いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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上関町長選どう見るか 山戸氏に「推進派」の審判下る

 福島第1原発の事故後、原発の新規立地点としては初の首長選挙となった上関町長選が25日に投開票を迎え、推進派の柏原重海氏が1868票、反対派・山戸貞夫氏が905票という結果となった。得票率は、推進派が微増の67・4%(前回66・9%)、反対派が32・6%(同33・1%)となった。この結果に、全県、全国では落胆の雰囲気とともに、なぜ上関では反対票が伸びないのかという疑問が広がっている。現実に町民のなかでは、福島事故を受けて「上関原発は終わった」との世論が圧倒し、30年で破壊されてきた町の立て直しを願う声は圧倒していた。そういうなかでなぜそのような票の結果になったのか、それはなにを意味しているのか、さらに上関の進路はどうなのか、記者座談会を持って論議してみた。


 
 縛りつけられた柏原町政 復興求める町民パワー示す



 A まず選挙結果をどう見るか。全国を落胆させている面があるが、真相はどうなっているのか明らかにしたい。


 B 山口県内でも、「なぜあんな票になるのか?」と疑問がいっせいに出ている。「福島事故もあったのに、あり得ない結果だ」と驚きを持って受け止められている。翌日新聞を配りに行くと、みんなが選挙結果に首をかしげていて、「どうなっているんだ」と聞かれた。見出しにあった「山戸陣営自爆の選挙 町民の意志反映させぬ選挙構図」を見て、なるほどという反応だった。


 C 下関市内のある企業の男性は、開票後のテレビを見て驚いていた。「どうして山戸は落選したのにうれしそうな顔をしているのか? 悔しがっている顔にはとても見えなかった。あんたのところの新聞に“亡霊選挙”と書いてあったが、報道特集で不景気な顔つきをして演説しているのを見て、このことかと思っていた。あれは選挙に挑んでいる人間の言動ではない」と話していた。上関町内のことに精通しているわけではないけど、おかしいという受け止めが大半だ。


 D 得票率からすると微増ながら推進派の票が増えた。あり得ないことだからだ。そして選挙期間中にうなだれていた山戸が、負けたとたんに嬉嬉とした表情で「全国の常識は上関の非常識」などと町民がバカだったみたいなことをいっている。全国にも「上関町民はよほどバカなんだろうか」と印象づけるような言動をしている。そして「4年後はかならず勝つ」などと白白しいことをいっていたのが怒りを買っている。


 A 選挙後の報道は各社違いが出ている。読売は「推進派圧勝」という調子。山口新聞もだ。朝日は「建設容認とは直結せず」との見出しで、原発計画が終わったと見なした町民が行政手腕に期待して柏原を支持したというもの。毎日も「頓挫を想定 実績に託す」という内容だった。評価が二つに割れている。


  今回の選挙は町民の実感としては「1割は接近するのではないか」「反対が勝つことはないだろうが、推進票が崩れる」とだれもが口にしていた。それほど推進派の瓦解状況は著しかった。いつものように締め付けをやりきらないし、下部で動く者がいなかった。以前なら全戸に町連協(推進組織)のチラシが配布されていたが、住民世論を恐れて選り好みしてポスティングしていたり、「柏原をお願いします」という電話攻勢がまったくない家庭もかなりあった。選挙の票堅めも徹底されておらず、推進組織から身を引いた人人が「前はあんなものじゃなかった」「なにやってるんだ?」と驚いていた。


  柏原の街頭演説は地元の長島側ですら、同じ顔ぶれの漁師らが何カ所も移動してサクラになって聞いていた。それも付き合い程度で熱がない。盛り上がりがまったくなかったのが特徴だった。中盤にさしかかると、本人が直接知り合いに電話をはじめて「今回の選挙は読めない。応援をお願いします」と危機感にかられていたほどだ。電話を受けとった方も「こんなことは初めてだ」と驚いていた。


 C 選対についている幹部たちも表情が険しかった。「選挙は圧勝だ」というが、「圧勝してどうするのか?」と聞くと激高するのもいた。余裕がなかった。原発離れが急激に進行している。町内に仕事がこないが、準備工事パフォーマンスでも東電ルートの原発系列企業が頭越しに乗り込んできて、中国地方管内の業者もはじき出された。だから選挙でも全国ネット、とりわけ中国管内の企業動員が効いていない。柳井の井森工業でも2カ月ほど前に4隻持っていた作業台船のうち2隻を五洋建設に売り払うなど、資金繰りに必死。出陣式にも姿がなかった。みんなが腹を立てて動かない根拠があった。


  推進派の統率力は崩壊していた。威張ってきた推進派幹部が各地域で浮き上がっている。地域を締め上げるような力がなかった。大きな顔をして町民のなかを回りきれなかった。町民との力関係の変化をあらわしていた。推進派がみずからの力で選挙に勝ったのではなくて、山戸が自分で転けて推進派を盛り立ててくれた関係だった。



 町民を避ける山戸陣営 推進叫べぬ柏原陣営



  選挙が始まって町内を回っていると、「山戸はどうなっているんだ!」という批判の声が日に日に強いものになっていくのを感じた。町民に近寄らないし、お願いしますの一言もない。雲隠れしてどこにいるのかさっぱり存在感がない。チラシをポストに投函して逃げるように去っていく。「やる気がないじゃないか!」と反対派住民もだんだん激怒していた。


  最終日の夕方、だれもいない薄暗くなった室津地区の通りを、ハンドマイクを握りながらうつむいて練り歩いている山戸陣営を見て、港にいた漁師が「どうしてあいつが出てきたのか。もっとマシな候補が出たら勝てたかもしれないのに…」とガッカリしていた。同じように「もっと別の人物を擁立すればよかったのに」という声は全町で共通して出されていた。過去四度の町長選には山戸親子が立て続けに立候補してきたが、支持を集められる人物ではないという評価が選挙前からあった。しかし目の前で繰り広げられる選挙は山戸・柏原の選択肢しかない。


 A 山戸に集まった900票は、山戸を信頼して投じた票というのは、祝島も含めてほとんどない。インチキな奴だけれども、町民の反対の意志表示をして全国に恥をかいてはいけないという思いが900票になった。山戸本人の資質は抜きにして住民投票のような意味あいだ。これまでもずっとそうだった。それが900票あるというのはすごい力だ。それ以上の投票にならなかったのは、町民がダメだったからではまったくなく、山戸の方がまともな反対派と見られなかったことを証明するものだ。あれだけ原発はやめさせろの声が圧倒しているなかで、その声が票にならないのは、山戸の方が柏原以上に悪質と見られていたことを証明している。


 B 他方の柏原陣営は原発推進を正面から訴えることができなかった。「原発は推進する」とはいうが、実際上訴えたのは「原発がない場合の町づくり」だった。「原発はどうなるかわからない」「だけどがんばる」「生活支援は続ける」というものだった。右田、西町議などの「今こそ原発絶対推進」「上関から流れを変える」「オレは坂本龍馬だ」という調子の部分が中電側からしかられて、選挙後半にはしょんぼりしていた。


 A 柏原陣営の方からいうと、うまく町民をだまして反対に流れる票をとり込んだというわけだが、それは一面であり、もう一つの面からは原発をやめて町の立て直しをせよという町民の圧力に縛られることになった。町民の力は数字として表には見えにくいが、その内容、その質をよく見てみるとすごいものがあったということだ。当選確定後の柏原陣営の面面がひじょうに厳しい顔をしていたのはそのためだ。


 選挙結果を総合的に評価するなら、山戸型反対派幹部の路線が破産したが、原発推進の上関町政も終焉となったことを意味していると思う。柏原は選挙後の記者会見で「国次第であり、こっちから中止とはいわない」といいながら、大型ハコモノ投資はやめ、東京のコンサルタント会社に頼んで「原発のない町づくり」の方向を語っていた。



 異様なソーラーの宣伝 町立直しに無関係



  山戸と柏原がそもそも対立していない。主張からしても柏原が「原発のない町づくり」というのに対して山戸は「国が中止というまで反対する」「ソーラーパネルで町づくり」というものだった。ソーラーパネルについては祝島でも山戸家と氏本家の2軒が取り付けているだけだ。祝島のみなが断って1%程度なのに、メディアがやんやの騒ぎで中心争点のように持ち上げていく異常さがあった。


  ソーラーはソフトバンクなどの外来資本の新ビジネスの要求に応えるものだが、町民生活をどうするかという町の立て直しにとっては関係のないことだ。また原発の金を断って町づくりといい、身の丈にあった町政をやるという。町政は交付金を使って原発作業員のための温浴施設を建てたり、デラックスな小学校を建てたりして、今から経費倒れをしていく。町の漁業、農業、商工業その他の社会インフラを立て直すには金がいる。「金はいらない」で放置したら町をつぶすのかとなる。自主財源は2億円しかなく財政はパンクしているのだから、30年間も町をもましてきた国や中電、県に償わせるのは当然だ。だから山戸に町政をまかせたら上関町はつぶれてしまうとみなが思うのは当然だ。それは柏原よりひどいことになるとみなされて当然だ。


  山戸は選挙中、「原発ができないのを柏原は知っている」とか、「柏原の行政手腕は認める」といっていた。柏原と対立し争うのではなく柏原をほめる有様だった。


  みんなが頭にきたのはあの選挙態度だった。海の上からなにを叫んでいるのかわからない。プカプカ浮かんだ反対派の船から手を振っていたり、住民から逃げ回っている印象が強かった。室津の婦人が「祝島の人間だからこそ、日頃関係のない長島、室津地区を一軒一軒訪ねて目を見て話をしたり、頭を下げなければいけない。そうすれば少しは心が動く可能性がある。なのに姿も見せないのでは選挙にならない!」と激怒していた。ポスター貼りもソーラー宣伝のチラシも自治労がよそから動員されて配っていた。そのチラシを最後まで読み進めると、「代表・山戸貞夫」の部分だけ黒マジックで消され、山戸の自然エネルギー団体に寄付を送れで結ばれている。選挙なのかエコに便乗した募金集めなのかわからないと指摘されていた。


  東京の読者がすぐに連絡してくれたのだが、東京新聞が選挙翌日の1面トップで社説までつけて田舎の上関のことを扱っていた内容が意味深だった。その論点は「9連勝とは言い難い結果になった。新規立地は不可能。しかしこの30年で葬式にも行けないほど、国策が町に深刻な対立を持ち込んだ。国の責任として、原発交付金でおろすはずだった交付金を自然エネルギー100%を進める祝島のような事業に振り向け、それを柏原が支援する形になれば溝が埋まる」というものだ。基本コースが出来上がっている。柏原が勝っただけなら東京新聞が首都圏の読者に社説付きで伝える価値などない。原発の推進派も反対派も自然エネルギー推進派になって融和をはかれという主張が出ている。



 背後で動く中央の利権 新エネルギーの流れ



 C 震災後、原発をやめて新エネルギーにシフトする流れが財界や政府で持ちきりになっている。自動車産業をしのぐほどの市場といって沸き立っている。明らかに中央利権が動いている。環境エネルギー政策研究所の飯田哲也が安倍昭恵(元首相夫人)を祝島に連れて行ったり、経済産業省も自然エネルギーの普及に力を入れてきた。二井知事も震災後、ソフトバンクの孫正義が立ち上げた自然エネルギー協議会に参加する動きを見せた。


  今度推進派と反対派の議員が一緒に高知の風力発電所の視察に行く、そして柏原は推反合同の原発のない町づくり協議会を始める。山戸反対派側が、自然エネルギー導入で先導し、柏原がそれを推進していく。2人3脚体制だ。山戸は「原発の金はもらうな」だが、「ソーラーの金はもらえ」なのだ。


  スマートグリッド(次世代送電網)といって、オバマが米国グリーン・ニューディール政策の柱として打ち出している。「大規模な発電所から一方的に電力を送り出す仕組みをやめて、送電拠点を分散させる」という新ビジネスで、そこに投資を煽ったりファンドが介在したりの動きになっている。原発で全国に名前を売り出した祝島を利用して、今度はスマートグリッドの先駆けにするという利権だ。ソフトバンクあたりに祝島の屋根を貸すから手伝ってくれという関係にはなりうる。山戸親子がその手伝いに乗り出しているという関係みたいだ。


  祝島では風力発電を1億円かけて設置するという話も水面下で動いているそうだ。10月には町議会が高知の風力発電を視察に行くといっているが、町民にいわせると「わざわざ高知まで行かなくても平生町佐賀(隣町)に行け。7基あるだろ」と語られていた。


  
 山戸型反対の破産 全国落胆させる犯罪性 推進助ける役割



  今度の選挙の第一の特徴として、山戸や反対派議員らの破産だ。町民からは柏原推進派の仲間と見られており、まともな反対派とは見られていないことを証明した。


 C 負けて町民を落胆させ、全国を落胆させるために出たといわれても仕方ない。この犯罪性は大きい。大分の姫島村議会は上関原発中止の意見書を準備していたが、上関町の選挙で推進派が圧勝したというので、意見書を見合わせたという。今度は上関だけでなく全国を落胆させる犯罪性だ。


  歴史的経過を見ると、上関原発が終わろうとしているときに、推進を助けることをやってきた。上関原発は80年代後半には行き詰まっていた。片山元町長は「ハゲは帰れ」と罵倒されながら何度も祝島に行って対話を試みていた。そこに山戸が島根から帰ってきて、漁協の組合長になり、祝島の実権を握る。90年代はじめに平井元知事が4度も祝島に渡り、水産加工場とか埋め立てとか県道整備などやって祝島の抱き込みをはかった。「平井知事は味方だ」が祝島でいわれていた。そのなかでやったのが94年の漁業権書き換えだった。埋め立て予定地である四代田の浦地先の共同漁業権を祝島が放棄し、四代単独漁業権とした。祝島漁協が認めたのだ。これで上関原発は一気に息を吹き返した。これがなければ上関原発は二十数年前に終わっていたのだ。これを覆した立て役者は山戸だった。推進派片山町長には逆立ちしてもできない推進への貢献だった。


  平井県政は漁協の抵抗をつぶし、上関、岩国の基地沖合拡張、下関の人工島などの埋め立てを推進する意図を持って、信漁連の200億円の欠損金問題を摘発し利用した。上関巻き返しの当時、本紙がこのインチキを暴露していく過程で、周辺の平生町で火がついて当時の松岡町長が慎重発言をやり、勢いづいていた推進策動はまひしていった。その翌年の98年の町議選は、動揺してどうして良いかわからなくなった推進派と反対派の両方が野合して前代未聞の無投票が仕組まれた。長周新聞としては反対派幹部が推進派になったとして山戸暴露に踏み切った。


  2005年には祝島漁協の解体を意味する県一漁協合併が持ち上がって大紛糾した。そこでは山戸が祝島漁協を食い物にしてきた実態が暴露された。漁協経営を困難にし、漁民生活を困難にするというのは、補償金受けとりを迫る国や電力の常套手段だった。そして県水産部が漁協合併とセットで迫っていたのが、補償金受けとりだった。合併時に山戸は組合長罷免となって失脚した。補償金は祝島が受け取れば「漁業補償交渉は妥結」となって、準備工事に進む算段だった。祝島が反対しても漁業権問題は解決と県も中電もペテンをしかけた。周辺の漁協幹部にいわせれば「表に出ないものも含めて四代並(1人当たり4000万~5000万円)の額が提示されていた」という。


  ところが祝島の婦人たちが決起して2票差でひっくり返してプログラムは狂った。祝島の補償金受けとり拒否で祝島の漁業権は生きたままとなり、二井知事が出した埋め立て許可は無効であることが確定的となった。それによって「準備工事」はストップした。町内に乗り込んでいた東京方面の業者もみな引きあげていった。県が執拗に補償金受けとりを迫る過程で、漁協運営委員の選挙に漁民は山戸を出そうとするが、山戸は失脚時に「今後は公職に出ません」と県や海域の推進派幹部たちと約束して、念書まで交わしていたことが発覚した。今度町長選という公職中の公職に立候補するのに、県も漁協推進派もそれに文句をいわず容認したのはまことに怪しげな対応だった。


 A 推進派ボスの大西(県漁協上関支店・運営委員長)の海区調整委員選挙は祝島が票を入れて当選させていた。みんなには喧嘩相手のようにうつっていたが2人は仲がよかった。地先漁業権を放棄してくれた恩人なのだ。初期のころの祝島・愛郷一心会(反対派組織)の会長だった金田も、祝島で正体が暴露されて打倒された後、その後片山町長は公共工事を受注させて面倒を見ていた。スコップ一本持っていないのに、架空受注させていた。当時推進派住民への非人道的な攻撃をやり、全町民を反対派に近づけなくさせ、町民を分断して推進派を力づける役割を果たしていた。反対派のなかに推進派を配置して反対運動を内部から破壊して推進するというのが、上関をめぐる中電・原子力ムラのはじめからの手段だった。



 全く信頼ない反対議員 30年へて町民は熟知



  「こんなのについていったら大変だ」ということは30年の経験をへて町民が一番よく知っている。「祝島のおばちゃんたちはたいしたもんだが、幹部は何だ!」という怒りはすごい。この間ののるかそるかの局面で、補償金受けとりを拒否し、工事をストップさせたのは婦人たちの力によるものだ。「おばちゃんたちがよくがんばった」「祝島のおかげだ」と町民が感謝しているゆえんだ。婦人たちを中心とする住民のがんばりは尊敬されている。しかしその上に乗っかっている幹部連中の信用はない。


  反対派議員は町民の信頼がまったくない。室津の河本広正氏の後継として反対派議員になった外村勉は、公然と推進派に寝返って、次の選挙では落選した。岩木にしても漁業補償金を率先して受けとったし、議員になったから子どもを大学にやれた。山戸にしても、原発のおかげで子どもを大学にやれた。清水は平生に家を建てて上関に通って議員をやっている。上杉は大阪の労組出身で反対派議員をやったが、議員を辞めたら反対派の世話も一切やめた。町民を自分のために利用しただけだった。町民のために運動をするというのは全くなく、自分の飯のための反対だというのはみなが見てきたことだ。


 A かれらというのは、原発がなくなったら飯の食い上げになる。原発の恩恵にあずかっているのだ。だから原発がなくなったら困るというのが本音だ。町長選でもしも反対票が勝って原発が終結したら大変だというのが今度の選挙だ。柏原に勝ってもらわなければ困る根拠だ。これを正面の推進派以上に町民が警戒し、忌み嫌うのは当然だ。反対派というものが、永遠に反対するばかりで、勝利することに反対するというものだ。反対に反対して推進するという仕掛だ。


 B 選挙の票の流れから見たら、前回選挙から祝島が大崩れしている。今回の選挙でも相当数が柏原に流れた。つまり祝島で山戸が信頼がないということだ。事実この間は島のなかで孤立していた。島の人人も山戸を見る目が変わっている。これまでの裏切りについてももちろんだが、自然エネルギーに乗っかって儲けようとしていることへの違和感が語られていた。みんなは「あの親子はどうやって飯を食っているのか?」という疑問がある。「収入源はないはずなのに」「琵琶茶を作って生活できるわけがない」「山戸の1昨年の年間水揚げは14万円だった」と祝島の漁師たちが話題にしていた。


  柏原も祝島懐柔の優遇策をいろいろやってきた。定期船でも6000万円の債務負担行為をして面倒を見ているし、診療所には常駐の医者を配置するなど力を入れてきた。四代の推進派が「祝島は反対をして、いいことばかりしている」とうらやましがるほどだ。原発の金はいらないどころか、反対することによってよそより金が入っている。港でも祝島の立派さに比べて、四代や上関地区は壊れているのが長年放置されている。


  正面の推進派は見やすいが、「反対」の仮面をかぶった推進派はたちが悪い。そのことに審判が下されたということだ。イカサマ反対派の破産であり、町民の力は偉大だったということだ。選挙の票にはあらわれないが、その質はすごいものがある。


  柏原陣営も原発を終わらせて町の再建を急げという町民の縛りを受けた。推進派町議のなかでも右田、西あたりが「今こそ上関から原発の風を起こそう」などとゼンマイが狂ったような形で突っ走っていたが規制された。「原発過激派」のあの調子はもうできなくなった。情勢は転換した。ここから町内はどういう矛盾関係になってどうするかだ。


  
 「原発撤回して町作りに進め」の町民世論が圧倒 推進派も瓦解



 B 選挙の機会に町をどうするか、中電、国、県と町民との矛盾が先鋭化したし、原発を撤回して町作りに進めという世論が圧倒した。柏原は当選後、「町作りの方向について決めるのは上関に住んでいるわれわれ町民自身だ。それが地方自治というものだ。外から来た人人に論じられる筋合いはない」とムキになって叫んでいた。しかし東京のコンサルタントに次の町作りを丸投げしているのが柏原だ。


 C 東京のコンサルタントというのは「21世紀」という耳慣れない会社で、上関町のこれまでの基本計画策定にも関与してきた企業のようだ。巨大な温浴施設や箱物計画満載の「原発のある町作り」にかかわってきた会社が、今度は「原発のない町作り」の青写真も描くという。上関町が東京にパイプがあるとしたら、中電・東電、経産省ルートしかない。以前からの関係というならなおさらだ。


 B 選挙後に推進・反対派議員共同の風力発電視察、町作り協議会を設置する構想が動いている。町作りといったとき、やっぱり東京依存、大企業依存、国の金依存しか方向性がない。山戸もソーラーで外部勢力依存。町のなかから今ある町民経済をどうするかが両者ともない。外からの金頼みで、使い果たしてもうけてやろうというものだ。外からの金にぶら下がって利権をやる売町政治の延長だ。原発利権にかわったソーラー利権か、原発賠償金利権の方向と町民の対立だ。


 C 原発交付金による巨大温浴施設だが、町民から見たらなぜあんな大きなものをつくったのかというが、それは原発作業員用だ。全校で70人しかいないのに、デラックスな室内プール付き小学校をつくったのも、中電など原発企業の坊ちゃん、嬢ちゃんを収容するためのものだった。水道代も上がったが、小瀬川ダムの工業用水を引っ張ったのも原発のためだった。交付金といっても中電のための税金投入だ。迷惑したのは町民だった。こういう売町利権政治を継続したら上関はつぶれる。柏原町政のもとで、町民との矛盾は鋭くなっていく。


 D 本紙では7月から4回の号外を配布した。反響はかつてないすごいものだった。8月盆前の「10年放置したら上関はつぶれてしまう」という内容に共感が強く、町の立て直しを求める世論が動いた。地に着いた漁業であるし、町の産業、経済全般を町民の多くが心配していた。商店や老人の暮らしなど、さまざまな実情が語られていた。推進の利権政治を30年続けている間に人口は半減し、住めなくなってしまった。深刻な衰退状況があるのに、なにがソーラーかだし、推進陣営は町民世論の激変状況にしびれ上がっていた。そういうなかで柏原・中電は慌てて原発暴走の過激派を規制した。



 町民主導の町立直しへ 発展の可能性は大



  上関原発は終わった。この30年で破壊された町を立て直すには下から町民全体のパワーを発揮するしかない。売町勢力を好きにさせていたら、金がどれだけ下りてきても利権で使い果たすだけだ。原発終結になって賠償金をとるとなっても、この連中が握ってしまったらすべてムダ使いして町には残らない。というより、柏原や町議連中、山戸にせよ弱みだらけで中電から賠償金を取れるような連中ではない。飼い主に文句をいいきるわけがない。いわれるままにしかならない。


  中電が「上関原発は難しい」というのならまだしも「やります」と同じことばかりいうのも白白しいと話題になっている。逃げるためのいい方だと。中電の「原発はできる」詐欺に乗って設備投資したり、従業員に資格を取らせたりしてきた企業などは、おかげでひどい目にあった。中電からすれば逃げるのが基本線だが、「やる気なのだ」と放置して原発利権だけつなぐという線で動いている。「国が止めるのなら仕方がない」という態度だ。逃げるにしても難しく、町内の売町勢力、飼い犬が引き続き必要となる。


 D 町作りというのも、この30年で町民は個人個人でさまざまな努力をしてきた。しかし町政や漁協などの側からことごとくつぶされてきた経験がある。漁業者でも瀬戸内海の豊かさへの確信は強い。しかし漁場の開発にしても今の流通システムや出荷体制では展望がない。漁場管理にしても出荷にしても共同管理が不可欠だが、漁協が中電の道具になって共同機能が破壊されてきた。


 A 上関の復興は大変な努力を要するが、津波に襲われた東北沿岸に比べたらはるかに優位だ。漁業をどう立て直すか、農業をどうするか、造船鉄工についてもどんな可能性があるか、商店をどうするか、年寄りが多いというが介護ビジネスを町内でどう動かすか、若者が住めるように住居や医療や保育の体制をどうするか、など具体的に動き始めて論議が始まった。それに奉仕するように町政が動かなければならないし、中電や国も償わなければならない。つまり「原発のない場合の町作り」だ。柏原売町利権町政と生産による振興を求める町民との間の大きな矛盾になって激化していくだろう。


  金づるを原発から自然エネルギーにシフトする動きになっているが、町民の立て直しを求める世論に縛られている。全国にもこの力関係を知らさなければいけない。


  山戸反対派を破産させ、推進派も瓦解させた。町民の大勝利だ。売町勢力を一掃して町民主人公の町の立て直しに進むところへきた。町民団結が要だ。町の地域共同体的な団結の回復をもって町民主導でいくことがいる。そういう町の立て直しの町民パワーが炸裂しなければどうにもならない。国や電力、企業の金を当てにしていく町作りと、町民主導の立て直しは激しく矛盾する。売町勢力の方は大企業や国の金にぶら下がった食いつぶしだ。町民の方は生産を基本にした地域協力、地域共同体の力だ。漁業でも発展の可能性はいくらでもある。なんせなにもやっていないのだから、やることは山ほどある。


  漁業も農業も、鉄工や商店も、みんなが相互に依存しあって町の経済が成り立っているし、ここを回復しようというものだ。もうけ第一の新自由主義、欲タレどもがなにも考えずに町を食いつぶすのに対して、生産原理、共同体原理でいく要求が強くなっている。「自分だけいいことをしようとするのはいけない」という意見が各所で聞かれた。商店一つとってもその人の商売だけではなく「みんなが生活していくために必要だ」という。東北の復興をめぐっても、壊滅した瓦礫のなかからみんなが力を合わせて立ち上がっていることが共感を持たれていた。


 A 柏原町政はこういう町民の基盤の上で行政運営にあたらなければならない。今回の選挙で原発推進町政は終結させたといえる。そして推進町政を発頭になって手助けしてきた反対派の顔をした推進派を破産させた。原発推進の政治支配構図を瓦解させたのだ。推進は願望で首をつないでいるだけで実態は終結だ。ここから、町の立て直しの大運動が求められている。それを代表するリーダーをつくり出して、早めに町長も議会も総入れ替えして復興のスピードを上げることが求められている。

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