いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

文字サイズ
文字を通常サイズにする文字を大きいサイズにする

『ロシアのなかのソ連――さびしい大国、人と暮らしと戦争と』 著・馬場朝子

 ロシアのウクライナ侵攻が始まって10カ月が経とうとしている。日本を含む欧米世界では、「プーチンは狂っている」「なにをするかわからない悪魔」といった単色で塗り固められ、ロシアそのものを「悪」と見なす過剰な風潮までも覆っている。一方、ソ連崩壊から30年が経過した世界において、何がプーチンを「悪魔」のような行動に駆り立てたのか。そして1億4000万人いるロシア国民は現在をどう見つめ、何を思っているのか――について知る機会は少ない。9月に刊行された本書は、1970年代のソ連への留学経験を持ち、その後、テレビ番組ディレクターとして50年にわたりロシアとかかわり続けた著者が、そこに生きる人々との暮らしのなかで見たもの、感じたことをもとに現代に至るロシアの内面世界に分け入っている。

 

 著者は、1970年からモスクワ国立大学文学部に6年間留学し、帰国後、NHKに入局。ディレクターとして40本以上のソ連・ロシア関連ドキュメンタリー番組の制作に従事しながら、ロシア現地で取材を積み重ね、その変遷を直に目の当たりにしてきた。

 

 今年2月のウクライナ戦争勃発後、ウクライナ、ロシア双方の友人から戸惑いやショックの声を聞いた著者は、この戦争に至るまでの彼らの歴史をもう一度紐解き、その深みに何が蓄積され、その心はどのように屈折・葛藤し、これからどこを目指そうとしているのかについて本書で捉え直そうとしている。そこに戦争の要因を知る手がかりと事態収束のヒントがあると感じるからだ。

 

 「プーチンはかつてのソ連の復活を企んでいる」――最近よく聞く言葉だが、80年代以降に生まれた世代にとっては、そもそもソ連とは一体なんだったのか、社会主義国が具体的にどんな国だったのかを知ることは難しい。学校やメディアでも「独裁」「統制」「粛正」といった暗い出来事とともに、再考するにも値しない負の歴史として扱われてきた。

 

 では、失敗したはずの社会体制に戻ろうとする力が働くのはなぜなのか。ロシアの人々は本当にそれを望んでいるのか。ソ連崩壊から30年が経ち、資本主義の物質文明を受け入れたはずのロシアが西側諸国となぜこれほど対立するのか。「狂っている」で片付ければそれまでだが、解決するためにはその原因を探らなければ始まらない。隣国でありながら、日本ではその理解がすっぽりと抜け落ちていると思わざるを得ない。

 

 1970年、18歳で「資本主義国日本」から「社会主義国ソ連」へと赴いた著者は、当時受けたカルチャーショックそのままに素直な実感を綴っている。

 

 住居、教育、医療はすべて無料、失業者もホームレスもゼロ、市場競争がなく「平等」を重んじる価値観、男女間の差別もなく、むしろ女性が主役として力強く働く社会。その一方、すべてのことをトップ(クレムリン)が決め、一つのイデオロギーによって隅々まで統制される社会……人々の暮らしのなかにあらわれる人間関係や価値観のあるがままの描写は、その時代にソ連で生活した人にしかわからないものばかりで興味深い。

 

 国の指導者の思惑はどうあれ、人々は資本主義陣営との相剋のなかで社会主義陣営を率いる「偉大な祖国」を信じ、もがきながらも逞しく生きていたことが伝わってくる。時代的な制約からその良否は別として、「自己責任」「競争原理」が支配的な西側世界にはない生命力が、ロシア特有の歴史・風土とあいまって奥深く脈打っていることがわかる。

 

 著者は、当時「ソ連国内には190以上の民族が暮らしていたが、異なる言語、伝統、宗教を持つ人びとを社会主義イデオロギーが結びつけ」、ロシア人もウクライナ人もカザフ人も同じ「ソ連国民」であり、表立った民族差別はなかったとものべている。

 

ソ連崩壊から30年、ロシアの内面たどる

 

 だが1991年、世界数十カ国の社会主義陣営を率いたソ連は崩壊する。西側世界でそれは、閉ざされた門戸を開き、自由で豊かな未来がやってくる希望に満ちた門出のように受け止められた。だがそれは、計画経済のもと「平等」を重んじてきた社会システムや価値観を根底から否定し、食うか食われるかの過酷な生存競争への突入でもあった。

 

 「民主主義」の名の下に開かれたロシアは、たちまち欧米資本による市場争奪の草刈り場となった。市場競争に対する免疫も持たない人々が動揺、混乱している間に、すべて国営だった企業は民営化され、社会資本を独占して私腹を肥した新興財閥(オリガルヒ)が誕生し、町にはカジノが林立し、高級車に乗った成金がその富を誇示するようになる。汚職や賄賂、犯罪が増え、貧しい人々は路上で身の回りのものを売ったり、物質文明への憧れからアメリカに移住する人も急増した。

 

 そのため日本では当たり前のように肯定される「民主主義」の概念は、ロシアでは否定的ニュアンスで使われることがあるという。それが社会改革のスローガンとして使われたソ連崩壊後のロシア社会は、たちまち無秩序の大混乱に陥り、犯罪や腐敗という「悪の華」が真っ先に芽吹いたからだ。民主主義者(デモクラート)たちは、貧富の格差さえも「自由の一端」として肯定した。

 

 筆者は、当時の「忘れられない光景」として、モスクワ郊外の路上に立つ女性たちの姿を述懐している。「外はマイナス二十度の寒さ。車が通るたびに、コートの前を開けてミニスカートの足を見せる。食べられなくなって街娼になった女性たちの列だった。こんな悲しい現実を生む新生ロシアの民主化とはいったい何だったのだろうか」――と。大学教授よりも「掃除婦のおばちゃん」の方が偉かったソ連社会はまたたくまに変貌していったのだった。

 

 だが、たとえ国家体制が変わっても、人々の生きた経験はその記憶に深く刻まれている。ロシアの人々のなかにはソ連時代へのノスタルジー(郷愁)が根深く存在し、今それが広がっているという。著者は、西側に生きる人間に理解できない壁を吐露しつつ、「新生ロシアを取材するとき、資本主義の過酷さも再認識させられた」と自戒を込めてのべている。

 

 日本を含む西側世界では、ソ連崩壊は「資本主義の大勝利」として喧伝されてきた。確かに、米ソ冷戦の終結とともにソ連という国は姿を消した。だが、アメリカ一極体制となった世界はグローバル化が進み、資本主義先進国では、国内産業の空洞化とともに極端な富の集中によって殺伐とした格差社会が進行した(日本では「失われた30年」といわれる経済不況に突入する)。果たして今、西側に生きる私たちは、胸を張って「大勝利」といえる豊かさを享受しているだろうか。決してそうとは思えない。

 

 アメリカから新自由主義が流入した日本でも、80年代末から国鉄や郵便といった社会インフラが次々と民営化され、「競争原理」「受益者負担」の考え方のもとに社会的規制や公的サービスが切り刻まれ、社会のセーフティネットは脆弱化の一途をたどってきた。同じ30年間、一夜にして社会体制の転換という驚天動地を経験したロシアの人々の混乱と困難は、それ以上のものであろうことは想像に難くない。そのことを半ば諦めている日本人と、憤るロシア人。どちらが正常なのだろうか――という筆者の問いかけが胸に刺さる。「『社会の平等と公平』について、私はまだ、ソ連の試みと失敗を消化し切れていない」(著者)という課題とともに。

 

戦争を止めるためは? 手がかりを得る一冊

 

 そんな折、プーチンがロシア国内の支持を集めたのは、石油やガスなどの天然資源会社を国有化し、オリガルヒや欧米資本によって荒廃を極めた国内経済や人々の生活を安定化させたからにほかならなかった。この一事を鑑みても、「何がプーチンを生んだのか」を考えるとき、西側はただロシアを非難するだけの立場でいられるのかという問いが突きつけられる。

 

 同時に著者は、ソ連崩壊前の1979年、ソ連が現地の共産主義政権を後押しするために侵攻したアフガニスタンでの敗北が、その後のロシア社会に深刻な傷をもたらしたことに触れ、「アフガニスタンに、ソ連は十年かけて社会主義を根づかせようとし、アメリカは自分たちの民主主義を二十年かけて根づかせようとした。そして、結局両者とも失敗に終わった。その国の伝統や文化を無視して、他国に自らのシステムを押しつけることはできないと歴史は証明したのだ」とのべ、この負の経験から「プーチンが得た教訓はなんだったのか」とウクライナ侵攻を強く非難している。

 

 今、肉親といえるウクライナ人と殺し合う事態に対して、ロシア国内ではかつてなく反戦機運が高まっているという。本書にも掲載されているモスクワ市内に貼られた反戦ビラには、「ウクライナ戦争のNOを。政治家は権力争いをし、帝国を夢見る。そして国境を挟む二つの国の市民たちが苦しんでいる」と書かれている。西側が唱える「正義」でも、プーチンが主張する「国益」でもなく、激動の時代に翻弄されてきたロシアの人々の苦悩が垣間見える。

 

 ウクライナ戦争は、欧州とロシアに挟まれたウクライナを戦場に、冷戦時代は直接戦うことのなかった欧米(NATO)とロシアによる代理戦争の様相を呈している。ウクライナの背後にアメリカを見るロシア。そしてアメリカを筆頭とするNATOは、ウクライナ兵に戦わせつつ、武器供給や情報などにいたる戦争支援に勤しみ、犠牲者が増える一方で、その出口は見えない。これに端を発して新たな「冷戦」に突入する機運さえも高まるなか、戦争を食い止めるために私たち市井に生きる人間は、誰と連帯し、どこに解決の糸口を見つけるべきかが問われている。

 

 本書は、両国の人々と深くかかわってきた著者の血の通った分析がちりばめられており、平和を望む多くの人々、とくに若い世代に読まれ、論議されるべき一冊だと思う。

 

 (現代書館発行、191ページ、定価1800円+税)

関連する記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。なお、コメントは承認制です。