いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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虚実ないまぜで酷かった誹謗中傷 名護に襲いかかった権力の実相に迫る

 辺野古への新基地建設を最大の争点としてたたかわれた沖縄県の名護市長選挙は、自民・公明両党が推す渡具知武豊氏(前名護市議)に、基地建設反対の立場を貫いてきた現職市長の稲嶺進氏が敗北する結果となった。これまで辺野古移設に反対の立場をとってきた公明党が自民党と歩調をあわせて渡具知陣営の全面支援に乗り出し、当初から大激戦になると予想されたものの、前回選挙まで4000票差で負けていた自民党候補が逆に約3500票の差をつけて勝利するものとなった。名護市長選はいったいどのような選挙だったのか。本紙は、名護市に赴いて市民の意見を聞き、選挙の実相について取材を進めた。

 

稲嶺市長の退任式に駆けつけた市民(7日、名護市役所)

 名護市役所では7日、選挙に敗れた稲嶺前市長の退任式がおこなわれた。式会場の庁舎2階広場を埋め尽くすほどの市民が詰めかけ、「8年間ありがとうございました。安心して子育てができました」「公約を守った稲嶺ススムさん、お疲れ様でした」「県民は屈しない」などの横断幕や花束を手に退任を見守った。

 

 退任の挨拶をした稲嶺氏は、初当選からの2期8年を支えた支援者らに感謝をのべた。「公約の柱に掲げた(米軍)再編交付金に頼らないまちづくりを進めるためにアンテナを張り巡らし、知恵と情熱、情報とネットワークを駆使し、財源をかき集めてさまざまな事業を展開してくれた」と市職員をねぎらい、「オスプレイが飛び交い、軍港機能を擁する辺野古への新基地建設は、環境、観光、経済、市民の生命と暮らしを脅かす百害あって一利なしとの理念に立ち、子どもや名護市の未来のためにも新基地建設は許してならないという思いはまったく変わらない」「20年にわたる分断と対立、国策という名の下で市民は翻弄されてきた。この小さい町に難しい判断を求められる。いつまで続くのだろうか」と悔しさをにじませながら、今後も一市民として運動に携わっていく決意をのべた。見送りの市民や市職員もまぶたを押さえながら退任の辞を聞き入り、「お疲れ様」との掛け声とともに大きな拍手が送られた。

 

 対照的に、翌8日におこなわれた渡具知新市長の就任式は、ギャラリーに身内の与党系議員や市職員が目立ち、わずか3分で終了したことも、選挙結果とのギャップを感じさせるものとなった。渡具知氏が約3500票差を付けて当選しながら「政府とは一定の距離を置く」「容認ではない」と慎重な発言に終始しているように、名護市内では今も「辺野古移設に賛成」と堂堂といえる雰囲気はない。にもかかわらず、なぜ選挙結果においてこれほどの差が付いたのか--市内ではキツネにつままれたような思いがくすぶっている。

 

渡具知新市長の就任式(8日、名護市役所)

「平和の党」は凶暴だった

 

 市長選について名護市内では、どちらの候補者を応援したかにかかわらず、「今回のような選挙は初めてだった」と市民は口を揃えて語る。「名護市民VS日米政府のたたかい」といわれた選挙戦は、それほど前例のない異様な様相を呈していた。

 

 中心商店街で自営業を営む婦人は「市民の多くは辺野古への基地建設には絶対反対だ。海側につくるといっても、訓練場は西側の伊江島にあり、オスプレイも戦闘機も名護市上空を飛んでいく。一昨年、うるま市で米軍属に暴行されたあげく殺された女の子も名護出身で、米軍人による犯罪にも怒りは強い。“容認すればお金がもらえる”といっても命を失えばなんにもならない。その危険が今後100年以上も固定化されることになる。選挙戦が始まった頃は“現職が勝つだろう”という雰囲気で、選挙活動も静かなものだった。両陣営とも戸別訪問をしている様子もなく、稲嶺与党の市議たちもお願いに回ってこなかったので、“楽勝かな?”と思っていた」という。

 

 「ところが告示3日後くらいから、創価学会の会員たちがマイクロバスで乗り付けて、2~3人ずつの組で戸別訪問を開始し、チラシ配布やお願いをして回ったり、関東地方に転居して何十年も会っていない同級生(学会員)から“今回は渡具知さんに入れて”と電話がかかってきて驚いた。運動員には、本土から来た若い学会員も多く、毎日のように訪問してくる。そして、小泉進次郎が応援演説に来ると、さらに流れが変わった。辺野古問題にはいっさい触れず、相手候補の批判もせず、“どうして名護は栄えないのですか?”という調子で、交付金による経済振興策をさかんに訴えて若い人を惹きつけていた。渡具知候補自身は1回も回ってこなかったし、ほとんど自分の意見を語ることなく神輿に乗っている感じで、前面に出ていたのは国だった。当初の楽勝ムードからあっという間に接戦になり、投票日には“危ないかもしれない”と思うほど流れが変わった。中小企業には菅官房長官から直接お願いの電話がかかってきたり、徹底した組織票集めを水面下でやっていたようだ。子どもの医療費完全無料とか、保育料無料などをまるで国が約束するかのような印象を振りまいて、稲嶺市政が8年かけてやってきたことが薄れるほどの大きな経済政策を打ち出して、“いくら反対しても辺野古の工事は止まらないし、それならお金をもらって振興したほうがいい”という流れにもっていった」と話した。

 

 別の男性店主は「名護の選挙はいつも拮抗してきたが、辺野古移設についてはオール沖縄でノーを突きつけ、今回反対派が勝利すればさらに強く国に意見をいえるはずだったのに、どうしてこのような選択になってしまったのかと感じている。渡具知候補が“移設容認ではない”といい、“海兵隊の県外・国外移転”を政策に入れたこともあって、“反対しても交付金が入る”という意見に流された人もいた。選挙後半3日間の攻勢はすごく、“名護市の閉塞感、元気がない要因は現市長の失政にある”といいながら、夢のような振興策を振りまいて“名護が変わる!”と呼びかけていった。本土からも電話やメールで投票を呼びかけたり、那覇や中南部の企業からの中小企業への働きかけも尋常ではなかった。渡具知さんの高校生の娘さんも運動して、市長が変われば“映画館ができる”“スタバができる”と若い人たちがツイッターやフェイスブックで盛り上がっていった。それに対して、稲嶺陣営は対応が遅れ、こちらも運動している人が県外の人ばかりで地元の市議や後援会関係者の顔が見えなかった。その代わりに東京から野党の党首たちが来て大演説をしていた。基地問題は本来党派をこえた問題だ。市民の頭越しでくり広げられる政党色を前面に出した運動が逆効果になったと思う。もっと市民の生活を理解している地元の人が動くべきだったのではないか」と指摘した。

 

 中小企業に菅官房長官から直直に電話がかかってきたり、官邸から派遣された職員が那覇や市外の企業の社長らと一緒に企業票を固めていく「ステルス作戦」をとったこと、告示後は公明党の平和会館を拠点にして200台近く(選対関係者の証言より)のレンタカーを借り切って、2人ペアで運動員が連日、高齢者を期日前投票にピストン輸送したり、制服姿の会社員たちが企業ぐるみで期日前投票に列をなしていたことなどが語られ、「今まで見たことのない組織ぐるみ、企業ぐるみの選挙だった」と市民の多くが指摘している。

 

 一方、「選挙については話したくない」と口を閉ざす人や、名護市内の疲弊や生活の困窮を訴える人もおり、反対運動についての批判や反発も同時に語られている。

 

 商店の婦人は、「確かに名護は8年前から何も変わっていない。埋め立てに同意した漁業者には漁業補償金や補助金、警戒船の日当などでお金は入るが、市内全体は寂れきっている。02年(岸本市政時代)にイオンやマックスバリュが市北部にできてからは中心商店街はシャッター街になり、社交街(飲み屋街)にも人はいない。本部町にクルーズ船が寄港して栄える一方で、名護は“素通りの町”になっている。辺野古移設に反対するから交付金が給付されていないが、知事や市長が反対しても工事は進んでいくというなかで、追い詰められてきた名護市民の不満を自民党がすくい上げた選挙だったように感じる」とのべた。

 

 美容室を営む女性は、「交付金がもらえないから税金が上がる。ゴミ袋などがどこの地域よりも高い。これまで燃えるゴミは段ボールや紙袋に入れて出してもよかったのに、今では有料のゴミ袋だ。いろんな形で市民に負担がかかっている」とのべ、「オール沖縄で基地反対の運動をしている人たちはみな退職教師や公務員など年金をたくさんもらっている金持ちばかり。貧乏人は目の前の生活に必死だから“50年後の将来を見据えて”という余裕はない。現実問題として今の生活の方を何とかしてもらいたい」と話していた。

 

 別の婦人は、「今の反対運動には違和感がある。本土から来た人間が団地などに2人組で1軒1軒ピンポンを押して回る。それが1日に何度も来る。うるさいから無視していたら、買い物や子どものお迎えなどで出てくるのを階段の下で待ち構えている。こんなことをしていたら地元からは嫌われる」と語っていた。

 

 渡具知陣営が告示後、矢継ぎ早に配ったチラシの主な主張を見ると、「革新市政、8年で135億円の損失(基地再編交付金を受けとらず)」「市財政、57億円も借金(起債)増大」「北部振興事業、現市長提案分ゼロ」「名護市民の1人当たり所得、県内30位」「ゴミ分別が16分別(ゴミ袋料金が那覇の2倍)」「名護市民球場の危機(改築が遅れ、日ハムがキャンプ地をアリゾナへ変更)」など、現市政の経済政策へのネガティブキャンペーンが大半を占めている。

 

 だが、真相を確かめると、基地再編交付金(8年間で約135億円)については、稲嶺氏が初当選した2010年の12月末に給付元の防衛省から「来年度からの給付額は0円に決定しました」というFAX1枚で打ち切られており、「受けとりを拒否した」事実はないことや、「57億円の借金」は国が8年間での実施を見込んだ学校校舎の耐震化を3年間で前倒しで実施し、消防庁舎の建て替えのための起債であり、現在76億円まで積み立てた基金で返済可能であること、ゴミの16分別(ゴミ袋の高額化)は「基地容認」を唱えた島袋市政時代に決定したもので、むしろ当時与党市議だった渡具知氏が賛成した案件であり、稲嶺市政は分別の簡素化を可能にする新焼却炉の建設を進めていることなど、今後検証を必要とするものが多いのも事実だ。

 

 ある年配婦人は「虚実入り乱れる情報で何が本当かわからない状況をつくって渡具知さんが当選したが、本当に約束したことをやるかどうかは未知数。再編交付金の使い道はハコモノなどに限られており、医療費や給食費などの経費には使えない取り決めがある。釣った魚には餌をやらないという状況だってありうる。だが、結局最後まで自民党側は辺野古問題を争点にはできなかった。新基地を進める民意が示されたとはいえないのが実際だ。この選挙の教訓をしっかり秋の知事選挙に生かして、次は負けるわけにはいかない」とみずからの気持ちを引き締めるように語っていた。

 

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※ 読者、支持者のみなさんのご支援・ご協力により、この度、遅ればせながら沖縄現地に記者を派遣することができました。この場を借りて厚く御礼申し上げます。名護市長選がどのようなものであったのか、不特定多数の市民のなかに分け入って実感を聞くとともに、選対関係者や議会関係者、行政関係者など1人でも多くの人々に接触して取材し、きたる県知事選を迎え撃つために教訓はどこにあるのか、調査分析したいと考えています。次々号(こちら)にて、より詳しい内容をお届けします。長周新聞社

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