いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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70年前に元号廃止と西暦採用求めた日本学術会議の決議 世界で日本のみの不合理性

主権在民の立場から 

 

日本学術会議の第1回総会(1949年)

 政府・マスメディアによる元号騒ぎを機に、歴史学者などから元号問題の原点に立ち返って冷静に論じるべきだという声が高まっている。日本学術会議は1950年4月26日の第6回総会で、「日本学術会議は、学術上の立場から、元号を廃止し、西暦を採用することを適当と認め、これを決議する」という決議を採択し、当時の亀山直人会長名で、衆参両院の議長と内閣総理大臣(吉田茂)にあて「元号廃止、西暦採用について」と題して申し入れていた。

 

 

 決議はその理由として、

 

 (1)科学と文化の立場から見て、元号は不合理であり、西暦を採用することが適当である。

 

 年を算える方法は、もっとも簡単であり、明瞭であり、かつ世界共通であることが最善である。これらの点で、西暦はもっとも優れているといえる。それは何年前または何年後ということが一目してわかる上に、現在世界の文明国のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは、たんに日本だけにすぎない。われわれは、元号を用いるために、日本の歴史上の事実でも、今から何年前であるかを容易に知ることができず、世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつ頃に当るのかをほとんど知ることができない。しかも元号はなんらの科学的意味がなく、天文、気象などは外国との連絡が緊密で、世界的な暦によらなくてはならない。したがって、能率の上からいっても、文化の交流の上からいっても、速かに西暦を採用することが適当である。

 

 (2)法律上から見ても、元号を維持することは理由がない。

 

 元号は、いままで皇室典範において規定され、法律上の根拠をもっていたが、終戦後における皇室典範の改正によって、右の規定が削除されたから、現在では法律上の根拠がない。もし現在の天皇がなくなれば、「昭和」の元号は自然に消滅し、その後はいかなる元号もなくなるであろう。今もなお元号が用いられているのは、全く事実上の堕性によるもので、法律上では理由のないことである。

 

 (3)新しい民主国家の立場からいっても元号は適当といえない。

 

 元号は天皇主権の一つのあらわれであり、天皇統治を端的にあらわしたものである。天皇が主権を有し、統治者であってはじめて、天皇とともに元号を設け、天皇のかわるごとに元号を改めることは意味があった。新憲法の下に、天皇主権から人民主権にかわり日本が新しく民主国家として発足した現在では、元号を維持することは意味がなく、民主国家の観念にもふさわしくない。

 

 (4)あるいは、西暦はキリスト教と関係があるとか、西暦に改めると今までの年がわからなくなるという反対論があるが、これはいずれも十分な理由のないものである。

 

 西暦は起源においては、キリスト教と関係があったにしても、現在では、これと関係なく用いられている。ソヴイエトや中国などが西暦を採用していることによっても、それは明白であろう。西暦に改めるとしても、本年までは昭和の元号により、来年から西暦を使用することにすれば、あたかも本年末に改元があったと同じであって、今までの年にはかわりがないから、それがわからなくなるということはない。

 

 の4点をあげ、「以上の点から見て、元号を維持することは理由がなく、不合理であると認められるから、これを廃止して、西暦を採用することを適当と認め、それに必要な措置をとることを政府に勧告するものである」と通告していた。

 

戦争許さぬ国民世論を反映

 

 日本学術会議は1949年に発足した日本の学術界を国の内外に代表する国家機関(内閣府の所管)である。この総会での決議は学界の多数意志を示すものであった。それはまた、天皇制のもとで真理真実がねじ曲げられ、肉親、家財を戦争で奪われた国民の民主主義への機運を鋭く反映していた。

 

 だがその後、昭和天皇の代替わりを前に「元号法」が制定(1979年)されたように、終戦直後の学会の提起を政府・マスメディアが一体となって抑圧する力が働いてきたといえる。

 

 ちなみに、歴史学者の滋賀秀三・東京大学名誉教授(東洋史専攻、故人)は1986年に書いた「随筆--元号のこと」で、元号法制定当時の日本学術会議の様子を次のように回想していた(『日本学術会議月報』第27巻第12号)。

 

 「周知のように、学術会議は発足間もない頃に、新憲法によって法的根拠のなくなった昭和という元号を慣性的に用いることを止めて、過去は問わず将来に向かって紀年法を西暦に一元化することを、政府に対する要望という形で提案している。かつ学術会議関係の文書にはすべて西暦を用いることを申し合わせ、実行してきた(この申し合わせは今期の初仕事、「日本学術会議の運営の細則に関する内規」制定の際に、他のあまたの申し合わせ等と一括して廃止されてしまったが)。これと逆行する立法の動きが出て来たことに対して黙してはおられないという気持ちが、相当数の会員の間に起こっていたのは無理からぬことである。他面、元号法の立法に当たるのは外ならぬ総理府であり、そのお膝下の学術会議から異論が出ては具合が悪いという事情のあったことも想像がつく」

 

 滋賀教授はさらに、「私は元来、元号を用いることに何か後ろめたさを感じる癖がついている」とのべ、それは旧制高校で世話になった校長から「元号で生活しているゆえに日本人は自国の歴史を絶対年代にのせて某事件は今から何年前と理解する知識が身につかない」という教えがあったからだとして、次のように続けていた。

 

 「学問・思想の自由委員会の肝煎で全会員に配布された、初期の大先輩達が物した元号御廃止の議の簡潔な文章を見て、私は得も言えぬ感動を覚えた。それは一点の曇りなき合理性の主張である。このように清冽な言葉が(しかも殆んど全会一致であったという)語られ得た時代があったのかという新鮮な驚きを感じた」

 

 「紀年法については、元号法の制定によって既に問題は決着したかに見える。しかし果たしてそれでよいのだろうか。元号で生活していたのでは歴史年代の正確な感覚が身につかないだけでなく、世界の動きの中に己を位置付けて見る眼、己もまた世界の中の普通の一員なのだという感覚が知らず知らずのうちに鈍磨してしまうのでなかろうか。……1億以上の人間が絶えず頭の中に換算する手間を積算すれば膨大な思考力の浪費と言うべきであろう」

 

 滋賀氏は、官公庁の文書を元号で統一し市民の日常生活をこれに従わせようとすることは、「精神的鎖国政策」とはいえないかと提起したうえで、「日本学術会議の元号御廃止の議も何時かまた省みられる日が来ると信じたい」との思いを記していた。

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