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『人に話したくなる土壌微生物の世界』 著・染谷孝

 宇宙空間から見て地球が青く見えるのは地表の7割が海に覆われているからだが、もう一つ重要なことは陸地があり土壌があることだ。地球以外の星では、土壌は今のところ見つかっていない。土壌は「無機物と有機物と生物からなり、植物の生育を物理的にも栄養的にも支えることのできる地表の自然物」と定義される。地球はまさに「土の惑星」であるからこそ、生命を育むことができる。

 

 ところがこの半世紀、地球全体で砂漠化が進んでいる。これは収奪的な農業や牧畜のせいで、土が痩せてしまったからだ。土壌の再生は待ったなしであり、そのためにも土に棲む微生物への深い理解が不可欠だ。

 

 本書の著者は、土壌微生物学を研究してきた佐賀大学名誉教授で、学生たちや市民に話してきた内容をまとめた。

 

 微生物を本格的に研究したのは19世紀後半のフランスのルイ・パスツールで、続いてドイツのロベルト・コッホとその弟子たちが20世紀初頭、結核菌、コレラ菌、チフス菌など人間の病気の原因である微生物を発見した。一方、アメリカのセルマン・A・ワクスマン(結核の治療薬・ストレプトマイシンを発見)をはじめとする土壌微生物学者たちは、土の中にはさまざまな微生物が棲みついていて、ごく一部はヒトや植物の病原菌であるが、大部分は無害で、それどころか植物の発育を促したり土の肥沃化に貢献したりする重要な存在だということを明らかにした。

 

 人類が農耕社会に移行してから、同じ土で同じ作物をくり返し栽培していると、連作障害が必ず起こる。それは多くの場合、植物病原菌の蔓延か微量養分の欠乏が原因だ。ところが何千年も単一作物を連作しているのに、ほとんど病気が出ない農地がある。それが水田だ。

 

 その理由は、田面水として供給される水に微量養分が含まれていることと、土壌伝染性の植物病原菌を防ぐしくみがあるからだ。春の代掻きから盛夏まで水田には水が入り、大気と水田土壌が田面水によって遮断されるため、土壌への酸素の供給が抑えられる。一方、土壌中の植物病原菌のほとんどは酸素がないと生きていけないため、その状態では死滅する。水田は食料生産の場であるとともに、洪水を防ぎ気温や湿度を調節する機能を持ち、国土保全に大きく貢献しているが、こうした重要な水田で何千年間も持続的な農業が可能であった理由を知るには、微生物の生態についての理解が不可欠だ。

 

 また、ウシやヒツジなどの反芻動物はワラや草を食べる。ワラの主成分はセルロース(繊維素)だ。反芻動物には胃が四つもあり、そのうち第一胃は一番大きく多種多様な微生物が棲みついており、その中のセルロース分解菌がワラを分解し、グルコース(ブドウ糖)にする。これはすぐに他の微生物の働きによって酢酸や乳酸、酪酸になり、反芻動物はそれを吸収して栄養分にしている。つまり反芻動物と微生物とは持ちつ持たれつの共生関係にあり、ウシは微生物なしには生きられない。このセルロース分解菌は土壌にも含まれていて、それが落ち葉や枯れ枝を分解する。

 

 次に、マメ科植物と共生する根粒菌についても説明している。根粒菌は植物の根の中に入り込み、根粒と呼ばれる五㍉前後の小さな粒々をつくる。この中で根粒菌は空気中の窒素ガスをアンモニア態窒素に変換する(窒素固定)。植物の三大栄養素は窒素、リン、カリウムだが、そのうちもっとも大量に必要なのが窒素で、土壌ではたいてい欠乏状態だ。しかし根粒菌と共生していれば、植物が利用できない窒素ガスを利用できるアンモニア態窒素にしてくれる。一方、植物は光合成して得た炭水化物を、根を通して根粒菌に与える。こうしてマメ科植物と根粒菌は、瘠せた土壌でも生きていける「生物共同体」をつくっている。

 

 また、植物の共生菌には他に菌根菌があり、菌根菌は植物の根に菌糸をからみつかせ、菌根をつくる。菌糸の一端は植物の根の細胞の隙間に入り込み、植物から光合成産物(炭水化物)をもらう。それを栄養源にして菌糸をどんどん土壌中に伸ばして、リン酸や微量養分、水分をかき集めて植物に送っている。

 

 さらに、シアノバクテリアという微生物は光合成をおこない酸素をつくる。地球上に生物が誕生したのは約38億年前で、約25億年前にはシアノバクテリアが海に出現した。当時、大気中に酸素はほとんどなく、しかも危険な宇宙線や紫外線が降り注ぎ、地表では生物は生きられなかった。

 

 しかし、シアノバクテリアの活動で酸素が徐々に増え、約10億年後には酸素をもとに紫外線などをカットするオゾン層ができた。そこで初めて生物の陸上進出が可能になり、まずシアノバクテリア、そしてそれと共生関係にある地衣類が繁栄した。それが、その後の動植物の爆発的進化の端緒となった。

 

人間が微生物と共生するために
     

 本書では、こうした微生物の有益な働きを利用して、第一次産業の分野に応用する努力や、石油や農薬を分解し環境を浄化するための技術開発が紹介されている。

 

 たとえば長崎県の雲仙普賢岳は、1990年から激しい噴火活動を続け、緑の山を岩と砂礫に覆われた荒廃地に変えた。放置すれば豪雨時に土石流となり、下流の町の被害は続く。一日も早い山の緑化が求められたが、噴火の恐れがあり人の手での植林は危険だった。そのとき、菌根菌と植物の種と緩効性肥料を入れた「緑化バッグ」をたくさん空からまき、9年後には人の背丈をこす林ができたという。

 

 ただし、新しい環境浄化技術に遺伝子組み換え微生物を使うことは国際的に禁止されているそうだ。それは、ひとたび土壌に接種した微生物は、後になってから不都合なことがわかっても、死滅させることが不可能だからだ。実際、優秀な分解菌と見られていたものが、実はヒトの病原菌でもあったということが後で判明したことは、技術開発の初期には珍しくなかったという。

 

 人間が微生物と共生していくためには、自然界の生態系に対する深い理解が不可欠であり、それを無視して目先の経済的利益のために突っ走れば、かならずしっぺ返しを受けることを教えている。本書は、専門的知識の乏しい人にもわかりやすい記述となっている。 

   

 (築地書館発行、四六判・190ページ、定価1800円+税)

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