いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『マル農のひと』 著・金井真紀

 この本に登場する道法(どうほう)正徳氏は、1953年に広島県のミカン農家に生まれ、大学卒業後はJA広島果実連の技術指導員になった。試行錯誤をくり返すなか、肥料も農薬もほとんど使わず、手間をかけず、それでいて糖度が高く、収量も増えてもうかるミカン栽培法に到達した。東京出身、1974年生まれの女性ライターが3年間にわたって話を聞き、それを一冊の本にした。

 

 道法氏が技術指導員として最初に赴いたのは、広島県呉市沖の瀬戸内海の島々。そのなかでわいた疑問がすべての始まりだったという。

 

 ミカンを含む多くの果樹は、春先の剪定(せんてい)がなにより重要視される。当時(そして今も)、農協は「日当たりがよければミカンは甘くなる」「上部の枝(立ち枝という)は切れ、横枝は残せ」「立ち枝が伸びるとミカンの日当たりが悪くなるし、樹形も美しくなくなり、高いところに実ったミカンは収穫するにも手間がかかる」と指導していた。

 

 道法氏もそのとおりに指導した。しかし、立ち枝を切りすぎると糖度が落ちたり、隔年結果(2年に一度しか実がならない)になったりして、まったくいいことがなかった。

 

 試行錯誤の結果、道法氏は「立ち枝を残し、横枝を切る」という、常識の正反対をいく剪定をおこなった。立ち枝を残すと樹全体が元気になる。つまり肥料を大量にやる必要がない。肥料が少なければ病害虫が減り、農薬も減る。そして肥料が少ないほど、ミカンの糖度は上がりやすい。ミカンの価格は糖度で決まるといわれるので、手間もコストも減らせたうえに収入が増えた。

 

 このなぞは農学者の研究論文で解かれることになる。実は、植物は自分自身が体内でつくる植物ホルモンで生長が促され、花が咲いたり実が膨らんだりする。山に肥料をやらなくても、春になれば山桜のつぼみが膨らみ、秋になればアケビの実が熟す道理だ。

 

 植物ホルモンは芽や根っこの先端部分でつくられ、茎や幹を通って体内を移動する。枝の先端でつくられるのがオーキシンという植物ホルモンで、それが下へ運ばれて根を伸ばす。すると今度は根っこの先端でジベレリンがつくられ、上に運ばれて枝を伸ばし葉を茂らせる。つまり立ち枝を不用意にとり除くと、その樹は根が伸びず、元気がなくなり、糖度の低い実をつけることになる。

 

 「肥料なし」というのも大事で、チッ素肥料を与えるとアブラムシが発生しやすくなるし、葉や実に茶色いプチプチが出るかいよう病になりやすくなるので、農薬を撒かなければならない。長い間ミカン栽培にはチッ素肥料と農薬がセットで売られてきた。

 

 これは本書で書かれている試行錯誤の一例にすぎないが、道法氏の「肥料はたくさんやらないと効かないが、植物ホルモンはごく微量でもすごい効果がある。生き物が本来持っている力が一番強い。どんなに科学が進歩しても、自然に備わっている力には遠く及ばない」という言葉には説得力がある。

 

 道法氏が覆した「常識」とは、日米安保条約の改定と同時にできた農業基本法のもと、大量生産・大量消費型社会の、化学肥料と農薬に頼る「慣行農業」の常識だろう。道法氏の農法は、自然農法や有機農法を含めた非慣行農法の一つだが、それは「有機肥料も化学肥料も、肥料は一切やらない。ただし苗木には農薬をやる。あとは剪定と縛りで植物ホルモンを活性化させる」という独自のものらしい。

 

 結局、彼は化学肥料と農薬を売りたい農協組織からは疎んじられ、左遷続き。そこで50代で農協を辞めて民間の農業普及員となり、全国や世界を飛び回っている。

 

 本書の後半は、道法スタイルを実践する7人の物語である。道法氏に負けないぐらいに農業に熱い人たちが全国各地にいることがわかる。

 

 その一人が、水俣病で知られる熊本県・津奈木町役場の熱血若手職員の話だ。水俣市・芦北町・津奈木町は水俣病で経済的にも社会的にもものすごく地盤沈下した。そういう土地だからこそ安全安心な作物をつくる農業をやりたいと考える人たちがあちこちにいる。彼はそれをつなごうとしていた。

 

 そこに招かれたのが道法氏で、地域の名産デコポン(柑橘類・不知火)を相手に「剪定を変えてみよう」「できるだけ肥料や農薬に頼らないでやってみよう」と訴えると、地元農家がやる気を出し、品質も生産量も向上し収入も増えたという。いきなり無肥料・無農薬をめざす厳格な自然栽培農家が一人、二人出現しただけでは意味がない、それより地域全体で少しずつでも肥料や農薬を減らしていく方が環境を守る近道だ   と著者は紹介しているが、それは他の地域でも参考になるのではと思う。

 

 熱血若手職員はまた、「建設業の農業参入」というビジネスモデルも考案した。田舎の建設業は災害復旧に欠かせないインフラだ。仕事が減っているその建設会社に農業部門をつくれば雇用も会社も守れるし、若手が高齢化している地域の農業を支えることにもなる。

 

 この本に登場する人々の、農業に対するチャレンジに終わりはない。農業というと保守的なイメージを持つ人が多いかもしれないが、この本を読むと、生産者も消費者も笑顔になれる社会をめざした、時代の最先端を行く実験場に見える。

 (左右社発行、四六判・246ページ、定価1700円+税

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