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政治による分断統治から市民による共同体自治へ――「大阪市廃止」構想否決にみる一筋の光 立命館大学教授・森裕之

 もり・ひろゆき 1967年大阪府生まれ。2003年から立命館大学政策科学部助教授。2009年より同教授。財政学とくに地方財政と公共事業を専攻。社会的災害(アスベスト問題など)についても公共政策論の立場から考察。著書に『公共施設の再編を問う―「地方創生」下の統廃合・再配置』(自治体研究社)『市民と議員のための自治体財政』(同)など。

 

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 2020年11月1日に実施された「大阪都構想」の住民投票は、大阪市民に対して大阪市廃止・特別区設置の賛否を問うものであった。2015年に続く2度目のことであり、今回再び反対多数で否決された。これは日本の地方自治の歴史に残る快挙であろう。

 

 今回の住民投票の結果は2020年9月の時点では到底考えられないものであった。「大阪都構想」の実現を存在根拠とする大阪維新の会は、大阪では圧倒的な人気を誇る。前回とは異なり、今回の住民投票では公明党が維新の会との密約によって賛成へと寝返った。コロナ禍で吉村洋文知事のマスコミへの露出度が高まり、まるでスターのような扱いとなっていた。テレビでは大手芸能会社の芸人や評論家が連日登場し、あからさまな賛成運動を繰り広げた。世論調査でも賛成が反対を圧倒的に上回る状況が続いていた。

 

 このような劣勢の中で、反対派が勝利することができた要因は何だったのか。それは、多くの市民団体、政党、行政、メディア、学者・文化人らが奇跡的ともいえる補完・連携の関係をつくりあげたことにあった。これらの諸活動が一つの地方自治運動として融合していったことによって、大都市・大阪は守られることになったのである。

 

 維新の会の政治イデオロギーは新自由主義にある。イギリスのサッチャリズムを理想とし、公務員削減、民営化、公共施設廃止、補助金カットなどの「小さな政府」の実現を進めてきた。他方では、万博・カジノ誘致や大規模開発を推進するなどの成長至上主義を貫いてきた。これによって大阪には自主自責の雰囲気が広がり、富裕層と貧困層の間など市民同士の分断が深刻化した。

 

 「大阪都構想」は、このような新自由主義と分断を極限まで推し進めるものであった。大阪市を廃止して特別区にすることで、政令指定都市・大阪のもつ都市計画や産業政策などの権限と膨大な財源を大阪府へ集中させる。それによって、大阪府は圧倒的な開発権限と財政を握ることになり、それを使って大規模開発を展開していく。特別区となった大阪市は、大阪府が毎年度決定する財源の配分に頼らざるをえない特別区に成り下がる。それは、特別区に残される福祉や教育などの生活サービスが削減されていくことを意味した。

 

 維新の会が「大阪都構想」のアピールに使った「二重行政の廃止」は明白な印象操作にすぎないものであった。大阪府・市の資料でも二重行政の対象は7項目で削減効果は年間4000万円しかない。その一方で、特別区設置にともなう初期コストは約240億円、運営コストは年間約30億円に上る。無駄な二重行政などは現実には存在せず、「大阪都構想」は全く論外な統治機構改革にすぎない代物であった。

 

 ところが、大阪の住民は維新の会による賛成アピールの濁流に呑み込まれ、全体主義的なムードに包み込まれた。これを乗り越えるために、反対派の市民らは地道な学習活動を続け、そこでの知識と論理を自らの確信として反対運動を展開していった。市民による訴えが選挙管理委員会を動かし、前回には表示されなかった「大阪市廃止」という文字を投票用紙や選挙公報に記させた。「大阪都構想」に反対する政党は「野合」批判を避けるために、政治色を抑えて市民の反対運動を支えた。コロナ禍による財政危機を懸念する大阪市財政局は9月初めに次年度500億円の税収減という試算を発表し、投票日の直前には大阪市分割によって年間200億円ものコストが特別区に発生することを試算した。一部メディアはこれを取り上げ、大々的に報じた。

 

 それに対して維新の会は財政局やメディアに異常な攻撃をおこなったが、それが大阪の住民には不当な圧力であるという印象を与えることになった。これらがまさに奇跡的な融合を果たすことで、「大阪都構想」は再び否決されたのである。

 

 住民投票による否決は、単に大阪市の廃止に対する市民のノスタルジーによるものではない。反対の理由として多かったのは「大阪市がなくなること」と「住民サービスの低下」であったが、市民はそれらを自治の条件として学んだといってよい。住民サービスを守るためには、市民自らが権限と財源を持たなければならない。そのためには、自治体としての権力を保持することが前提となる。

 

 しかし、「大阪都構想」とは大阪市の廃止を通じて権限と財源が大阪府に奪われるものであり、「大阪市がなくなること」と「住民サービスの低下」は一体のものに他ならない。このことを市民はさまざまな機会を通じて学んでいったのであった。

 

 5年前の住民投票においても反対が賛成を上回ったが、その時には「大阪都構想」に対する漠然とした不安からの反対も少なくなかった。しかし今回は、市民による学習が大きな力となって、再び「大阪都構想」を廃案へと追い込んだのであった。

 

 政治による分断統治は世界的な現象である。とくに個人主義の強い大都市ほど、市民同士の対立が苛烈となる。大阪でも維新の会によって10年以上にわたる分断政治が持ち込まれてきた。しかし、今回の住民投票では市民が「大阪都構想」の実相を学ぶことを通じて、「孤立した個人」ではなく「都市共同体の一員」であるという自治の意識を取り戻させることになった。それは個人主義の権化である新自由主義を乗り越えるための道筋を示している。

 

 政治による分断統治から市民による共同体自治の都市へと大阪を発展させていくことができるかどうか。ここにこそ大阪の真の再生がかかっている。そして、これは新自由主義イデオロギーが覆う世界を蘇らせる一筋の光明ともなるものである。

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