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山本太郎(長崎大学教授)著『感染症と文明』から考える 人類社会の変遷と感染症との闘い

 文明の誕生が人類に感染症をもたらした。その後、人類はどのように感染症とたたかってきたか。長崎大学熱帯医学研究所教授の山本太郎氏が著した『感染症と文明』(岩波新書)をもとに、このことを考えてみた。

 

 山本氏によれば、メソポタミア文明は、急性感染症が持続的に流行するために必要なだけの人口規模を人類史上初めて持ち得た文明だった。紀元前3000年頃、メソポタミアで流行したのは麻疹(はしか)で、イヌあるいはウシに起源を持つウイルスが種をこえて伝染した結果、ヒトの病気となった。麻疹が社会に定着するためには、最低でも数十万人規模の人口が必要だという。それ以下の人口集団では、感染は単発的なものに留まり、恒常的に流行することはない。数十万人という人口規模を持つ社会は、農耕が始まり文明が誕生することによって初めてあらわれた。

 

 それは狩猟採集の移動社会から農耕定住社会に移ったことによって、次のような変化が起こったからだ。

 

 まず、人々が排泄する糞便が肥料として再利用され、寄生虫疾患を増加させた。次に、貯蔵された作物はネズミなどの餌になり、ネズミはノミやダニを通してペストなどの感染症を人間社会に持ち込んだ。そして野生動物の家畜化は、動物起源のウイルス感染症--天然痘はウシ、麻疹はイヌ、インフルエンザは水禽、百日咳はブタあるいはイヌに起源を持つ--を人間社会に持ち込んだ。

 

 たとえば中国に起源を持つペストは、キリスト教紀元頃までにはユーラシア大陸の半乾燥地に根を下ろし、7世紀の隋の崩壊や、8世紀の東ローマ帝国衰退の一因となった。中世ヨーロッパではペストの流行による死者が2500万人とも3000万人ともいわれ、欧州全人口の3分の1にも達した。なかでも全身の皮膚に出血性の紫斑があらわれ、「黒死病」と怖がられた腺ペストは、抗生物質がない時代、致死率は50%をこえた。一方肺ペストは、無治療下での致死率がほぼ100%だった。

 

 これらの感染症は人間社会に定着し、その恒常的な流行によって常に一定程度の人たちが死亡するとともに、生き残った人々は免疫を獲得し、免疫によってそれ以後の感染症を免れるということをくり返してきた。まだ病原体を解明し、感染経路を明らかにし、治療法や予防法を確立するという近代医学が生まれる前の時代のことだ。

 

欧州列強が民族絶滅に利用

 

 大航海時代のハイチの例は、ヨーロッパ列強が感染症を一つの民族を絶滅させる武器に使った事実を示している。

 

 当時のハイチには、先住民であるタイノ・アラクワ族約50万人が暮らしていた。そこへヨーロッパ人が天然痘を持ち込んだ。感染症の流行を経験したことがなく、免疫を持たない先住民たちはひとたまりもなかった。そしてタイノ・アラクワ族の絶滅は、奴隷貿易の始まりにつながった。フランスはアフリカから黒人奴隷をハイチに運び、ハイチから砂糖(世界の砂糖の四割を生産)をヨーロッパに運んで、フランスのブルジョアジーが莫大な利益を得るとともに、ハイチを貧しい状態に固定化した。

 

 奴隷たちは「ハイチに暮らすすべての黒人が20年で入れ替わる」ほど酷使されたが、にもかかわらず、1600年代後半にわずか2000人だった黒人人口が、100年後には50万人になったというから、いかに多くの奴隷がつれてこられたかである。しかもハイチの貧困は現在まで続き、エイズや結核という感染症の土壌を提供し続けているという。「貧困の病」といわれるゆえんである。

 

克服した結核が再び最大に

 

 産業革命をへて工業都市が成立した19世紀ヨーロッパでは、結核が最大の感染症となった。汚れた大気、密集した都市での暮らし、換気の悪い工場での長時間労働が、結核の流行の土壌をつくったという。

 

ロベルト・コッホ

 しかしこの150年間、結核死亡者数は一貫して減少してきた。コッホによる結核菌の発見(1882年)、BCGワクチンの開発(初めての人体投与が1921年)、結核治療への抗生物質の導入(ストレプトマイシンの発見は1943年)がそれに貢献したことは疑いない。それとともに、栄養状態の改善や労働・居住環境の改善が効果を発揮したと山本氏はのべている。

 

 日本でも戦前の女工哀史の時代や、敗戦後の食料難と栄養失調の時代、結核は猛威を振るい、死亡原因の一位だった。それが高度経済成長の時期の生活水準の改善や医療の進歩で減少に向かい、薬を飲んで治療を続ければ完治できるようになって、「結核は過去の病」とみなされてきた。

 

 ところがここ30年でそれが変化し、結核は再び国内最大の感染症となっている。2018年に日本で新たに結核と診断された患者数は1万5590人にのぼり、そのうち死者は2204人だった。その背景に労働者の非正規化、貧困化が段階を画して進んだこと、同時に政府の医療切り捨て政策のもと、医師や看護師の不足が顕在化したことが指摘されている。とくに呼吸器科、なかでも結核専門医の減少が著しく、各地の公立病院にあった結核病棟の休・廃止があいついでいる。この医療崩壊が、結核の早期発見・早期治療を妨げている。

 

 地球上からあらゆる感染症や病原体を一気になくすことができないなかで、先人たちが成し遂げてきた医学の進歩に逆行して、医療を市場原理にゆだね、医療崩壊を招いてきた政治が、感染症対策でも困難をつくり出していることは明らかだ。

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