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進化論を歪曲し改憲を宣伝 自民党広報の改憲マンガ巡って

 自民党がインターネット上での広報ページに掲載した「憲法改正」を訴えるマンガに、ダーウィンの進化論についての言説の誤用例とされてきたフレーズを引用していることが、生物学者ら各界の批判を呼び起こしている。日本人間行動進化学会(会長=長谷川眞理子・総合研究大学院大学長)は6月27日、会長と理事会名で、「“ダーウィンの進化論”に関して流布する言説についての声明」を発表した。同学会は、現代生物学の成果を踏まえて、進化という観点から人間の行動や社会理論的・実践的に理解することを目的とする研究者が参加している。

 

 問題の自民党広報は「憲法改正ってなあに 身近に感じる憲法のおはなし」のなかの4コママンガで、「ダーウィンの進化論ではこういわれておる/最も強い者が生き残るのではなく 最も賢い者が生き延びるのでもない/唯一生き残ることが出来るのは 変化できる者である」と明記している。時代の変化に対応した「改憲」こそがダーウィンの「進化論」にもとづく科学的なものだと
いう調子である。

 

 これに対して、ツイッター上で、「進化論を理解していない」「政治に利用するためのこじつけだ」などの批判があいついだ。学術界からも、「ダーウィンは一言もそういうことはいっていない。彼の考えでさえない」「1960年代にダーウィンを自己流に解釈したアメリカの経営学者・メギンソンの誤用例を踏襲しているにすぎない」との反論があいついでいる。

 

 自民党がダーウィンの進化論をこのようにねじ曲げて、政治的に利用するのはこれが初めてではなく、歴代の大臣たちが知ったかぶりでやってきたことだ。端的な例として、小泉元首相が衆院本会議(2001年)で、新自由主義「構造改革」に踏み出す決意を示すために、まったく同じフレーズを使って、勢いをつけたことがあった。

 

ダーウィンは一言も言っていない

 

ダーウィン

 日本人間行動進化学会のこのたびの声明は、ダーウィンの著した文献にこのような記述はなく、そもそも「進化論は変化できる者のみが生存できるとは主張していない」ことを明確にしている。そのうえで、生物学上の進化とは「集団中の遺伝子頻度の変化」のことであり、個体の変容に関する言及ではないことを強調している。

 

 さらに、「ダーウィン的進化とはランダムに生じた変異のなかから、環境に適さないものが淘汰されていくプロセスである」「現代の生物学では、この進化というプロセスから、いかに生命の多様性が生み出されてきたのか研究され明らかになってきた」と指摘している。そして、このような「生物の進化のありよう」を踏まえるならば、そこから人間の行動や社会がいかにあるべきかを主張することはできず、そうすることは「論理的な誤りである」と、厳しく批判している。

 

 声明はまた、「ダーウィンの進化論には、思想家や時の為政者によって誤用されてきた苦い歴史がある」と指摘。「生物進化がどのように進むのかという事実の記述」(自然の状態)をもって、「人間社会も同様の進み方をするべきである」「そのように進むのが望ましい」という議論は自然主義的誤謬と呼ばれる誤りであり、そこから「肌の色、民族、性別、能力の有無などによる差別や抑圧が正当化されてきた」ことを強調して、あらまし次のようにのべている。

 

 現代においても、自然主義の立場から差別や暴力を正当化する論調は失われていない。科学という権威を利用して政治的な主張を展開しようとするなかで、そもそもダーウィンが主張したことのない言説が編み出され流布されるような事態まで起きている。

 

 私たちの先人たる科学者たちは、ダーウィンの進化論が誤用され、政治的に利用されることに警鐘を鳴らし、その問題を解決しようと努力してきた。進化の視点から人間行動と社会を理解しようとする専門家の集団として、私たちには、進化のありようを、安直に社会の望ましいあり方として提示することの危険性について、警鐘を鳴らす責任があると信じている。

 

 私たちはここで、特定の政治的意見を主張するものではない。いかなる方向性・内容であっても、ダーウィンの進化論という科学的知識が、社会的影響力を持つ団体や個人によって(それが意図されたものであるかどうかにかかわらず)誤用されることについて、反対を表明するものである。「変化できる者だけが生き残れる」と信ずるのであれば、誤った科学を根拠にするのではなく、個人や団体の信念として表明するべきだと考える。

 

 ちなみに、千葉聡・東北大学大学院生命科学研究科教授(『進化のからくり 現代のダーウィンたちの物語』の著者)は、「社会における進化生物学の位置づけは、今すぐ何かに役立つわけではないが、状況次第で薬にも毒にも機能を変えうる遺伝子のようなものだ」と指摘している。そのうえで、最近のゲノム科学や理論研究が示している「常に変化する環境に速やかに適応できる生物の性質」として、次のように説明している。

 

 「集団レベルの性質ならば、多様でかつ現在の環境下では生存率の向上にあまり貢献していない“今は役に立たない”遺伝的変異を多くもつことである。個体レベルの性質なら、ゲノム中に同じ遺伝子が重複してできた重複遺伝子を数多く含むこと、複雑で余剰の多い遺伝子制御ネットワークをもつことである」

 

 つまり、それは「非効率で無駄が多いことなのである。これはたとえば、行き過ぎた効率化のため冗長性が失われた社会が、予期せぬ災害や疫病流行に対応できないことと似ている」「だから、もしこのダーウィンの言葉と誤解されているフレーズが、どう変化するか予想が困難な社会環境のもとで、組織や業務の“選択と集中”や、効率化を進めることを正当化するために用いられるなら、それは明らかに誤りであり不適切である」

 

 千葉教授は続けて、19年前の小泉元首相の国会演説がおこなわれた時点を境に、「進化生物学を含め日本の自然科学研究を巡る状況は急速に劣化していった。今ならまだ回復のチャンスはあると信じているが、研究者の努力だけでは難しい。回り道でも、それを支えるファンが増えること--再び土地を耕すことから始めなければならない」と訴えている。

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