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『第三の大国 インドの思考』 著・笠井亮平

 世界経済に占めるG7の割合が低下する一方、グローバルサウスと呼ばれる新興国や資源国の比重はますます高まっている。インドはG20の議長国であり、グローバルサウスの代表を自認している。

 

 14億人超の人口を抱えるインドは今年、中国を抜いて人口世界一になった。また、急速な経済成長によって、GDPの規模は昨年にかつての宗主国・イギリスを抜いて、米中日独に次ぐ第5位となった。

 

 経済面で象徴的なのが自動車販売で、昨年の新車販売台数は472万台となり、日本を抜いて世界第3位に躍り出た。インドは中国にかわる製造業の拠点として注目が高まっており、とくに現在のモディ政権は「インドを半導体のハブに」を掲げている。最近では台湾の鴻海精密工業、和碩聯合科技、緯創資通によるアップルのiPhone生産が始まった。

 

 また、インドはBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の一員となっている。BRICSは最近、米ドルへの依存を減らすため、5カ国間の貿易決済に使う共通通貨を創設すると発表した。

 

 インドはどういう国なのか? 本書は、在インド、中国、パキスタンの日本大使館で外務省専門調査員として勤務した後、現在は岐阜女子大学南アジア研究センター特別客員准教授として教壇に立つ著者が、アメリカのインド太平洋戦略と中国の「一帯一路」構想との狭間で独自の立場を貫くインドについて分析したものだ。

 

全方位外交で存在感  「対話こそ解決の道」

 

 最近インドが注目されたのは、ロシアのウクライナ侵攻をめぐる対応だった。インドは2021年から国連安全保障理事会の非常任理事国だが、昨年2月に安保理に提案されたロシア非難決議に対して、「現在の状況がいかに厳しくとも、対話こそが対立と紛争を解決するための唯一の答えだ」(ティルムールティ国連大使)といって棄権した。

 

 この問題をめぐる国連総会の緊急特別会合開催についても、インドは棄権票を投じた。国連総会が人権理事会でロシアの参加資格を一時停止する決定を採択したさいも、インドはやはり棄権した。この姿勢は一貫している。

 

 また、米欧が主導し、日本も加わった経済制裁にインドは加わらなかった。それどころかロシアのウクライナ侵攻後、インドはロシアから石油や石炭の輸入を急増させた。インドは石油消費量世界第3位で、85%を輸入に頼っており、2021年度はイラク、サウジアラビア、アラブ首長国連邦からの輸入がトップ3だったが、2022年にはロシアが最大の輸入相手国となった。

 

 これについて著者は、世界的な資源価格の高騰が続くなか、巨大な人口を抱えるインドにとって安価なエネルギーを確保することは死活問題で、したがって歴史的に関係の深いロシアから原油や石炭を安価で買えるなら、それを活用しない手はないというのがインドの考え方だとのべている。アメリカはそれをやめさせようとしたが、できなかった。

 

 インドのジャイシャンカル外相はワシントンでおこなわれた印米2+2会議後の記者会見で、「インドを責める前にヨーロッパを見よ。インドが一カ月間でロシアから購入したエネルギー量は、ヨーロッパが半日で購入する量にすら満たないではないか」とのべた。

 

 別のところでも同氏は「インドの一人当たり収入は2000㌦だ。高騰するエネルギー価格に対応できるような人々ではないのだ。国民が最良の条件でそれを手に入れるようにすることは、私の道徳的義務なのだ」とのべている。

 

 実利優先、国益優先で、相手が誰であろうと是々非々の立場を貫くのがインドの政治家である。

 

大国の戦略に属さない 実利・国益を優先

 

 インドは特定の国と正式な同盟関係を結ばない全方位外交を、外交の基本方針にしている。著者はインドがたどってきた歴史からそれを跡付けている。

 

 インドは1947年にイギリスから独立した後、アジア・アフリカを中心に非同盟主義という独自路線をとる運動の指導的な役割を担った。その後、中国との国境紛争や、隣国パキスタンとの紛争(英植民地政府によるヒンドゥーとムスリムの分断政策から生まれたもので、戦後はアメリカがこれを利用した)に直面するなか、旧ソ連との関係を強めた。ソ連崩壊後はやや疎遠になったが、それでも軍事とエネルギーを中心とするパートナーシップは今も続いている。

 

 一方、インドは核実験をおこない核保有国になったことで、アメリカからの制裁を受けた。だから核不拡散条約(NPT)に対しても、米ソ英中仏の5カ国だけが核兵器を独占し、その他の国の核保有を認めないのは差別的だとして、加盟していない。

 

 また、中国に対しては、国境問題を抱える一方、経済面から見れば中国は最大の貿易相手国の一つ(輸入額は第1位、輸出額は第3位)であるし、中国が設立したアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設メンバーでもあるので、単純に対立一辺倒で見ると誤る。

 

 著者は、アメリカのインド太平洋戦略に対する、2018年のモディ首相の演説を紹介している。モディ首相は「インドはインド太平洋地域を、戦略とも、限られたメンバーによるクラブともみなしていない」とのべた。その意味は、インド太平洋構想は軍事的連合ではなく、経済的な繁栄を追求する広範なとりくみであるべきで、ロシアや中国との関係を悪化させるものであってはならないということだと、著者はのべている。

 

 モディ首相はまた、昨年9月の印露首脳会談でプーチン大統領に対し「今は戦争の時代ではない」と訴えた。プーチン大統領は「ウクライナでの紛争について、あなたがとっている姿勢は承知しているし、あなたの懸念も理解している。この事態をできる限り早期に終わらせたいと思っている」とのべた。早期停戦に向けてインドの動向が注目されている。

 

 アメリカは「自由で開かれたインド太平洋」構想や日米豪印「QUAD」によって、インドをみずからの陣営にとり込み、中露包囲網を強化しようとしている。これはアメリカの戦略であり願望であり、日本のメディアもその側からしか報道しない。しかしそれは事実の一つの側面で、インドの側から見ると別の情景が見えてくる。米国一極支配が終わり、G7が力を失う一方、グローバルサウスが台頭する世界情勢のもとで、日本があくまで対米一辺倒を続け、この現実を無視するのなら、日本の将来は危ういというほかない。

 

 (文春新書、268ページ、定価1,000円+税)

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