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注目される村岡知事の判断 上関原発の埋立免許にどう対応するか

 山口県で進められている上関原発建設計画の公有水面埋立許可と関わって、事業者の中国電力が山口県に対して延長申請を求める文書を提出し、村岡県政の判断が迫られている。2008年に当時の二井知事が祝島の漁業補償問題が未解決のまま許可を出したことによって、行政手続きとしてはGOサインが出たものの埋め立てできないという、前代未聞の状態が続いてきた。3年の期限を迎えた段階で本来なら失効させるべきところ、昨年春に山本前知事が1年判断を先延ばしして今日に至っている。この間、水面下で条件整備に奔走してきたのが県当局であったが、猶予期間となったこの一年間も、肝心の祝島は引き続き補償金の受け取りを拒否し続けてきた。何ら進展がないままタイムリミットを迎えることとなった。
 
 最大のネックは祝島の漁業権

 就任後、村岡知事は「福島原発事故後の新たな安全基準に基づく土地利用計画が不透明であれば、公有水面埋立法上の要件である『正当な事由』がなく、埋立免許の延長を認めることはできない」とする二井関成元知事の「法的整理」の考え方を引き継ぐと表明。「上関原発計画が国のエネルギー政策に位置付けられていることを説明できているかどうかを確認し、その上で土地利用計画が確定していることなど正当な事由の有無を判断できることになれば、可否判断の行政処分ができる」という、県当局のこれまでの考え方を踏襲すると見解を示してきた。中電から回答書が届いた14日には、「公有水面埋立法に基づき適正に審査して判断する」と述べている。
 中電の補足説明と回答内容について、いまのところ県当局は何ら明らかにしていない。これまで五度にわたって補足説明を求め、その度に中電に回答を求める形で投げ返し、山口県庁と中電の間で「質問」「回答」が行ったり来たりしてきた。実際には説明が不十分なのではなく、祝島の漁業権問題が未解決だから許可を下すことができず、仮に許可したとしても08年からの3年間と同じように、海面には手をつけることができない関係にほかならない。祝島が漁業権放棄に同意しておらず、補償金も受領関係が成立せず、その漁業権は生き続けているからである。
 そうした根本矛盾を隠蔽しながら、表面上は原発と切り離した公有水面の法解釈に問題をすり替えている。しかしどうすることもできず、今回も別の質問事項を中電に投げかけて判断を先送りにする可能性が取り沙汰されている。「期間内に祝島の補償金問題を片付けなければ、次のステップに進めない」ことを意味しているが、要するに県が出した公有水面埋立許可そのものが、はじめから非合法のルール違反によってごり押しされたもので、無効だったことを暴露している。それを糊塗するために「土地利用の解釈」という別問題を持ち出しているにすぎない。「公有水面埋立法に則って判断する…」のなら、まず第一に「関係するすべての漁協の同意」すなわち祝島も含めた漁業権放棄が大前提となる。しかも3年間で完了しなければ失効(失効するだけでなく現地復旧が義務づけられている)する。ところがこのどれも否定して、本来無効であるはずの免許を生かし続けるために、「判断延長」という全国でも前例がないウルトラCの荒技を繰り出して、新規立地の原発計画を温存している。
 3年を経ても先延ばしできるのなら、何のために期限を設けているのか? も疑問となる。また、全国で山口方式の真似事がはじまれば、「公有水面埋立法」は何のためにあるのかわからない。安倍代理の山口県政によって、憲法よりも先に飾り物にされる趨勢となっている。

 先走った二井県政 はじめから無効な代物

 この間、猶予期間である1年を使って漁業権問題を解決することが、推進勢力にとっては至上命題だった。祝島に補償金を受け取らせ、最終的に漁業権放棄の同意までさせなければ、たとえ知事が許可を延長したところで埋め立て工事には手がつけられず、意味を為さない。そのために、昨年は何度も祝島に「補償金を受け取れ!」と迫っていた。山口県漁協に指示して総会の開催を迫っていたのは県当局で、祝島のなかでも県水産行政に持ち上げられている部分が仕掛け人として暗躍していた。「祝島の漁業権は解決済み」といいながら、実際行動で執着してきたのが山口県政であった。
 この問題の経過を整理してみると、そもそも発端をつくりだしたのは二井県政だった。
 原発海域の漁業権については、2000年に旧107共同漁業権管理委員会(上関、室津、四代、祝島、牛島、平生、田布施、光の8漁協で構成)が多数決によって同意を決定し、その後祝島が無効を訴えて提訴していた。二〇〇八年に最高裁が「祝島は一〇七共同漁業権管理委員会の契約に拘束される」という曖昧な判決を下したのをもって解決済み扱いし、ごり押しをはかったのが二井県政で、その際に埋立許可を出した。
 ただ「拘束される」とはいっても、「祝島の漁業権はなくなった」とは最高裁はいわなかったし、いえなかった。漁業権放棄を決定できるのは最高裁ではなく、漁協組合員の3分の2同意が不可欠だからである。県水産行政もそのことは承知していて祝島漁民があきらめてカネを手にし、受領関係を成立させたうえで漁業権放棄の書面同意を書かせていくという、詐欺のような手法で籠絡をはかろうとした。
 2008年以後は祝島に対して「原発はできるのだから、あきらめて補償金を受け取れ!」という恫喝が何度も加えられ、同時に上関町内にはゼネコンが動員した全国の業者が終結して事務所を開設するなど、いまにも原発は建設されるような雰囲気がつくられた。海面には手をつけられないが、立地点の四代田ノ浦では森林を伐採したり、穴を掘ったり、対岸の祝島に見えるようにして「原発建設は始まった」のアピールが繰り広げられた。しかし、何度も祝島は受け取り拒否を決議し、3分の2同意はとれなかった。
 おかげで、知事の公有水面埋立許可は出ているのに工事できないというジレンマが続き、「反対運動が過激で埋立工事ができない!」という衝突パフォーマンスを演出して時間稼ぎしていた。1年間手つかずなら免許が失効することから、1年目の春には大騒動してブイを8個浮かべ、2年目も「住民との衝突で工事ができない」という理由付けのための埋立パフォーマンスをやり、そうこうしているうちに福島事故が起きた。期限の3年を迎えても埋立工事は完了するどころか、何ら手つかずのままとなった。
 県当局なり推進勢力が「整理」しなければならないのは土地利用の解釈などではない。「法的整理」がどうしても必要なら、祝島の漁業権が失われていないこと、おかげで3年間何もできなかったことを明らかにし、仕切り直す以外にない。嘘や欺瞞で人騙しをやってきたために、「質問」「回答」の応酬という、さらに見苦しい芝居を演じるハメになっているのである。中電と県政の間に矛盾や対立など何もないが、村岡県政がGOサインを出したところで空振りにならざるを得ない。また、無理矢理許可を出されても対応に困るのが中電で、ならば祝島が解決するまで塩漬けしかないという判断でここまできている。

 都合のよい「ルール」 超法規に守られた国策

 祝島があきらめなければ原発建設は何も進まない。90年代から20年近くかけて県政がシカケを施してきた漁業権剥奪の策動が、すべて振り出しに戻ることを物語っている。いまになって「法に則って適正な審査をする」と述べているものの、祝島における関わりだけ見ても、国策をかざして原発を推進する側はルール違反のやりたい放題だったことを無視することはできない。
 漁業権放棄は漁協総会の3分の2同意が不可欠であるのをわかっていながら、共同漁業権管理委員会の多数決で「祝島の漁業権はなくなった」とうそぶき、最高裁まで巻き込んで大がかりな欺瞞をやった。しかし実際にはなくなっていないことをわかっているから、県当局が懸命になって漁業権剥奪に奔走し、わざわざ「漁業補償金を受け取りなさい」と指導してきた。2006年の漁協合併に誘導したのも県当局で、山戸貞夫組合長が私物化していた漁協経営の弱点を突いて山口県漁協との合併に導き、蓋を開けてみたら県漁協が県水産行政の使い走りになって「補償金を受け取れ!」の攻勢を加えることとなった。祝島漁民が「補償金は受け取らない」と総会で決議しているのを何度もやり直しさせ、決議をひっくり返すというルール違反も繰り返した。
 また、法務局に供託されていた補償金が国庫に没収されるはずだった2010年には、祝島漁民が拒否しているのに県漁協が引き出して、わざわざ原発計画を延長させた。地元漁協の決議を無視して、受取人でもない県漁協が勝手に受け取るという超法規であった。国庫没収なら祝島との漁業権交渉は決裂となり、2010年時点で原発計画は振り出しに戻っていた。ところがこれも非合法的な手法によって押し切っていった。
 祝島における漁協経営の困難性は離島という条件面だけでなく、裏側からの経営圧迫も多いに作用した。県漁協の傘下に入ってからはとりわけ魚価が下がり、毎年のように組合員は1人当り十数万円の赤字補填を拠出させられてきた。タイもアジも浜では超安値で買い叩いているにもかかわらず、わざわざ福山市の水産市場まで運んで出荷するなど、安値で漁師を締め上げて、何者かがピンハネしていくという不可解な構造もある。安い魚なら岩国や柳井市場に出荷すればよいのに、わざわざ遠く離れた福山まで経費をかけて持っていく。そして「福山では信頼も厚く、一番競りにかけられる地位を得ているから」といいながら、漁師の手元には腐った魚の価格かと思うような二束三文しか届かない。あこぎな兵糧攻めを尽くしたうえで、「たいへんでしょう」「だから補償金を受け取れ」をやってきた。
 祝島の経験だけでなく、国策として持ち込まれた原発建設を巡っては、選挙も買収し放題で、警察も都合のよいときしか手を加えない。神社地売却に宮司が反対すれば、合法的な格好をして中電が推進派住民に「不適格だ!」と大騒ぎをさせ、県神社庁や神社本庁の汚れ神主どもを買収して解任するようなことも平気でやる。裁判所や検察、税務署にいたるまで、すべての金力、権力がフル動員されて、超法規の非合法地帯がつくられてきたこと、抵抗する個人を叩きつぶしてきたことは、上関町民の全経験からも浮き彫りになっている。法律やルールというものが、いかにして大企業や権力者のおもちゃにされてきたか、30年来の原発騒動は十分過ぎるほど、そのデタラメさを見せつけてきた。

 全県民が注視 村岡嗣政は官選知事か

 安倍首相の肝いりで知事ポストについた新任知事が、さっそく立場を問われている。村岡嗣政知事は、なおも非合法を突っ走り、見苦しい「質問」「回答」のキャッチボールに終始するのか、それとも祝島の漁業権問題がネックになっていることを受け入れて仕切り直しをするのか、態度が迫られている。地方行政に責任を負う知事は全局のことを考えなければならず、上関原発という全国最後の新規立地に責任を負えるのかも問われなければならない。
 福島第1原発の収束すらつかない様子が日日報道され、同じ県知事でも新潟では再稼働を突っぱねる知事もいる。函館では地方自治体が大間原発の差し止めを求めて訴訟を起こすなど、地方自治の現場から住民の生命や安全を守るための行動も起きている。同時に、再稼働を強行突破しようとしている国は避難策すら満足なものが打ち出せず、福島でも14万人を棄民状態にさらしたままである。メルトダウンした原子炉は手の施しようがなく、技術者も足りない。しかし二の舞になっても構わないという無責任で、中央ではエネルギー基本計画が策定され、引き続き原発推進が掲げられることとなった。
 こうした全国的趨勢のなかで埋立許可を出すということは、「公有水面埋立法」の良し悪しの問題ではなく、原発をつくるための許可であることはだれの目にも明らかとなっている。法解釈の問題に限定してGOサインを出すというのなら、山口県民の生命や安全を守るべき知事としての資格はないことを自己暴露することになる。投票率が少ない選挙で当選したからといって、安倍晋三に任命された官選知事なのかどうか、120万人の山口県民がその姿勢に注目している。福島事故を経た判断が村岡知事にどれだけあるのか、埋立免許の無効性と合わせて問われなければならない。

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