いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『生きづらさについて考える』 著・内田樹

 神戸女学院大学名誉教授である著者が、この数年間、新聞や雑誌に投稿したり、大学の学生たちに語った文章をまとめたもの。そのなかで多くの紙幅が割かれている日本の教育、とくに大学教育の現状について注目して読んでみた。

 

 「日本の大学教育の30年の失敗」を初めて特集したのは、米誌『フォーリン・アフェアーズ』2016年10月号だった。そこでは、日本の大学の論文数の減少(減少しているのは先進国の中で日本だけ)や、GDPに占める大学教育への支出(OECD諸国内で常に最下位)、研究の国際的評価の低下などをデータにもとづいて記述したうえで、とくに著しく欠けているものとして、「批評的思考」「創造力」「グローバルマインド(価値観も行動規範も違う世界の人人と協働する意欲)」をあげた。翌年の英誌『ネイチャー』も同様の特集を組んだ。

 

 当初、日本の政府・文科省も大手メディアもこれを黙殺した。研究者から声が上がり、ようやく昨年の科学技術白書がこれを認めたが、遅きに失している。

 

 日本の大学の学術的生産力の劇的低下は、大学の株式会社化の必然の帰結だ、と著者は断言する。国立大学の独立法人化、大学への公費支出の削減、終身雇用から任期制へ、PDCAサイクルによる評価活動などは、大学を普通の株式会社と同様の組織にするためのプログラムであった。

 

 その原理は、①トップに全権を集中し、独断専行する(教授会自治の否定)、②トップの下す経営判断の適否は、マーケットに選ばれるかどうかで事後に評価される(市場原理主義)、③組織のメンバーはトップに同意する者が重用され、非協力的なものは排除される(イエスマンシップと縁故主義)である。大学の教育内容は、卒業生の買い手たる産業界から要請された「グローバル人材」の提供に偏ることになり、どんな理不尽な業務命令であろうが上司の指示には逆らわないというイエスマンシップを教え、「キャリア教育」は「お辞儀の角度」「業種別化粧の仕方」といったナンセンスなものに堕している。若い研究者たちは不安定な任期制の身分に置かれているため、プロジェクトのボスのやり方に疑問を挟めば失職のリスクをともなうことから、創造的な研究など生まれないし、それが論文捏造の温床にもなる。

 

 要するに株式会社は目先の利益至上主義であり、投資した分を短期でいかに回収するかで動いている。これを大学教育に持ち込んだために、大学教育は破綻した。なぜなら教育は商品の売買ではないからだ。著者は「教育事業の利益は、教育を受けた若者たちがやがて人間的な成熟を遂げて、共同体の次世代を支えるという仕方で未来において償還される。教育事業の受益者は教育を受ける個人ではなく、共同体の未来であり、それは50年、100年といったスパンで展開する仕組みなのだ」と強調している。

 

 「子どもは国の宝」というが、そこには現代とは比べものにならないほど発展した社会をつくってほしいという大人たちの願いが込められており、そうした新時代を切り開く創造的な世代を生み出すために教育という営みがある。次の世代をこの腐敗した社会に従順な、ひからびた「手軽な商品」にするためではない。

 

変わる韓国教育

 

 本書を読んで驚くのは、以上のような立場に立つ著者の著作が教育論を中心に十数冊韓国語訳されて、教育関係者に熱心な読者も多く、毎年韓国に講演旅行に行っていること、ここ3年ほどの招聘(へい)元は韓国の教育監だということだ。教育監とは、戦後直後の日本にあった公選制の教育委員会とでもいおうか。韓国では全国が17の教育区に分割され、それぞれの区での教育の責任者である教育監は数年前から住民投票で選ばれている。多くの教育区で教員出身の教育監が生まれ、できるだけ教員を管理しないで、現場の創意工夫に委ねる方針をとって成功しているという。

 

 「不当な支配に服する」よう強いられる日本とは真逆の方針だが、このなかで毎年著者が各地の教育監に正式に招かれ、多くの教員たちを前に講演している。韓国の教育といえば、詰め込み教育一辺倒、猛烈な受験地獄で、受験当日にはパトカーが遅れそうになった受験生を先導する……といった印象を持つ読者も多いと思うが、すでに過去のものだという。

 

 著者は、反共法のもと多くの人人がまともな裁判も受けずに長期投獄された時代を覚えている日本人なら、100万人デモが整然とおこなわれ朴槿恵大統領を退陣に追い込んだことに、もっと驚愕してよいはずだとのべている。韓国社会そのものが急速に変化している。今の日本の政治や文教政策が、いかに時代の流れからとり残された遅れたものであるかだ。

 

 今の日本を閉ざされた金魚鉢に例え、その金魚鉢の外の世界について学ぶこと、またこの金魚鉢がどういう時代的背景のもとで形づくられたか、そして時代の変化とともに必然的に壊れていかざるをえないかを学ぶこと、そのことこそ人文科学の使命だと新入生に訴えている文章は感動的だ。(毎日新聞出版発行、B6判・302ページ

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