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『本のエンドロール』 著・安藤祐介

 一冊の本は、さまざまな人たちの仕事の結晶である。そのことを改めて教えてくれる新刊。営業、工場作業員、DTPオペレーター、デザイナー、電子書籍製作チーム…など奥付に載らない本造りの裏方たちを描いた小説である。作者は3年間にわたり印刷会社や出版社の関係者に聞きとりをおこない、小説にしたという。

 

 出版物の市場は年年縮小し、この10年で市場規模が2割減っている。当然印刷される絶対数も減り、中小の印刷会社は淘汰されている。そのなかで、本をつくり続ける人人、そこに携わる人人の熱い思いに光をあて、本の力と魅力を伝えている。

 

 登場人物は豊澄印刷の営業部員・浦本学(32歳)、印刷工の野本正義(32歳)だ。浦本は出版社から仕事をとってきて、工場の印刷機の稼働率を上げるのが使命だ。浦本は「いい本がつくりたい」という熱い思いを持っている。営業マンは原価計算や売上、印刷機の稼働率などとにらめっこしながら仕事をとってこなければならない。ある時、出版社から7月初旬の刊行予定にしていた本が、急きょ作者の要望で5月に刊行できないだろうかとの連絡が入った。かなりの緊急工程にはなるが、データ制作部の若い女性オペレーターは急な割り込み仕事になると余計はりきって精を出す。彼女は「印刷会社は本の助産師みたいな仕事だと思っています。物語はソフト、本はハード。魂と肉体のようなものです」「一冊でも多くの本の誕生を助けたい」といいきってしまう大の本好きだ。また印刷工も、割り込みの仕事に苦言を呈しながらもきっちりと仕事をしてくれた。

 

 ところが製本後に目次に誤字が見つかった。初版1万部の製本を全て終えた後の致命的なミスだった。原因は急な工程で時間がないため、校正のダブルチェックを怠った印刷会社にあると判明した。作り直しを回避する方法は二つ。一丁切り替えか、シール貼りか…。いずれの方法をとるにしても、社内で集められるだけの人を集め、人海戦術でかつ長時間の作業になる。しかも5月中の刊行には間に合わない。結局、著者が「5月刊行」にこだわり、「仕方ない」といってそのまま世に出されることになる。浦本は、「いい仕事」のためには「(印刷所の仕事は)日々の仕事を手違いなく終わらせることだ」とシンプルに語る先輩の言葉の重みをあらためて噛みしめることになった。

 

 またある時、気むずかし屋で名を馳せる装幀家が、特殊な紙を用いてカバーを印刷するよう要求してくる。そこではりきるのは「印刷のジロさん」と呼ばれるベテラン職人だ。彼は素人ではわからない微妙な色調を出すためにこだわりぬく。手強い紙を前にすると職人気質に火がついて、表情もどこか生き生きしている。紙は呼吸をしており、その時時の天気や湿度などにより、状態が微妙に変化する。紙の変化に、インキの量や印刷機の設定を合わせなければならない。7度目の試し刷りを鬼の形相で数秒見つめたジロさんは「よし、これならドンピシャだ」と頷いた。

 

 大手印刷会社は特色インキの機械調合で効率化を進め、安価で印刷できることを宣伝する。だが微妙な色調は職人の手でないと出せず、印刷機を通してそのインキを紙に出してみた時の色調も、職人との仕事に熟練したオペレーターでないと忠実に再現できない。そんななか大手会社は3割増の給料を餌にして職人をひき抜こうとするが、「いい本を作り続けたい」という意地で動こうとしなかった。

 

 また印刷機のメンテナンスを毎日欠かさない熟練工は「印刷機は仕事仲間だ。大事にすれば応えてくれる」「印刷職人は印刷機と一緒に仕事をするもんだ」が口癖だ。急きょの稼働要請があっても難なく大量の印刷をこなせたのは熟練工のお陰だった。浦本は、印刷を担う職人たちの努力や葛藤にふれ、営業もデザイナーも印刷工も一つ一つの部署が精いっぱいの仕事をすることで「いい本」を世に送り出す連帯感に喜びを感じるようになっていく。

 

 そして自分たちが携わった本が書店に並べられ、良い本を一冊でも多く売りたいという書店員の手書きの販促ポップを見て、「普段はかかわりがなくとも、本を書く人、企画する人、作る人、配本する人、そして売る人の仕事は一本の道でつながっている。本は一人でつくっているんじゃない」とあらためて感じるのだった。

 

 本書は、電子書籍制作部と製本部(デジタル書籍と書籍)間の論議や、値引き消耗合戦で疲弊していく中小印刷業者の現状などにもふれながら、価格の叩き合いではなく、きれいに早く丁寧にいい製品を届けて、社会の需要に応えていくのか、日日葛藤し研究する印刷会社の機微を描いている。

 

 本のエンドロールとは奥付のこと。著者、発行者、出版社、印刷所、製本所が載っている。そこには決して載ることのない多くの人の手によって一冊の本が世に送り出されていることを感じる一冊だ。(文)


 (株式会社講談社発行 381ページ 1650円+税

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