いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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審議をしない“言論の府” 売国法案を軒並み強行採決 行政の下請と化す立法

安倍政府の6年で進んだ堕落

 

 国会では、低賃金の外国人労働者をさらに受け入れていくための出入国管理・難民認定法の改定案や、水道民営化を目論む水道法改定案、漁業法改定案、日欧EPA関連法案など、社会の枠組みを激変させていくような重要法案が連日強行採決によって可決されている。このなかで、一強体制といわれる自民党の一人勝ち状態と驕りを反映して、議会が審議するふりすらしなくなり、法案を通して後は省令で整える等等、議会制民主主義を否定した信じがたい状態が露見している。国権の最高機関であるはずの国会が、言論の府としての役割を投げ捨て、何も審議せぬ賛成マシーンと化しているのである。それぞれの重要法案は何を意図しているのか、そして国会が死に体と化している状況とその打開策はどこにあるのか、記者座談会で論議した。

 

  連日、強行採決で法案を可決している。入管法に続いて漁業法改定も日欧経済連携協定(EPA)の承認案も、ろくな審議すらせずに衆院を通過した。国会があってないようなものになっている。

 

 B 衆院の委員会審議は短くても20時間程度が目安といわれてきた。それが入管法を巡っては17時間15分のみだ。そのうち野党欠席による空回しを除くと実質的には14時間30分のみ。漁業法改定も強行採決で可決したが、審議日数は4日、審議時間は10時間30分だった。日欧EPAの承認について外務委員会で審議したのは僅か4時間程度。審議するふりすらしなくなっているのが特徴だ。

 

  洋上風力発電利用促進法も全会一致で可決成立した。政府が今国会に提出した13本の法案は、軒並み会期内に成立する見通しだ。審議しないで数に任せて強行採決するのだから、13本だろうが20本だろうが変わらない。やっつけ仕事みたいになっている。三権分立で司法、立法、行政と謳ってきたが、既に立法が行政の下請機関と化している。私物化政治もここまできたか…と唖然とするものがある。国会とは何かとか、本来なら建前というものがあるだろうに、余りにもあからさまなやり方だ。これでは、国会不要論が出てきても仕方がない。衆参あわせて707人もの議員がバッジをつけ、公設秘書の給与や移動のための交通費もすべて国費から支給されている。にもかかわらず“言論の府”で審議、すなわち職務を放棄している関係だ。「憲政史上」という言葉がよく使われるが、「憲政」などと呼ぶことすらおこがましい事態だ。憲政が終了したといった方が正確だ。

 

  入管法の審議でも、衆院法務委員会の理事である平沢勝栄が「議論してもキリがない。いくらでも問題点が出てくる」と審議を打ち切る理由についてのべていたが、それらの問題点を洗い出し、まともな法案であるか否かを審議するのが国会の本来の役割だ。与党であれ野党であれ、政府が出してきた法案について国民に納得のいくように審議を尽くすのが建前だ。ところが、問題点はたくさんあっても可決してしまえ! の本音を丸出しにしている。平沢勝栄に限った話ではなく、審議するつもりがないのだ。そして、それを隠そうともしないまでに堕落している。参議院の委員会審議でも自民党は割り当てられた時間を残して終えたり、みんなして「審議」を端折っている。

 

  入管法も中身が空っぽで、後から省令で定める部分が大半だ。従って、答弁も具体的な対策や制度設計になると「検討中」をくり返していた。例えば、悪質なブローカーが法外な保証金を要求したりしていることについて、新制度では悪質な者の介在がわかれば、その労働者は日本に受け入れない方針だと安倍晋三はのべたが、そのためにどのように具体的に対応していくのかは空っぽ。外国人労働者に対する日本語教育へのとりくみについても、「地方公共団体による日本語教室開催を支援する」とのべたが、具体策はまるでないことが暴露された。そして、外国人の受け入れ人数についても、対象業種についても、法成立後の分野別運用方針で定めると法相は答えている。「検討中」「法成立後に省令で定める」を連発している有様だ。そのように中身が空っぽで検討中の法案なら、いったん引っ込めるか「出直してこい」という扱いを受けるのが筋だろうに、強行採決で押し切った。そして、法施行前に丁寧に説明するなどといっている。

 

  国会がまるで体を為していない。そして安倍政府はというと、日米FTAをTAGへと呼び方をすり替えたり、移民を外国人材と呼び替えたり、あるいはご飯論法なる手法で印象操作に明け暮れている。今回の審議時間の短さについて、外遊日程を優先させるために駆け足で法案審議を進めているのだという指摘もある。それもまたむちゃくちゃな話だ。法案の中身が空っぽで後から省令や政令で定めるなら、国会などいらないことになる。国会議員たちがみずから国会不要論を煽っているような光景にも見える。政府の出してきた法案について、中身がどうであろうと目くら判を押すなら議会はいらない。一強体制でここまで壊れるものなのだと改めて考えさせられるものがある。

 

  中国の全人代とか異論のない社会主義体制と比べて、いかに議会制民主主義が貫かれた素晴らしい法治国家なのかを説いてきたが、ここまでくると何が違うのかと思う。国会が政府に全権を委任するのならナチスとも変わらない。ある意味、議会制民主主義の欺瞞が剥がれ落ちて、本音丸出しの独裁的な統治形態をさらけ出している。そのもとで、財界やアメリカ、多国籍金融資本から求められた案件を右から左に片付けている。形式的には国会があるから、仕方なしに「審議」した格好をするが、やっつけ仕事もいいところで、内容如何にかかわらず可決する。野党がやんやのポーズをするのも時間のムダと言わんばかりに端折っている。

 

新自由主義によって犯される社会 総仕上げの局面

 

  それでどんな社会にしようとしているのかだ。入管法の改定は要するに外国人労働者をさらに受け入れていくためのものだ。下関のような地方都市でも、最近は求人を出しても人手が集まらず、人手不足倒産に追い込まれる企業も出てきているが、この問題を解決しようと思ったら、まず少子化に向き合わなければ根本的には何も変わらない。財界の意図としては少子化はどうでもいいから、「低賃金労働力の人手不足」を外国人労働力によって補いたいというのが本音だ。シャープが亀山工場で3000人もの日系外国人労働者を首切りしているが、雇用の調整弁として露骨な扱いをしている。

 

  終戦後のベビーブームで誕生した団塊の世代は高度成長を経験し、資本主義の相対的安定期ともいえる期間に一定の暮らしを成り立たせることができた。一億総中流などといわれた時期もあった。しかし、その子どもたちである第2次ベビーブーム世代になると結婚もできず、子どもを育てることができない状況に直面して、現在のような異次元の少子化が起こっている。就職氷河期を経験し、派遣切りや雇用の不安定化の波をもろにかぶった世代でもある。その結果、人口減少によって社会を維持していくための循環が破壊され、インフラや各種産業など、担い手を確保できずに先が見えないところまで深刻な事態を招いている。

 

 この解決策は若者世代の生きづらさを解決し、豊かに生きていける環境をつくること以外にないが、そっちには関心がなく、「不足しているなら賃金の安い外国人を連れてくればいいじゃん!」をやっている。多国籍資本にとって労働力の流動化は悲願で、日本国内で働く労働力が日本人である必要性などない。この要求に応えて、法案の中身がどうであれごり押ししている関係だ。「ニッポンをとり戻す!」などといって、実際には差し出しているのが安倍晋三はじめとした為政者だ。

 

  コンビニに行けば外国人実習生、飲み屋に行っても外国人実習生、中小企業でも中国人、ベトナム人、スリランカ人、ネパール人などアジア圏からさまざまな国籍の外国人労働者が入ってきて働いている。コンビニに並ぶ弁当や惣菜の製造工場も外国人実習生だらけなのだと日本人労働者が話していた。○○大学、○○語学院とかに「留学」している名ばかり留学生が多く、どれだけ勉学に励めているのかはわからないが、バスで連れられてきて週23時間労働に従事しているという。日本人の若者はどこで働いているのだろうかと思うほどの勢いだ。低賃金な職場ほど外国人労働者が人手不足を補う労働力として導入されている。

 

  技能実習生といっても、コンビニで何の技能を学んで母国に帰るのか。「途上国の発展に寄与する」とかの建前は既に剥がれ、露骨な搾取が横行している。時給300円程度で働かせていたとか、とんでもない事例も出てきている。現代版アンクル・トムみたいなものだ。労働力がいないなら、連れてくればよいといってアフリカ大陸から奴隷を引っ張ってきたのが欧米だが、その論理で物事が進んでいる。グローバル化が進み、大企業といっても株式を外資に握られ、CEOやCOOまで外国人だらけになっているなかで、躊躇なく同じ事をやり始めている。安倍政府なり国会が、その意向を汲んで賛成マシーンになっている。多国籍企業が国家や統治機構を従え、思うがままに社会を動かしていく構造がある。

 

公益否定し売り飛ばす 水道法や漁業法でも

 

  水道民営化も漁業法改定も、洋上風力促進法もみな同じ構造だ。漁業法改定でいえば、70年ぶりの大改定といわれているが、戦後策定した漁業法や水協法を戦前まで逆戻りさせる内容ともいわれている。漁業権の民間開放や漁獲枠の売買などに道を開くものだが、資本のある者が零細な漁業生産者を淘汰して漁業権を獲得していく方向だ。山口県では上関原発を巡っても漁業権が焦点になってストップしてきたし、最近では安岡沖の洋上風力発電建設を巡っても、漁業権を地元漁師たちが手放さないことから膠着状況が続いている。埋立などを進める際、大企業にとっては漁業権が大きく立ちはだかり、いつも障壁になる関係だ。海外には日本のような漁業法や水協法がなく、これをグローバル・スタンダードなものにせよという圧力が以前から加わってきた。

 

 海区調整委員会についても漁協組合員の選挙によって選ばれるのではなく、知事の任命制にするという。山口県の例にあてはめると、県当局が上関原発でも下請機関のように推進役をするわけで、この意向に沿うものだけが任命され、漁業権の書き換え(10年ごと)をはじめとした海区調整委員会が果たすべき役割を担った場合、ろくでもない事態になることが十分に想像つく。現状でも県政や県知事に対してモノが言いにくいのに、より知事による直接支配の力が強まることを意味する。

 

 B 水道民営化も重大な問題だ。こちらは4日に強行採決するといっている。仏ヴェオリアをはじめとした水メジャーに日本の水道市場を全面開放するものだ。麻生がアメリカのシンクタンクで「日本の水道はすべて民営化する」と約束したところから暴走している。世界的にはイギリスでもフランスでも中南米でも、先行して水道民営化をしたところは公営に戻す流れが圧倒的だ。「水」を私企業が握ることで社会的弊害が大きすぎたからだ。水道料金は間違いなく値上がりするし、2~5倍に跳ね上がった例が珍しくない。「水戦争」で知られるボリビア・コチャバンバの例など、世界各国の経験から学ぶなら、失敗の後追いをする必要などない。これは法案が強行採決されても「仕方がない…」で済む問題ではない。各国と同じように全国津津浦浦で運動を展開して、再公営化に戻すとりくみを強めていくほかない。

 

  農漁業破壊をいっそう促進するであろう日欧EPAもほとんど審議なしに承認された。TPP11に加えて日本の農漁業を売り飛ばす動きだ。労働市場であれ、水道市場であれ、農漁業であれ、この国会で出てきている法案はみな日本社会を売り飛ばしていくものにほかならない。新自由主義施策の総仕上げの段階に入っている。この背景にはグローバル資本の要求がある。こうした国の形さえ変えかねない重大な法案について、国会がまるで審議もせずに、大臣の不祥事やパソコンが使えないなどの話でお茶を濁し、片っ端から強行採決している。

 

 「一強」が相当な思い上がりをしているのは疑いない。同時に多国籍企業や財界からすると、「一強」が叩きつぶされる前に駆け込み乗車でみな法案を通してしまえと慌てている。悠長に法案審議している間などなく、過程はどうでもいいから頭数がそろっている間に法案を通せという力が働いている。国会議員がバカばかりとか、堕落しているというだけでは説明がつかない。確かに大臣たちの面構えからして「ろくなのがいないな…」と思わせるものがあるが、何も考えずに突っ走る安倍晋三のような反知性主義者ほど使いやすいからそうなっているのだ。そして安倍政府の数年で議会制民主主義とか三権分立であるとかの統治の建前すら投げ捨てて、国会は名実ともに飾り物になった。全権委任がまかり通るなら議会など必要ない。

 

 B 法案がいったん可決されても、その法案を覆すのもまた国会だ。水道民営化ではないが、その後に公営に戻すことも可能で、如何なる法律も永遠不変のものなどない。同じように一強もいつまでもあるものではない。次の国政選挙は有権者の怒りが噴き上がることは必至だ。現状では野党もどうしようもないが、それら含めて議会制民主主義のインチキをみんなが見ている。政治に期待が持てない…というあきらめをいいことに既存の政治勢力があぐらをかき、腐敗堕落したのが現在の国会の姿だ。この一強は選挙制度のテクニックによっても保障されている。この形骸化した政治状況を打開することが求められている。

 

 アメリカでも、スペインやイタリアをはじめとした欧州各国でも、下から大衆的基盤を伴った行動が始まっている。右や左をつかって一般大衆を欺瞞してきたが、資本主義が行き詰まっているもとでムキだしの支配が強まり、極限状態から反抗がはじまっている。フランスでも反マクロン、反グローバル化の街頭行動がすごいことになっているが、金融資本による強烈な搾取が横行する社会では、必然的に階級矛盾が激化して支配・被支配の対決になる。このなかで、左翼政党といっても支配の枠内でポジショントークをくり広げているような者やくたびれた細胞、ドグマや教条的な言説ばかりで現実から遊離している者は相手にされなくなっている。グローバル資本に社会の利益を根こそぎ売り飛ばすような統治機構や、グローバル資本そのものとの対決が迫られる情勢だ。社会のため、勤労大衆の暮らしのために献身する政治勢力を台頭させて、旧い腐った遺物を駆逐していくことが世界的に問われている。

 

  日本社会もその渦の中にある。国会がどうしようもないほど低俗なものになっているのはよくわかった。この低俗なる状態を乗り越えなければ、世の中がよくなる見込みなどない。悲観しても世の中はよくならないが、未来のために団結できるすべての力とつながって行動し、一歩一歩打開していくほかにない。

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