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「カーボンニュートラル」をどう見るか エコロジーに反するCO2削減や再エネビジネス 科学者があいつぎ指摘 

 年明けから「カーボンニュートラル」「カーボンゼロ」と、「脱炭素」に向けた掛け声がかまびすしい。一部商業紙では新年1号から「脱炭素の主役、世界競う 日米欧中動く8500兆円」などの見出しとともに、「カーボンゼロ」こそが農業、産業、情報に次ぐ「第四の革命」だと報じている。太陽光や風力発電、電気自動車などとともに、二酸化炭素(CO2)を封じ込めるイノベーションの研究開発こそが産業界の優先課題だとしている。


 「カーボンゼロ」とは産業活動による二酸化炭素(炭酸ガス・CO2)の排出量を吸収技術によってプラス・マイナスゼロにするというもので、「カーボンニュートラル」ともいっている。菅政府は「2050年までにカーボンニュートラルにする」と宣言し、「化石燃料エネルギーから再生可能エネルギーへ」の転換こそがクリーンな未来を保証するかのようである。


 しかし、「クリーン・エネルギー」を掲げた国策がそのまま信頼できるものではないことは、御用学者とマスコミがまことしやかに宣伝した原子力発電所の「安全神話」が根底から覆されたことからもいえることだ。「脱炭素社会」によってバラ色の夢が実現できるといった風潮を、科学者・専門家はどのように見ているのか。


 CO2が地球温暖化の決定的な原因だとする説には現在、気候学をはじめ多くの科学分野からさまざまな異論が出され、研究成果が発表されている。だがそれ以前の問題として、「CO2は有害であり、封殺すべきだ」という主張そのものの荒唐無稽さ、非科学性が問題になっている。

 

理科の基礎にたち返って 生物史と光合成

 

 渡辺正・東京大学名誉教授は理科や化学教科書を執筆してきた科学者(生体機能化学、環境科学)である。渡辺正氏は、人為的なCO2の排出が激増したのは1940年代以降であり、過去150年ほどの気温は1940年代より前にも昇降をくり返してきたことからも、地球の気温を変える要因は人為的CO2以外(主に都市化と自然変動)のものが相当に大きいと指摘している。


 同時に、「温暖化」をことさら煽るマスコミの記事の根元には、「大気に増える二酸化炭素(CO2)は危険」だという「理科の基礎を無視した妄想」があると批判している。著書『地球温暖化神話』(丸善出版)では、「いま私たちは、大気中のCO2が食糧を増やす美しい時代を生きている。そんなCO2を毛嫌いし、減らそうとする“低炭素社会”の発想は、狂っているとしかいいようがない」として、次のようにのべている。


 地球の生物史は35億年前にCO2が主役となった光合成生物に始まった。50万種ともいわれる現生植物の先祖が、いまの2~6倍ほど高いCO2濃度に2億~3億年間も適応した。ヒトを含めて、そのような祖先を持つあらゆる生きものはCO2のおかげで存在する。


 農作物にとってもCO2が増えることはよいことだ。現に、ハウス栽培でもCO2を2倍から6倍に高めて増産している。また、暮らしと産業に欠かせない化石資源は、数億年前の光合成活動が生みだした有機物で、それを燃やしたときに出る熱や光も、蛍光灯の光やパソコンを動かす電気も、太古の地球に降り注いだ太陽光エネルギーの化身だといえる。


 理科のエコロジー(生態学)とは、「生物と環境を調和させる営み」で、その原点は光合成である。観測衛星のデータから現在、地球はCO2濃度が増えているおかげで全体として緑化を拡大し続けている(一部の地域は営利追求による乱開発で減少している)ことが分かっている。食卓に並ぶ食べ物のうち、水と食塩以外のほとんどは光合成の産物だ。だから、大気にCO2が増えることこそエコロジーで、「増えるのを嫌う理由は何もない」のだ。理科の目で見ると、CO2の削減こそ「反エコ」になる。


 渡辺氏は、しかし小・中学校の理科や高校『生物』教科書には、そのように重要な「光合成」については「一瞬しか登場しない」と指摘する。しかも、そこで最も大事なポイントである「CO2が主役の光→化学エネルギー変換」については教えないようになっているという。いきおい子どもたちは「CO2=悪」という真逆のイメージを抱いて社会に出て行く。

 

CO2の排出増やす再エネ  エネルギー保存の法則

 

風力発電の建設現場(米国)

 ところで、専門家はおしなべて再生可能エネルギー(自然エネルギー)は二酸化炭素の排出を削減させるものではないこと、それは科学的にみて不可能であり必ず失敗する(御用学者はそれを知りつつ企業が必要とする研究をしている)と見ている。電気自動車とそれにともなうバッテリー製造も多大な化石燃料を使うことなくしては実現できない。世界に先駆けて火力やバイオマス発電所から出るCO2を回収・貯留・再利用する計画(CCUS)を進めたイギリスが撤退した根拠もそこにあるとしている。


 渡辺正氏は太陽光・風力・バイオ燃料などの技術は「エネルギー価値が同量以上の化石資源」を投入してようやく成り立つ(パネルを敷き、風車を建て、送電線を引くときに可燃エネルギーを使う)技術であり、「世界のCO2排出を増やす営み」だと断言している。


 掛谷英紀・筑波大学システム情報系准教授はさらに、「カーボンゼロ」論者の主張には、エネルギー問題について「高校の理科レベルの知識でわかる間違い」があまりにも多いと指摘している(共著『地球温暖化「CO2犯人説」は世紀の大ウソ』)。とくに、エネルギー保存の法則(物体の運動エネルギーと位置エネルギーの総和は常に一定になる)とかかわって次のようにのべている。


 自然エネルギーの最大の欠点はエネルギー密度(単位面積、単位体積あたりに得られるエネルギー)が非常に低いことだ。だから、広大な面積を使わないとまとまった電力を得ることができない。水力発電についていえば、火力発電で重油を1立方㍍増やして得られるのと同じだけのエネルギーを水力(高さ100㍍のダム)で得るには、約4万立方㍍、つまり火力の4万倍もの水が必要だ。


 風力発電は水力の約5倍、太陽光発電は水力の約4倍の面積が必要となる。そして、広大な開発はそれだけの広さの自然を破壊することにつながる。エネルギー密度の低い自然エネルギーで従来の火力発電を代替させることは不可能であり、その種の試みは必ず失敗する。どれほど多額の研究費を投入しても、エネルギー保存の法則を打ち破ることはできないと指摘している。


 環境問題を考える会主宰の近藤邦明氏(工学修士)も著書『検証温暖化』(不知火書房)で、「工業生産システムからの実質的なCO2放出をゼロにするという目標は、自然科学的にぜったいに達成不可能」だと指摘。その根拠は「再生可能エネルギーだけで再生可能エネルギー供給システムを工業的に拡大再生産することができない」という、「エントロピー」を交えたエネルギーの根本法則から論じている。近藤氏は次のような見解をウェブサイトなどでも明らかにしている。


 生産過程からのCO2放出をゼロにするためには、再生可能エネルギー発電で供給する電気エネルギーだけを使って、その発電システムを高い拡大率で再生産しなければならない。だが、現実は単純再生産もおぼつかない。太陽光や風力などはあまりにも生産性が低いために発電装置システムが巨大になり、システム製造のための工業生産に投入されるエネルギー量は飛躍的に大きくなる。


 その結果、風力発電や太陽光発電の方が「火力発電よりも多量の化石燃料」を消費する、つまりCO2放出量は火力発電よりも多くなるのだ。近藤氏はそこから、再生可能エネルギー発電は化石燃料を投入して発電設備を運用して電力を供給するという意味において「間接火力発電」であることを明確にしている。


 アメリカでは専門家はもとより、再エネ技術がもたらす資源・生活破壊に直面した環境保護活動家の反省から、「脱炭素」キャンペーンが貧困層を苦しめ続けるとの批判が活発になっている。


 アラバマ大学の気候学者ジョン・クリスティーは連邦議会での証言で、「石油などの化石資源は長寿や健康、食糧、通信・移動、冷暖房など、本物のニーズを満たす安価なエネルギーだ。炭素化合物に潜むエネルギーが快適な暮らしを恵んでいる」と語り、次のように続けている。


 「CO2の排出量は脱・貧困の指標だ。いま、電気や車や産業もなく暮らす人々が脱・貧困を切実に願っている。炭素系エネルギー源を十分に使えれば、森の乱伐が減り、水質汚染や屋内の空気汚染も減る。化石資源より安く安定したエネルギー源を手にするまで、世界は間違いなく化石資源に頼りつつ歩むだろう」と。

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