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有害鳥獣捕獲の現場から 豊田町・豊北町の猟師たちの取組に密着

 シカ、サル、イノシシなどの有害鳥獣による農業・生活被害が全国的に問題になっている。農水省の調べによると、2017年度の農業被害金額164億円のうち、シカとイノシシによるものが全体の70%以上を占めている。山口県内にはもともとシカは少なく、1950年代にはわずか50頭しか確認されていなかった。しかし2017年度には推定生息数が1万7600頭までふくれあがり、中山間地ではこの駆除が切実な課題になっている。下関市の豊北町と豊田町で毎週土・日曜日に捕獲事業をおこなっている捕獲隊の活動に同行取材した。

 

 2月下旬、ようやく春めいてきたとはいえ、早朝の野はうっすらと霜が降りるほど冷え込む。9時の集合時間が近くなると、アンテナを立てたり、軽トラックの荷台の檻に猟犬を積んで隊員たちが続続と集まってくる。この捕獲事業は豊田町と豊北町の捕獲隊が合同でおこなっており、多い日で20人、少ない日には12人ほどで駆除をおこなう。

 

 集合した隊員たちは一カ所に集まり、周辺でのシカやイノシシ、サルの目撃情報や、日頃から確認しているチェックポイントの変化、足跡や草木の荒れ方などを各各が出しあいながら猟をおこなうポイントを絞る。

 

 予定が決まり、早速猟場へと軽トラックが次次に出発していく。20歳の頃から約50年猟師をしてきた大ベテランの松崎弘さんに同行した。

 

 駆除では「巻き狩り」という手法を用いる。この猟法は隊員のなかで役割分担が決まっている。猟犬と一緒に山に入り、猟犬の嗅覚を頼りに獲物を追って山の外へとあぶり出す役目を負う「勢子(せこ)」と、山の中から猟犬に追われて外へ飛び出してくる獲物を待ち伏せして仕留める「鹿垣(しがき)」に分かれる。

 

 「獲物を待ち受けるにも要所がある。イノシシはどこから出てくるか分からないが、シカは角があるからある程度視界が開けた草木の間を通る。とんでもない所から飛び出してくることはない」と松崎さんはいう。

 

 使用する銃は散弾銃とライフル銃の二種類に分かれる。散弾銃は基本的に「スラッグ弾」という一発弾を使うが、「シカバラ」と呼ばれる1回で9発の弾を撃つことができるものも併用することができる。ライフル銃は強力な威力を持ち、射程距離は1000㍍で、最大到達距離は4000㍍ともいわれる。どこへ着弾するか分からないため、上に向かって撃つことができない。標的にする獲物が限られており、簡単には所持免許を取得できない。すさまじい威力を誇り、ある猟師は木の向こう側にいるイノシシをライフル銃で仕留めたこともあるという。

 

 猟犬も優秀だ。山の中を走り回り、獲物を見つけると吠えてその存在を人間に知らせつつ、鹿垣が待機する山の外へ追い出したり、森の中の茂みに隠れた獲物を吠えて威嚇しながら、勢子が到着して仕留めるまでその場所に留めておく。なぜ猟犬は獲物を追うのか、なにか訓練や仕込みをしているのか気になって聞いてみると、「犬は自分と人間以外はみな自分のエサだと思っている」のだそうだ。また、訓練や教えも重要だが、優秀な猟犬を決定づけるのは絶対的に「血筋」なのだという。わざわざ県外から優秀な血筋を引くために交配させに来る猟師もいるほどだ。

 

昼休憩に午前中の活動を振り返り談笑する捕獲隊メンバー

素早い鹿を追う連携プレーの巻き狩り

 

 待ち伏せする場所に着くと、その地形や木木の生え方、水場の位置など環境を見ながら、山から逃げて来る動物たちがどのような動きをとるか予測し、自分の立ち位置を決める。山際の草木や土をよく見てみると、法面の雑草が両側に倒れてそのまま山の中へ続いている場所があり、土にはシカの蹄の跡がくっきりと残った場所がいくつかある。場所が決まれば、あとは猟犬が山中で獲物を見つけるまでその場でじっと待つ。鹿垣の数が多く、より包囲網を厚く敷くほど獲物の捕獲率は上がる。猟犬と人間同士の周到な連携がもっとも重要になる。

 

 駆除事業で主にとるのはシカとイノシシだ。ある猟師は「イノシシなら山の中へ人間一人で入って猟犬を使えば仕留めることができるが、シカの場合はそうはいかない。ある程度追い込む場所を定めて、仕留める猟師が複数人いて連携をとりながらでなければ猟にならない」と話していた。

 

 最初に見定めたポイントで待つこと約1時間、山の中で猟犬がキャンキャンとけたたましく吠える声が聞こえてきた。猟犬の首輪にはGPS発信器がとり付けてあり、松崎さんが持つ手元の受信機には猟犬がどこで獲物を見つけたのかが大まかに分かる。山中で獲物を見つけた勢子は、どこに何がいるのかを無線でみなに知らせる。「大きなイノシシだ。20貫(80㌔㌘)はある。近いぞ」と松崎さん。GPSの位置情報と猟犬の声がする方角をもとに仲間の猟師と無線で連絡をとりあい、獲物が飛び出してきそうな場所を予測して位置どりを変える。その後、しばらくして山の中で4~5発銃声が響いた。他の鹿垣猟師が獲物を仕留めたようだ。しかし仕留めたのはシカ2頭と中型のイノシシ1頭で、本命だった80㌔㌘のイノシシはとり逃がしてしまった。

 

 しばらく時間が経ってから、再び山の中が騒がしくなった。猟犬の鳴き声が先ほどよりもさらに近い。ほどなくして松崎さんが位置どった茂みの奥から「ガサガサ」と音がして1頭の雄ジカが飛び出してきた。すかさず猟銃を構える。その距離約30㍍ほど。「バーン」「バーン」と2発の銃声が鳴ると同時に、シカは一跳びで脇の茂みへと姿を消した。弾は当たらず逃がしてしまったようだ。一瞬の出来事だった。シカの足音や体を弾く草木が揺れる音を聞き分ける聴力、その動きを捉える視力、照準に合わせ素早く引き金を引く瞬発力、弾を命中させる集中力など腕が試される。一発勝負だ。

 

茂みの中から飛び出してきたシカを撃つ猟師

 勢子が操る猟犬が一つの山を走り回り、獲物が出てこないと見ると捕獲隊は一度猟を切り上げ、仕留めた獲物を回収する。

 

 この回収作業が想像よりもはるかに重労働だ。山際の小川のそばにシカ2頭とイノシシ1頭が転がっていた。山の中で道路脇に停めた軽トラからはかなりの距離があり、人力で移動させなければならない。首にロープをかけ引きずり出すのだ。大きなシカは40㌔をこえていた。山の中は急斜面ばかり。小川の土手の斜面から引きずり出すのだが、前日からの雨で地面はぬかるんでおり、足をとられる。男性2~3人で綱引きのように踏ん張りながら力任せにロープを引く。猟師の多くが年配者で、この作業がもっとも重労働なのだ。シカとイノシシを2本のロープでまとめて縛って引きずり出したが、50㍍ほどの山道を踏ん張って歩くだけで、汗がにじんで息が上がる。やっとの思いで仕留めた獲物を山から担ぎ出し、スプレーで捕獲した順に番号を書いて仕留めた猟師とともに写真を撮り、荷台に積んで1回目の駆除が終了した。

 

山の中から仕留めたシカを引きずり出す猟師たち

 別の猟師がイノシシを仕留めたが、そのイノシシは弾が当たってもなお猟師に向かって突進を続け、とっさによけた猟師の膝をかすめてそのまま倒れ込んだのだという。別の日には茅の茂みの中に隠れているイノシシを猟犬が見つけ、銃で撃ったが60㌔㌘ほどもあるイノシシはなおも茅の中で猟犬と格闘を続けていた。猟師は獲物の近くにいる猟犬に弾が当たってはいけないので銃で撃つことができない。とっさの判断で暴れるイノシシの後ろ足をつかんでナイフでとどめを刺したこともあるという。いくら人間が銃を持っていても、死にものぐるいの獣は最後の力を振り絞って人間に攻撃してくる。一歩間違えれば大けがをしたり、命にかかわるほどの危険がともなう現場だ。

 

 昼食をとって午後からの活動に備え、今度はさらに山奥の猟場へ向かった。川沿いの急斜面を伝い歩き、倒れた木木をまたいだりくぐったり、ぽろぽろとこぼれ落ちる斜面の土に足をとられながら歩を進める。地元の山で何十年と猟をしてきた松崎さんは、猟犬を山のどこから入れてどこへ追い込むのか、算段を勢子である若手の30代の猟師にレクチャーしていた。今回鹿垣で潜む場所は山と山のちょうど谷間になった水辺付近にある、ある程度見渡しの良い雑木林だ。川をこえ、背の高い竹藪や茅の中を抜けると、一気に視界が開けた場所へ出た。周囲には所所、シカが角を研いで皮がめくれた木木がある。この場所はもともとブドウ畑があった場所だが、今となっては完全に森林の一部へと吸収されてしまっている。かつての人間の管理地が、今では動物たちのテリトリーと化した場所があちこちにあるのだという。

 

 猟犬を山に放ってからしばらくして、すぐ近くで銃声が聞こえた。トランシーバーに「松崎さん、行った!」と連絡が入った。別の猟師が逃した獲物がこちらへ向かって逃げてくるようだ。すると突然林の木木の間から1頭の雌ジカが勢いよく走ってきた。しかし目の前20㍍ほどまで来てこちらに気がついたのか、一瞬で向きを変え茂みの中へと消えていった。松崎さんが銃を構える暇も無いほどものすごいスピードで、まるで空中を飛んでいるのではないかと錯覚するほどの跳躍力だ。

 

 翌日の猟では、豊北町の山の中へ入った。軽トラの荷台に乗せてもらい、昔使われていた山道を進んで奥地にある林の中で待機した。しかし犬の鳴き声や首に付けている鈴の音、ときには銃声も聞こえたが、何時間経ってもこちらには獲物は逃げてこなかった。

 

 「撃てるかどうかはまぐれみたいなもの」と松崎さんはいう。待ち伏せした場所がよくても猛スピードで逃げるシカを一瞬で仕留めるのは至難の業であり、思ったところへ獲物がこない時もある。それでも集団で一つのチームを作り、山へ入れば必ず誰かが獲物を仕留める。こうして地道に有害鳥獣の捕獲事業をみなで協力しながら続けている。

 

猟の後も重労働 獲物はすぐに皆で解体

 

 朝9時から猟を始め、夕方3~4時頃までおこなうと、獲物を持ち帰って解体する。これもまた大変な仕事だ。

 

 捕獲したシカは豊田町にある「みのりの丘ジビエセンター」へ持ち込み、そこで解体、食肉加工される。ジビエセンターでは主に下関市内でとれるシカやイノシシの処理を一手に請け負っており、1日のうちに処理できる頭数が限られている。そのため、捕獲したシカを持ち込もうと思っても「今日は終わり」ということがしばしばある。その場合は自分たちで解体するか、あるいは山の中に穴を掘って埋めなければならない。この時期、シカは脂がのっていないため美味しくないので、ほとんど持ち帰ることはない。だが、少しでも頭数を減らすために捕獲を続けている。

 

 一方イノシシはというと、秋から冬の時期が一番美味しくなるため、とれたものは持ち帰り、捕獲隊の解体場ですべて手作業で捌く。イノシシの毛は、体に湯をかけると手で引っぱるだけですぐに抜ける。こさぐようにして全体の毛をとり除くと、最後にバーナーで全体を炙り、残った産毛などを焼き切ってしまう。内臓をとり出して、骨と身を分けていくのだが、足を持ってイノシシを支える人やナイフでどんどん捌いていく人、次次に出る残渣を細かく切って猟犬のエサを作る人など、猟師全員で協力しながら解体する。一頭を捌くにも何人もの手が必要になる。みなその日の猟の出来事や、猟犬の活躍、他にシカやイノシシが潜んでいそうな場所についてなど、会話をしながら作業をしていた。

 

イノシシの毛を抜き、皮をバーナーで炙る

肉を細かく切り分ける作業

 1日中山の中を走り回り、ときには獲物と対峙しながら命がけの狩りをした猟犬たちは、エネルギーを使い果たして軽トラの荷台で眠っている。この時ばかりは猟の最中の緊迫した表情と迫力はなく、かわいらしい。帰ってから1日頑張った褒美にイノシシの足やあばら、頭や肉を与えると、骨まで食べ尽くすものもいるという。

 

 解体が終わると猟に参加した人数分に均等にシシ肉を分け、みなが持ち帰る。駆除に2日間ついて行っただけだったが、記者もありがたいことにシシ肉を分けていただいた。

 

 参加した猟師たちは必ずシシ肉を持ち帰っていた。食べ方を聞いてみると「ボタン鍋がいい」「塩こしょうだけで味付けしたステーキが美味い」のだという。シシ肉はアクが多く、においがきつい印象がどうしてもつきまとう。しかし、「下処理を上手にやればこの時期のシシ肉は本当に美味しい」のだそうだ。松崎さんによると、「火にかけた鍋に水をはり、シシ肉を入れて沸騰させずに煮出してアクを丁寧にとる」ことが重要だという。

 

 早速持ち帰って調理してみた。塩水で何度も水を替えながら身から血が出なくなるまでよく揉み、水から沸かしてアクをとった。たっぷりの野菜とともに作った味噌仕立てのボタン鍋はシシ肉の味が野菜によく染み、豚汁とも味が似ているが、さらにまろやかな深みのある出汁が堪能できた。臭みはまったくない。

 

 次の日の猟でいただいたシシ肉はステーキにしてみた。使う調味料は塩こしょうのみ。前日と同じようにしっかりと血抜きをして、スライスしやすいように肉の表面が少し堅くなるまで軽くボイルしてから切り分け、焼く。少し堅い身質だが、かめばかむほどじわじわと濃厚な脂がしみ出してきて、「肉を“喰って”いる」という満足感がある。「有害鳥獣」といわれているものの、身近に増えている立派な動物性タンパク質という見方もできるような気がした。鶏や豚、牛にも負けず劣らずの美味い肉なのだ。

 

担い手育成が課題に 鳥獣が人里に出てくる理由

 

 松崎さんが猟師を始めたのが約50年前。その頃は「華山の山奥にシカがいるそうだ」といわれるほど、シカは住民にとって珍しい存在だった。しかし時が経つにつれ、中山間地域の過疎化や農業者の高齢化、離農が進み、山に近い僻地から徐徐に耕作放棄地が増えていった。荒れた田畑では農耕の名残から土に残った種子が発芽して野菜が野生えし、そこが新たに動物たちの格好のエサ場となった。また、同時に林業の衰退によって山に人の手が入らなくなり、木木が伸びたことで山奥の地面に日光が指さなくなって下草が生えなくなった。

 

 山の中で食料が得られなくなった動物たちは、山奥から下へ下へと活動範囲を広げ、より人間界に近い地域をテリトリーにするようになった。下草や木の実を探して食べたり、土を掘り返してミミズを食べるよりもはるかに効率よく、栄養価が高い食料にありつけることを学習したようなのだ。こうして人間が作る作物までも食い荒らすようになり、被害に嫌気がさして農業をやめた人人も少なくない。そしてさらに動物たちのテリトリーは広がり、次の地域で食害が広がる…。そのくり返しだ。

 

 猟師の多くは農業者。田畑の作物を守るために防護柵を作ってはいるが、防護だけでは獣の被害を止めることは難しく、みずから猟銃を持ち駆除に出ている人も少なくない。年を追うごとに鳥獣被害が深刻化していくなかで、「狩猟」よりも「駆除」の意味合いが強まった。地域の人人からの要望も強くあり、より捕獲隊の役割が大きくなっているなかで、責任感を抱いて駆除に参加している猟師もいる。

 

 かつては山奥まで入り込んでシカやイノシシをとっていたが、動物たちの生息域が人間の住環境に近くなったことで、必然的に猟場も近くなる。山から飛び出してきたシカが民家の敷地に逃げ込んでしまい、危険を回避して撃つのをやめたり、地域住民と折り合いを付けて理解を得ながら活動したりと、猟場が近いがゆえの新たな困難もともなっている。それでも地域住民からいざという時に頼りにされているのが捕獲隊であり、平日でも「家の近くにシカが出た」などと電話がかかってくることもよくあるという。その時は仕事の手を止めてすぐに現場へ向かう隊員もいる。

 

 鳥獣被害について取材するなかで「猟師が高齢化して活動できる人員が少なくなっている」という話を何度も耳にしてきた。現場に同行して感じたのは、山を熟知したベテラン猟師がいるからこそ、ピンポイントでシカやイノシシの居場所を突くことができるということだ。一方で、山の中を猛スピードで逃げる獲物の動きを捉える視力や聴力、それを仕留めるための瞬発力や長時間活動する持久力などは、誰もが年齢とともに衰えてしまうものだ。

 

 約50年間猟師をしてきたベテラン猟師の橋村健治さんは、今でも猟犬を連れて山の中を歩き回る現役の勢子猟師だ。毎回山の中を2万歩も歩くのだという。その他のベテラン猟師たちも毎回参加してパワフルに山の中を動き回っている。橋村さんは「長年この山山で猟をしてきた自分たちはたいていのことが分かる。狩りの方法や山の歩き方など、体が動くうちに次の世代へと技術や知識を受け継がなければ、いずれこの地域から猟師はいなくなってしまう。“今ならまだ間に合う”。今しか伝承するチャンスはないんだ」と話していた。

 

 猟師の多くが「とってもとってもシカは減らない」と語る。一年中捕獲を続けていても、それを上回るペースでシカが産まれているというのが実感のようだ。ある若手猟師は毎週地道に駆除活動を続けていることについて「とにかく1頭でも多く駆除しなければ、このままでは全体の量を減らすことはできない。奇麗事では済まされない」と語っていた。猟師の誰もが「このままではいけない」という切迫感を抱きながら毎週末の駆除にあたっている。

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