いかなる権威にも屈することのない人民の言論機関

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『エスタブリッシュメント』 著・オーウェン・ジョーンズ

 イギリスのEU離脱をめぐり、日本のメディアは「合意なき離脱か」「離脱延期か」というだけで、いったい何と何が対立しているのか今ひとつわかりにくい。この本は1984年生まれのイギリスのコラムニストが、エスタブリッシュメントと呼ばれる人たちへの取材をもとに、新自由主義導入から30年あまりたってイギリス社会はどのように変貌したのか、英国人の意識はどう変わっているのかを描いたものだ。そこからEU離脱の背景も探ることができる。

 

 エスタブリッシュメントとは誰か? マルクス、エンゲルスが活動した19世紀のエスタブリッシュメント(一握りの特権階級)は、もし労働者階級に普通選挙権を与えたら富の平等な分配を要求するに違いないとおびえた。現代のエスタブリッシュメントは、世界を危機に陥らせながら最大のボーナスを要求する金融資本家やその代理人である政治家、特権階級の犯罪から庶民の目をそらすマスメディアなど、新自由主義を信奉する特権階級のネットワークのことで、同じように有権者を排除して自分たちの富と権力を守ろうとしている。それは保守党のサッチャー時代に生まれ、労働党ブレア時代に完成した、と著者は見ている。

 

 その先兵となったのは、新自由主義学派の祖であるフリードマンやハイエクの弟子たちだった。戦後、英国政府は社会主義国との対抗上、電力や鉄道の国有化や社会保障制度の整備を進めたが、彼らは金ドル交換停止を決めたニクソン・ショック(1971年)を奇貨として、民営化、規制緩和、富裕層の減税をメディアで拡散し始めた。もう一つの先兵が、無党派の草の根運動の姿をまとった「納税者同盟」などの民間団体で、政府の税金の無駄遣いを告発し、公共部門の支出の削減運動をやり始めた(削減した大部分が私企業に移された)。

 

 こうした団体には銀行や保険会社をはじめ大企業が資金を提供しており、そのメンバーが政治家になり内閣の一員になったりしている。著者によれば、右も左も財界とべったりになり、政界と財界のエリートは混合が進みすぎて区別がつかないほどになったという。

 

 その典型が、2001年に総選挙で「歴史的勝利」を収めたといわれるトニー・ブレアの労働党だった。ブレアは「富裕層への増税はしない」と誓い、法人税を減らし続け、反労働組合法を継続し、サッチャーを上回る規模で公共サービスの民営化を推進した。またアメリカのイラク戦争に参戦した。それはサッチャーをして「私たちの最大の功績はブレアを新自由主義者にしたことだ」といわしめたほどだった。

 

 その流れに乗って労働党の政治家たちが、多国籍企業の特別顧問になったり大企業の取締役に収まったりして荒稼ぎしまくったことを、本書は逐一暴露している。元共産青年同盟でブレアの政策の主要な推進者となったピーター・マンデルソンもその一人で、投資顧問企業の会長になったり、インドネシアの熱帯雨林の破壊で非難されたアジア・パルプ&ペーパー社のコンサルティングで大金を得、「大金持ちになる」夢を達成した。米ソ冷戦構造の崩壊で元からの性根が暴露されたわけだ。そして英国民は既成政党を見限った。

 

富裕層千人が78兆円所有 大企業は納税拒否

 

 その結果、イギリスはどうなったか?

 

 最富裕層の1000人が5200億ポンド(約78兆円)の富を所有する一方で、何十万人の人がフードバンクで食べ物をもらう列に並んでいる。

 

 イギリスの大企業の5分の1がビッグ・フォー(四大会計事務所)の手ほどきで法人税を一切払っておらず、納税額が1000万ポンド(約15億円)を下回る企業が半数をこえている。大企業は国家に寄生しながら、租税回避地を使って納税を拒否している。

 

 一方労働者は、ゼロ時間契約(雇用主の必要があるときにだけ働く契約)を結んでいる者が550万人にのぼるなど、非正規化が進んでいる。自営業の英国人の収入は2006年以降、2割減り、リーマン・ショックの後で自営業になった10人中9人近くは週に30時間未満しか働いていない。

 

 たとえばブレアは2005年、障害者給付金の申請者を減らすのを目的にフランス企業アトスと契約を結んだ。給付を希望する者は、アトスに申し込んで就労能力審査を受けねばならないが、その審査というのがデタラメきわまりない。

 

 脳卒中で体が不自由な元警備員(57歳)が審査を受けたが、就労可能と判定されて給付金を止める通知がきて、その翌日に路上で心臓発作を起こして他界したという。そればかりか提出書類をそもそも受け付けてもらえない申請者が多く、アトスの医師による報告書の改ざんも見つかっており、審査した4割以上が否決となっている。

 

 こうした福祉削減のための委託金として、英国政府は年間40億ポンド(約6000億円)もの税金を民間企業に注ぎ込んでいる。英国メディアは生活保護受給者や障害者、移民などを「たかり屋」といってバッシングしているが、本当のたかり屋は彼ら民間企業にほかならない。

 

 そして、最大のたかり屋はリーマン・ショックのときの銀行だ。英国政府による銀行支援は、1兆1620億ポンド(約174兆3000億円)にものぼった。貧困者100万人が借金を返済できなくなっても政府による救済はないどころか、執行人が家財を差し押さえるため玄関口にあらわれる。ところが世界経済を大災害に巻き込んだ銀行には、国の「福祉」が救出にあらわれる。

 

「右傾化」嘆く左翼の外側で新たな運動の息吹

 

 以上のような新自由主義・グローバリズムにNOを突きつけたのが、2016年のEU離脱国民投票だった。日本のメディアがいうような排外主義だけがそれをもたらしたのではない。右派ポピュリスト政党と報道されるUKIP(イギリス独立党)でさえ、七割以上の支持者は緊縮政策に反対し、電力や国鉄の国有化を求めていると著者はのべている。

 

 注目すべきは、既存の左翼がひたすら年長世代の右傾化と排外主義を嘆き、文句をいうだけなのに対して、著者が、それより先に自分たちが労働者階級の生活や共同体から遊離していることを直視すべきだ、とのべていることだ。左翼がアカデミック志向の人向けの仰仰しい学術書や、衰退していく左翼コミュニティーだけに読まれる本を出しているかぎり、自滅するしかないというのである。変化は、政治の外側にいる普通の人人が、集団の力を使って権力を圧倒することによって起こるものであり、それによってエスタブリッシュメントが私物化している富と権力を民衆の側に取り戻すのだ、と。

 

 新自由主義が破綻するなかで、欧米で巻き起こっている新しい運動の息吹を感じさせる一冊である。(海と月社発行、B6判・439ページ、定価2600円+税

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