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『82年生まれ、キム・ジョン』 著 チョ・ナムジュ 訳 斎藤真理子

 3年前に韓国で発売され100万部をこえるベストセラーとなった小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(著・チョ・ナムジュ)。日本でも2018年末に出版されアジア文学としては異例の13万部の発行をしており、今後はアメリカ、イギリスなど17カ国で翻訳される予定だという。

 

 韓国の1人の女性が就職、結婚や出産など、人生のさまざまなステージで経験する女性ならではの差別や苦悩、現状を淡淡と描いた小説だ。キム・ジヨンというのは82年生まれで最も多い女性の名前という。

 

 キム・ジヨン(33歳)は3年前に結婚し、女の子を出産した。そんな彼女は子育て中のある日、別人に憑依するなど異常な行動をとるようになる。当初は典型的な産後うつだと思っていた男性担当医は、彼女が韓国社会で成長する過程で、女だからという理由で受けてきた差別や困難と対面する。小説は受診した精神科で聞きとった話をカルテにした形で彼女の半生を描いている。

 

 キム・ジヨンは祖母と両親、姉、弟の5人家族で育った。そのなかで炊き上がったばかりの温かいごはんが父、弟、祖母の順に配膳されたこと、形がちゃんとしている豆腐や餃子などは弟の口に入り、姉と彼女はかけらや形が崩れたものを食べるのが当然だったことを記している。学校生活のなかで、男子生徒から遊びの対象と見なされ恐い目にあったこともあった。そしてやっとの思いで就職した広告代理店には当たり前のように賃金格差があった。韓国では女性勤務者の育児休暇取得率は、2003年に20%、2009年には半分をこえたものの、依然として10人中4人は育児休暇なしで働いている。そして妊娠したのが息子ではないことに後ろめたさを感じなければならず、子育てのために仕事を辞める決断を迫られる。

 

 この小説を読んだ韓国の女性たちがキム・ジヨンの人生と自分の人生を重ね、「これは私のことが書いてある」「当時は何も感じていなかったけど、本を読んであのときの経験を思い出した」とのべ、これまでの人生のなかで言葉にならなかった、声に出せなかった感情に小説を通じて気づき、そのことへの感動があるという。女性たちが人生のなかで何気なく受け入れてきた理不尽な出来事は、自分だけの経験ではなく多くの女性の共通の思いであり、社会的な問題として捉える機会となり、人人の底流の感情を揺り動かしている。

 

 1978年生まれの著者自身も、小説を書き始めたのは娘を出産して仕事を続けることが困難になったからだという。「小説を書くことは自分をふり返る作業。私にも成し遂げられなかった目標や夢があり、これまではすべて自分の責任だと思っていた。でも執筆を通して過去を考えるなかで、実は選択肢が限られており原因は社会の側にあるのではないかと考えるようにもなった」と語っている。

 

 小説は、キム・ジヨンが高校生のときにIMF危機の影響でリストラの嵐が押し寄せ、公務員としてまじめにコツコツと生きてきた父が退職勧告を受けたこと、不況が続くなかで大学では学費が物価上昇率の倍以上に達し、友人たちが次次に休学していった経験、学費を稼ぐためにアルバイトに明け暮れる友人の姿など社会的な問題がちりばめられている。30代女性の視点で等身大の韓国の姿を描いた作品は、個人の経験を軸としながらも、性差を問わず韓国で生きる多くの人人の苦悩を告発する内容を含んでいる。

 

 韓国では日本以上に深刻な少子化が進んでいる。若者たちが大学を出ても正規職に就けず、就職のための「就活美容整形」まで出現しており、2015年には大学卒業時点での就職未定が約5割、うち非正規雇用が約3割に達し、恋愛・結婚・出産を諦め、放棄せざるを得ない「三放世代」と呼ばれる実態がある。

 

 この作品が書かれた2015年、韓国では女性をバカにする暴力的な言葉を使ったお笑い芸人が番組を降板したり、韓国最大のポルノサイトにおいて、盗撮やレイプの共謀などの話題が公然とやりとりされていたことが明るみに出た。また子育てする母親を虫にたとえ揶揄する「ママ虫」という造語が生まれた。作者自身、「俺も旦那の稼ぎでコーヒー飲んでぶらぶらしたいよなあ…ママ虫もいいご身分だよな」と見知らぬ男性から嫌がらせの言葉を投げられたという。そのような社会的風潮のなかで小説は生まれ、ベストセラーとなり、その女性たちがその後さらに政治意識を高め朴槿恵前大統領の弾劾訴追運動にも合流していったという。

 

 日本人にとってこの小説は、K―POPや韓流ブームによってつくられた韓国のイメージを覆す新鮮な内容を含んでおり、日本の読者からは「日本も韓国も同じ状況だ」という感想が多く寄せられるという。日本も「女性活躍社会」「女性参画」が叫ばれるなかでも、男女の賃金格差は埋まることなく、女性のワーキングプアや母子家庭の困窮はきわまっている。女性が資本の都合のよい労働力として使い捨てされ、男子労働者の労働条件を引き下げ貧困化を促進している。嫌韓感情が執拗に煽られる現在にあって、韓国の実情を描いた小説が深い共感をともなって日本でも異例の反響を呼んでいることは今の時代的特徴をあらわしている。

 

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