いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『武器としての資本論』 著・白井聡

 『資本論』といえば、資本主義の全体系を本質的に解明したカール・マルクスの古典的労作である。だが、その重厚な内容とともに抽象的な論理的記述が、とくに初心者には難解な印象を与える。そのため、数多くの入門書が出版されてきた。本書は、その新たな一冊ともいえるが、これまで見られたような原書の要約や学術的な解説書ではない。そのことは、とくに新自由主義に直面する現在の若者の生活実感と問題意識に寄り添い、混沌とした現状から脱却し、未来を展望する武器として『資本論』をどう読み解くのかという、著者の姿勢に示されている。

 

 著者は、人々が日常生活で感じている息苦しさがどこから来るのか、政府や上司の言動など納得できぬまま過ごしてきたことの意味が、『資本論』のなかに鮮やかに描かれていると強調している。われわれが現実に直面するさまざまな馬鹿げたことは、すべて資本主義のシステムのなかで起きているからだ。そして、「『資本論』から現在を見ると、現実の見え方がガラッと変わり、生き方が変わってくる」と。

 

 産業革命以来、社会の生産力は未曾有の勢いで発展し、社会全体は物質的に豊かになった。不断の技術革新による生産性の向上は人々を幸福にするはずだった。だが、そのもとで労働者の困窮は極まり、明るい未来が見えてこない。AI化は労働時間を短くするといわれるが、現実にはそれが増大する一方で、過労死が大きな社会問題になっている。学生の就職活動は本来、「職業選択の自由」を謳歌して社会に貢献できる契機なのだが、だれもが切羽詰まった表情をしている。

 

人間の労働力も商品に 資本増殖の本質

 

 本書では、こうした不合理がどこから来るのかについて、『資本論』の重要なフレーズを引用して解明していく形で進行する。著者はとくに新自由主義のもとで、資本主義が人間社会と不可分のものであるかのような空気が社会を覆い、自己責任論が当然のようにみなされ、「人間の思考・感性に至るまでの全存在が“資本の魂”に包摂されてきた」ことに着目している。そして、マルクスがそうしたように、今こそ資本主義が歴史の一時点の生産様式にすぎず永遠に続くものではないこと、それは資本の運動に内在する根本的な矛盾によって乗りこえられる宿命を背負ったシステムであることを再確認すべきときだと強調している。

 

 資本主義社会は、近代に入って人々が生活するうえで不可欠な物質代謝の大半を商品を通じておこなうようになって生まれた。それは、人間の労働力も商品となった社会である。資本の増殖の本質は、労働力を使用して生み出す剰余価値の追求にある。

 

 著者は、農民を封建的身分制度から自由にする形で、土地や道具など生産手段をはぎ取り無一文の賃金労働者を生み出していく資本の本源的蓄積の説明に力を入れている。そして、農村の共同体から労働者を都市にかり出す暴力的な手段は、古今東西の資本主義化に共通していることを、明治維新に始まる日本資本主義の発展過程からも明らかにしている。また、それが恐慌、戦争その復興需要などでもくり返されてきたことも。

 

労働者の既得権をはぎ取る 新自由主義で

 

 本書では、そのような観点から、新自由主義が「資本の側からしかけた戦争であった」ことを強調している。さらに「階級闘争は古くなった」のではなく、現実の問題であると訴える。労働者階級がそのような言辞にまどわされているあいだに富裕層は階級闘争を強力におし進めてきたからだ。

 

 それは、資本の側が労働力の価値を引き下げるために、これまでの労働者の既得権をはぎとる形でおこなわれてきた。この間の非正規・不安定雇用はもとより、生産拠点の海外移転や、外国人労働力の輸入もひとつながりに見えてくる。

 

 著者によれば、高度成長期の生産性向上・福利厚生政策のもとで、労働組合を通じた労働者の要求が一定程度受け入れられたのは、資本にとって労働者を生かす(労働力の再生産を成り立たせる)必要があったからで、それは労働者への人道的な慈愛というものではなかった。そして、それに安住していた労働組合や「労働者の利益」を掲げる党も、新自由主義にとり込まれざるをえなかった。

 

 そのような資本の剰余価値の追求(=搾取)によって「1%vs99%」という未曾有の経済格差が生まれた。著者は「自由・平等・人権」はあくまでたてまえであり、資本による労働者の支配の現実は「過去の奴隷制とつながっている」とのべている。

 

 本書のもう一つの特徴は、『資本論』の観点から階級闘争についての考え方を見直すよう提起していることである。それは、「資本家をやっつける」といったものではなく、資本制社会全体を一つのシステムとしてとらえて、「等価交換を廃棄する」ことをめざす闘う主体を地域共同体から形成することだという提起である。

 

 また、労働力の価値(労働賃金)を高めるたたかいとかかわって、この間労働者に影響を与えてきた「スキルがなければしょうがない」という資本側の考え方を克服し、人間としての尊厳をとり戻すための闘いとしてとらえることが必要だとのべている。そのうえで、労働力の価値とは社会的で文化的なものであり、うまいものを食べたいとか豊かな生活がしたいという「ベーシックな感性」の部分からもう一度立て直すよう提起している。

 

 本書の論述は、コロナ禍で噴出するさまざまな不合理、資本と人間の逆立ちした関係を鋭く照射するものともなっており、新たな時代を開くうえで鍵となる一冊だといえる。

 (東洋経済新報社発行、B6判・294ページ、1600円+税

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