いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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参院選突破口に本気でたたかう政治勢力をつくる 山本太郎の演説から

 21日投開票の参院選は終盤戦に入り、東京選挙区と全国比例区に10人の候補者を擁立する「れいわ新選組」は、首都圏をはじめ、東北・北海道など各地での街頭演説を旺盛にくり広げている。15日には、東京都内の中野駅前、新宿駅西口小田急百貨店前で政策を訴えた。いずれの会場でも若い世代から年配者まで多くの聴衆が足を止め、「市民の力による初めての政党」を誕生させる熱気に溢れた。演説会場での組織動員は見られず、他の野党と一線を画した独自政策や主張によって多くの有権者を惹きつけている。中でも、代表の山本太郎氏が議員になって6年間、国会の中で目の当たりにしてきた現実をあるがままに有権者に伝え、主義主張を超えて多くの働く人人を結集して新勢力を出現させる必要性を説いており、既存の枠にとらわれない内容が新鮮な共感を集めている。その主な内容を紹介する。

 

多くの聴衆を集めている れいわ新選組の街頭演説(15日、東京中野駅前)

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 いま国会の中に足りないものはなにか? それは緊張感だ。みなさんは国会に緊張感があると思われるか? 確かに、野党の先輩方は圧倒的に少ない野党の数の中でやれることを最大限やりながら行政監視、政府の不正や疑惑を追及されてきたと思う。だが、それを受ける政権側は、ほとんど答弁の中身がない。グダグダだ。何か意味のあるようなことを言ってるように聞こえるが、中身はほとんどない。それによって質問時間を潰され、最後まで追及できないという状況がいくつもあった。

 

 それならば私は究極は体を張ってでも抵抗しなければならないと思う。例えば、去年最後の国会で入国管理法の改正がおこなわれた。この狙いは何か。より安い労働力を大量に求める経済界の要望によって、より安く働く外国人労働者を大量に、長期間にわたってこの国に住めるようにしろという法律だ。法律の中身はこれ以外にほとんど何も決まってない。

 

 これが実現してしまったら一体どうなるか。もともとこの国に生きている方々と、今でも奴隷労働のような働き方をさせられている外国人の労働環境、この両方が無茶苦茶になってしまう。労働環境はより悪い方へ、賃金もより安い方へとどんどんどんどん寄せられていく。それで得するのは誰か? 安い労働力が得られる企業だろう。入管法改正はこの究極のバージョンをやるということだ。

 

 その運用が始まって首が締まるのは誰か? 多くの働く人々だ。もともとこの国で生きてきた人も、外国人も最悪の労働環境が拡大し、より安い賃金で働かされる環境が拡大する。絶対にやってはならないことだ。

 

 にもかかわらず自民党側はこれ推し進める。理由は、自分たちに権力を持たせ、自分たちに議席を与えてくれた方々へのご恩返しだ。組織票と企業献金で自分たちを議員にしてくれ、政権を持たせてくれた一番の協力者のいうことを何でも聞くのだ。

 

 最もわかりやすいのが経団連だ。経団連のいうことはこの数十年、全部かなっている。例えば派遣法。この制度を始めた中曽根政権時代は「小さく穴を開けるだけで限定されたものだ」と説明されていた。それが小泉・竹中改革で製造業まで広げられ、その後も改悪を重ね、非正規雇用という働き方は今やもう4割だ。自分たちがもうけるために、自分たちのコストを極力まで下げることを政治の場で実現させている。それ以外にも、原発の再稼動、カジノ解禁、武器の輸出、集団的自衛権、憲法改正……これを全部要望しているのが経団連だ。「提言」という名のもとに、ほぼ命令といえる形で順番に実現させている。

 

 高度プロフェッショナル制度もそうだ。残業代ゼロにするという話だ。これは2003、2004年ごろにも経団連は「ホワイトカラーエグゼンプション」という名前で要求している。年収400万円以上の人の残業代はなしということを進めようとしたが、「それはないだろう」という声が渦巻いたから一度看板を下ろした。そして、しばらく寝かせて、去年の夏の前に国会を通過した。年収1075万円以上の専門職の人は残業代ゼロというような話だ。みんなは1000万円ももらえていないから自分には関係のない話だと思い込んでしまう。だが、この1075万円という年収要件は、後からいくらでも下げていける。これに国会の審議は必要ないのだ。

 

 つまり「残業すればお金がもらえる」という約束そのものをぶっ壊しに来ている。「今でも自分はサービス残業だ。いまさらそんなことになったとしても関係ないわ…」と思われる方がいるかもしれないが、とんでもない。サービス残業であったとしても自分自身の勤務形態の証拠を残していれば、もし自分の心や体を壊してしまったらそれを元に裁判でたたかえる。でも、その裁判をたたかうための根拠自体を潰してしまうということだ。

 

 これは、この国に生きている人々のためのものではない。みんなを踏みつけてでも自分たちは肥え太ろうとする者たちのために、精一杯努力しているのが今の政治だ。これが加速すれば、国は壊れなくてもみんなが壊れる。これを変えていこうということで旗揚げしている。ガチンコで喧嘩しろ! ということだ。

 

本気でたたかう野党の必要性

 

JR新宿駅西口での街頭演説では、暗くなっても若い人たちが多く足を止めた(15日)

 野党の先輩方が一生懸命頑張っていることは重々知っている。尊敬する先輩方であり、足元にも及ばない。だが、例えば入管法。議論の入り口に入ることは致し方ない。議員の数で負けているのだから強行に議論を始めることは与党側には可能なのだ。

 

 議論が始まってプラスと言えるのは、議論の中でこの法案の持つマイナス部分、不備があることを多くあぶり出せることだ。確かに、野党の先輩方はその数々の不備、みなさんに先々どのような懸念があるのかをあぶり出された。それは素晴らしいお仕事だった。

 

 ただ、入り口に入れば当然、その先の出口がはっきりと見える。採決だ。この採決に行く前に、法案の不備があぶり出されたならば、それを根拠に体を張ってでも止めるという意思を示す必要がある。なぜなら少数派にできることは限られている。つまり、採決に行く手前でピケを張ったり、体を張ってでも採決にもっていかないということだ。私は1人で牛歩をやった。これを褒めてくださいという話じゃない。牛歩をやっても決まるものは決まるのだ。これは本会議場でやれる最後の抵抗だった。

 

 本会議場で採決に行く手前の、委員会審議の最終盤に入りかかった手前で、これ以上前に進めないために体を張って止めることをやらなければ少数派には戦う術がない。それをやったら国会が正常でなくなる。いわゆる不正常化だ。

 

 まず、入管法を扱っていた法務委員会が動かなければ、他の委員会の審議も本会議さえも動かさないということを、野党で決めてとことん体を張って止めるべきだった。1ヶ月でも2ヶ月でもいい。これほど長期に国会審議が不正常化されたら、毎日のようにメディアが取り上げる。不正常化の理由である入管法改正のプラスとマイナスの両面をメディアは伝えなければいけなくなる。テレビや報道を通して全国津々浦々までとんでもない法案が通ろうとしていることを皆が知ることになる。少数派であってもケンカの仕方はある。

 

 「みっともない」「選挙で負けて少ない数なんだから、何があっても採決で決まっちゃうんだからジタバタしてもしょうがない」…。そんな話ではない。いくら理解が得られないとしても、その法律が通った先にはこの国に生きる人々の首を絞め続けることになる。何が何でも、体を張って這いずり回ってでも止めるという気概が必要だと私は思う。

 

 野党の先輩方には申し訳ないが、足りないのは気迫だ。地べたを這いずり回ってでもなんとか止めようとする気合いだ。カードはそれしか残されていない。それなら、自分たちからメディアが流さざるを得ないような状況を作る。それを流してもらうことによって、全国津々浦々まで情報が流れる。とんでもない与党の実態を知ってもらい、最終的に採決されたとしてもみんなで選挙で審判を下すことができる。徹底的にたたかってほしい。

 

 残念ながら、そのようなたたかいがされなかった結果どうなったか。当然、与党は予算委員会を開かない。審議を拒否したら「野党のズル休み」といわれるのが怖いのか? それがどうした! 有権者に理由を説明すればいい。徹底的にたたかって、与党が一番嫌な予算委員会に引きずり出し、それをNHKに映させる。「与党が予算委員会に立たないのなら国会を動かさない」ということを、どうしてゴールデンウィーク前に続けておかないのか? という話だ。それをしないことよって国会の状況を国民は知ることができなくなった。野党の先生方を私は尊敬しているが、そのような喧嘩の場面では上品すぎる。そのたたかい方では、この国で生きる人々の壊れていく速度を緩めることすらできない。必要なことは、普通じゃない相手に対して、こっちも徹底的に抗わなければいけないということだ。

 

 今この国はものすごいスピードで壊れていっている。この6年間、私が参議院の最前列で見て経験してきたことは、この国を壊していくような作業の連続だった。今ここでなんとしても、国会の中に永田町の論理に一切従わない、空気を読まない人たちを1人でも多く皆さんに送り込んでいただくことによって、徹底的にたたかう野党を作る。それがれいわ新選組だ。この捨て身でたたかう人間たちが当選する数によっては永田町に激震が走り、その後の政治が大きく変わっていく。

 

 だが、政治の中に緊張感を持ち込むことだけが本当の目的ではない。真の目的は政権を取りに行く。政権交代に絡んで行く。「山本さん、落ち着いてくださいよ。政権交代に絡むって今回あなた、この選挙で10人しか出してないじゃないですか」――。確かにそうだ。10人ではウンともスンともいかないと思われるかもしれない。だが、このややこしい人たちをまず中に送り込むことによって国会への注目が高まり、政治に興味が集まる。投票に行かない人が有権者の4割いるから、勝つために組織票に頼る。そうではなく、自分たち一人一人がバックアップして議員にするグループがあることによって、信念を曲げることなく、みなさんに約束したことを全力でやることができるし、その方がみなさんのプラスになることを気付いてもらいたい。世の中を変えていくためには、多くの方々に政治に興味を持ってもらわなければ始まらない。

 

 まずは参議院で議席を確保し、その中でしっかりと徹底的にたたかう。それをやれば1年後の衆議院選で党勢を拡大し、3年後にもう一度ある参議院選挙でも党勢を拡大させる。そうなれば、政権交代に必要な影響力は出てくる。そのようなプラットホームを作れば、もしかしたら他の野党、与党からも参画してくる議員が出てくるかもしれない。

 

国民生活のために政治は存在する

 

 この間、国会で見せつけられたものはなにか。富めるもののために多くの働く人たちの首を絞める。自分の「腹心の友」には、60年間認可されてこなかった獣医学部を作らせてあげたり、自分の嫁が名誉校長に就いた学校経営者の友だちに国有地をタダで差し上げるとかやりたい放題だ。それだけでなく、公文書の改ざん、隠蔽、8年分のデータが消える……もう無茶苦茶だ。権力でそこまでできるのなら、逆に権力をとり戻してみんなのための政治をやることができる。

 

 子どもの7人に1人が貧困、高齢者5人に1人が貧困、1人暮らしの女性3人に1人が貧困……。こんな苦しい状況に置かれているのは、この一人一人が頑張ってこなかったからではない。20年以上のデフレが続いたことで生活が地盤沈下し、いまや衰退国家の入口に立っているのだ。この国に生きる一人一人を慮(おもんばか)る気持ちと、20年のデフレを呼んだドケチ政治をやめてみなさんへの投資をする。この国に足りないみなさんへの愛とお金を取り戻すというのがこの選挙のテーマだ。

 

 もっと政治に緊張感さえあれば、選挙前に消費税増税など口にできないはずだった。それだけ野党が舐められているのだ。こんな悔しい話があるか。消費税が上がればみなさんの首が絞まる。また人がバタバタと殺される。97年以降の自殺者は年間3万人。いまは2万1000人になったからよかったと喜んでいる場合ではない。50万人が自殺未遂をするような殺伐とした社会に私たちは生きている。こんな国は滅びるしかない。そんなことのために政治があるのか。みんなが生きていてよかったと思える社会をつくるために政治があるはずだ。私はそれが綺麗ごとだとは思わない。このビジョンをみんなで実現したい。みんなのそれを実現したいという気持ちによって、それは可能になる。力を貸してください。先頭に立たせてください。

 

駅の中にまで多くの聴衆が連なっていた(15日、新宿駅西口)

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この記事へのコメント

  1. 金津利行 says:

    云われている事は至極最も、他の野党が見え透いたペラペラキャッチフレーズしか吹かないのに対して山本太郎は大衆に具体的に分りやすく何時間でも全国各地で解説し啓蒙(?)する姿勢は本気度が半端じゃないと思える。クレルモン公会議のウルバヌス2世ばりの演説はこの国の最後の希望かもしれません。

  2. 博多っ子 says:

    いやまさにさいごの希望ですよ!

    3議席といわず、6議席は当選してもらいたものです。

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