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『ノマド 漂流する高齢労働者たち』 著 ジェシカ・ブルーダー 訳・鈴木素子

 かつてスタインベックは、1930年の世界大恐慌後、農業の機械化を進める資本家によって故郷の土地を追われ、家財をトラックに積み込んでオクラホマから遠くカリフォルニアに移っていく米国の農民一家を描いた。

 

 本書で描かれているのは、これまで住んできた家やアパートを追い出され、キャンピングカーや自家用車で暮らし、季節労働の仕事を求めて全米各地を移動する現代の「ノマド(放浪の民)」だ。本書はジャーナリストの著者が3年間にわたって、ともに生活しながら数百人のノマドを取材してまとめたルポルタージュである。

 

 現代のノマドはリーマン・ショック後に急増した。当時の米国では、サブプライムローンの破綻とともに住宅を差し押さえられる家庭が急増。同時に確定拠出型年金・401k(従業員が自己責任で運用し、不足しても企業が穴埋めしない企業年金)が株価暴落で大打撃を被り、年金をすべて失う人も続出した。しかも、その後も不動産価格の高騰は止まらず、一方で賃金は上がらない。こうして高い家賃や住宅ローンに耐えかね、かつての中流階級が次々に車上生活に移った。今のコロナ禍の中で、さらに増えつつあるという。

 

 ノマドの多くは高齢者だ。キャンピングカーで旅する姿は、一見すると「老後を楽しむリタイア組」に見えるが、蓄えがなく公的年金もわずかなために、彼らは死ぬまで働かねばならない。彼らはガソリンタンクとお腹を満たすために、骨の折れる肉体労働に長時間従事している。

 

 彼らは、夏は国立公園のキャンプ場のスタッフとして働き、秋は大農場のビーツの収穫で昼夜問わず汗を流し、クリスマス商戦たけなわの冬はアマゾンの倉庫で深夜まで走り回る。ノマドの総数はわからないが、全米110カ所のキャンプ場を経営するある企業が50人の求人を募ったところ、5万人のノマドから応募があったという。

 

 ノマドは短期的な人材を必要とする企業にとって、もっとも都合のよい存在だ。必要なとき必要な場所に住居とともにやってきて、仕事が終わればきれいさっぱり消えてなくなる。福利厚生や社会保険を考えなくてよいし、農場の中には食事と駐車スペースを与えるだけで賃金を払わない経営者もいるという。しかも体力的にきつい仕事なので、仕事が終わっても互いに交流できないほど疲れ切ってしまうし、組合が結成されるほど長時間留まることはない。だから常に数百の企業がネット上にノマド募集の広告を出しているそうだ。強欲企業が人間を機械の部品と同じに扱って搾りとる究極の形態といえる。

 

 著者は一人のノマド、64歳のリンダ・メイという女性とともに働き、彼らの生活を描いている。

 

 リンダは大学で建築技術を学んだが、卒業後は先々までの経済的安定を約束してくれる仕事は一つとしてなかった。リーマン・ショックで失業し、長年身を寄せてきた長女一家と一緒に暮らすこともできなくなって、ノマド生活を始めた。若い世代では、学生ローンの返済が滞ってノマド生活に入る人もいるという。

 

 リンダが働いたのは、ネバダ州ファーンリーにあるアマゾンの大きな倉庫だった。アマゾンは従来型の派遣労働者を何千人も雇っているが、配送量が劇的に増えるクリスマスセールの繁忙期(3~4カ月続く)には、繁忙期限定のノマド2000人からなる労働チームを投入する。そのためにアマゾンは、いくつものキャンピングカー停泊用駐車場と契約している。

 

 勤務はシフト制で、最低でも10時間通して働く。その間中ずっと、コンクリートの固い床の上を歩き回り、しゃがんだり背伸びしたり階段を上ったりしながら商品のバーコードをスキャンし、仕分けし、箱詰めする。一回の勤務で24㌔以上歩く人もいる。リンダはバーコードスキャナーの使いすぎで、コーヒーカップも持てないほどの腱鞘炎になった。

 

 そこを辞め、次には夏季限定の国立森林公園キャンプ場スタッフとして働いた。標高2000㍍以上の山の中で、小さなトレーラーハウスに住み、キャンプサイトが88あるキャンプ場を2人で受け持って、客の受け入れやキャンプ場とトイレの清掃などで忙しく働く。事業者は連邦政府が委託した民間企業で、タイムカードに記録を残さずに長時間の時間外労働をするよう強要されたので森林局に訴えたが、森林局から「苦情には関与しない」と拒絶される。コスト削減のために労働基準法違反が横行する現場をありのままに描いている。

 

アメリカンドリームと訣別

 

 だからといって、著者はノマドの悲惨な状況にばかり目を向けているわけではない。それ以上に、元中流であった人々の意識の変化、つまりアメリカンドリームという幻想との訣別という側面に注目している。

 

 今、皆が万力に挟まれているような閉塞感のなかで、気が滅入るほど単調で骨が折れ、それでいて家賃や住宅ローンを払うと後には何も残らないような低賃金の仕事にありったけの時間を費やしている。将来にわたって暮らしを向上させる手立てもなく、リタイアのメドもないままに。いったい人間の幸福とは何なのか?

 

 アマゾンの深夜労働では疲労とともに孤独に苦しんだが、電気も水道もないようなキャンプ場でのノマド同士の出会いは、理解と一体感があるという。誰かのトラックが壊れたら、帽子を回して寄付を募る。砂漠での交流イベントでは、美容師免許を持っている女性はヘアカットを提供し、機械に詳しい人は自動車修理の基本を教える。真夜中にみんなでキャンプファイヤーを囲むとき、人生の目標はカネを得ることではなく、子や孫に残せるような自由で豊かなコミュニティの一員になることではないかと考える。

 

 米国の金融資本主義という古い体制が終焉を迎え、人々はそれにとってかわる新しい社会を切望している。そうした人情の機微の変化を、著者は描き出そうとしている。

 

 現在、本書を原作にした映画『ノマドランド』(監督クロエ・ジャオ)が全国で公開中。

 

 (春秋社発行、B6判・354ページ、定価2400円+税

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