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上関町長選 実感伴わぬ票差拡大

 中国電力の上関原発計画を最大の争点とした8度目の上関町長選挙の投開票が9月30日おこなわれ、推進派・柏原重海候補が1999票、反対派・山戸孝候補は990票、得票率は推進派66%、反対派33%となった。選挙戦は、最終日には推進派にはどの地区も表に出てくる人は少なく、推進派勢力としては空中分解の様相を呈していた。しかしなぜ票差は拡大したのか、町民の実感とは合わず、「なぜだ」の疑問が広がるところとなっている。

 反対派幹部総裏切りのなか
 当日有権者数は3423人、投票者数は3015人(期日前投票573人・不在者投票103人)。投票率は88・08%となった。投票率はかつて95%近くを保ってきたが前回選挙で初めて90%を切った。今回は昨年2月の町議選よりも低く過去最低のものとなった。
 開票結果は、町民のなかで驚きと疑念を持って受け止められている。反対町民はもちろんのこと、推進町民の多くも結果を聞いた瞬間に唖然とする姿が目立った。開票所前では、様子を見に来た町民たちが「間違いじゃあないのか!」「そんなことはありえないはずだ」「もう1度確認したほうがよい」などと口口にいう光景も見られた。開票のやり方について、メディア側からクレームがつく場面もあった。推進派の祝勝会が開かれた上関漁協前に集まった町民のなかでも、おめでとうと手をたたきながらも「えらく開いたな」「なにがあったのだろうか?」と首を傾げる人も多かった。
 この度の町長選の最大の特徴は反対派組織が崩壊してまったく機能しないばかりではなく、幹部がこぞって裏切っていること、それまで反対派に投じてきた人人の名前が推進派側にわたり、ピンポイント攻撃にさらされる条件があった。「反対派」議員たちは、前回までもそうだが、宣伝も組織工作もなく、いわば町民を代表する組織がないもとでの選挙となっていた。
 選挙戦にあたっては、「反対派」議員・幹部は、2週間前に候補を断念し、無投票で推進派候補を助けるという裏切りに出た。これは祝島をはじめとする町民の強い批判を浴び、最大の裏切り者山戸貞夫氏の息子である山戸孝氏の出馬表明となった。しかしチラシやハガキは、原発反対の言葉がなく「一流の田舎作り」という内容で、争点を避けるものとなっていた。山戸孝氏は選挙戦中、町民の批判意見を受け入れ誠実な態度で臨んだということで、父親とは違った好感が広がった。
 選挙戦になると推進派は、「選挙は楽勝」「動かず寝ていても7割、8割は簡単にとれる」と公然と叫んで回る有様であった。しかし町民の反応はなく、表に出てきて手を振ったり、演説を聴く人はまったく少人数という状況であった。「以前の半分以下だった」とか「3分の1もいなかった」「かつてない状況だ」というのが共通していた。
 「選挙の様子が様変わりした」「親族だけでやっていた」「推進も反対も一緒になって親族がやるのだから、勝手にしろと怒っている古手が多かった」といわれる。「古くから動いていた運動員が、今回はやらないといってほんとに動かなかった」「以前のように、“なにがなんでも推進”という人がおらず、“もう原発騒動は終わりにしたい”という空気の方が強かった」「直前のお願いもなかった」などと語られていた。
 選挙戦中盤まで「楽勝ムード」全開だった推進陣営は、終盤に入って町民の冷め切った世論に不安を隠せなくなった。「最後の2日間、上関の漁師は総休みになって、運動に動員された」「人が少なかった地域の役員には、“どうなっているんだ”とハッパをかける電話がかかってきた」などといわれ、「全体的に静かといわれたが、推進から離れようとしていると見られた人には煩わしいほどの念押しがあった」とも話されている。最終日には、柏原氏は演説の意欲もなくなり、投げやりの態度がありありという姿を町民の前にさらしていた。吉井県議などは、はじめ圧勝を叫んでいたが、最終日には得票率が6割から1%でも2%でも上回るようにと訴える有様であった。
 様子を見ていた町民のなかでは、当初の重たい空気は振り払われた。「4割は崩れることが絶対にない」「今度は前回反対票がどれだけのびるかだ」「42、3%は確実にいけるのではないか」と勢いづく状況になった。
 推進派陣営では最終日、片山派などが動かなかったことなどで、内輪げんかが始まっている有様だった。選挙は、片山派を排除して、「親族の選挙だ」と公然といわれる状況であった。推進派組織は、選挙戦を通じて明らかに空中分解をしていた。
 選挙結果は、反対派の票が200票あまり推進派に移動したという数字である。推進派から反対派に移動した票があり、祝島、上関、室津で反対票がそれぞれ100票近く推進派に動いたことになるが、町民の実感にはほど遠いのが実際となっている。
 選挙期間を通じての町民の世論と運動の発展は確かなものであり、それは町民の自信となっている。結果としての数字にはなんらかのトリックがあるという疑問が大きなものとなっており、この真相ははやがて暴露されることは疑いない。
 選挙戦で、県議がいっていたこととして、「二井知事は7割がないと困るといっていた」とか、「中電もはじめ静観していたのが、中日を過ぎるとあわただしく動き始め、七割がいるといっていた」といわれていた。推進派陣営が公然と「圧勝」「7対3」といっていたのはそれをあらわしたものであった。想定外のトリックをうかがわせながら、かれらが設定したその基準点を超えることはできなかった。
 現状では、地震対策や爆破攻撃対策など数1000億円の追加投資をしなければならない原発計画について、中電が進めることはできない。この選挙結果では上関原発計画はズルズルと立ち腐れ状態をつづけるほかはなくなった。

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