尽くしてきた。行政運営全体にとっては些末なことかも知れないが、始末が悪いし、まず小汚い。こうした身ぎれいでないことを是正すらしない輩が、いったい何の議会改革だよ! と思わせるのだ。

 

  定数削減を安易に叫ぶ者、それが正義であるかのように訴える者については、ちょっと待てよと警戒して考える必要があるのではないか。とりわけ、タクシーチケットの不正使用分すら返金しない者が議会費削減のために働く英雄みたく振る舞うのはダブルスタンダードも大概だし笑えない。1カ月で15万円も飲み会帰りのタクシー代に使うバカがどこにいるのかだ。そうして税金に寄生する自分たちの実態には頬被りして、何が議会改革を進める英雄なのかだ。亀田博も吉田真次も今回の市議選には出てこないが、寝言は寝て言わなければならないし、タクシー代を返金してから辞めやがれ! という声は根強い。保守層のなかでも、さすがにタクシーチケット問題は効いていて、「始末が悪いよな…」「あれはやりすぎ…」と語る人が少なくない。まことに始末が悪いし、小汚い話なのだ。

 

  議会でタクシーチケット問題を追及するのが本池一人で、誰一人として現職のなかから是正すべきと一緒になって声を上げる者がいなかったのも議会の現状を物語っているのではないか。ダテに翼賛化している訳ではない。共産党の西岡なんて、本池の一般質問の後、「どうしてこっちに聞くんだって話ですよね!」と執行部に媚びを売っている始末で、壁に耳あり障子に目あり、庁舎内でのゴマすりなんてみな聞こえてくるのをわかってない。

 

 一般質問でタクシー代を支給していた予算執行者である議会事務局が答弁拒否して逃げていくから、総合政策部が答弁しなければならなくなり、だいたい本を正せば議会(事務局含む)に質問してはならないと議会運営委員会で会派の代表たちが自主規制ルールを先例で作ったおかげで、頓珍漢な答弁相手が出てくるわけだ。「どうしてこっちに聞くんだって話ですよね!」じゃねーよ! っていうか、「こっち」ってどっちだよ! という話だ。タクシーチケットの不正使用を問題にするならまだしも、質問してはならないという「こっち」の人間なのだろう。

 

 D あの「議会に質問してはならない」の先例集の追加は違法であることは疑いないし、下関市議会の地方自治法を逸脱した一例として引き続き問題にしていくしかないが、そのように多勢に無勢で質問を封じたりするのも常態化している。ルールを逸脱したなら、ルールを変えればいいじゃん! が安倍晋三の選挙区の一つの手であり国政より下関市政が先を行っている部分ではないか。下関市立大学の市長界隈による私物化だって、定款変更して大学運営のルールそのものを変え、正当化して今日に至る。

 

 A 下関市政は基本的に安倍派と林派の私物化争いであるし、そのもとで議会が飼い慣らされている状況が長らく続いている。ガラガラポンが切望されているのは、こうした馴れ合いと惰性によって市民生活が放置され、下関全体が衰退の一途を辿っている現状にたいして、為す術なく流されていくことへの危機感も反映していると思う。くたびれた細胞ではなく、新鮮な血液を投入していくことが新陳代謝になるし、この選挙ではまともな新人を一人でも多く送り込んでいくことが望まれている。それが誰なのかは有権者が判断するほかないが、選挙戦の1週間は1票を付託できる候補者をじっくりと吟味する期間にもなる。

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