いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『ラジオと戦争――放送人たちの「報国」』 著・大森淳郎

 著者は1980に年にNHKに入局し、その後ディレクターとしてETV特集『BC級戦犯』『戦争とラジオ』『敗戦とラジオ』などの制作に携わってきた。国民を先の戦争に動員するうえで大きな役割を担った戦時下のラジオ放送は、NHKの前身・日本放送協会が担った。しかしNHKがみずからの戦争責任に向き合ったことがいまだにないことから、著者が当時の関係者にインタビューし、また資料を掘り起こしてまとめたのがこの本だ。
 著者は冒頭、「これまでの定説は、メディアの戦争協力は軍部から加えられた重圧によるものであり、仕方がなかったのだ――というものだが、そこにとどまっている限り戦時ラジオ放送の経験から学び、現在の放送に生かすことはできない」とのべ、当時日本放送協会が国民を戦争に動員するために全身全霊をかけて尽力した事実を明らかにしている。この問題意識に注目し、読んでみた。

 

日中の停戦協議破壊を自慢

 

 「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」というスローガンがある。かつて中国への侵略戦争に国民を動員するために当時の大新聞が煽ったものだが、その端緒は日本放送協会のラジオ放送にあった。

 

 1931年9月18日夜中、満鉄が何者かに爆破された。関東軍の自作自演によるもので、これを中国軍のせいにして戦火をまじえた(満州事変)わけだが、当初は日本人の中でもその3年前の張作霖爆殺事件と同様、日本軍が関与したに違いないと意見をのべる者が少なくなかったという。

 

 そのとき日本放送協会は、現地のことをよく知る軍人を足かけ4カ月間、ラジオのマイクの前に立たせて講演させた。なかでも参謀本部第一部長・建川美次(満鉄爆破作戦の当事者)は、その3カ月前、2人の日本兵が中国軍によって逮捕・銃殺され、遺体は切断・焼却されたことを強調し、爆破事件は「中国軍の手によるもの」とのべた。新聞も「耳を割き鼻をそぎ、暴戻(ぼうれい)! 手足を切断す」「支那兵が鬼畜の振舞い」などと憎しみを煽った。「中国軍によって満鉄が爆破され、日本の権益が脅かされた」「満蒙は日本の生命線」というフェイクニュースが、シャワーのように国民に降り注いだ。

 

 また、盧溝橋事件のときも同じだった。1937年7月7日、日本軍の夜間演習の最中に中国軍陣地から発砲があり、8日早朝、日中両軍が衝突したが、日中双方の努力によって9日には停戦協議がまとまっていた。ところが、それを知りながら日本放送協会は、事件を収束させまいとする天皇制政府・陸軍中央の意向に沿う形で「果たして誠意に基づくものなるや否や信用できぬ」などとねじ曲げて放送し、こうして日中全面戦争に突き進んでいった軍・政府を正当化した。「今回の事変にラジオ・ニュースが果たした役割は、皇軍の偉力と同等」と自画自賛する総括文書が残っている。

 

 1943年5月30日、大本営はアッツ島の日本軍守備隊が米軍の総攻撃で全滅したことを、はじめて「玉砕」の語を使って発表した。この年の7月、日本放送協会の講演部長・多田不二は、自分の息子たちを航空兵として送り出した母親たちをマイクの前に立たせ、「思えば、“我が子にして我が子にあらず”。大君の御為(おんため)に、我が子を捧げまいらす時であると深く心に期しております」などと語らせた。それは航空兵力の不足に直面する大本営に奉仕するためだった。

 

 その一方で、国民が生きていくために勤労動員を拒んだり、国防献金に積極的でなかったりした場合、『朝日新聞』などがその町内に住むことができないほど書き立てたことも、事実として残っている。満州事変以来、太平洋戦争に突入し、最後のどん詰まりまで国民の心を持っていったのは、天皇制の軍隊や警察の力だけでなく、『朝日』やNHKをはじめとした大手メディアである。

 

 日米開戦前の1940年になると、内閣直属のメディア統制の総本山・情報局ができた。情報局は「もはや前線も銃後もなく、すべてが戦場であるという認識と自覚を全国民に理解徹底せしめることを国内放送の目的」とした。この情報局の総裁として入閣したのが、『朝日新聞』主筆だった緒方竹虎であり、その後任総裁は日本放送協会会長の下村宏だった。『朝日』もNHKも「被害者」どころか、天皇制国家権力と一体化していた。

 

 この時期、日本放送協会企画部長の横山重遠が次のように語っていることは、戦時のメディアの到達点を思わせる。「大衆の世論を統一し、もっとも短い時間に国論を一つに持って行く点で、放送が一番有力ではないか」「放送は国家の宣伝機関であり、チンドン屋だ。ただし放送がチンドン屋だということを国民に悟られてはならない」。

 

 問題はこの体質が、戦前と戦後で連続していることだ。日本を単独占領し、天皇の上に立つ権力者となったアメリカにとって、国民総動員の情報管理システムは好都合であり、また戦時中「鬼畜米英」「一億玉砕」を叫んだメディア幹部らも、みずから進んでアメリカにひれ伏し、その日本支配に役立とうとした。

 

戦後は米国のチンドン屋に

 

 現在のNHKは、戦時中の日本放送協会のすべての施設・権利・義務を継承して設立されたし、職員もそのままだった。また、日本では戦争責任を問われて廃刊になった新聞は存在せず、ほとんど無傷で戦後体制に組み込まれた。これは、一切の既存新聞が継続・復刊を認められなかったドイツと比べてきわめて対照的だ。

 

 それどころか、戦時中、天皇制軍国主義の中枢にいた『朝日』の緒方竹虎や読売の正力松太郎が、戦後はCIAのエージェントとなって権力のチンドン屋をやっている始末である。

 

 先日、NHKスペシャルは『アナウンサーたちの戦争』を放映した。日本放送協会がナチスのプロパガンダ戦にならっておこなった、ラジオ放送による「電波戦」をドラマ化したものだ。そのなかで、日米開戦時にラジオで「鬼畜米英」を煽ろうとしたとき、あるアナウンサーが「これまでアメリカに憎しみなんて持ってなかったじゃないですか? ジャズやアメリカ映画をみんな楽しんでいたじゃないですか?」と抵抗する場面が出てくる。

 

 それを見て、昨年ロシアがウクライナに侵攻した直後、NHKの夜9時のニュースで女性アナウンサーが「ウクライナの人と同じ憤りを持ちましょう!」と字幕付きで訴えていたのを思い出した。日本は戦争の当事者でもないのに。今も大手メディアは、戦争継続を望む米ネオコンのシンクタンク「戦争研究所」の評価や情報を無批判に垂れ流し、中立的な客観性は影を潜めている。

 

 大本営がペンタゴンにかわっただけであり、権力と一体化して国民を戦争に動員する体質は変わっていない。著者の検証は戦後の講和条約発効で終わっているが、かつての戦争の反省に立つのなら、ふたたび戦争機運が高まる今、国策とメディアのかかわりについてより深い検証が必要ではないか。

 

 (NHK出版発行、四六判・574㌻、定価3600円+税)

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