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北九州大で市民交えた学術シンポジウム 科学者の軍事動員に警鐘 

北九州大学での学術シンポジウム(27日)

「科学技術と倫理 -軍事と民生の狭間で-」

 

 北九州市立大学が27日、特別研究推進事業の一環として、学術シンポジウム「科学技術と倫理―軍事と民生の狭間で―」を開き、同大学の教員、学生や市民など約100人が参加した。報告者として池内了(名古屋大学名誉教授)、望月衣塑子(東京新聞社会部記者)、梶原昭博(北九州市立大学副学長、環境技術研究所所長)の3氏が問題提起をおこなった後、パネルディスカッションや市民を交えた意見交流をおこない、科学技術と社会のあり方、とりわけ、科学者や大学が社会的に果たす役割の重要さについて、深めあう学びの場となった。


 同シンポは冒頭、司会が「東日本大震災の起きた3・11以後、科学技術の信頼に揺らぎが生じ、科学技術の応用の仕方によってわれわれの生活に脅威を与えることも明らかになってきた。安全の基準や技術的応用の許容性については科学者だけではなく市民が参加して決めるべきことでもある。そこで文理双方の学部を有する本学の強みを生かし、交流・学びあいを実践してみようとなった。本年度は日本中の研究機関が直面する軍事目的の研究をテーマにとりあげ、昨年4月の日本学術会議の声明以来、考える場をもってきた。市民の皆さんも研究者と同様に主人公というところから積極的に発言をお願いしたい」と呼びかけ本題に入った。


 最初に登壇した池内了氏は「軍事化する科学でよいのか」と題して講演した。池内氏は、科学者が戦時下でどのような状態に置かれたか歴史的にひもとき、第一次世界大戦時に毒ガス使用を主導したドイツの科学者が「戦時の科学者は人類や科学にではなく祖国に奉仕すべきである」と主張したこと、第二次世界大戦時も原爆開発、殺人光線の研究に携わった科学者が「故国の兵士の犠牲を減らすため敵を何百万人殺すのもやむを得ない」と主張したことを明らかにした。そして別の科学者の「いったん戦争という事態になると抵抗は困難になってしまう」という言葉も引用し、「戦争という状況に至らせないことが決定的に重要だ」と強調した。


 さらに「最初は個人的に科学者を動員していたのが、第一次世界大戦、第二次世界大戦で組織的に資金を投入し集中的に軍事研究に動員していく形態へ変化している」とし、第二次世界大戦後はアメリカのDARPA(国防高等研究計画局)のように、常時、戦時研究に組み込む方式になっていることも指摘した。日本においても、明治維新以後の富国強兵政策に則って「学問が国家に奉仕する」流れが作られ、優秀な科学者が原爆開発、殺人光線(レーダー)、熱帯病などの研究にあたっていた事実を伝えた。


 そして「なぜ今、科学の軍事化(軍事研究)を話題にするか?」と問いかけ、2015年4月から防衛省(装備庁)が「安全保障技術研究推進」制度を創設したことを明らかにした。「装備庁が掲げた防衛装備品の研究テーマに研究者や大学が応募し、装備庁が物になると判断して採択されると防衛省から資金が出る制度だ。防衛省は防衛装備のための研究とはいわず、“防衛装備品を開発するための芽出し研究”といっている。この研究は通常、年額3000万円が上限で原則3年間支給される。間接経費も含め満額で9900万円になる。2015年度の予算は3億円だったが、2017年度は110億円になった。これに関して軍産学複合体の形成になるのではと論議にもなったが、防衛省が国際的に研究者を、軍事研究の出発点にとり込んでいくための資金提供を始めたということだ。日本の大学等の研究が軍事化されていくことを危惧している」とのべた。


 そして、2014年に軍学共同反対アピール署名の会を立ち上げ、それ以来続けている運動が浸透し、大学からの軍事研究の応募が頭打ちになっていることを報告。その背景には50年ぶりに日本学術会議が発した「軍事的安全保障研究に関する声明」の存在があることも指摘した。


 「日本学術会議は1950年と1967年と、2度にわたって戦争や軍事目的の研究には絶対従わないという声明を出している。研究者はもともと軍事に携わらないのがごく普通のことだった。そして装備庁の作った制度を受けて新たな声明を出した。この声明ではこれまでの2回の声明と同じように戦争と軍事のための研究はおこなわないことをうたっている。具体的に研究資金がどこから出ているか、なんのために研究するのか、研究成果が公開できるのかという3点で政府の介入が著しく問題だ、としている。技術的・倫理的に審査をする制度、学協会はガイドラインをもうけるべきだ、となっている」と語った。


 他方、大学の研究費が大幅に削減されていくことも影響し、科学者のなかに「デュアルユースである(民生・軍事の区別がつかない)」「研究費が欲しい」「防衛目的の研究は必要」などの軍事研究許容論があり、研究者間で論議があることも明らかにした。関連してナチスドイツでの3人の物理学者の主張(マックス・プランク=悪法といえども法である、ウェルナー・ハイゼンベルグ=戦争を科学に利用する、ピーター・デバイ=個人として科学ができるならナチスと手を組む)を例にあげ、科学者としてどう軍事研究や戦争という問題に向き合うのか、真剣な考察を呼びかけた。


 そして「大学研究者へ問いかけ」として「研究費の確保さえできれば良いのか?」「自分の科学研究さえ続けられたらそれでいいのか?」「軍に隷属する科学でいいのか?」「科学者は提案者だから使用責任について罪はないのか?」と提起し、とくに「科学や大学の未来への悪影響を考えているのか?」という点については「学生にたいする教育への影響、自由な発表や公開の制限、防衛省からの資金がなければ研究が困難になり軍に依存する体質」が拡大していくことに警鐘を鳴らした。


 最後に「学問の“原点”=科学者・技術者の倫理」について「だれのための、なんのための科学・技術であるのか考え続ける必要がある」と強調し、特定の国家や軍の為ではなく「世界の平和と人間の福利のため、世界の破壊のためではなく世界の建設のために尽くすこと」だと明らかにした。また「科学者・技術者はプロとしての社会的責任がある。科学者はエリートであり、国民から科学研究をしてほしいと税金を使って委託されている。だから一定の自由度を得て研究している」とのべ「市民の幸福のために誠実に尽くす義務」があることも強調した。

 

米軍需企業の一人勝ち   兵器買わされる日本

 

講演後のパネルディスカッション

 望月衣塑子氏は「日本で進む軍産複合体」について講演した。望月氏は防衛省予算が過去最高の5兆2500億円超になり、アメリカの高額兵器購入が膨れあがっていることを報告した。

 

 「ミサイルを撃ち落とすイージス・アショア2基の購入が決まり、当初1基が800億円といわれたが、先日ロッキードマーチン社を取材すると“最終的に1200億円~1300億円になる”といっていた。SM3ブロック2Aの予算は657億円だが、これも三菱重工とレイセオンが共同開発していたもので過去5年間に約1兆5700億円の日本の予算を費やしている。その弾は1発24億円でものすごい額だと思っていたが、これも数週間前に日本への売却額は四発で150億円に変わり1発約37億円にはね上がった。これでも万全のミサイル防衛の体制ができるわけではなく、ロッキード社の迎撃実験の迎撃率は50%だ」とのべた。ほかにもPAC3の開発に205億円、電磁パルス技術開発(非破壊・非殺傷兵器として敵の電子装備をまひさせるEMP弾など)にも多額の予算を注ぐ計画であると指摘した。


 さらに、防衛省内の論議も経ないまま、NSC(国家安全保障委員会)や官邸が主導して、高速滑空弾(100億円)、対艦ミサイル射程延長(77億円)など敵地攻撃能力のミサイル技術研究を推し進め、中国を意識した最新の長距離巡航亜音速ミサイル(弾1発=1・6億円、900㌔以上飛行)導入を急いでいる現状、日米共同使用を想定した護衛艦「いずも」の空母化計画が動いていることを指摘。安倍政府が「専守防衛のためだ」「敵基地攻撃能力ではなく敵基地反撃能力だ」と詭弁を弄して、従来の立場を踏みこえた装備品購入を加速している実態を伝えた。


 こうした背景のなかで大学を巻きこむ軍事研究が始まり、これまで年間3000万円だった制度をさらに拡充し、今度は4、5年かけて数十億円単位の研究開発費を出すようにしたことも明らかにした。「その結果、大型研究予算を必要とする大学や企業が手を挙げた。その大型研究のリーダーは表向き企業がほとんどだが、そのなかに岡山大、東海大、東京工科大、東京農工大が入ってきたことが明らかになっている。かつての戦争の体験から軍事研究に足を踏み入れてはならないというのが日本の科学者の立場だがそれを大きく変えていく動きが出ている」と指摘した。


 また、トランプ政府が「米国製の武器」を日本に売りつける動きと同時進行で、過去最大規模の米韓軍事演習をおこない、北朝鮮対応で海上臨検を開始したことにふれ、「日本も北朝鮮籍船の厳しい検査を開始しているが、この臨検は軍事手段の一つと捉えられ、偶発的戦争に発展する恐れもある。あえて北朝鮮を煽るような動きをアメリカサイドが主導しようとしている」とのべた。


 「なぜこうした軍事緊張が続いているのか、得しているのはだれかと見てみると、世界最大の軍事企業・ロッキード社で、トランプ政権になって以後、85%も株価が上がっている。他の株価は全体的に25%上がっているが、それと比較してもすごい上がり方だ。ロッキードのCEOは、イランとの核兵器の和平合意のときアナリストから“こういうことが続けば軍需産業はもうからなくなるのでは?”と問われたとき、“いいえ、大丈夫です。中東、北朝鮮、中国、ここに緊張がある限り、わが社の繁栄は続く”とはっきりのべている。緊張関係のときに得しているのは軍産複合体・軍事企業だ」と指摘した。


 そして「このようなことが続くなか日本はアメリカから高額兵器をどんどん買わされている。防衛装備庁の使える資金は2兆数千億円ぐらいだが、そのうちの5000億円ぐらいがアメリカの装備品購入に費やされている」とのべた。2010年に551億円だった米政府からの武器購入額が6年で10倍近くに達していることに触れ、「装備庁の資金のなかで日本企業が使えるパイが狭まっている。武器輸出は解禁したが、アメリカの装備品購入で日本のパイはとられてしまうため、日本企業が海外にいって自分で稼がないといけない状況になり始めている。だから経済成長したときに買ってもらうことを見込んでマレーシアにP3C哨戒機を無償供与したり、武器の修理やメンテナンスをするため武器版ODAの仕組みを作るよう指示している」と話した。


 川崎重工と防衛装備庁が開発したC2輸送機をオマーンでの国際武器見本市に展示し、イエメンに空爆を続けているサウジ連合軍の幹部が「C2輸送機を買って連合軍での利用を検討していきたい」と話している実例も明かし、「日本で開発した武器が海外の戦争に少しずつ組み込まれようとしている」と注意を喚起した。


 そして「さまざまな武器輸出が進み、安保法制を解禁し、専守防衛を打ち破る装備品購入を拡大していく動きを見ると、確実に戦争ができる国、アメリカとともに戦争をせざるを得なくなっていく国をめざしていると感じる」とのべ、安倍政府の進める改憲の動きをふくめ、一人一人が世界平和をどう実現していくか考え、動いていく重要さを強調した。


 報告者の最後に梶原昭博氏が「工学系技術者の立場から考えるデュアル・ユースと倫理」として講演した。同氏は安全保障技術推進制度について「昔はこの技術は軍事技術だろうとか民生だろうというのはわかっていたが、いまは複雑化し、これが防衛技術に応用可能かがよくわからない。これをどうするかということだ」とのべ、みずからが携わる自動運転研究の過程で遭遇した経験にふれた。


 「自動運転はもともとアメリカのDARPAがコンテストをやって競争させ、優勝チームに1億数千万円の賞金を出すことから広がった。なんのために日本の装備庁にあたる所がコンテストをしているのか調べると、事故が多い軍用車の3分の1を無人化したいからだった。自動運転は技術者の興味をそそる技術であり、砂漠で走らせたりする。それが軍用か民生かは審査側としても判断がむずかしい」とのべた。


 応募し受け入れたときに憂慮すべき問題として、大学院生を軍事研究に引き込んでいく影響を指摘し、北九大では「応募に関するガイドライン」を作り、応募受け入れに係る方針で「“原則、軍事研究は禁止”、しかし応募は個別判断(技術的かつ倫理的判断)、安全保障技術研究推進制度への応募および軍事研究等の受入れについては委員会で慎重に審査・検討し、応募や受入れの可否を判断する(事前審査)」としたことを明らかにした。

 

大学と市民が意識共有 社会的使命に立ち

 

 報告を受けてパネルディスカッションや質疑応答で内容を深めた。パネルディスカッションでは「昨年度は大学からの安全保障技術研究の応募はゼロだったが、企業の応募は増えた。企業にいる研究者へはどう働きかけていけばいいのだろうか」という問題意識や「日本企業の技術低下」、大学の研究者が置かれている実際なども論議になった。企業において近視眼的な営利優先の傾向が強まるなかで、技術低下や新製品を生み出していく独創性が圧迫されていることについては、大学研究費が絞りこまれ、研究の自由度が失われている大学教員の問題意識も重なり、「宿題を出されてその通りにやるような研究だけでは自由で独創的な発想は生まれない」「京都大学で起きた不正は京都大学だけの問題ではない。若手研究者がどんな状況に置かれているかという問題だ」などの意見が出た。また「企業は大学のような教育機関ではない。技術が軍事に使われていいのか、企業の社会的責任を問う市民運動は必要になってくる」との意見もあった。

 


 その後、市民からも挙手で発言があり「市民としては先生がいきいき研究されていくことが一番うれしいことだ。しかし国から下りてくる軍事研究に手を染めてほしくない。自分の親は風船爆弾を作っていた世代だ。その結果、長崎で原爆投下もあった。平和な日本において誇り高き北九州の大学として維持してほしい」との声も出た。

 


 北九大の学生から「戦争を知らない世代には軍事利用といわれても実感がわかない。戦争の話をタブー視する風潮もある。そういう点についてどう考えるか」という質問も出て、「体験者から学んだり、原爆の写真を見るなどさまざまな方法で知ることができる。自分たちに働きかけず知らないままでいるのではなく、このような会合に出たりして、考えていくことが必要ではないか」など意見交流の場にもなった。最後に司会が、今後も市民と研究者が討論を深める企画を継続・発展させていくことを呼びかけて散会した。

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